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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文九年(1540) 吉田郡山城防衛
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城下での戦い、尼子の戦狂い

一五四〇年  尼子(あまご)三郎詮久(さぶろうあきひさ)



「城下で焼き働きをしていた湯原弥次郎(ゆはらやじろう)湯原宗綱(ゆはらむねつな))様が敵に急襲されました、健闘も空しく御討ち死に!」


「分かった、下がれ」


「はっ」


本陣から伝令が去っていく。弥次郎が逝ったか。愚かな、このような戦で死ぬとは。期待していたのだがな。あっさり死におって。ああ、貴重な人材を無駄にしたわ。

ふん、周りも騒ぎおる。この程度の戦にこうも時間をかけるとは情けないものよな。まあ、大人共が慌てふためく様は滑稽よ、良い気味よ。

我が父、民部少輔(みんぶのしょう)尼子政久(あまごまさひさ))を虚仮(こけ)にした報いよな。怒って見せて今回の戦に持ち込んだは全て年寄共を死地に送るため。我の名がいくら傷つこうと構わんわ。


だが、そうは言っても面白くないな。右馬頭(うまのかみ)毛利元就(もうりもとなり))。

こうも我に楯突くか。大内の威光を(たて)にのさばりおって。気に食わん。

だが熱くもなれるほどでは無かった。我の名が傷つくのは構わんが尼子の名が傷つき舐められるのもな。虫唾が走る。父が継ぐはずだった尼子の名か。儘ならぬな。


ふむ、そろそろ本陣を移すか。青山か、光井山か。前に出せばその分大人たちが死ぬ機会も増えよう。

そんなことを考えているとふと視線に嫌な奴が目に付く。今まで退屈そうに欠伸をしていた式部少輔(しきぶのしょう)尼子誠久(あまごまさひさ))が面白いものを見つけたかのようにニヤニヤ笑いながら近づいてきた。ああ、いつもの発作か。下らん。馬鹿馬鹿しい。


「なあ、三郎。そろそろ俺に出番くれよ。暇で仕方ねェんだわ」


「こら!式部少輔!無礼であろう!控えよ!」


大叔父の下野守(しもつけのかみ)尼子久幸(あまごひさゆき))が式部少輔を怒鳴るが煩くてかなわぬ。手で制して式部少輔に話を促した。


「いや、構わぬ。それで式部よ、退屈か?」


「ああ、退屈で仕方ねえな。それに強いんだろ?毛利の右馬頭はよ。なら俺にも戦わせてくれよ。俺たち新宮党にも遊ばせてくれよ」


「いいだろう。式部に一万の兵を預ける。毛利と遊んで来るがいい」


「へへっ、ありがとよ。そんじゃ出陣すっぞお前ら!」


「応!」


そう言って式部少輔は陣から去っていった。従兄弟の式部少輔誠久、なんとも血の気の多い狂人よ。強い相手を見つけると途端に燥ぎおる。理解できぬな。弱い相手と戦をする方が楽ではないか。

何故強敵と戦いたがるのか。あんなのが従兄弟だとは認めたくないな。新宮党の連中も武力を笠に着てのさばる始末。どうせここで拒否しても我の言うことなど聞くまい。

いずれは消さねばならん連中よ。なにが尼子最強か。戦しか出来ぬ愚か者共め。この戦で死んではくれれば儲けものよな。だがまだよ、まだまだよ。


紀伊守(きいのかみ)尼子国久(あまごくにひさ))!お前の(せがれ)のあの態度はなんじゃ!殿に対して無礼であろう!」


「私もあやつの態度にはほとほと手を焼いております。ご無礼、誠に申し訳御座いませぬ」


「殿、良いので御座いますか?」


「構わぬ、止めても勝手に出陣するであろう。好きにさせよ」


先ほどから注意していた大叔父、久幸の矛先が叔父の国久に向かった。だが国久の顔を見ればよく分かる。こいつも我のことを侮っている。いや此奴こそが新宮党が好き勝手する根本の原因よ。

