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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文八年(1539) 初陣
11/115

変化と焦り

視点が次々変わります。もし読みにくかった場合は申し訳ありません。その場合は次回以降書き方を変えますのでご連絡いただけると助かります。

一五三九年




募集した兵たちは総勢百名揃った。十三歳くらいから二十五歳くらいまで様々だが、なるべく若い人間を残せたと思う。金に余裕があるならもっと採用したかったんだけど俺の今の銭収入で養える限界はこんなもんだ。でも十分凄いと思う。まあ、更に兵を増やしたいなら領地を広げて商売の規模を大きくしなけりゃなんないな。


寝返った商人武将、九郎左衛門(くろうざえもん)堀立直正(ほたてなおまさ))が精力的に商人に話を持ち掛けているおかげで殆どの安芸商人と(よしみ)を通じることが出来た。この九郎左衛門て前世で聞いたことがないんだけどすげー有能な男だ。こんなに早く商人の協力が得られるようになるとは思わなかった。

本当は関所の廃止も出来たらいいんだが安芸国は国人衆それぞれの独立性が強いため、まだ国人衆に毛が生えた程度の毛利家じゃ強権を発動出来ない。もっと毛利の直轄領を増やしてからだよな。



この新たに雇った兵たちには実家から離れて別家を立てさせた。こうしておけば兵たちの忠誠も得られるし国に家があるから守るために粘り強く戦ってくれるだろう。それに余程実家に鬱憤が溜まってたのだろうな。皆すごい喜んでくれた。中には泣いて喜んでくれた奴もいる。その中でも鈍牛と呼ばれている権兵衛は会う度に俺に土下座をするほどだ。土下座されるたびに毎回立たせるのが大変だから土下座はすぐに禁止にさせた。


この時代成人男性は大体5尺、1尺が30cm位だった筈から現代で言うと154~155cm位だと思うんだが、この権兵衛は6尺、180cm位ありそうだ。恰幅もよく牛のような大男で、鈍牛と呼ばれてる通り気が優しく力持ちだが少し鈍い。

別に走るのが遅いわけじゃないし命令もちゃんと聞く。ただ話し方が間延びしており難しいことが考えられない性格のようだ。それが周りに鈍く見せているっぽい。そして身体の大きさに相応しく大喰らいなため実家では相当厄介者扱いされていたようで今回のことに大喜びした訳だ。試験の時も誰よりも必死だったしな。


今もここで役立たず扱いされて実家に帰ったら今度こそ実家から追い出されると、文字通り死に物狂いで訓練に参加している。見ていてこっちも苦しくなるほどだが、それでも自分が稼いだ銭で腹いっぱい飯が食えて幸せだと言っていた。見てると一生懸命で可愛いんだ。戦国時代にそぐわないおっとりさと漂う平和の空気感がいい。だから会うときは俺も必ず声を掛けている。是非この部隊で頑張ってくれよ鈍牛。



俺も部隊の動かし方を覚えるため頻繁に訓練に参加した。安芸国というか中国地方全般に言えることだが山が多い。いや、ほぼ山なんじゃねーかってくらい山だらけだ。これじゃ騎馬隊なんて局所でしか使えない。中国地方は割と不便だ。いや、日本全般に言える事か。


訓練も基本山間部での訓練が中心になる。これがかなりきつい。整備なんてされてるわけないから最初に参加したときは疲れ果てて途中で意識を失った。平地なら馬に乗れるが山ん中じゃそうはいかない。次郎三郎(じろうさぶろう)熊谷信直(くまがいのぶなお))には迷惑かけちまった。気にして無いとは言ってくれたが申し訳なくて何度も謝った。

それからは二度と意識を失わないように俺も自分の足で山の中を駆け回っている。おかげでだいぶ体力がついたし足腰が強くなった気がする。もしかしたら生前の自分よりも踏ん張りがききそうだ。


ただこんな山ばっかじゃ火縄銃を手に入れても使えねーよなあ。確かちゃんと真っ直ぐに弾が飛んでいかないんだっけか。銃身に何かすると真っ直ぐ飛ぶようになるらしいけど、銃なんて実際見たことなんてないし分かったところで今の鍛冶技術でそれが再現できるのかも分からない。

そういや火縄銃っていつだっけ?んー、騎馬隊とか鉄砲隊が作れない以上なんか毛利独自の部隊って作れねーかな。毛利家と言ったらこれ!みたいな。水軍とかか?少し考えてみるか。




