城下に群がる敵意
一五四〇年 毛利鶴寿丸
「矢を構えい!っ射てい!!」
「掛かれ!掛かれい!」
尼子軍はそれからすぐさま攻め込んできた。だがまずは小手調べなのだろう。およそ敵は4~5000程いるらしい。
だが攻め込んでくる軍の全容を本丸の櫓台から見ても、それが本当に4~5000人いるのかパッと見ではよく分からなかった。もっと多くいるような気もするし少なくも見える。
こればかりは戦を何度も経験し感覚を養うしかないみたいだ。そう考えると物見を任される人間て凄いんだな。おおよその敵兵の数を把握して帰ってくるんだから。
吉田郡山城の大手門は南側にあるため、北側に本陣を置いた尼子はその本陣から西側にこの城を迂回して南側へと囲うように兵を置いていた。
大手門の守備を任されたのは国司飛騨守元相だ。毛利家の譜代家臣で親父からの信頼も厚く、兄貴(毛利隆元)の傅役に抜擢された男だ。寡黙な仕事人といった風情のある武将で、その低い声は地の底から響くような迫力がある。
大手門周りは源助(大林幸次)が助言してくれた石垣が組まれている。その石垣が壁のように高く積まれて大手門前の道を狭くしており、石垣の上の高台には城壁が張られて矢を射るための小窓、矢狭間が備えられている。
そこから射手が矢を射られるようになっているわけだ。飛騨守は櫓の機能がある門の上から指揮を執っており本人も矢を射かけているらしい。本丸からはその光景が見えないのが悔しい。
だが敵も当然対策してきており木の板で作られた盾、木楯を手に持ち矢からの攻撃を防ぎながら近づいてきている。
しばらく一進一退の攻防が続いていたが確実に接近してくる尼子軍がとうとう城門に取り付くと大きな丸太を持ち十数人が城門に向かって突撃してきた。
ドォンと地鳴りでもしそうな音を響かせ城門を破壊しようとしている。すぐさま城門の上からは大小無数の石の礫が城門を破壊しようとする部隊に落とされる。その度に下からは悲鳴にも似た喚声が上がっていた。
俺は礫を最初、所詮はただの石ころだろうと思って馬鹿にしていたんだけどこれが案外侮れない。
武将含め兵士は鎧兜に守られているが、とはいえ完璧ではないためしっかり当たれば打撲もするし骨も折れる。当たり所が悪ければ死んでもおかしくない。
むしろ礫による死者は槍での殺し合いなんかよりも多いらしい。それが今、殺意を持って尼子兵に投げられていた。
しばらく城門前で争っていた両軍だったが破壊を試みていた尼子の部隊はたまらず後退していくようだ。気付けば空は暗くなり始めていた。まだまだ初戦と尼子は無理せずそのまま陣に戻るようだ。気付けば櫓の手すりをずっと握っていたみたいで掌に汗をかいていた。
こうして尼子軍に多少の被害を与える程度で初戦を終えた。
「お前たち、疲れてないか?飯はしっかり食ってるか?」
「へい、おかげさまで儂らぁ生きておりまさぁ。鶴若様は今日も元気ですな」
「お前たちと仲良くなれたからな!ここに来るのが楽しいんだ」
「へへ、ありがてぇことです」
「兵の皆さんはどうでごぜえますか?」
「おう、今日も尼子を追い返してるぞ。お前たちが縁の下の力持ちとなって支えてくれてるおかげだな。まだまだ無理を強いるが頼むぞ」
「毛利の殿様が諦めねえ限り俺たちも戦いますわ!」
初戦から危なげなく終えたおかげか城内の意気は依然として高いままだ。
俺はこうして城内を見回って民たちを慰撫している。この攻城戦では俺の出番はない。矢狭間がまだ俺では届かなくて矢が射られないのだ。せっかく練習してるんだけどな。力になれなくて悔しい。
だからせめて城内の農民や商人たち民たちを元気づけようと思ったのだ。護衛の権兵衛と一緒に歩き回っては声を掛けまわっている。
最初は何しに来たんだと遠慮がられることが多かったが数日も経った今では気軽に若様とか、兄貴と分けて鶴若様なんて呼ばれて気軽に話しかけてもらえるようになった。
そう、すでに籠城戦が始まってから数日経過していた。
領民たちは手分けして城内で色々な作業をしてくれている。男手は武具の簡単な修理だったり礫の補充や矢の補修などをし、女子供は握り飯の支度をしたり、怪我をした兵たちの看病をしている。
怪我といっても差し迫った怪我ではなく矢が掠ったり腕や肩に刺さったりで、まだそれほど大きな被害は出ていない。だがこのまま戦が続き激しさが増してくればきっと怪我もこの程度では済まなくなるだろう。
親父には人糞や馬糞、尿を用いた治療は絶対やってはならないと伝えている。悪化するだけで何の効果もないからだ。
この時代、不思議なことで何故か排泄物に治療効果があると信じられている。
