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初外交


一五四六年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



深く頭を下げて上座を歩く人間が座るのを待つ。布の擦れる音でようやく座ったのが分かった。無駄に格式ばった登場をしやがって。そこから無言の時間が流れる。多少はイライラするが我慢だ。

暫くして漸く『面を上げよ』と声が掛かった。完全に見下した対応だな。分かってはいたが。


右衛門督(うえもんのかみ)様におかれましては初めて御意を得まする。私、毛利(もうり)安芸守(あきのかみ)隆元(たかもと)が家臣、吉川少輔次郎元春と申しまする。本日は貴重なお時間を我等に割いて頂きましたこと、主、安芸守に代わりまして感謝致しまする」


此隅山城(このすみやまじょう)。山名家が居城とする城だ。尼子との戦で山名家とは領地を接することとなった。しかもこの家はその尼子との戦で余計なちょっかいを出してくれた。そのおかげでこうして奴らに対応するためにこの城に訪れた。

ぶっちゃけて言えば今、毛利家は戦をしたくない。領地の慰撫に時間を使いたいのだ。その為には他国から余計な事をされたくはない。その為には平身低頭に徹する。


いわゆる土下座外交だ。前に兄貴に会った時にこの話は通している。

そこからは割と紛糾した。武士はプライドが命よりも高いからな。毛利家中でもこの案はかなり否定派が多かった。今更山名に謝罪など必要ない。勝手に戦に出てきて毛利家に敗れた山名に頭を下げては毛利家が舐められる。こんな感じだ。

吉川家中にもこの案にはいい顔をしなかった。だがこれは時間稼ぎのための武略、計略なのだと強引に認めさせた。プライドは高いが毛利家臣のどの家もそれなりに連戦の負担はあるからだ。

体のいい言い訳を用意してやれば渋々ながら折れてくれる。背に腹は代えられんのだ。


今、上座に座っているのはこの城の主で尼子との戦に援軍を送ってきた男。山名家の現当主、山名(やまな)祐豊(すけとよ)だ。

あまり機嫌は良くなさそうだな。育ちの良さそうな顔つきだが、どうでも良さそうな目で俺のことを見ている。俺より20歳位上かな?働き盛りって感じか。


山名家は鎌倉時代から存在する源氏の血筋で、上野国(こうずけのくに)にある山名郷という土地に根を下ろしていたことから山名と名乗るようになったらしい。

山名家が特に有名なのは国を二つに割って幕府の跡目争いをした応仁の乱の時、その片側の総大将として名前が出る山名宗全(やまなそうぜん)か。


その山名宗全が山名家の全盛期を築き山名家を名門たらしめたが、宗全が死ぬと国人衆の反乱や他勢力の台頭、または身内での内紛などによって坂道を転げ落ちるように勢力を減衰させていく。

全部勘助(山本春幸)からの受け売りだ。勘助はこの辺の各家の歴史をおおよそ記憶してくれているから俺が聞くと掻い摘んで教えてくれる。さすが各地を渡り歩いて知識の集約に努めただけある。生き字引だな。


それで今、目の前で偉そうにしている山名祐豊だが現状も国人衆にいい様にされているみたいだ。

というのも国人衆の反乱を収めるために、その国人衆の言い分の大部分を聞き入れてしまい多くの守護としての特権を国人衆に渡してしまったせいで守護大名とは名ばかりの存在になってしまった訳だ。

これは祐豊ではなく前当主たちの責任だから負の遺産だけが祐豊に残ってしまってる状態だな。

同情する余地は大いにあるが今の偉そうな態度で同情は吹っ飛ぶな。こっちの印象は最悪だ。一応俺は毛利家の代表としてきてんだぞ。もう少し愛想良く出来ないもんかね。

さすがは名門山名家の当主だ。気位だけは名門だ。国人風情が成り上がった所で偉そうに。そんな感じかな。若造如き寄こしやがって、とかかも。まあ予想してたことだから気にしないけど。


それにしてもその噂の家臣達はいないのかな?一人しかいない。

囲まれながら頭を下げるくらいは覚悟してたんだけど。毛利家程度に集まる必要もないってことかな?成り上がり者と舐めてくれるなら全然助かるけど。すぐ側に控えてるのは誰だろう?顔が上座にいる山名祐豊に似てる気がする。少し若めだから因幡に入った弟の山名豊定(やまなとよさだ)かな?分からん。


