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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文九年(1540) 吉田郡山城防衛
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嵐の前の静けさ

一五四〇年  毛利(もうり)少輔太郎(しょうのたろう)隆元(たかもと)




城下町と城を繋ぐ険しい山道を民たちが登ってきている。途切れることのないその様子を櫓台(やぐらだい)の上から眺めていた。ここからは城下町も見える。そこから続いているのだろう長い人の列だ。

皆それぞれに家宝と呼べるものを持ってきているのだろう。皆、大事そうに抱えていたり荷車で運んでいたりした。一様に不安そうな表情をしている。

これから戦が始まるのだから当然だ。だがこの民たちは毛利が勝つと信じてくれているからこそ城に避難してきている民たちだ。しっかりと守らねばならぬ。


尼子への痛打を与えるための戦。今のところ父上が描いた通りの展開とはいえ民に無理を強いるのは胸が痛い。

だが毛利が脅かされる現状から抜け出すためには必要な戦だった。危険だとは思う、だが父上は自信がおありのようだ。悠然と構えられる父上のような大将に私もなりたいと強く思う。


私が旅立った頃より吉田郡山城は拡張されており規模が大きくなっていた。いくつも曲輪(くるわ)が増やされ防御面が強化されている。深い堀も掘られており山の地形を利用して高台から矢を射かけられるように道も入り組んでいるようだ。

そして大手門の周りには石垣と呼ばれる石材を積み上げた曲輪が増設されていたのが特に目を引く。聞くところによると鶴寿丸(つるじゅまる)が招いた牢人(ろうにん)が授けてくれた知恵のようだ。

ああやって石材を積み上げることにより地盤が安定し建造物を上に建てても問題がない程になるらしい。その牢人は既にこの地より去ってしまっているようだが私も会えるならば会いたかった。世の中にはまだまだ名を知られていない賢人がいるらしい。


拡張工事で出てきた岩や(つぶて)も豊富にあり各曲輪に準備されている。また抜け道も用意されておりここから外に打って出ることも出来そうだ。三万四万と襲われても簡単には落ちない城。存分に手古摺(てこず)らせることが出来るだろう。

自分ならこの城をどう攻めるか、無理に攻めては被害が大きくなるだろう。とはいえ兵糧攻め出来るほど余裕があるのか。長い時間を掛ければこの辺は雪が降るであろうし、太宰大弐(だざいだいに)様(大内義隆(おおうちよしたか))が援軍を送って下さるだろう。大内家にいて分かったが毛利は尼子に対する分厚い壁のような安心感があった。いくら大国の大内家とはいえ見殺しには出来ぬだろう。


各曲輪には重臣の屋敷も建築されている。父上の安芸国(あきのくに)(現在の広島県西部)での権力が増しているのだと思った。この吉田郡山城には驚くことに私の屋敷も別に建てられていた。

大内から帰ってきたときの為に父が(こしら)えてくれたらしい。私は『家族たちと暮らしても良かったのだが』とも思ったが、これでも既に元服をした身。父上に一人の武将として扱われたことが嬉しかった。



なんとなく視線を上げて北の方角を見た。あの山の向こう、そのまた向こうかは分からぬが大国尼子が、大軍を率いてこちらに向かってきているのだろう。尼子の進軍路と思われる付近の田畑は今年の収穫を諦め放置することを決定していた。

昨年からの長雨は季節を超えて途中で雪に変わったが今年になっても続いており作物の収穫に期待が持てなかったこと、父上が進軍路になり得る各村の今年の年貢の免除を約束したこともあり、各農村からはそれほど反対の声は出なかった。

ただ今年は各地で凶作になるだろうと見られている。特に畿内はひどいことになるだろう。



そういえば鶴寿丸が行ったらしい農法のおかげで収穫量が増えたと聞いた。一体あいつは何をしていたんだと不思議に思う。

昔から変わった弟だった。ただ慕われているだろうとは思う。久しぶりに会った鶴寿丸は身体こそ大きくなっていたが特徴的なつりあがり気味なあの目と人懐っこい笑みはそのままだ。


だが突拍子もないことを突然始める。何をしでかすのか予測できない。その上やることは役に立つことが多かった。それが本当に不思議だ。いったいあいつの頭はどうなっているのだろう。

