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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文八年(1539) 初陣
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元就の胸の内と帰還

一五四〇年  毛利鶴寿丸(もうりつるじゅまる)




気が済むまで泣いたおかげですっきりすることが出来た。なんというかこの時代にやっと根を張れたっつーか、自分の居場所みたいなものをしっかり定められた感じだ。大事な人に俺の存在を認めてもらえた。借りものじゃないと思い定めさせてくれた。大事な人たちのために頑張っていこうと思えた。


その後も親父とはたくさん話した。そこで前世の知識に関しては他の者には言うなと言われた。

当然だと思う。親父は信じてくれたが普通こんなことを言ったら気が触れたんじゃないかと疑われてもおかしくない。死ぬ気だったから親父には言ってしまったが、俺だって最初は言うつもりはなかった。むしろその事実を認めたうえで息子だと言ってくれた親父の度量の方がすごい。


後は今後のことについてだ。特に今年は、史実なら尼子が播磨での勝利の勢いそのままに大軍を率いて毛利に攻め込んでくるはずだ。

いわゆる吉田郡山城の戦いがあるはずだが、既に史実とは違う流れが出来ている。俺が色々試し、それを親父が有効活用したおかげで史実よりも少し毛利家が大きくなっているわけだ。既に武田家は滅んでいることも今後、どんな影響を及ぼすか分からない。既に史実はあてにならないと思っておいた方がいいかもしれない。


「いや、利用できる情報は利用した方がいい。全てが無駄ではないのだ。特に尼子の三郎(尼子詮久(あまごあきひさ))が我々に敵愾心(てきがいしん)を抱いているのは間違いない。ならば敢えて呼び寄せてみるのはどうじゃ?」


「つまり俺の知っている史実の流れに戻すってことか?播磨の戦は尼子が勝った訳だし、気を大きくした尼子三郎を挑発すればここに誘き寄せることができるとは思うけど。そもそも親父は俺の言ってることを信じてくれんのか?自分で言ってあれだが荒唐無稽もいいところだろう?」


「確かに俄かには信じがたい話ではあった。だが、お前が幼いころから行っていた試みなどは納得できたし、お前が話した史実とやらは今後そうなる可能性があると予想しうるものだった。確かに既にお前が知る史実のそれでは無くなっているのだから鵜呑みにはせん。だが利用できるなら利用すべきだろう。勿論、我らが有利になる様に立ち回るがの」


「面白かろう?」と親父は笑った。確かに史実の流れを利用すれば毛利は大きくなれるだろう。笑ってはいるが親父に油断の色は一切ない。親父なら上手くやってくれるだろうと思えた。


「でもわざわざこの城まで攻めさせるのはやり過ぎなんじゃねえのか?城を攻められたら城下が荒らされたり田畑が荒らされたりするんだろ?」


「勿論その可能性がないわけではないが今回は恐らくないだろうと儂は思っておる。まあ多少は城下は荒らされるかもしれぬがの。尼子は儂ら毛利を潰しに来るであろう。だがそこに住まう者は毛利を潰した後、尼子の民となるのだ。わざわざ自分たちの民となる者たちに無体な真似はせぬだろう。それに住民たちも馬鹿ではない。戦となればこの城や戦のない土地に避難する。大事な財産を持っての。それに大概の村は戦で襲われてもいいように隠し蔵を持っておるもんじゃ。それほどの被害にはならんだろう。更にはこの長雨じゃ。今年の収穫は期待できぬ。荒らされようとも被害は少なかろう」


「こんなことを言って水を差すことになるが、無理する必要はないんじゃねえか?大内は気前もいいし大きい。このまま大内傘下の武将として生きていく道もあるんじゃないか?」


「確かにお前の言う通り大内は良い主ではあるの。だが、儂は自分の足で立ちたい。いつまでも大国の顔色を窺い生きていたくはないのじゃ。儂の我が儘ではある。じゃから無理はせぬ。一歩一歩確実にだ。だが機を見逃すつもりはない」


聞いてみたかったことを思い切って聞いてみた。親父は何処を目指しているのか。親父ははっきり言った。戦国武将の顔だった。そうだよな、親父は戦国武将だ。未来に名を残す男ってこういう男なのだろう。


