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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文九年(1540) 吉田郡山城防衛
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尼子への宣戦布告と百万一心

一五四〇年  尼子下野守(しもつけのかみ)久幸(ひさゆき)



大内と毛利が共に軍を興したとの情報が入り、儂はすぐに殿の御座(おわ)月山富田城(がっさんとだじょう)に向かった。この大内毛利連合軍が我が方の城、頭崎城(かしらざきじょう)に進軍中と聞き、早々に評定が行われることとなった。上座には殿、三郎詮久(あきひさ)脇息(きょうそく)に肘を置き(もた)れていた。その表情は不機嫌そうではあるが、特に覇気がなくその目が一体何を見ているか窺い知ることが出来ぬ。幼い頃は利発な子であったが…。


そもそも当主たるものあのように不満さを表情に出すものでは無いのだが。殿、三郎詮久は儂の又甥(またおい)。我が兄の経久(つねひさ)やその息子、今の殿の父たる政久(まさひさ)英邁(えいまい)であったがいつ頃からかこの又甥は短慮が過ぎるようになった。能力は間違いなくあるがすぐに血気に逸る癖が問題よ。どうしたものか。殿主導の播磨遠征が上手くいったために最近では話を聞く耳を持とうとしておらぬ。溜息が出そうじゃな。



其方(そのほう)らも聞いておろう。乞食(こじき)毛利が動き出しおったわ。どうやらあ奴らはものを見る目が無いらしいな。我らに潰されることが望みのようじゃ。身の程を知らぬ木端大名など鎧袖一触(がいしゅういっしょく)よ」


嘲笑を浮かべながら底冷えするような冷たい声でそう言った。まただ、敵を侮っている。いくら我ら尼子が大国で毛利が小国といえど戦では何が起こるか分からぬ。侮っていいものでは無いだろう。自分の父親が戦で亡くなられたことを理解していないのか。

だが今の尼子は因幡国(いなばのくに)(現在の兵庫県北部)を平定し、播磨(はりま)(現在の兵庫県西部)西部にまで勢威を伸ばしたせいで家中の意気は高い。それが余計に敵を必要以上に小さく見せる原因となっている。この場の雰囲気もどこか楽観的だ。否定の声は一切ない。殿の傲慢さにも拍車が掛かってしまった。なんとお(いさ)めすればよいのか。


「我らが動けば大内も毛利に援軍を送ろう。好都合よ。これを好機とし大内に痛打を与えてやればあの公家かぶれの大内も山口に引き籠もり安芸からも手を引こう。我らも軍を興す。良いな?」


「お待ちくだされ殿」


「…下野守か。お前は反対か?」


「軍を興すこと自体に反対は御座いませぬ。むしろ我らが立たず頭崎城を見殺しにすれば尼子は頼りにならずと国人衆に見限られましょう。ですが毛利も大内も決して侮っていい相手では御座いませぬ」


「ふん、大内はまだしも毛利を侮るなだと。下野守は目が曇ったか?」


「曇ってはおりませぬ。確かに我ら尼子に比べれば毛利など取るに足らぬ相手ですが、それでも右馬頭(うまのかみ)元就が当主となって以来、毛利は力を増しております。また奴は我が兄が如く謀略を駆使し敵を撃破している知恵者に御座います。甘く見ては足を掬われましょう。慎重を期するべきです」


「謀略だと?それこそ小さきものが必死に地べたを這い回っているだけではないか。取るに足らぬわ」


「それが侮りだと申しておるのです。まず、石見(いわみ)方面に儂が、備後(びんご)方面には紀伊守国久が出征し徐々に圧力を掛けまする。その後、右馬頭が我らと対陣するようであれば殿が紀伊守と挟み撃ちにして撃退すればよし、篭城するならばそのときこそ全軍をもって吉田郡山城を包囲すればよろしい。山口の大内は儂が石見より軍を率いて牽制すれば警戒して来援することはありませぬ」


「ははっ、耄碌(もうろく)したな下野守。そこまで慎重を期さずとも我らは負けぬわ。大内など毛利共々打ち砕けばよいではないか。それともなにか、毛利如きに怖気付くほど命が惜しいか下野守?」


「!…油断しては勝てるものも勝てぬと言っておるのです!油断しては御父上、不白院(ふはくいん)様(尼子政久)のようになりかねませぬぞ」


「貴様!わが父を愚弄するか!!」


愚弄され頭に血が上ったせいで(まず)いことを言ってしまった。殿が最も触れられたくない事だった。だがもう遅い。

そう思った時には烈火の如く怒りの炎を宿した目を見開きながら、殿が凭れていた脇息が飛んできていた。反応が遅れて儂の額に当たる。ゴッと鈍い音が響き痛みに思わず(うずくま)ってしまいそうになるのを懸命に(こら)えてすぐに頭を下げた。向かってこようとしていた殿は甥の紀伊守(きいのかみ)尼子国久(あまごくにひさ))が止めているが、怒りが収まらない。


