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嫡男と次男



一五四六年  毛利(もうり)安芸守(あきのかみ)隆元(たかもと)



外から差し込む光も随分と暑さを増してきた。筆を置き、机に並べられた書類から視線を外し外を見ると晴れ晴れとした綺麗な青空が見える。もうすっかり夏だな。この出雲に来てから早いもので三ヶ月が経った。


今のところは概ね順調と言って良いだろう。尼子旧臣達も此方が気を遣っているからか従順だ。此方のやり方との齟齬を根気強く説明し、毛利がどのようにして力を付けてきたのかも隠すことなく説明した。

特に毛利は銭回りを以て強国への道を開いてきた。当然だが尼子旧臣の顔色は良いものでは無かったが実際にその力に負けたことも理解していた。だからこそ根気強く話してそれぞれがそれぞれの落とし所を定めてやることが出来た。

そのおかげだろう。ここまで特に躓くことなくやってこられた。最初はぎこちなかった家臣間のやり取りも今は表面上は上手く回っている。

問題が起きる度に互いの意見をすり合わせ、両方に納得がいくように私が常に仲裁をした。骨が折れるし正直面倒臭いことこの上ない。だがこれを怠れば恐らく立ちどころに出雲の政は崩壊していただろう。


それに、私は元からいた家臣だから尼子の家臣だったから、と区別することなく平等に公平に対応してきたつもりだ。それに下った尼子旧臣には温情を見せたつもりだ。

場合によっては甘く見られる可能性もあったが旧臣達は私に恩を感じてくれた。

勿論父上が一芝居打ってくれたからというのもあるが、そのおかげで尼子旧臣達から信頼されるようになったのも事実だ。

彼らも人だ。頭ごなしに命令するのではなく信頼関係を築くのが結局のところ早いのだと今回の事で良く分かった。信頼をある程度築ければこちらの命令にも従ってくれる。

君臣とはいえ結局は人と人との付き合いなのだな。父上の下を離れてのことで自信があるとは言えずに手探りでここまで来たがそれが正しかったのだと今は自信を持って言える。孔子の論語にあった教えの通りだ。


「失礼致します、殿。少輔次郎(しょうのじろう)吉川元春(きっかわもとはる))様が到着なさいました。どちらにご案内致しますか?」


ぼうっと外を眺めていると部屋の外から小姓として召し出した甚太郎(じんたろう)山中幸高(やまなかゆきたか))の声が聞こえてきた。

思ったよりも早い到着だ。次郎の事だ。どうせ周りに無茶を強いて駆けてきたのだろう。相変わらず巻き込まれる吉川家の家臣達は大変だな。まあ、あやつらはそれを楽しんでいるようだからいいのかもしれぬが。

それにしても殿か。まだ何となく背中がむず痒いな。


「分かった。このままこの部屋に連れて来てくれ」


「はい、では」


「…あぁ、そうだ。次郎が来たら二人分の水を持ってきてくれるか?今日はちと暑いからな」


「分かりました、ではお連れいたします」


そう言って甚太郎が部屋から出ていった。最近は甚太郎も体調が良さそうだ。


山中家を継いだ甚太郎は幼い頃から病弱だった。

そんな時、次郎は病弱な原因は食にあるのではないかと昔話していたことを思い出した。

自分の手元に置けばその食の改善が出来、療養させられる。言い方は悪いが毛利家は次郎の影響で何でも食べる家になった。少なくとも山中家にいるよりは多くの物を食せるはずだ。

そして近い未来に自分の頼りとする家臣が作れないかと思い召し出した。


無理のない範囲で肉や魚、野菜を食べさせ、身を清潔に保たせているうちに、良く咳き込んでいた甚太郎の身体はみるみる良くなっていった。今では私の小姓の一人として身の回りのことを任せているし少しずつ体を動かす時間が増えているそうだ。それに良く気の利く子だ。


当初は飛騨守(ひだのかみ)国司元相(くにしもとすけ))を中心に安芸から従ってくれていた家臣達から反対の声が上がっていた。危険だと。

当然だ。甚太郎の父である三河守が死んだのは私たち毛利が討ったのが原因だからだ。恨まれていてもおかしくはない。いや、恨まれているだろう。いつ隙を突いて殺されるか分からない。そう言う意味で飛騨守たちの言い分は尤もだった。