「すまん、親父。野暮なことを聞いちまった」


「ふふ、構わぬよ。青臭い儂の我が儘じゃからの」


「ならまずは尼子との戦に勝たなきゃな。…勝てるよな?」


「お主の史実では勝ったのだろう?なら勝てる力は持っておるという事じゃ。人の力を借りてだがの」


「分かった、親父が勝てると思うならきっと勝てるんだろう。俺にはまだ分かんないけど」


「なんじゃ、佐東銀山城のときとはずいぶん態度が違うの?」


にやりと笑った親父の顔が目に映る。これは分かっていて言っている顔だ。さっき人が死ぬのが怖いって言ったばかりなのに。調子に乗って暴走した俺への当てつけか。


「意地悪言うなよ親父、怖い思いをしたのにそのまま自惚れられるわけねえだろ。それにもうあんな暴走は絶対しねえよ」


「ははっ、すまぬな。揶揄っただけよ。じゃが人が死んで怖いのは儂も同じよ」


「親父も怖いのか?」


「当然じゃ、人が死ぬのが怖くないものなどおらぬ。だが悲しいかな。人は良くも悪くも慣れるのだ。今日一緒に居た者が明日は死んでいるかもしれぬ。そんな世の中よ。だからお前一人がおかしい訳ではない。ただ、戦に出た者も見送る者も死ぬかもしれぬとある程度分かっていて戦に出るのだ。だからその死をお前が受け止める必要はない。まあ、難しいかもしれぬがな、いい意味で酷薄になることだ。それと良くやったと褒めてやれ。命を懸けてくれた者たちに」


そう言って親父は俺の頭を撫でた。そうか、怖がることは当たり前なのか。俺の中では戦国時代の人間は嬉々として人を殺しているのだと思ってたんだけど俺だけじゃないのか。


ただ、親父の言っている意味は分かるがそんな心境に俺もなれるか分からない。ただ、自分を、家族を守るためならやらなければならないのだと思った。その為には早く今の倫理感、人を殺すことの忌避感を無くす必要があるんだ。戦国の世で生きる以上壊れなきゃやっていけないんだろう。

正直言えばまだ怖い。でもきっと乗り越えてみせる。






それから親父の動きは早かった。家中の側近、信頼できる家臣達に尼子家への反抗作戦を伝えた。情報がどこから尼子に伝わるかは分からないからあくまで信頼できる者たちだけだ。表向きは大内の命令による頭崎城(かしらざきじょう)攻略とだけ伝える。


全容はこうだ。まずは安芸国内にある尼子方の城、頭崎城を攻めて尼子家を挑発する。そして大軍を率いてくる尼子家を吉田郡山城で迎え撃ち、援軍の大内家と協力して撃破だ。史実では武田家のせいで大内援軍は足止めを喰らい援軍が遅れたりしているが、この世界では既に武田はいない。更に世鬼衆を尼子の領内や近隣に向かわせ「代替わりしたことで毛利は尼子を侮っている。尼子三郎頼りなしと言われている」と噂を流して尼子詮久が食い付きやすい様に下地作りを始めていた。


当の尼子詮久にもその噂は耳に入っているらしく徐々に苛立ちを募らせているようだ。

そりゃそうだよな。祖父の代で恐れられていた尼子が自分に代わった途端、格下の一国人風情に侮られているのだ。しかも俺は知らなかったのだが親父は尼子詮久と義兄弟の契りを結んでいたらしい。怒りは余計だろう。


頭崎城は尼子にとって大内と戦をするうえで最前線、安芸国内への橋頭保の役割を持つ重要な城だ。この城は以前、親大内派で親父とも仲がいい平賀(ひらが)蔵人大夫(くらんどのたいふ)弘保(ひろやす)が尼子対策に築いた城だった。それを嫡男の平賀新四郎(しんしろう)興貞(おきさだ)に任せていたのだが肝心の新四郎が裏切り尼子に寝返ってしまったのだ。それからは大国尼子を刺激しないよう蔵人大夫は雌伏の時を過ごしていた訳だ。だが今回の作戦を蔵人大夫につたえればきっと、ようやく取り返すことが出来ると意気軒高で協力してくれるはずだ。


