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拝啓、大好きな君へ

作者: 晃夜

「もう、私の人生に残された時間は少ないと思います。明日君にこんにちはと言えるかどうかも定かではありません。なので、今日ここにボイスレターを残しておこうと思います——」


 君が死んだと聞いてすぐ、心をどこかに忘れたまま病院に向かった俺は、看護師さんから「大好きな君へ」と書かれたSDカードを渡された。きっとこれはあなたに向けられたものでしょうから、と悲しみを堪えるような表情で渡されたそれはとても軽く小さくて、これがあの子の生きた証なのかと思うと、なんてちっぽけなものなのだろうと悔しくなった。

 白い病室に置かれた点滴も、暇つぶしにあの子が置いていた小説も、今となってはもう何の意味もなさない。僕の大好きなあの子は、病にかかっても強く生きようとしていたあの子は、もういない。

 小さな悔しさと虚無感だけが胸を満たす。涙がこみ上げる、なんて言うにはまだ、俺の脳に現実というものは通達仕切っていないようだった。

 あの子だけが生きがいだったわけじゃない。あの子がいないと死んでしまうわけじゃない。それでも、大好きな人を失ってしまった自分はこれから先、どうやって生きていけばいいのだろう。あの子のいない世界にもいつかは適応して、普通に笑って毎日を過ごせるようになってしまうのだろうか。今の俺には、それがとても怖かった。あの子がいないことが当たり前になってしまう日常が、どうしようもなく恐ろしかった。

 と、同時に、俺はとてつもなく後悔していた。

 だって、慣れない新品のレターセットも、握りしめてくしゃくしゃになってしまった手紙も、もう、何の意味もなさないのだから。



 一昨日から手紙を書いていたんだ。

 あの子がいつこの世からいなくなってしまうかと思うと不安で寝付けなくなってしまい、一昨日の深夜、突然ベットから飛び起きて手紙を書き始めたのだ。もちろん一般的な高校生の俺が女子に渡せる便箋なんて持っているわけがなかったので、すぐさま部屋着のパーカーでコンビニにレターセットを買いに行った。封筒と便箋、三枚ずつで数百円。今回以外に使うことなんて多分ないんだろうなと思いつつ、俺はシャーペンを持って机に向かった。

 そうして俺は考えた——さて、何を書こうか、と。感謝とありきたりな愛の言葉を臭いほどに並べてみようか。嘘っぱちに見えても、それはきっと本心だから。どうせもう最後かもしれないんだし、言いたいことは全部詰め込んでおこう。なんなら付き合い始めた最初の日から。あ、一緒に遊園地も行ったっけ。最初で最後の手紙のはずなのに、思い出が浮かぶたびに口元が緩んだ。不謹慎だということは重々自覚していた。でも、楽しい思い出が楽しかったことは変わらないのだ。あの子にとってもそうだったらいいなと、その時の俺はまだ呑気にそんなことを考えていた。

 意を決して、シャー芯を便箋の上で滑らせる。


「大好きな君へ——」


 そんな感じで悩みながら書いているうちに、気付けば二回も夜が明けていた。やばい、なんて口では急いでみたけれど、実のところ、そんなに焦ってはいなかった。あの子はまだ大丈夫だろう、と確証のない希望を馬鹿みたいに信じていたからだ。

 それが悪かった。

 あの子は——俺の彼女は、手紙を受け取る前にあの世に行ってしまった。

 白いベッドの上で横たわるあの子の顔には、漫画やアニメなんかでよく見る四角い布だか紙だかが乗せられていた。こんなのまるで死人みたいじゃないか、と思ったけど、本当に死人だった。そんな風に思うくらいには、俺の脳みそは混乱していた。

 最初に思ったのが、あ、死んだんだ、ということだった。薄情だと思われるかもしれないが、本当にそうだった。複雑な感情はすぐには浮かんでこなくて、冷たい虚無感と喪失感だけが胸を満たしていた。いや、まだそこにも空きはあったみたいで、微妙な温度の隙間風がひゅう、と吹いては自分の胸の空っぽさを証明しているようだった。満たされていたけど、空っぽだった。冷たかったけど、生ぬるかった。