だがそれを言えば私がここ、出雲にいること自体が無謀だ。元は尼子家の土地なのだ。兵を何人も殺しているし戦の影響で土地が荒れた。

あちこちで少なからぬ毛利への怨嗟が残っているだろう。でも、だからこそ多少無理をしてでも私達から歩み寄らなければならん。でなければいつまでも尼子旧臣は毛利に馴染んではくれないだろう。

だから家臣達に無理矢理納得させて甚太郎を私の側へ置いた。家督を継いだ私が率先して出雲に寄り添う姿勢を見せることに意味があるはずだ。


甚太郎自身、恨みがないことはないだろう。だが甚太郎は幼いながら利発な子だった。小さい時の三郎(小早川隆景(こばやかわたかかげ))を思い出す。

ただ毛利を恨み続けるよりも山中家が毛利家の中で発展していく為には、私の近くにいた方がいいとあの小さな頭でしっかりと計算していたのだ。

それに甚太郎には下に生まれたばかりの弟がいる。その子をちゃんと守るためにも自分の恨みを抑えて私の側に居てくれる。守るべきものがあると人は強くなれる。勿論、簡単に出来ることではない。今でもあの小さな体には葛藤があるはずだ。だが現に甚太郎はそれを実践していた。それを目の当たりにしてから飛騨守達も態度が変わったな。そして共にいることで出来る新しい絆もあると思う。


甚太郎には時折、暇を出して山中家の城、白鹿城へ帰している。前当主、三河守(みかわのかみ)山中満幸(やまなかみつゆき))の弟、甚次郎(じんじろう)山中幸直(やまなかゆきなお))が一人で山中家を切り盛りしているからだ。毛利家も山中家の援助をしている。当主の討ち死にで家中は乱れていたそうだが今は大分落ち着いた。


少しずつだが毛利家が出雲に根付いていっている。さらに時間を掛ければ尼子の出雲ではなく毛利の出雲となるだろう。


あややの腹も少しずつ大きくなってきた。父になるのだ。この調子でもっと頑張らねばな。


「殿、少輔次郎様をお連れしました」


足音が二つ近付いてきたのと同時に部屋の外から声が聞こえてきた。


「入ってくれ」


「失礼致しまする」


襖が開くと小さな甚太郎の後ろに懐かしい顔があった。自然と笑みが浮かぶ。随分と背も伸びたようだ。ひょっとしたら次郎は私よりも背が高くなるかもしれんな。…まあ、それはいいか。さて、伯耆の様子はどうだろうか。一応情報は入ってきているが、次郎の話が楽しみだ。






一五四六年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



こうして月山富田城に来るのは城攻め以来だな。

兄貴は城の中腹にある立派な屋敷、山中御殿であやや殿と暮らしている。俺達がこの城を攻めた時に使ったあの屋敷だ。


ここに来る道中に色々見てきたが城下町も随分賑やかになってきたようだった。俺達の姿を見ると多少警戒する様な、怯える様な顔をする町民もいたが、まあ、これは仕方ないな。

吉川兵ってだけでも怖いだろうに、今日連れてきた俺の護衛兵は権兵衛(佐東金時)を含み筋トレ好きの筋肉モリモリマッチョマンの変態だ。特に見てくれは異様だろう。ま、そのうち時間が解決してくれるか。実際に俺からしたら頼もしい奴らだし。


屋敷まで到着すると小姓となった甚太郎が案内をしてくれた。話には聞いていたけど本当に召し上げたんだな。なかなか思い切ったことをする。身体が弱いと聞いていたが見る限り体調も悪くなさそうだった。むしろ元気そうに見える。


部屋の中に入ると兄貴がいた。俺を見て微笑んでいる。優しげないつもの笑みだ。ほっこりする。前と違うのは鼻の下に髭を蓄え始めたことか。少しでも威厳を出そうとしてるのかな。まあ似合ってるし触れないでおこう。


兄貴の部屋は南に窓が設けられているおかげか明るい室内だ。んー、でも少し兄貴は痩せたか?

促されるまま兄貴の前に腰を下ろして頭を下げた。


「殿、お久しぶりに御座います」


「ふ、次郎。その口調は気持ち悪い」


「あ、ひでぇ!」


気を遣って敬語で話したのにそういう事言うかね?!