「申し訳御座いませぬ!失言で御座いました」


「この老いぼれが!そんなにその老いた身が大事か!この臆病野州が!!そんなに我が身が大事ならば隠居でもしておればよいわ!…ふん!皆の者、戦の準備を始めよ!」


そう言って殿は荒々しい足音を響かせながら退室していった。残された評定の間の者たちはすぐに儂に近寄り気遣ってくれ、それぞれ戦の準備のため退室していく。最後に甥の国久が寄ってきた。


「叔父上、大事ないか」


「ああ、大事ない。心配をかけたな」


「いや、気にするな。だが叔父上が老いたのは正解かもな。昔の叔父上なら避けるか受け止められたろう」


そう言って国久は自分の額、儂が怪我をした同じ箇所を指して苦笑した。確かにそうだ、あの程度、昔なら避けられたし受け止められた。兄と共に各地を転戦し尼子の武の一翼を担ってきたと自負していたが。そうか、儂は老いたか。


「そうじゃな、殿に臆病者呼ばわりされるのも仕方ないことよな」


「いや、叔父上は」


「良い。儂も潮時という事よ」




甥に支えられながら部屋へと戻る。殿とはいえ若輩者にあそこまで言われねばならぬか。なんとも情けない。老いとはかくも悲しき事か。忸怩(じくじ)たる思いもあるがこの戦を以て最後の奉公と致そう。









一五四〇年 毛利鶴寿丸(もうりつるじゅまる)



尼子軍出兵の報が入った。思ったよりも遅く軍を興したもんだ。

頭崎城は見捨てられたか。それとも毛利を潰せば問題ないと判断されたかな。ただ兵数は圧倒的だ。その数、号して4万という触れ込みだ。まあこういった触れ込みは大抵誇張されるもんだから実際は3万~3万5千位だと思う。それでも大軍であることに変わりはないわけだが。


大体1万石で250~300人の兵を準備するのが一般的だと聞いたことがある。

つまり尼子は100万石以上か。多すぎて現実感がないなあ、おい。

それに比べて毛利は武田を滅ぼしてもやっと出せても2500~3000程度。石高にすると10万石位か。比べ物にならないな。まあ、今は所詮国人衆の盟主、こんなもんだろう。ここから駆けあがっていけばいい。


親父(毛利元就)はその兵数を聞いても表情が変わらなかった。親父の想定内なのか、想定外だが顔には出さずにいるのか。どっちなのかは分からない。こういったところを見ると親父は戦国大名だなあと納得する。このどっしり構えた姿を見ると安心するからだ。何とかなると思わせてくれる。

ちなみに兄貴(毛利隆元)は兵数を聞いた時に若干表情が強張っていたことは内緒だ。


俺は史実でもそんな数だったと記憶していたから驚くことはなかったが、それを目聡(めざと)く見ていた三河守(みかわのかみ)弘中隆包(ひろなかたかかね))は『ほほう、剛毅(ごうき)ですな』と笑われた。

『知ってたんですよ』なんて言えないから『多すぎて想像できませんでした』と誤魔化しておいた。誤魔化せてるかな。


どうも三河守は俺を観察しているような気がする。止めて欲しい。俺自身は観察されるような大した人間じゃないんだ。ズルをしているだけだ。得体が知れないのは自覚してるが見られてると変なボロを出しそうで怖い。




城攻めは順調だった。親父と太郎兄貴、隆包の三人と援軍に来てくれた小早川(こばやかわ)中務少輔(ちゅうむのしょう)興景(おきかげ)が入れ替わり立ち替わり攻め立てた。

この小早川興景は竹原小早川家(たけはらこばやかわけ)の当主で親父の死んだ兄、興元(おきもと)の娘を娶っている。つまり親父の義理の甥であり、俺の義理の従兄弟だ。爽やかな風貌をした兄ちゃんて感じの人物だ。

ちなみにもう一つ、沼田小早川家(ぬまたこばやかわけ)がある。こちらが本家らしいが興景の竹原小早川家とは現在、実力は拮抗しているらしい。


その沼田小早川は大内方であったが途中から尼子方に付いている。

史実では確かこの裏切りは大内家にバレて当主が軟禁状態になっているはずなんだが、この世界では大内が九州を優先していたおかげでバレずに済んだようだ。この辺も毛利家の動きが影響した結果だと思う。

またお袋の実家の吉川家もどうやら尼子方に付く腹積もりらしい。

吉川家臣は大内についておくべきだと主張したようだが現当主、吉川(きっかわ)治部少輔(じぶのしょう)興経(おきつね)は随分と強引に尼子派に舵を切ったようだ。今はまだ表立ってないがもし尼子が襲来すれば敵対することになるだろう。お袋が心を痛めてなきゃいいんだが。そんな感じで今、安芸国人衆はかなり慌ただしいことになっている。そりゃそうだよな。4万が襲い掛かってくるなんて怖いもんな、普通。