 存在するのはただただ冷たい感情のはずなのに、俺の中ではまだ、生ぬるい血液が全身を巡っているのだった。あの子が死んでもお前はまだ生きているんだぞ、と言われているようだった。

 辛い。苦しい。悲しい。

 そう思い始めたのは、それから数時間ほど立った後のことだった。やっとまともな感情が帰ってきた。しかしそれに反して、あの子はもう永遠に帰ってこない。

 帰ってこない。手紙は渡せない。感謝も愛も、伝えられない。

 さっさと書いて渡しておけばよかったと、比喩じゃなく、死ぬほど後悔した。本当に罪悪感と後悔で心臓が押しつぶされそうだった。でも、それも悪くはないなと思った。やっぱりまだ俺は狂っていた。一緒に死んでしまえたらよかったと、その時確かに思ったんだから。

 大切な人が死んでしまっただけで、人間は簡単に狂ってしまう。壊れた人形のように、感情が欠落してしまう。

 もう、どうしたらいいのか、わからなかった。

 後悔しても帰ってこない。帰ってこないから後悔する。永遠にそんなことを繰り返して、繰り返し続ける日々だった。

 しかしある日、そんな日々も終焉を迎える——わけがなかった。

 悲しみは消えない。時効になんてならない。終わらないし、時間が経つほど増えていく。あぁしておけばこうしておけばと考える時間だけが無限に増えてしまって、後悔が地層のように積もり続けるだけだった。

 手紙はもう、届かない。


「拝啓、大好きな君へ。


 実は別に拝啓という言葉の意味は知りません。なんとなく手紙っぽいと思ったので使ってみました。こんなことを言ったら文章に細かい君は怒るでしょうか。怒る元気があるだけまだいいと俺は思います。


 さて、突然ですが、俺は君が大好きです。一緒にいる時間はあまり言葉にできませんでしたが、性格も仕草も顔も全部好きです。顔が好きと言ったら顔だけで選んだみたいに思われてしまうかもしれませんが、本当に全部好きなんです。本当です。


 一緒に遊園地に行った時のことは覚えていますか。一ヶ月くらい前から、『遊園地行こう』『遊園地行こう』と毎日念仏のように唱えられていたので流石に気が滅入り、思い切ってチケットを取ってみたら、君はとても驚いた顔をしていましたね。その顔が見たかったんです。ジェットコースター、観覧車、コーヒーカップ、全部乗りましたね。お化け屋敷で君が叫びまくっていたことは、今でもいい思い出です。いや、馬鹿になんてしてませんよ。本当だから怒らないで。


 そのあと一緒にクレープを食べて、君の要望でプリクラを一緒に撮って(めちゃくちゃ目がでかかった、宇宙人みたいだった)、買い物に付き合わされ......喜んでついて行って、気付けばあっという間に一日がすぎていました。あんな楽しい日は初めてでした。嘘です。君といると毎日楽しかったです。こんなこと手紙でしか言いませんからね、絶対面と向かってなんて言えませんからね、胸に刻んでおいてくださいよ。あ、やっぱ忘れて、読んだらこれ全部忘れて。


 高二になった春、同じクラスになれたことを二人で飛んで喜びましたね。実は俺、あの時毎日祈ってたんですよ。君と一緒になれますようにって。女々しいですか?いいでしょ別に、一緒になれたんだから——」


 手紙はもう、届かない。

 願ったって祈ったって奇跡が起こったって、「大好きな君」にこの手紙が届くことは、もうない。

 慣れない新品のレターセットも、握りしめてくしゃくしゃになってしまった手紙も、もう、何の意味もなさない。


 君へ宛てた手紙は、これからずっと、机の奥に押し込められたまま。


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