神妙な顔なぞしているが口元の笑みが隠しきれておらぬわ。まあ良い。いずれだ、いずれ。今はまだ消すには時期尚早よ。それにしても下野守は口煩い。とっとと隠居すればよいものを。なんならこの戦で死ねばよいわ。年寄共を少しずつ消して、尼子の血脈を入れ替える。愛する父をむざむざ死なせた祖父含めた大人連中など皆早く死ねばよいわ。







毛利鶴寿丸(もうりつるじゅまる)



南西の坂城(さかじょう)で後詰として控えていた次郎左衛門(じろうざえもん)杉隆相(すぎたかすけ))と中務少輔(ちゅうむのしょう)小早川興景(こばやかわおきかげ))の軍が尼子の将、湯原宗綱の軍に強襲するとの報告が入ったのは朝日が昇ってすぐだった。

どうやら尼子の兵は石見方面に展開されているだけで南西には向かっておらず、それまで警戒していた坂城の二将は援護のためにこちらに向かってくれているようだった。奇襲の狙いもあるため報告が遅くなったことを使者は詫びていた。

だがこれは好機だった。毛利家はずっと反撃の機会を狙っていた。


親父はすぐにその強襲に合わせるための軍を編成。兄貴を大将に、大手門防衛で大いに武名を上げた飛騨守(ひだのかみ)国司元相(くにしもとすけ))、先駆けには渡辺(わたなべ)太郎左衛門(たろうざえもん)(かよう)を配しての500人の精鋭での出陣だ。


この先駆けの渡辺通だが、源頼光四天王の一人渡辺綱(わたなべのつな)の後裔だということだ。

渡辺一族は過去、親父とその弟、相合元綱(あいおうもとつな)の毛利後継者争いの際に元綱側に付いていた一族だ。結果は親父の勝利だったため渡辺通は乳母に連れられて備後国(びんごのくに)に逃れた。通には備後の国人、山内(やまのうち)新左衛門尉(しんざえもんのじょう)直通(なおみち)の家臣に縁があったらしい。そこに保護されて成長、武勇の誉れ高く素直な通を気に入った山内直通は自身の【通】の字を偏諱として与えた。


丁度この時期、親父は尼子との関係を悪くした時期だったため、同じく尼子と仲が悪いこの備後の実力者、山内直通に誼を通じようと俺の傅役の口羽通良(くちばみちよし)を派遣していた。ちなみに通良の【通】の字も山内直通からの偏諱だ。

そこで渡辺通を不憫に思っていた山内直通は親父に渡辺家の復興を依頼した。

最初は親父も渋ったみたいだ。まあ、自分を裏切った一族だからまた裏切るんじゃないかと警戒したらしい。だが、山内家との誼を通じること、渡辺通自身が毛利に恨みを抱いていなかったことからその依頼を受け、渡辺家を再び再興させたわけだ。


そんなわけで由緒ある渡辺家を再興してくれた親父に通も忠誠を誓ってくれ、今では兄貴の側近に付いている。その奇襲部隊の中には俺も加わらせてもらった。あの夜闇のなか、煌々と燃やされた城下町の景色が忘れられない。(むせ)び泣く民の声が耳から離れなかった。


まだ子供とはいえ何も出来ない自分が悔しかった。だから約束した。「お前たちの無念はきっと俺たちが晴らす」って。大言壮語もいいところだと思ったが、城内で懸命に耐えて一緒に戦ってくれている民たちのために何かしてやりたかった。

その出来ることが今まで嫌っていた戦でも構わないと思った。敵の湯原宗綱の軍は連日城下町に火を放っていた軍の一つ。復讐には持って来いだ。


昼過ぎに杉・小早川勢が湯原勢に襲い掛かった。敵は最初1500位いたらしいが完全な不意打ちに混乱した湯原勢は散りじりになってしまい湯原宗綱の周りには500程度しか残っていなかったようだ。だが杉・小早川軍は城に守備兵を200程残して駆けてきたため300程しか連れてきていなかった。だが不意打ちを食らわせたおかげで兵数は少なくても互角以上に戦っていた。