とはいえ史実の山名祐豊はここから武力で国人衆を征して戦国大名化したんじゃなかったかな?織田信長の台頭で降伏しちまうけど。実力は間違いなくある筈だ。


「山名右衛門督祐豊である。…ふん、毛利が今更、私に何用かな?前年の尼子の戦で我が山名家の兵を随分と討ったことで宣戦布告は既に受けておるが」


おうおう、早速好戦的な発言じゃねえか、穏やかじゃねえな。とはいえ山名家として参陣した武田(たけだ)山城守(やましろのかみ)国信(くにのぶ)を俺達は討ち取ってるからな。そりゃ歓迎してくれるはずもないか。


でも山城守を厄介払いで戦場に送ってるってお前の意図は知ってんだからな。因幡掌握に武田家は邪魔だもんな。ようも被害者のような口ぶりが出来るもんだ。口にしないけど。

阿呆臭いが努めて笑みを浮かべたまま弁明してみせるさ。

刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))がすぐ後ろで俺のお目付け役として同行してるからしっかりと御役目は果たしてみせる。


「どうやら誤解があるようで」


「ほう、誤解とな?」


不快気にふんとまた鼻で笑う。我慢我慢、心穏やかに。


「右衛門督様が尼子家とどのような盟約があったかは定かではありませぬが今は乱世なれば。戦場にて相対したのであればそれが誰であれ、襲い掛かってくるなら討ち取らねば自分の首が身体から離れてしまいまする。とはいえそれは事故のようなもの。山名家の将が独断で我等に襲い掛かってきたものと我等は判断しております。此度、我等が伺いましたのはその戦において右衛門督様の大事な兵を討ち取ってしまったことへの謝罪の為。どうかお許し頂きたく伏してお願い致します」


謝罪の体はしっかり見せる必要があるからもう一度深く頭を下げた。後ろに控えている刑部も俺に会わせて頭を下げたのだろう。なんとなく気配で分かった。


「刑部、例の箱を」


「はっ」


すぐ後ろに控えている刑部にそう声を掛けるとそっと桐箱が渡される。丁度首が入る程の箱だ。まさに首が入っている訳だが。驚いてくれるかな。


「それは?」


「御覧の通り、我等が討ち取りました山名家の勇士、武田山城守殿の首をお持ち致しました」


努めてにっこりと笑みを浮かべながらそう告げる。それにしても不用心だよな。首が入っていると伝えていたのに中身を(あらた)めないんだから。怠慢だよ。俺が刺客でこの箱の中に凶器を隠し持っていたらどうするつもりなんだか。まあこっちはそんなつもりないけども。そんなことして山名家の当主殺してもなんのメリットもないし。俺がその首の入った桐箱をそっと撫でながら説明すると右衛門督が途端に顔を顰めた。無視して話を続ける。


「流石は山名家の将。見事な最期であったと伺っておりまする。この首をお返し致しますゆえ、先ずはご確認を」


「いや待て、何時の首だと思うておる!そのような首を今ここで」


ほら、だから向こうも慌ててるじゃん。もう止める気もないからこのまま御対面だ。制止しようとする右衛門督の声を無視して桐箱の前面に差し込まれている木の板をすっと引き抜いた。感動ものだ。山名家の為に命を散らした武田国信にむせび泣けよ。


「ひっ!?」


今の悲鳴のような声は右衛門督か、それとももう一人の方か。

折角山名の為に戦った勇士との対面なのに。俺が視線を上げると二人して顔を直垂(ひたたれ)のゆったりとした大きな袖で顔を隠して視線を遮っていた。


「ん?臭く…ない?」


頻りにスンスンと鼻を鳴らす音が聞こえた後、そう呟く声が聞こえた。臭くないってどういうこと?

ああ、腐ってる首を持ってきたとか思われてたのか。もう半年以上も前に討ち取った首だもんな。そりゃ腐ってどろどろとか思われたのかな?