ちなみに俺はこの攻城戦を見ているだけだ。まだ怖いから。

少し慣れてきてはいるとはいえまだまだ怖いから、『無理はするな』と親父にも兄貴にも言われた。兄貴なんかはお前にも怖いものがあるのだなと感心される始末だ。

いったい何だと思われていたんだ。そりゃ夜中に1人で厠に行くくらいは訳ないけどさ。


遠くで敵味方の殺し合いを見ていると当たり前だが兵たちが死んでいくのを見ることになる。ここまで喚声が聞こえてきて戦の激しさを示している。死に物狂いってこういう感じなのだろう。


遠目からだが何日も何日も人が死んでいくのを見ていると感覚が麻痺してくるのか、それとも何かが壊れてきてるのか、少しずつだが人の死に心が揺れなくなってきていた。

戦国の時代を、武将として生きるためにはこれが正解なんだと分かっていてもなぜか釈然としないものがある。だがそれを追求してはいけない気がしてそっと蓋を閉じた。俺は毛利鶴寿丸としてこの戦国を生きるんだから。これでいい。



今は兄貴が指揮を執る部隊が大手門を攻撃していた。危なげなく指揮を執っている姿を見ると史実の隆元の面影は既に感じない。完全に覚醒したというか全く別人のようだ。既に一端の武将といった感じで格好いい。


そんな風に見ていたところで掛け梯子(はしご)を伝って城内へ入り込んだ部隊が大手門を開けたようだ。大手門を抜かれたせいか、この後すぐに立て籠もっていた新四郎(平賀興貞(ひらがおきさだ))が降伏を申し出てきた。どうも大手門を落とされたため尼子からの援軍は間に合わないと判断したらしい。


親父は尼子への挑発の為に首を斬ろうと考えていたらしいが、新四郎の父親、蔵人大夫(くらんどのだいぶ)平賀弘保(ひらがひろやす))がそこで待ったをかけた。

親としての情だろう、息子の新四郎の命だけは助けてくれと助命嘆願をしてきた。

無視することもできたが蔵人大夫へ恩を売れる事、蔵人大夫自身が城を熟知していたため、落城させるまでが早かったことから鑑みて親父は出家することで命を許し、寺に入れられることになった。

親父の狙い通り蔵人大夫は恩を感じてくれたようだ。今後の協力を申し出てくれた。



「第一段階は無事に終わりましたな。これこそ百万一心(ひゃくまんいっしん)に御座りますな」


「三河守殿、失礼ですが百万一心とは?」


「神道に伝わるお言葉に御座る。百万一心を書き崩しますと一日、一力、一心となります。一日を同じく過ごし、力を一つにし、心を一つに合わせたことで我々はこの城を落とすことが出来ました。つまり、人は力を合わせれば何事も成し得ることが出来るという意味に御座りますよ」


「おお…!何と、何とも有り難いお言葉に御座いましょう。この元就、金言を得た思いに御座る。百万一心、我が毛利家の指針となるお言葉に御座います」


「ははっ、お役に立てたのなら何よりに御座る」


城攻めが終わり一息ついた頃、不意にそんな言葉が三河守の口から零れた。三河守は白崎八幡宮という神社の大宮司を兼任していることから発せられた言葉なのだろう。

それが国人衆を纏めることに苦労している親父の心に深く響いたらしい。普段からあまり興奮しない親父が感銘を受けたように右胸に手を置いた。こうやって百万一心は毛利に伝わったのか。と感慨深いものを感じる。

百万一心か。いい言葉だな。そうやって生きていくことが出来たらきっと、戦国時代なんて来なかっただろう、そうやって人々が手を携えながら生きていける時代が早く来るといいな。



そして勝利の余韻に浸ることなくすぐさま頭崎城は修復され三河守が一時的に城番をすることとなった。蔵人大夫はその傘下に入るようだ。これで尼子が来る前に何とか準備が整った形だ。

既に尼子の先発隊は先行して石見国(いわみのくに)(現在の島根県西部)に入っているらしい。そして本隊はその後をゆっくりと進軍中とのことだ。先発隊が地均しし周りの城を牽制して本隊が吉田郡山城を囲むのだろう。


いよいよ始まるのだと思った。





【初登場武将】


尼子下野守久幸   1473年生。尼子経久の弟。冷静沈着な副将+53歳

尼子紀伊守国久   1492年生。尼子経久の次男。尼子家きっての猛将+38歳

小早川中務少輔興景 1519年生。竹原小早川家当主。元就の義理の甥。+11歳

吉川治部少輔興経  1508年生。吉川家当主。元就の妻美伊の方の甥。+22歳



【補足】

必要かは分かりませんが、尼子詮久が尼子久幸に対して言った【野州】とは下野国の別称です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 後書きで 野州】とは上野と下野の総称です。 と書いてますが、総称ではなく下野の別称ですよ。 ちなみに、上野は上州。
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