だがそれも長くは続かない。坂城からここまで駆けてきたため杉・小早川軍はそれなりに疲弊していたのだ。徐々に劣勢になり押され始めた頃、ようやくこちらの軍が襲い掛かることが出来た。もう少し遅れていたら逃げられていたかもしれない。危ないところだったが上手く挟撃出来た。中央に渡辺通、右翼に国司元相、左翼には俺と次郎三郎(熊谷信直(くまがいのぶなお))が指揮を執り、全軍を兄貴が目を配らせていた。


こいつらが俺たちの町を燃やしたんだ。何も出来ずに燃やされる様を見ているだけしか出来なかった悔しさを声に乗せて兵たちを鼓舞した。


「掛かれ!毛利の強さを見せつけろ!町を燃やされた恨みを相手にぶつけろ!俺たちの恨みを思い知れ!」


あれほど怖かった人の死も、怒りからかほとんど恐怖を覚えることはなかった。

人は恨みや怒りが上回ると恐怖を殺意が押し隠すんだと知った。それとも俺の感覚が馴染んできたのか。どちらかは分からないがどちらでも良かった。民たちの恨みを晴らせていることが誇らしかった。


じりじりと敵の数は減り敵軍を押し包む輪が狭まってきた頃、次郎三郎には完全に包囲をしてはならないと止められた。俺は全滅させてやりたかったが、完全に包囲してしまうと逃げることを諦めた敵兵が死兵となって玉砕覚悟の攻撃を敢行し、こちらの被害が大きくなるとのことだ。勉強になる、少しずつでも次郎三郎の用兵を学んでいこう。


そう考えているときひと際大きな歓声が中央から上がった。最前線で自ら槍を振るって指揮を執っていた渡辺通の槍の先には敵将、湯原宗綱の首が刺さっていた。勝ったのだ。味方の勝鬨の声が辺りに木霊していた。







毛利(もうり)右馬頭元就(うまのかみもとなり)



昨日の戦は城内を大いに湧かせた。城下を焼き払う悪鬼羅刹(あっきらせつ)に一矢報いたと。また杉・小早川勢の援軍も後押しした。我らは単独で戦っているのではないということを認識できたことが皆に勇気を与えた。

だが城内でも徐々に疲れが見えておる。防ぎ続けているとはいえ万を超す軍に囲まれ続けての生活は民にとっては重いのじゃろう。


翌日尼子が大きく動いた。本陣を動かしたのだろう。尼子の大軍が郡山城の向かい側、南西にある光井山と青山にその平四(ひらよ)目結(めゆい)の旗、尼子家の家紋をはためかせていた。吉川家や沼田小早川家の旗も見える。

そして山の下には一万もの兵が構えている。だがこの地は隘路(あいろ)、それほど広い場所ではない。いくら大軍を擁していても簡単に抜くことは出来ぬ。勝負どころが来たのだ。


そろそろこちらも大きく動く。地の利は我らにある。やりようは幾らでもある。太宰大弐(だざいだいに)大内義隆(おおうちよしたか))様が陣触れを出したとも聞くがそれがいつ来るかは分からん。

大内が来るまでにある程度我ら自身が善戦せねば大内のおかげで勝てたと(けな)されよう。動ける今が勝負の時よ。


「誰かある!皆を集めよ!軍議を開く!」


側に仕えていた小姓たちが慌てて動き出した。直に皆集まるだろう。自室で静かに目を閉じていた。

儂が大国尼子を手玉に取っている。なんと痛快であろうか。だが、まだ足りぬ。

この戦を契機に儂は大きくなってみせる。杉大方(すぎのおおかた)殿に誓ったのだ。儂が毛利を大きく強くすると。楽をさせてみせると。育てて頂いたご恩を返す。そのためにもここは負けられぬ。