そんな腐った首なんてこの謝罪の場に持ってくる訳ないだろう。


「ご安心下さいませ。腐った首などはお持ちしておりませぬ。良くご覧下さいませ」


安心させるように満面の笑みでそう促してやると二人は恐る恐る袖から顔を覗かせて桐箱の方に視線を移した。


「ひいっ!?」


「何じゃその髑髏(されこうべ)は!?無礼な!」


「無礼とは心外に御座います。何とは?勿論武田山城守殿の首に御座います。()()()()()()()()()()()()()()()()


「な、なんという…」


首を見た二人が再び悲鳴を上げた。何を見せてくれてんだと言いたげな非難と怯える様な目で俺を見ていた。


「おや、お気に召しませんでしたか?我等も手古摺った山名武士へ、せめて何か敬意を表せぬかと、腐り果てた首では御見苦しかろうと私なりに美しく彩って見たのですが、…残念に御座います」


さも悪気なく、本当に善意で首を漆塗りしたのだと言いたげに悲しそうな顔をしながら頭蓋骨の入った桐箱に再び板を差し込む。うん、違和感なくヤバい奴っぷりが出せてる気がする。なかなか自分も役者じゃない?


ぼそりと『血狂いの噂は本当か…』という呟く声が聞こえたような気がする。また血狂いのエピソードが変に追加されて広まりそうだな。俺は織田信長の浅井長政の頭蓋骨を盃にした逸話からヒントを得て持ってきたんだけど。ま、俺が狂ってるって広まれば今後戦う敵が恐れてくれる可能性が増えるかな、ならまあいっか。


確実に言えることは今、俺の目の前にいる二人の目が嘲るものでは無くなったという事だ。やり方自体、俺も狂ってるなと我ながら思うけどいい牽制にはなった。漸くまともな話が出来るな。気味悪いものを見てるような目だが舐められるよりはいい。


「既にそちらでも弔っているとは聞き及んでおりますが改めてこちらも弔って頂ければ幸いに御座います。誠に山城守殿はお強う御座いました」


「わ、分かった。山城守の首は改めてこちらで弔わせてもらおう」


『誰かある!』と右衛門督が声を出すとすぐに小姓が姿を現し首の入った桐箱を持っていく。まだ動揺してるのか声が裏返ってたな。溜飲が下がったわ。そのまま相手が佇まいを正す前に畳みかけるように頭を下げた。


「改めて、我等の謝罪を受け入れて頂けますでしょうか。この通りに御座いまする…!」


広間から首が無くなり部屋には静けさが戻った。徐々に相手も落ち着いてきたのだろう。小さく息を整えるようにふうと吐く音が聞こえた。


「…頭を下げるだけなら躾けた猿にでも出来ような。知っておるぞ、少輔次郎殿。それとも血狂いかな?まあそれはいいか。毛利家は今、戦をしたくないのであろう。尼子との戦は随分と激しかったようであるしな。こうして私に頭を下げるのも我等に事を起こされたくないから。そうであるな?」


落ち着いたら調子も戻ってきたのだろう。脇息に凭れかかりながら早速右衛門督がぶっこんできやがった。さっきまで情けない悲鳴を上げていたくせに。良くそんな態度をすぐに取れるな。

さっきの動揺のまま謝罪を受け入れてくれりゃいいのに。この短時間でしっかり頭の回転も元に戻ってやがるか。

頭下げてハイ終わり!になれば良かったのに。やっぱり甘くないな。


それにしても良く毛利家のこと調べてんな。やっぱり馬鹿に出来ないか。それとも傍から見れば毛利家はなかなか無茶な戦を繰り返してるように見えるのかもな。ならいっそ開き直るか。


「流石は右衛門督様。御存じであられましたか。右衛門督様の耳にまで我等の動向が入ってくるとは我等毛利家も大きくなったものです。仰る通り、今、我等は可能であれば戦をしたくは御座いませぬ。出来ぬとは言いませぬが。それに元から右衛門督様、山名領を侵す気は毛利家には御座いませぬ」


山名領欲しいけどね。生野に銀山持ってるの知ってるぞ。その財力を元にこれから山名家を統一してくんだろ。侵す気しかないわ。口にはしないけど。多少の牽制を入れつつ相手の言葉