そしてこの年の夏、田植えもある程度落ち着きぼちぼち蝉が外に出てきて騒がしく鳴き始めた頃、毛利家ではある発表が行われた。




「収穫を終え次第、武田家の居城、佐東銀山城を攻め敵対勢力を安芸国より駆逐する」


理由は、まず尼子家を継いだばかりの三郎(尼子詮久(あまごあきまさ))が己の統制を強めるために因幡国(いなばのくに)(現在の鳥取県東部)と、播磨国(はりまのくに)(現在の兵庫県南部)へ侵略を開始し因幡守護の山名家、播磨守護の赤松家との戦争状態に突入したためだ。

どうやら現征夷大将軍である12代目足利(あしかが)義晴(よしはる)は管領、細川(ほそかわ)晴元(はるもと)に阻まれ入京できずにいて、入京するための後援を求めて尼子や大内などの大大名に依頼していたらしく、尼子詮久はそれを名分として利用し東に攻め込んだようだ。


なんか室町幕府って力ないよなー。この時代の幕府、というか将軍て京の都から何度も逃げては帰ってきてを繰り返してる。基盤が脆弱というか、俺の中では初代将軍の尊氏のカリスマだけで出来たって印象がある。


でもそんな尊氏だって調べるとかなり斑気(むらっけ)があるし破滅願望があったんじゃないかと思うくらい歪んでるように感じた。死を恐れない勇敢な性格だったらしいけど、裏を返せば死を望んでいたとも取れる。「負けたら死ぬだけ。敵が迫ったら自害するから時期だけ教えて」なんて言ったこともあるらしい。胆力があるとか勇ましいって思えないのは俺だけかな。かなりやばい奴にしか見えないんだけど。

それに気前が良かったらしいが活躍した武将にほいほい領地を上げたり、他の武将に約束した領地を別の武将にもあげる約束しちゃうのは駄目だろう。気前がいいというより頓着がない適当な性格にしか見えない。それに領地をあげまくったせいで今の足利幕府は直轄領のないそしきになっちゃったんだからそもそも出だしから躓いてたんだと思わざるを得ない。最初は上手くいってたんだろうけどね。それでも天下を取ってるんだから当時の尊氏は余程すごかったんだとは思うけど。っと話が逸れたな。



そういうわけで今ならば尼子から横槍が入ることほぼ無く、尼子派の勢力を攻撃できると判断した親父(毛利元就)は大内に許可を求めた。大内としても九州で少弐家(しょうにけ)との争いが佳境に入っていたため武田討伐を毛利に一任、許可を貰い今回攻め込むことが決まった訳だ。


そう、決まったのだが、おかしい。本来の歴史にはこんな流れは無かったはずだ。俺の記憶が正しければ武田を攻めるのは九州の戦を収めた大内だったと思うんだが。それも来年とかじゃなかったかな。あれー?まさか歴史が変わり始めてんのか?








毛利右馬頭元就




喉に刺さった魚の骨が如き武田家に引導を渡す時が来たか。

思えば長かったようにも、短かったようにも思う。一国人であった我々毛利家が、安芸守護に任じられたことのある名門武田家を滅ぼす時が来たのだ。ここまで来たか、と感慨深いものがある。

収穫も無事に終えて兵糧も十分じゃ。これでまた毛利家は大きくなろう。

大内家では少輔太郎(しょうのたろう)隆元(たかもと)義隆(よしたか)公の覚えも目出度く、初陣も無事に済ませたようだ。立派に毛利家の為に外交活動を続けてくれているおかげか毛利家も大内に足を引っ張られず大事にされていると実感できる。太郎から届く手紙にはそこかしこにやる気を覗かせる。人質に出したのは成功のようじゃの。あるいは大内文化に染められるかとも危惧したがしっかり自分を制御し嗜む程度に済ませている様子じゃ。

ならば儂は芽吹きつつある次代の為、尼子の目が東に向いているうちに安芸国から尼子派を消さねばの。今はまたと無い好機よ。この期を確実にものにしなくてはならぬ。


だが、不安もある。鶴寿丸が今回の行軍に着いて来ているのだ。本当は置いていきたかった。だが普段、物分かりのいい鶴寿丸だがこうして時折一切の妥協を許さず断固として譲らない時がある。こうなった鶴寿丸はテコでも動かぬ頑固さよ。

「今回は俺の部隊を運用するんだろう?ならば俺がこの目でしっかり見なければ俺が立ち上げた意味がねーじゃんか。親父が駄目だと言っても俺は勝手に着いて行くからな。仮に戦場で死んだなら俺がその程度だったってことだ」こうまで言われては許可をせずとも付いてくるだろう。ならば目の届くところに置いておくのが一番だろうと、仕方なく許可を出した。