俺自身そんな治療を受けたくないから早々に改善が必要だと言い回った。
だが長年信じられてきたこの迷信を掻き消すのはなかなか難しく今もまだ消えていない。きっと末端まで浸透するにはかなりの時間が必要だろう。少しでも味方の兵たちが生き残れるようにするため何年掛けてでも必ず改善しなければならないことだ。
どうせなら排泄物は矢にでも塗って敵に射かけてやればいいんだ。
その排泄物問題を話しているときに、親父に『傷薬とかはないの?』と聞いたんだがどれもよく分からない方法ばかりだった。
でも中にはちゃんとしたものがあった。紫根草と呼ばれる粉末の薬だ。
粉末にする前のこの植物の根が紫色をしていたからこう呼ばれているらしい。これはちゃんと医師に処方されているれっきとした薬で、傷口に塗るとすぐに血が止まるとかなり昔から重宝されているらしい。
詳しく知りたくて実際に毛利家の金創医っていう、戦場についてきてくれる医者にどんな植物か見せてもらった。
それで気付いたんだがこれ紫草って草だ。昔といっても前世、確かサバイバルかなんかの記憶だと思うんだがこれは確か、殺菌したり炎症を抑えたりみたいな効果があったはずだ。
栽培すればいいじゃんかと思って聞いたんだけど栽培は出来ないらしい。どういう条件で育つのか全く分かんないそうだ。
それなら仕方ない。でも量産は諦めるにしても森の中で探してもらえば見つかるんじゃねえかと思って去年から探してもらっていた。
流石、山ばっかの中国地方だ。探せば森や山の奥で割と見つかった。量産が難しいならせめて紫草の周りの環境は維持したい。そうすれば定期的に採集出来るだろうと思って、紫草が生えている場所は手を加えないように山師にはお願いした。
後は採集した紫草の根っこを乾燥させて粉末にすればれっきとしたまともな治療薬の完成だ。
これがあれば多少は兵が生き延びられる確率が上がるはずだ。他にもこの辺の治療知識がないのが悔やまれるな。前世が医者だったら都合が良かった。でもまあ仕方ない。もうこの時代に生まれちまったんだから。紫草だって立派な傷薬だ。ないよりは大分ましだろう。
それとこの吉田郡山城にはいくつも貯め池や井戸があるから水の心配はとりあえずない。
それによく疫病で城が落ちた、なんて話も聞くから親父に許可を取って石鹸での手洗い、それとうがいはこの期に民たちにも実践させるようにしてもらった。
石鹸は売り物として城に保管してたものだ。この時代は衛生観念なんて当たり前だけどないからいい機会だと思う。これを機会に毛利の民が少しでも病にかかる確率を下げられたらいいな。こんなに人が一堂にこんな集まる機会なんてそうそうない訳だし時間は有効活用しないとだ。
大手門は未だに敗れる様子もなく防御力の高さを尼子に見せつけており、時折こちらからも搦め手より出撃しては逆撃を食らわせていた。
特にこの辺は山霧がよく発生するためそれに紛れて親父は巧みに尼子を撃退していた。尼子もかなりイラついているんだろう。徐々に兵の数は増え、無理な攻撃も多くなってきたようだ。大手門は言葉合戦も盛んで互いに挑発を繰り返しているが飛騨守はそういった挑発には滅法強く、敵将を怒らせては返り討ちにしているらしい。
「わざわざ雲州より死にに来た間抜けども」「国人領主に手玉を取られるようでは大国尼子の先は長くない」「一度帰って伊予守経久を連れてこい、お前たちでは相手にならん」「先代がいなければ勝つことも出来ぬ愚か者」とあの寡黙な男とは思えないほどの罵詈雑言だった。
邪魔にならないように一度大手門に行ったんだが、そんな台詞を大手門の上から淡々と無表情で言い続けるさまはなんというか非常にシュールだった。
兄貴は「さすが飛騨守。あれは堪えるからな」と苦笑していた。どうやら淡々とした無表情のあの調子で兄貴は飛騨守の指導を受けていたようだ。
これって兄貴が自信を失ったのって実は飛騨守のせいなんじゃねーか?とちょっと過ぎったりもした。きっと違うよね。知らなかったことにしよう。
「其方ら、回収は終わったな?では城に帰還するぞ」
「へい」
夜になると大手門の前にある矢の回収のために男手の領民たちが率先して行動してくれた。
この時に間者が紛れ込む可能性もあったため武将や兵たちも護衛として参加している。いつまで続くか分からないため、消耗する武具は無駄にできないから隙を見てはこうして回収している。けち臭いとけどこの籠城戦はいつまで続くか分からない。物資は無駄にできないのだ。
矢や礫なんかはすぐに使うから最優先で回収される。特に矢は折れていたりすると、先端の鏃だけを付け替えたりして可能な限り再利用していた。