特に鶏を食い始めたあの時は一番訳が分からなかった。まあ、食ってみれば確かに美味かったし、食べ続けても天罰もないと分かったから今では普通に食されている。卵も焼くと美味かったな。


その不思議な弟のおかげで城内の米蔵が満たされていたからこうして余裕でいられるが、もし無ければ九州の方から買い集める必要があっただろう。太宰大弐様からの援助も必要だったかもしれぬ。

そうなれば大内家に要らぬ借りを作るところであった。大内家中でしっかりとした発言権を持つためにも頼りすぎるのは良くない。完全に取り込まれてしまう。


中から見て初めて知り驚いたことだが、大内家中は一枚岩では無かったことは本当に驚いた。

(すえ)殿や頭崎城(かしらざきじょう)攻めで共に戦った三河守(みかわのかみ)殿(弘中隆包(ひろなかたかかね))、内藤(ないとう)殿などの武を(たっと)ぶ派閥と、相良(さがら)殿を中心とする文を貴ぶ派閥が主導権争いをしていたのだ。私は武を貴ぶ派閥の方々と比較的付き合うことが多かった為、文を貴ぶ派閥の方々とはお話しする機会が少なかった、残念なことだ。学ぶ好機であったのに。


今は主家である大内家を思ってそれぞれ行動はしているがこの派閥争いが激化したときにどうなるか、太宰大弐様がご存命の内は良くても新介晴持(しんすけはるもち)様が後を継いだ際にそれを(ぎょ)せるのか。

その時、毛利家はどのように立ち回るのか。大国故の問題もあるのだと驚いた。だからこそあまり大内家に寄り掛かるべきではないだろう。



城に入場していく民たちの姿を静かに見ていると後ろから登ってくる足音が聞こえてきた。足音の中に小さい足音が混ざっている。肩越しに振り返るとやはり鶴寿丸だった。お供を連れて登ってきたようだ。

供をしているのは最近鶴寿丸の警護役に就いたらしい牛のような大きな男だ。権兵衛(ごんべえ)佐東金時(さとうきんとき))と言ったか。顔は安穏としているが膂力のありそうな男だ。鶴寿丸は気に入っているらしい。初陣で命を救われたらしい。身を張って助けてくれる家臣は貴重だ。


「鶴寿丸か。どうした?」


「頭崎城の戦ではあんまり話せなかったからさ。尼子の大軍が来たらまた慌ただしくなって話せなくなりそうだから探しに来たんだよ」


「私はこの戦が終わっても毛利にいるのだから大丈夫だぞ?」


「そうなんだけどさ、やっぱり不安なんだよ」


「…確かにな、尼子は三万とも四万ともいわれる大軍だ。でも、毛利は勝つさ。いや、勝たねばならぬ。見てみよ、鶴寿丸。あの民たちを。あの民たちは毛利を信じてくれているのだ、我らが勝つことを。だからこそ、我らはあの民たちのためにも勝たねばならぬ。大事なものを守るためならば戦うしかない、そうだろう?」

「うん、…うん。そうだな。俺たちが守ってやらないとな!」


鶴寿丸が私の隣まで来て櫓の下に視線を送った。途切れることのない民たちの行列を見て驚いている。こんなにも多くの民たちが毛利を慕ってくれているのが嬉しいんだろう。頬が上気していた。

私の言葉に何度も強く頷いている。少しは戦に対する心持ちを変えてやることが出来ただろうか。

下にいる民たちに手を振る弟を見ながらそう思った。






毛利鶴寿丸



謹慎の間の鍛錬は特に弓の練習に力を入れていた。今も城内の弓練場で一人、いや権兵衛が付いてきてくれてるから二人か。二人でこの場所にいる。俺はひたすら弓を引き、的を目掛けて射掛け続けた。

どうも直接、自分の手で人を殺すのは感触が残るし生々しすぎて抵抗がある。でも弓なら直接手を下す必要がない。手に感触が残らないぶん、まだ抵抗感が少ないんじゃないかと考えた訳だ。浅知恵だけど俺も少しでも戦力になりたかった。


でも弓の扱いは難しい。生前は牧場でアーチェリーなんかを遊びでやったりしたような気がするがそんなのとは比べ物にならないほどだ。アーチェリーって優しかったんだなと実際に和弓を使ってみて思った。