睨むもすぐに二人でぷっと噴き出しそのまま『はははっ』と笑い声を上げた。痩せたみたいだけど肌艶は良さそうだ。苦労してるだけみたいだな。そりゃそうか。


「今は二人きりだ。いつも通りでいい」


「公の場では笑うなよ」


「約束は出来んな」


「ますますひでぇ」


一頻り笑った後、改めて兄貴が口を開く。


「元気そうだな次郎。息災であったか?背も伸びたようだ」


「おう、調子はいいな。大分体力が戻ってきた。次の戦からは前線で足を引っ張らずに戦えるだろう。背は、そうだな。寝たきりだった分、今は食う様にしてる。直に兄貴より大きくなってやるさ」


最近背が伸びてきているのは自分でも実感がある。夜のうちに骨が軋むような音で目を覚ますのだ。あれは間違いなく骨が成長してる音の筈だ。実際に今の身長は5尺を超えた。1尺が30cm位だから150cm。この時代の平均身長がそれくらいだった筈だから、それは超えたわけだ。

兄貴は俺よりも頭半分くらい高いから165位かな。親父は兄貴よりちょっと小さい位だし、同じ兄弟な訳だから俺もそれくらいは行くだろう。


むしろ毛利家の誰よりも背の高い人間になりたい。やっぱりバランスのいい食事と運動、たっぷりの睡眠が重要だな。目指すは170cm!これくらい身長が高ければ敵に威圧出来るだろう。疾風も普通の馬より大きい馬だ。今は若干乗せてもらってる感があるがそれくらいまで伸びれば見てくれにも迫力が出るだろう。


徴発するようにドヤ顔で兄貴を見ると、まるで気にしてないと言いたげな無表情で兄貴は俺を見た。だが知っている、兄貴はこの表情をするとき表情を隠そうとしているってことを。つまり結構気にしている筈だ。


「それはどうだろうな。ちなみに身長ごときで私を上回った所で私は気にしたりはせんが」


「本当は気にしてるくせに、強がっちゃって。てか兄貴こそ少し痩せたみたいだけど大丈夫か?」


小馬鹿にするようににやにや笑いながら見ていたが良く見ると兄貴が前より細くなっているように見えた。それを指摘すると俺の挑発にイラっとしていた兄貴が自分の頬を撫でながら苦笑する。俺が出端を挫いたからか苛立ちは無くなったようだ。


「出雲に来てからずっと多忙だ。当主となって仕事が増えたしな。正直無理をし続けている自覚はある。だがこれでも私は毛利家当主となった身だからな。ある程度覚悟はしていた。それに漸く出雲も落ち着いてきたしな。無理も今だけだろう。お前は随分日に焼けたな」


兄貴にも自覚があるなら問題ないか。過労で死ぬなんて洒落にならんからな。そう思っていると俺も指摘された。慎重以外にも変化があったらしい。自覚は無かったが指摘されて改めて自分の手の甲に視線を落とす。言われてみれば確かに焼けたか。


「足を延ばせる範囲の村々を自分の足で回ったからなぁ。それに体力を戻すために時間さえあればずっと兵達と外で訓練しているからそれのせいかもしれん」


体力を付けるために今はひたすら走り込んでいる。現代知識で思いつく限りの運動はこなしているつもりだ。ひょっとしたら生前なんかとは比べられないくらいに逞しいかもしれん。まあ着物を脱げば綺麗に白と黒の肌に分かれるだろうけど。いっそのこと褌で走るか。いや、止めとこう。


「…相変わらずだな。どうせお前の事だ。また村々で一緒に田起こしでもしてたんだろう?言っても聞かんだろうが無理だけはするなよ」


「あ、バレてたか。まあ、兄貴の予想通り。国が変わっても行動は変わらんみてえだ。あぁ、護衛はしっかり引き連れてるから安心してくれ。兄貴こそ無理すんなよ?兄貴に死なれたら困る」


「私も父上の息子だ。節制に努めて長生きするさ」


呆れたように兄貴の視線が刺さる。流石兄貴だな。民衆と仲良くなるには偉そうにしてても仕方ない。特に俺は血狂いなんて物騒な渾名が付いちまってるからな。せめて自領の民には親しみを持ってもらいたい。