城門前では殺すよりも追い返すことを優先しているから死体は少ないがそれでも転がっているものに関しては城内に運んで燃やした。死体を放っておくとそこから疫病が発生する。それを防ぐためだ。死体が持っていたり付けていた鎧は槍なんかも戦が終わった後、再利用するためにしっかり回収している。こういった地味な作業が大事なんだ。覚えておかないと。
そんな攻防が更に数日経っていたある日の夜だった。
「何かあったか?」
「なんだか外が騒がしいみてえだよ。おら、ちいと見てくるだ」
「いや、気になるから俺も見に行くよ」
「そうだか?ならお供するだよ、若様」
俺はいつものように城内を見回り、民たちと話して安心させていた。空が暗くなったため大手門前の攻防戦も敵が撤退したため中断し、俺は城で休もうと城内に入った。
だがその日はいつもと違い外が騒がしかった。喧嘩でもしてるのかと急いで権兵衛を連れて外まで向かうにつれて、騒ぎの声はどんどんと大きくなっていく。最初は喧嘩かと思ったがすぐに違うと分かった。悲鳴のようだったから。嫌な予感がした。俺は駆け足で再び外の曲輪に戻ってきた。
城下が、赤く煌々と染まっていた。
毛利少輔太郎隆元
城下が、燃えている。いや、燃やされていた。遂に街に手を出してきたのだ。
父上が前に言っていた。尼子にとってこの土地は、私たちを滅ぼした後、自分たちの支配地になる。そこまで無体な真似はしないはずだと。
その通りだと私も思ったからどこかで安心していた。だから燃やされている城下の景色が信じられず呆然とその景色を眺めていた。我に返った時、頭が熱くなっていくのを感じた。
長雨が続いていても毎日ではない。それにわざわざ油のようなものを撒いてまで燃やしている徹底ぶりだ。
おのれ、…おのれっ!尼子めっ!私たちの大事な町を!
私でさえこんなに感情が揺れるのだ。城下に実際住んでいた民たちの思いを考えると胸が張り裂けそうだった。事実、その赤々と燃える城下の姿を涙を流しながら眺める者、膝をついて悔しそうに地面を殴る者が見える。
「兄貴!」
「鶴寿丸」
「尼子の野郎、街に火をかけやがった!俺たちの町が!俺たちの町が!」
「ああ、…どうやら奴らはこの地の支配などどうでもいいと見ているようだ。ふざけおって…っ!」
鶴寿丸もこの場に来ていたのか。最近では率先して城内で農民たちと親しくし、不安を消そうと積極的に慰撫していた。
普段は滅多に怒らない鶴寿丸もこの様に怒りが沸いているのか睨むように私に視線を送ってきた。今まで感じたことがない程、怒り猛っている。その目はあの日、私を叱った目と似ていた。
「わ、若様。おらたちは、おらたちの住む場所が」
「あぁ、わしらぁ、どうすればいいんじゃ」
民たちの嘆き悲しむ声がそこ彼処から響き、不安そうに私たち兄弟を見ていた。鶴寿丸にも視線を送るとそれだけで伝わったのか小さく頷くと別の民たちの場所へ護衛を連れて走っていった。
今、我らが怒っている場合ではない。この民たちが不安に圧し潰されぬよう安心させるのもこの地を守る私たちの仕事だ。
「安心してくれ、毛利の民たちよ。我々毛利は、この地に住まう貴方達民を決して見捨てたりはしない!この戦の勝利の暁には必ず街を再建する。私、毛利少輔太郎隆元がお前たちに約束する!だから安心して欲しい。お前たちは我らの大事な民、決して無体な扱いなどしない。このような悪逆非道を行う尼子の支配など認めてはならぬ。必ず我らが守り抜く。だから嘆き悲しむな。この悲しみを怒りに変え、尼子の悪鬼羅刹どもにぶつけてやろう!皆も私たちに力を貸してくれ。お前たちの無念を我らが必ず晴らす!百万一心だ、毛利の民たちよ。皆が手を取り合い、助け合えば必ず勝てる!百万一心を胸に戦い抜こう!」
その場にいる民たちに声を掛ける。私は父のように全ての民を勇気づけてやることは出来ない。だからこそ誠実に、可能な限り一人一人と話して不安を取り除いてあげねばならない。
「…ああ、そうだ。おらたちには殿さまたちがついてんだ!殿さまたちはおらたちの生活を豊かにしてくれた!」
「そうだ!せっかく豊かにしてくれた殿さまの元で暮らせたんだ!おらたちは尼子なんて奴らに負けるわけにはいかねえんだ!」
「そうだ!負けるか!」
「おらたちも毛利の百万一心を見せてやるんだ!」
こんなことで毛利は負けない。その私の思いが民たちにも届いたのか、涙を拭って力強く頷いてくれた。不安な気持ちを必死に抑えて立ち上がってくれた。
ああ、我が毛利の民たちのなんと強いことよ。守らねばならん。民こそがこの毛利を支える礎なのだから。
国司飛騨守元相 1492年生。毛利家譜代。兄、隆元の傅役。+38歳