和弓の形も思ってたのと違う。上下が均等な印象だったんだが全然そんなことなかった。上部の方が長く山なりに(しな)っていてそこからなだらかに下部へ下っていくような(いびつ)な形をしていた。


最初に『均等にした方が綺麗だし飛ぶんじゃないのか』って次郎三郎(熊谷信直(くまがいのぶなお))に聞いたんだが笑われた。これが一番射やすい形状なんだそうだ。きっと武士が生まれてからずっと改良され続けた完成品がこれなんだろう。これが完成品なのか知らないけど。


そして何より大きい。大人が使う弓は今の俺の二人分くらいの大きさもある。俺の身体には合わないから今も小弓を使っている。それでも俺の身長よりははるかに大きいが。


中心より少し下あたりを握って矢を添えると一番振動が小さくなり安定すると教えられた。そんなことまで計算されてるんだと驚いた。


そんでもって俵のような的に射るわけなんだがこれもまた難しい。弓を左手に持って右手には(ゆがけ)っていう鹿の皮で作られた手袋みたいな保護具を着ける。これをすることで矢を(つが)えるときに怪我をせずに済み、手首まで固められるから安定感が増す。矢を弦に掛けるがこれを引き絞るのがかなりの重労働だ。鋭く遠くに飛ばすためには仕方ないこととはいえ最初は何十も何百もは射られそうもなかった。


まあ、そもそも矢自体が有限だから一人でそんな沢山射られるはずもないんだけど。弓の鍛錬を始めたころは腕やら胸やらが筋肉痛になって動くのもしんどかったが今では慣れてきたのか、筋肉もついて痛くなることは無くなった。

百発百中とまではいかないが七から八くらいまでは思った場所に射られる様になったのはかなりの進歩だと思う。今も真ん中に当たるわけじゃないがしっかり的に矢が刺さっている。権兵衛が歓声を上げて見ていてくれるからちょっと誇らしい。

もう一度矢を弓に添えて硬い弦をギリギリまで引き絞る。狙いを定めてそのまま弦を手放す。その際に弓を左手の中で回転させるのがコツだ。そうするとまっすぐ飛んでくれる。耳元で風切り音が通り過ぎまっすぐに飛んで行った矢は的に命中した。

でも真ん中じゃない。少しずれた。悔しいけど権兵衛が喜んでくれるからやり甲斐がある。



改めて俺の身体の運動能力は高いのだと思った。それにこの時代はテレビやパソコンなんかもないからそれほど目を酷使することもなくかなり遠くまではっきりと見ることが出来るのも狙いをつけるのに役立った。次郎三郎もこれには褒めてくれた。



ただこれはあくまで誰にも邪魔されずに冷静に狙えるおかげだろう。

戦場で矢が飛び交う状況で全く同じことはできないと思う。それと驚いたのは弓の上部に槍の穂先を着ける弭槍(はずやり)という武器が割と一般的にあることだ。

弓兵隊が敵の接近を許した場合に弓を槍代わりにして戦えるようにしたものなのだが、扱いが難しい。なにせ元は弓だから撓るは力が入らないはで、敵に致命傷を負わせるのが難しい。撓るせいで鎧も貫けないから(もっぱ)ら鎧のない関節部分を狙うんだそうだ。


だけど乱戦のなか関節だけを的確に狙う暇なんてあるんだろうか?よほど練習しないと使いこなすのは骨が折れそうだ。ただ、かっこいいから暇を見つけてなるべく使って練習するようにはしている。いつか戦場で使えるようになってみたい。そのためにもまずは戦になれなきゃな。



もうすぐ尼子がこの城下に到着するだろう。前はパニック起こして暴走しちまったけど今回はしっかり役に立たないと。家族を、家臣たちを、領民たちを守る一助になりたい。











石見方面から悠々と尼子軍が姿を現した。どうやら大内方に落ちていた石見銀山をしっかり奪ってからの進軍らしい。石見銀山はここ数年大内と尼子で奪い合いを繰り広げられている地だ。それを景気づけとばかりにさっくり落として南下してきたのだ。


大軍の移動に驚いた鳥たちが一斉に羽ばたきその存在を主張している。

尼子は吉田郡山城の北西にある風越山(かざこしやま)に本陣を置いたらしく、この城からも尼子家の家紋、平四つ目結の軍旗が風ではためいているのが見えた。山一つが尼子軍に覆いつくされているようでそれだけで人数の多さに辟易としそうだ。