でもこのやり取りも久し振りで心地いいな。それに兄貴は今世こそ長生きして貰わないと困る。

お袋(毛利美伊(もうりみい))は本来、史実ではもう亡くなっていた筈だが今も元気に生きている。つまり寿命は変えられるんだ。お袋にも親父くらい長く生きて欲しいし、当然早死にする兄貴にも長生きして欲しい。


互いに軽口を叩いていると甚太郎が椀を二つ持ってきてくれた。二人の下に置いていく。


「ありがとう、甚太郎」


「ちょうど喉渇いてたんだ、助かるわ」


兄貴が礼を言い、俺も続いて感謝して運ばれてきた椀の中に入った水を一気に飲み干した。冷たくて美味い。


「もう一杯お持ちいたします」


「おう、悪いな、頼む」


小さく笑みを浮かべて甚太郎が部屋から出ていき、すぐにもう一杯持ってきてくれた。気が利く、いい子だなぁ。そしてすぐに頭を下げると部屋から出ていった。


「いい子だな、甚太郎。ちっちゃい時の三郎見てるみたいだ」


「お前も思うか。私も甚太郎を見ると三郎を思い出す」


兄貴もか。兄弟揃って同じ感想とは。いや、親父やお袋が見ても同じ感想を持つだろうな。二人で小さく笑う。一杯目で喉を潤せたおかげで二杯目をちびりと飲んで口を湿らせた。三郎は元気だろうか?聞いてみるか。


「兄貴は三郎はどんな感じか聞いてるか?」


「三郎も順調そうだ。うまく備後に馴染んだらしい。あいつも物怖じしないからな。反抗勢力の土地を召し上げてそのまま毛利の地盤を盤石にした。それに因島村上家を口説き落としたと聞いている」


「へえ、聞いた話だと俺と一緒に船で出た時は失敗したって聞いてたけど。もう口説いちまったの?やるな三郎。でもどうやったんだろ」


「そこまでは聞いてないな。今度会うときに聞けるだろう。…三郎には負けられん」


「ん…、だな。流石に俺にも兄貴としての面子がある」


三郎が上手くいっていること自体は嬉しい。だが俺も兄貴も三郎には兄貴面したいという思いが少なからずある。兄貴にとっては俺に対してもあるだろうけど。だから俺の言葉に兄貴が頷いた。


「安芸も順調だ。出雲からの圧力が無くなったからな。更に発展していくだろう。父上も母上も相変わらず息災のようだ。…丁度いいから今話すか。今、父上は広がった毛利家の領地を治めるための法度を作ろうとしている」


「ほえー、親父そんなことしてんの」


「うむ」


当主の仕事は徐々に兄貴に移行してるから時間に余裕が出来たってことかな。これから毛利家は更に領地を広げるだろうし基本となる法があった方がいいのは間違いない。


「兄貴は参加しないのか?」


「今は参加したくても出雲で手一杯だよ。もう暫く出雲に注力して落ち着いたら私も参加するつもりだ。次郎はどうするか聞きたかったのだ。どうする?」


法整備ねえ。難しそうだな。どうしても元いた現代の法律が頭に過って今の時代にそぐわない提案しちまいそうだしな。それに東側はまだまだ不穏だし…。だけどその法度が作られれば毛利家は更に盤石になる。毛利家の名のもとに法を敷けるからだ。つまり国人衆に対しての統制力が増す。国人盟主ではなく完全な戦国大名だな。


「ある程度形が見えてきたらで構わなければ、だなぁ」


「…そうか?お前の事だから喜んで参加するかと思ったが意外だな。…まあ今は伯耆国の統治に忙しいか」


「そんなとこだな」


面倒臭いってのが一番の理由だが兄貴が勝手に納得してくれたから黙っておこう。それに参加しないとは言ってない。


「お前がそう言うならある程度は任せよう。とりあえず毛利家の現状は悪くない。そう言う意味でも今、毛利家で心配事となっているのは私の出雲と次郎の伯耆という事になる」


「俺達さえこけなきゃ毛利家は順調ってことだなぁ」


互いに椀を手に取って水を飲む。暑いせいか少し水が温くなっていた。


「そういう事だ。さ、ある程度落ち着いたところで本題だ。伯耆の話を聞かせてもらえるか?一応報告は聞いてるが次郎の口から話を聞きたい」



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