ただこの作戦は毛利だけでは決して勝てない。なにせ大きい尼子家は、本気を出せば三万以上の兵を出すことが出来るのだ。出せても2000~3000程度の毛利ではどう足掻いても勝てるはずがない。もう一つの大国大内を動かすことが今回の作戦の必須事項だった。



親父は事前に太郎兄貴に手紙で今回の経緯を説明。また武田討伐の報告、また尼子家への反抗作戦の全容を詰めるため、上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))を派遣した。史実よりも明らかに頼もしい兄貴と上野介なら間違いなく大内を動かすことが出来るだろう。でも志道の爺さんも大変だな。もう70近いのに。


大内にも旨味はある。大内家は九州方面に集中したいのだ。大内は明との貿易を行っている。だからこそ九州地方での地盤をしっかりと固めたいと思っているんだろう。だが尼子がいては常に背後に気を取られる。

だからこそ今回、身を犠牲にしてでも尼子に痛打を与えようとしている毛利の提案は断れないはずだ。それに九州で争っていた少弐氏は当主資元(すけもと)を騙し自害に追い込んで大きく力を削り、息子の時尚(ときひさ)は健在なものの家臣の龍造寺氏と馬場氏が肥前国(ひぜんのくに)(現在の佐賀県と長崎県)で懸命に支えているような状況だった。九州での戦が一先ず片付いた今の状況なら動きやすいだろうと親父は判断している。


ただこの大内の援軍情報は外部にはあまり漏れていないようにしている。大内軍は今も九州に出張っているため戦も継続しているように外部からは見えているだろう。尼子に警戒されないための策の一つだ。深く探られればバレてしまうがどうやら尼子経久が重用した尼子の忍者、鉢屋衆は現在尼子詮久の命令で内部向けに動きを変えているようだった。


播磨遠征で軍才を見せたものの尼子詮久はまだ若い侮られる恐れがあるため内部統制に鉢屋衆を使っている様子だと世鬼一族から報告が上がったらしい。要は監視だな。詮久は自身の国人衆を信用していないらしい。


そういや俺はまだこの世鬼一族を見たことがない。一体どんな連中なんだろう。この時代のリアルな忍び。ちょっとわくわくする。俺も成長して一軍を任されるようになったら親父のような諜報組織が欲しい。情報は重要だ。様々な行動を起こす上で指針になる。


こう考えると史実の吉田郡山城の戦いって勝つべくして勝ってるんだと思う。尼子経久の引退だったり、鉢屋衆の外部情報の収集力の低下だったり、他にも俺が見えてないだけで色々な要素が絡み合って大内毛利連合の勝利となるんだ。だからって気が抜ける訳じゃねーけど気休めにはなる。









一月ほど経った頃、志道上野介が戻ってきた。しっかりと情報の共有を行い援軍の許可も貰って来たようだ。じきに大内から先発隊が到着するらしい。一度事が動き出したら止まることは出来ない。この戦は毛利にとって乾坤一擲の戦なのだ。慌ただしく準備が進められていく。


今回の俺は、謹慎も解けたため親父と共に行動する予定だ。まだ戦場に慣れていない俺を慣れさせるため、軍の動かし方、戦の呼吸のようなことを直々に教えてくれるそうだ。なんとも贅沢で貴重な経験である。そしてなんと、人質として大内に行っていた太郎兄貴も人質としての役目を終え、大内の先発隊と行動を共にしているという連絡が入った。そのまますぐに戦に赴くとはいえお袋は嬉しそうにしていた。


「毛利存亡の戦なれば、毛利家嫡男の居場所は戦場である」というのが大内義隆の言葉らしい。また

最初の援軍として大内家臣の弘中(ひろなか)三河守(みかわのかみ)隆包(たかかね)が1500程軍を率いて参陣してくれた。この隆包は若い頃より各地を転戦した知勇兼備の武将として安芸でもその名が知れ渡っており今は安芸の代官として大内家との窓口にもなっている男だ。武断派の男だが見た目はそれを感じさせないほど人当たりがいい。現代にいたら仕事ができるエリートビジネスマンといった雰囲気だ。二人とは城内の一室で対面した。俺も同席を許されて親父の側に控えさせてもらう。すぐに白湯(さゆ)が運ばれてくる。そういやあんまりお茶って見ないな。広島でも茶畑があったような気がしたんだけどまだねーのかな。作れねえかな。