なんとも悲しい覚悟よな。親より先に死ぬ覚悟をする息子など見たくはないというのに。奴は自分の命を粗末にしすぎる。今回も攻城戦となろう。何もないとは思うが、不安じゃの…。









―――



城を囲んでから数日が経った。収穫があってから攻めたため兵糧攻めは通じない。一度開城の使者を出したがにべもなく断られ交渉は決裂。こうなっては直に力攻めが始まるだろう。目の前にある小高い山の上に今回攻めている城がある。佐東郡にある佐東銀山城だ。現代だったら広島市辺りだったかな。この山で昔、銀が取れたことから佐東銀山城と名付けられたこの山城は安芸武田氏の居城だ。

甲斐や若狭にいる武田と同じ一族だ。今の当主は武田(たけだ)安芸守(あきのかみ)光和(みつかず)


本来なら来年辺りにお亡くなりになる予定だったがこの世界では当然まだ生きている。

本来の歴史では光和が死んだあと、光和の弟の息子である兵部大輔(ひょうぶたいふ)信重(のぶしげ)と若狭武田家から貰った養子の刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)信実(のぶざね)が家督を争い安芸武田は弱り大内家と毛利家に滅ぼされるはずだった。



だがこの世界では武田家攻撃が早まったため光和は生きており若狭武田家からの養子の話もない。だから史実よりは強いはずだ。だがここで武田を滅ぼせば史実の毛利よりも確実に強くなれるはず。

城内には500ほどが籠城の構えを見せている。対してこちらは2000。各所で守備兵を残しているため今毛利が出せる最大兵力だ。この中には俺の直属の精鋭足軽隊も含まれている。




2500人もの人間たちがこの地で殺し合いをしているんだ。正直に言うと、怖い。だが元春として生まれた以上やらなきゃ駄目だ。大丈夫、やれる、やれる、やれる…。

初めての鎧兜が重い。兜を被ると視界が狭い。動くたびにぶつかる鎧は動きを制限して煩わしい。息をするのも苦しい。くそ、怖がるな。大丈夫、焦るな。

囲んでいれば勝てるんだ。いや、播磨で戦っていた尼子が転進してきたらどうする。大内はすぐに動けない。既に歴史が変わり始めてるんだ。史実の知識があてにならない。ああ、くそ。何で自分の目でしっかり確認しなきゃなんて調子に乗ったことを言っちまったんだろう。最近毛利家が栄えてきたから、調子が良かったから俺自身も調子に乗っちまったのか。

城からは鬨の声が響いてくる。意気軒昂だ。本当に勝てるのか。分からない、怖い、誰かが死ぬのが怖い。どうする、どうする。何かしなくては。吉川元春なんだから何かしなきゃ。この境遇に生まれて活躍しないでどうする。吉川元春なんだぞ。俺は吉川元春にならなきゃいけないんだ。俺に吉川元春が務まるのか。何も出来ないのが怖い。どうする、どうする。





毛利右馬頭(うまのかみ)元就



「ではこれより城攻めを開始する。一刻ごとに部隊を入れ替えて攻めよ。休む暇を与えるな。それでは各々(おのおの)、ぬかるでないぞ」


「応!」


「鶴寿は残れ」


軍議が始まる前から鶴寿丸の様子がおかしい。戦の雰囲気に呑まれたか。幼いながらに様々なことを成してきている鶴寿丸であるがそれでも未だに(よわい)は未だに八つ。兄の子、幸松丸も幼いうちに死人を見た故、心が壊れ死んだ。もう少し肝が太いかとも思ったがな。まあ、初陣ゆえ仕方がないのかもしれぬ。


「そう不安そうな顔をするな、鶴寿丸。慌てずとも勝てるのだ」


「親父…」


「今無理をしても碌な事にならぬ。大事なのは確実に相手の首を絞めるが如く行うことぞ、分かるか鶴寿丸」


「…はい」


「人が死ぬのが嫌か?」


「!…はい」


「ふむ、こればかりは其方(そなた)自身が割り切るしかない。戦が起きようと起きなかろうと人は死ぬ。飢饉でも人は死ぬのだ。そうさせぬために儂ら毛利は安芸国を纏めねばならん。分かるか鶴寿丸」