今回の戦は盟友宍戸家から姉貴の旦那である弥三郎(やさぶろう)隆家(たかいえ)も援軍として吉田郡山城に入城している。義兄の父親である勇将、雅楽頭(うたのかみ)元源(もとよし)五龍城(ごりゅうじょう)に。

頭崎城で共に戦った小早川興景(こばやかわおきかげ)も、大内からの援軍の先発隊である(すぎ)次郎左衛門(じろうざえもん)隆相(たかすけ)に率いられ吉田郡山城の西、近くの坂城(さかじょう)に駐留している。

一方の尼子軍だがまだ到着したばかりのためか今日は攻めてくる様子がない。当然か、留陣するためにも準備が必要だ。明日からの攻勢のため、万全を期して攻めるため、確実に毛利を潰すつもりなのだろう。まさに大国の戦。それを見せつけるかのような余裕ぶりだった。







翌日の早朝、親父が領民、兵たちを一処(ひとどころ)に集めさせた。この日も朝から雲が空を覆うどんよりとした天気だった。領民や兵たちは大軍への恐怖心から表情を強張らせている。これほどの大軍に囲まれた経験などないんだから、当たり前だ。俺も怖い。


暫くすると親父が姿を見せた。親父も鎧を身に着けている。兜は被っておらず萎烏帽子(もみえぼし)姿だ。

家臣たちを横に控えさせ親父が皆の前に立ちそっと見回した。その表情に不安はなく、悲壮感もなく気負いもない。ただ普段通りの涼しげないつもの顔をしていた。


ただいつも通りだからこそ、その顔を見ているだけで落ち着けるような気がした。そんな頼もしさを感じたのか騒めいていた広場に静寂が広がる。今は囲んでいる尼子よりも親父がこの場を空気を呑み込んでいるようだった。一人一人の顔を見ているかのような長い沈黙の後、ゆっくりと頷くと親父は口を開いて静かな、それでいて腹の奥から響くような声で話し始めた。


「皆の者、我が毛利を信じこの吉田郡山城を頼り集まってくれた事、まずは感謝する。皆が知っての通り。今、我々には大きな困難が立ち塞がっておる。風越山には尼子の旗が立ち、城下には尼子の兵が迫っておる。皆の中には恐怖があろう。死ぬのではないかと恐れていよう。当然じゃ。相手は大国尼子。儂らなぞ鼠が猫に挑むようなものじゃ。世間も思っていよう。毛利は風前の灯だと。だが儂はそうは思わん。()大江広元(おおえひろもと)公より始まる我らの先祖、毛利時親(もうりときちか)公が坂東よりこの地に参り、この天嶮(てんけん)の地に城を築き、堅固な守りをしっかり固めておるからじゃ。父祖より伝わるこの地を守るは我ら毛利と、毛利の民でなくてはならぬ!尼子ではない、ここは我ら毛利の地!侵略者など何するものぞ!」


「応!応!!」


横に控えていた家臣団が一斉に声を揃えて応えた。吉田郡山城に熱の籠った声が響く。民たちの表情に希望が宿る。


「毛利の民よ!恐れるな!其方(そなた)らは儂を含む、この毛利家が守る!信じよ!我らは滅びぬ!この戦を以て毛利の力を!毛利の民の強さを天下に示すのだ!恐れず耐えよ!我らは一人ではない!耐え抜けば必ず大内の援軍が来る!その時にこそ!この安芸国から大国尼子を追い出すのだ!」


「応!!」


「毛利の民たちよ!共に我らと耐える覚悟はあるか!!」


「応!!応!!」


声の熱は徐々に広がり民たちにもその熱は宿っていく。


「これより我らは一丸となって尼子に対する防衛戦を行う!!皆の者!百万一心の心を以てそれぞれが手を携えよ!万事抜かりなく己が任を果たされよ!尼子よりこの地を守るぞ!」


「応オオオオオオオオオオオ!!百万一心!百万一心!!」



大音声がこの城を満たしていた。皆が皆、天に拳を突き上げて鬨の声を上げていた。血が沸騰するような熱さを感じた。民も含めて城すべての心が一つになった百万一心の防衛戦の火蓋が切って落とされた。




杉次郎左衛門隆相   1522年生。大内家家臣。吉田郡山城戦の援軍。+8歳

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