「お久しぶりに御座る、右馬頭(うまのかみ)毛利元就(もうりもとなり))殿」


「三河守殿(弘中隆包)、此度は馳走頂き、感謝致しまする」


「ははっ、なんの。今回の戦での毛利の身を犠牲にしてまでの軍略と忠義。我が主、太宰大弐(だざいだいに)様も(いた)く感激しておりました。雲州の大魚(尼子詮久)が掛かりし時には我ら大内、さらなる援軍を差し向ける所存。まずは我らが前哨戦をしっかりとこなしましょうぞ」


「よろしくお願い申します」


「父上、お久しゅう御座います」


「おお、少輔太郎(しょうのたろう)。なんとも立派になりおって」


「三河守殿をはじめ大内の皆様には良くしていただき、多くのことを学べました」


「なにを言われる少輔太郎殿、貴殿と関わることで学べたは某も同じに御座る」


「三河守殿、息子が世話になったようですな。感謝致しますぞ。うむ、精悍な顔つきよ、見違えたわ。頼むぞ少輔太郎」


「はっ、此度の戦、必ず勝ちましょう」


「腕が鳴りますな。と、右馬頭殿。そちらの子が少輔太郎殿の弟御ですかな?」


「ああ、紹介が遅れましたな。如何にも、次男の鶴寿丸に御座る」


三人で話していたのを側で聞いていたが不意に三河守隆包の視線が俺に向いた。まだまだ小さい毛利には大内の庇護が必要だ。ここは愛想良く微笑もう。にしても噂ってなんだ?


「毛利鶴寿丸に御座いまする。三河守殿にお会い出来て光栄に御座いまする。兄上共々よろしくお願い致しまする」


「ははっ、利発そうな良き御子に御座いますな。少輔太郎殿と初めて会った時の心持を思い出しましたぞ。鶴寿丸殿よろしくお願い致す。貴殿の噂も耳にしておりましたぞ。なんでも毛利家には様々な試みを行い領内を潤す破天荒な才子がおると」


おっと。俺みたいなガキの情報まで大内には知られてんのか。親父の名前で行動してきたからあまり俺は表には出てないはずなんだけど。さすが大国、大内はすげえな。味方の情報もくまなく調査済みってことか。怖っ。背中がぞわぞわする。この隆包なんて兄貴と同い年くらいにしか見えないんだけどな。


「才子かどうかは私には分かりませぬ。ですが大内様家中に私の名が上がっているなど望外の喜びに御座いまする」


「うむ。少輔太郎殿といい、鶴寿丸殿といい右馬頭殿は誠に良い御子息に恵まれましたな」


「なんの、まだまだ未熟者に御座います。此度は是非とも三河守殿の采配を息子たちに見せてやって下され」


こうして挨拶を終えると出陣前のささやかな宴が開かれた。

そして翌日の早朝、毛利軍3000と大内軍1500が合流した連合軍が頭崎城への進軍を始める。この連合軍の動きは既に尼子方にも知られているだろう。さすがに軍の動きまでは隠せない。狙われている頭崎城の平賀興貞も尼子に援軍を要請してるだろうし。直に尼子本軍の動きも世鬼一族から連絡があるだろう。


史実よりも大きい毛利に対して尼子がどう動くか分からない。史実では三万の兵が動員されたらしい。毛利に対しては過剰じゃないかと思うが多分毛利の背後の大内を詮久は見てたんじゃないかと思う。尼子と毛利が戦り合い始めれば必ず大内が動く。大内が援軍に来ても対応出来るようにした人数がこの三万なんじゃないかと思った。ただこの世界は毛利が活発に軍事行動を起こしているためこの辺りを尼子がどう見ているかで状況は変化しそうだ。


そうして尼子の動きを警戒しながら頭崎城攻略戦が始まった。




【新登場武将】


平賀蔵人大夫弘保   1475年生。親大内派の安芸国人。+55歳

平賀新四郎興貞    1498年生。平賀弘保の嫡男。尼子に寝返る。+32歳

少弐大宰少弐資元   1489年生。筑前国守護大名。大内に攻められ自害。+41歳

少弐大宰少弐時尚   1529年生。資元の嫡男。肥前に落ち延びる。+1歳

弘中三河守隆包    1521年生。大内家臣。安芸代官で窓口。+9歳

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