半刻(1時間)程で評定の間に皆が揃ったと知らせが来た。すぐに立ち、評定の間に向かう。そこには勇ましい鎧武者たち家臣が頭を下げて待っていた。上座に座り口を開く。


「面を上げよ。時間が惜しい。早速軍議に入る」


どの顔もいい面をしよる。籠城戦とはいえあの大国尼子と互角以上にやり合えているのだ。自信にもなろう、誇らしくもなろう。息子たちもなかなか武士の顔をするようになった。


「今城下に控えている軍の将は分かったか?」


「はっ、平四つ目結の旗。尼子一門の式部少輔誠久であると思われまする」


「ふむ、新宮党の戦闘集団が出てきおったか。精鋭よな」


「現在、式部少輔の軍は城下に火を放ちながらこちらに向かっております。殿、どうなさいますか」


上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))が今、軍を率いている将の名前を全員に知らせた。尼子の新宮党。先代尼子経久とともに各地を転戦し武名を上げた精鋭部隊よ。骨が折れるものよな。そこ彼処にも唸るような声が響く。強敵である。

だが、侮られている今を置いて他に好機はない。それに将である式部少輔誠久、あ奴は戦で遊ぶ悪癖があったはずじゃ。危険ではあるが付け入る隙はある。やるか。


「我らも打って出る。皆の者、出陣の準備をせよ」


「義父上、危険ではありませぬか。敵は一万はいるはず。我らの四倍に御座いますぞ?」


「一度に一万を纏めて相手をするわけではない弥三郎(やさぶろう)宍戸隆家(ししどたかいえ))。伏兵により敵を屠る。問題は一万もの攻勢を受け止め続けられるかということだろう。此度は儂も出陣する」


「なんと…!なりませぬ殿!万が一のことがあっては毛利は瓦解しまする!それに大内の援軍を待てば勝てるではありませぬか!」


「無論、大内が来れば勝てるであろう。だがそれでは駄目だ。大内の援軍を待つだけでは駄目なのだ。頼り切ってはならぬ三郎右衛門(さぶろうえもん)児玉就忠(こだまなりただ))。この戦で勝つことで大内を呼び込むのだ。それ程の気概がなくば毛利は大内の属国になり果てるぞ」


儂の出陣に否定的だった家臣たちの口が閉じる。分かっているのだ。このままでは大内に埋もれてしまうことを。心ではそれを良しとしていないことを。


「必ず勝てる。何故なら尼子は正攻法でしか戦えぬからよ。三万もの兵を連れてきた三郎の矜持が小細工を嫌う。真正面から我らを呑み込むことが当然と思っていよう。だからこそ我らは策を弄して戦う。我らは謀り続けるのだ」


儂が止まらぬことを理解したのだろう。否定的だった家臣たちの顔にも覚悟が決まったように目に炎が宿ったように見えた。


「陣触れを発表する。一軍に渡辺太郎左衛門、国司飛騨守。兵を五百率いて城の西方で隠れて待機せよ。二軍には少輔太郎、赤川(あかがわ)左京亮(さきょうのすけ)。同じく兵五百、城の東方にて隠れて待機せよ。この一軍二軍の二つの軍は伏兵とする。そして三軍は儂が率いる。兵数は千五百、宍戸弥三郎、熊谷次郎三郎、口羽刑部大輔、鶴寿丸。儂とともに来い!伏兵部隊は敵の疲弊を待て。疲弊したところを確実に討つのだ!時を見誤るな!」


「はっ!」


「では出陣致す!皆、百万一心の言葉を忘れるな!皆、心を同じくし勝利するぞ!!」


「応!!」




尼子式部少輔誠久  1510年生。尼子国久の息子。主君詮久の従兄弟。+20歳

渡辺太郎左衛門通  1511年生。毛利家臣。槍遣いの豪傑。+19歳

山内新左衛門尉直通 1478年生。備後の有力国人。尼子に敵対。+52歳

毛利杉       1488年生。祖父毛利弘元の継室。元就を養育。+42歳

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