ニコニコし過ぎて顔が引き攣りそうだ。表情がコロコロ変わってるしな。でも笑顔って便利だわ。表情をある程度隠してくれる。


「それはそちらの都合であろう?我等には関係ない事よ。それにな、私が戦をする気が無くても家臣等はどうであろう?我が家臣は血気盛んでな。私の言うことを聞くかどうか。何か餌でも無ければ家臣を抑えられるか分からぬな」


くそ、家臣が好き放題しているのを逆手に取りやがって。物は言いようだな。堂々と献上品を要求してきやがった。やっぱり足元見てくるか。まあ、ここまでは想定内だ。どっちにしても準備はしてきたんだ。


「勿論、こちらの誠意を形にしてお持ちしております。右衛門督様にもお気に召されるであろう幾つかの品を毛利家より献上致します。失った兵が帰ってくる訳では御座いませんが、お納め頂ければ幸いに御座います。刑部、あれを」


「はっ」


後ろを振り返り刑部に声を掛ける。刑部から献上品の目録を受け取るためだ。俺に声に反応した刑部がすぐに目録が渡された。それを右衛門督の小姓へ渡し、それが右衛門督まで運ばれた。


「…これは!?」


目録に目を通していた右衛門督の表情が驚きに変わる。また表情を変えてやったぜ。

献上品は銭や兵糧、出雲で採れる鉄に清酒等、特に目新しい物を含めてない。だが一つ、山名家が、というより右衛門督喉が手が出るほど、どうしても欲しい逸品を持ってきている。目録の最後にそれを書いておいた。内心しめしめとほくそ笑む。


「この品をどこで…、伯耆国宗(ほうきくにむね)をどこで…!」


「はっ、右衛門督様がお探しとの事で毛利が手を尽くしてお持ち致しました。これで毛利家の誠意が伝わりましょうか?」


伯耆国宗は、刀鍛冶の流派五箇伝(ごかでん)の一つ、相州伝の基礎を築いたとされる備前三郎国宗の門人が作った刀だ。

五箇伝というのは各地で作られていた刀の中で特に名刀を生み出していた五つの伝法の総称らしい。相州伝は相模で、他にも大和伝、山城伝、備前伝、美濃伝がある。これも勘助の受け売りだ。


今回の伯耆国宗もその名刀に属するもので山名家が持っていた由緒正しい家宝であった。というのも山名家の内乱の折に一時紛失していた。それを毛利家が探し出して今こうして献上品として差し出そうとしている。俺がちびちびと貯めていた隠し財産からわざわざ買ったものだ。

これで誠意が伝わらなければ献上する気はないと暗に仄めかす。さて、どうする右衛門督。


「…毛利家の誠意、我が身にとく伝わった。もし家臣どもが騒いだとしても私がしっかりと抑えてみせよう」


「おお、それは重畳に御座います。これにて山名家と毛利家、過去の遺恨は雪がれたという事で宜しゅう御座いますか?」


「うむ」


「ありがとう御座います。これで肩の荷が下りまして御座います。主に目に見える物を頂きたく起請文を取り交わしても宜しゅう御座いますな?」


「あぁ、構わぬ」


こうして互いに起請文が交わされることになった。和睦の条件は領地の再確認、つまり毛利の出雲国と伯耆国の領有を認めること。代わりに因幡国を山名家の領土として認めること。これで領土を明確にするとともに和睦とすることが認められた。

これで山名家でしなければならないことが一つ終わったな。あと一つの仕事に取り掛からないと。


「右衛門督様、差し出がましいのは承知で御座いますがもう一つ宜しいでしょうか?」


「…何かな?わざわざ伯耆国宗を持ってきてくれた毛利家のことだ。聞けることならば聞こう」


伯耆国宗を差し出した効果は抜群だな。態度がガラッと変わった。余程に欲しかったんだろう。一度は隆盛を極めた家だ。没落していく中でいくつものお宝を手放しただろうからな。ルンルンなんだろう。まあ機嫌が良くなったおかげでこっちも話がしやすい。


「はっ、ありがたく。その願いというのは武田山城守の郎党の事で御座います」


さっきまで上機嫌だった右衛門督の表情が怪訝そうに代わる。



【新登場人物】


山名中務少輔豊定  1512年生。山名家当主、祐豊の弟。因幡が山名家のものになった後、兄の名で因幡に入り統治している。+18歳

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