「…分かります」


「其方は子供だ。まだ戦に出るには早いのだ。無理をしてはいかん。今は自分の心と折り合いを付けよ。其方の部隊は今回は使わぬ。良いな?」


「…分かりました」


「では陣に下がって休んでおれ」


「はい、…失礼します」



そう言って鶴寿丸を下がらせた。随分憔悴しておるの。やはり屋敷に縛ってでも連れてくるべきでは無かったか。いや、連れてきてしまった以上詮無きことよな。鶴寿丸のためにもこの戦、早く終わらせねばならんな。待っておれ、鶴寿丸。








熊谷次郎三郎信直




「今夜夜闇に紛れて、搦め手より奇襲を行う」


殿に残されていた鶴寿丸様が我らの陣に戻ってきてすぐにそう仰られた。残された理由はこれであったのか?それにしても奇襲か。同じく鶴寿丸様に付けられた口羽(くちば)刑部大輔(ぎょうぶたいふ)殿も納得がいっていないようだ。表情に困惑の色が差す。


「月の光すら朧な夜闇の中ですぞ、次郎様。山間部の行軍は難しゅう御座いますが」


「分かっている刑部。だがこの部隊なら可能だと思っている、次郎三郎はどうだ?」


「可能ではあるかと思いますが」


ん?なんだ、この違和感は。気のせいか?だが違和感がなんなのか分からん。やはり気のせいか。口羽殿には特に違和感を感じた様子はない。やはり気のせいか。だが、難しいとはいえ厳しい訓練を行ってきた部隊だ。戦に出たことのある人間も多い。確かに不可能ではないだろう。

それに尼子は東で動いているとはいえ尼子の兵が全て動いたわけではないのだ。まさか尼子の軍が武田救援に動いたか?ならば早く城を落とさねばならぬのは頷けるが。聞いてみるしかあるまい。


「先ほど鶴寿丸様が残されたのはこの奇襲の指示のためだったのですか?」

「…そうだ」

「成程、では今夜の為に兵を休ませておきまする」

「頼む、次郎三郎」


まただ。不可解な違和感は今も感じている。いや、今は分からぬ違和感などに惑わされている場合ではない。殿からの指示となれば何か不測の事態が出来(しゅったい)したのだろう。多少の無茶でも何とかこなさねばなるまい。この戦で毛利が飛躍出来るかが掛かっておる。旧主とはいえ手加減は出来ぬ。儂はもう毛利の人間なのだから。

むしろ、だからこそ忠義を見せねばならん。口羽殿を見るとあちらも儂を見ていた。互いに頷き合う。儂らがこの不可思議な御子様を支えねばならん。見事鶴寿丸様の初陣を飾らなければ。






―――



正面では今も毛利の正規軍が入れ替わり立ち替わりに攻め立てているだろう。敵の大手門は未だに陥落しておらず武田兵が決死の抵抗を繰り広げている。

俺たちはその裏手に密かに回り搦め手より侵入するため行動していた。次郎三郎と刑部を騙しての行動だ。親父は今、軍規から国人たちを少しずつ締め付けようとしている。だからこれは明確な違反だ。きっと叱責を受けるだろう。罰を受けるかもしれない。

俺はいったい何をしているんだ。なんであんな夜襲をするなんて口にした。親父の指示だなんて嘘をついた。何かしたくて焦った。空回ってる自覚はあるのに焦りが引かない。余計に焦りちりちりと身が焼かれてるみたいだ。自分で自分が分からなくなっちまってる。


反対側の方から喚声がなおも聞こえている。険しい山道だ、足が滑りそうになる。周りの兵たちもきつそうだがひたすら静かに城を目指す。近くにいる次郎三郎が細かく指示を出している。前方には刑部も率先して進んでいるだろう。頼もしい男たちだ。そんな男たちが何も言ってこないのだからきっと問題ないんだよな。俺が勝手にしたことは間違いじゃないんだよな。大丈夫だよな?俺はちゃんと吉川元春の代わりが出来てるのか?

正面に攻撃が集中しているならこっちは手薄なはずだ。こんな急な道すらない峻厳な道を登ってくるなんて敵も思ってないよな。大丈夫だよな?


くそ、怖え。でもやらなきゃ。もうすぐ城壁だ。梯子を掛けたら俺も殺し合いをしなきゃならないんだ。兵たちも何人か死ぬかもしれない。頭が混乱して何が正しいのか分かんねえよ。

誰か助けてくれ。






【初登場武将】


武田安芸守光和  1503年生。安芸武田家当主。+27歳

武田兵部大輔信重 1523年生。光和の弟、繁清の息子。+18歳

武田刑部少輔信実 1524年生。若狭武田家からの養子。+6歳

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― 新着の感想 ―
[一言] 仮に結果を出せたとしても流石にこれはないわ 当主が軽んじられてるなんてもんじゃない
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