頑愚殿のゆううつ②
初更(約午前8時)も大分経つと、女臈衆の朝餉が始まる。
上様の考え方はとても独創的で、普通の他の大名は正室や側室を別々に住まわせて顔を会わせるという事は先ずは無い。しかしこの安土城ではその慣習は破られ、大きな屋敷に一緒に住まわせているのだ。
食事を出す効率面や上様が全員にすぐに会える等、色々考えられる事もあるが、なにより慮られるのは家族の愛なのだと勝手に推測している。
上様は革新的な戦略を立ててはいるが、家族に関しては実に保守的である。
恐らく弟の勘十郎信行様を誅した事が大きく関係しているのかもしれない。
かの重臣の柴田殿ですら勘十郎様一派に加担したほど家を割るような大事だったらしいので、上様は今でもその事は一切口にしないし、出来ないのだろう。
勘十郎様の子息である津田信澄様の重用ぶりを見ても悔悟の念が薄く見えるし、土田御前がそこら辺を決して語らないことが確信に重みを増している。上様は家族に餓えているのだ。
だから、子供やその同胞、女房衆には仲良く暮らして欲しいのだ。なので敢えて皆で同衾という考え方になったのだろう。
(※筆者注:この時代、「大奥」という制度はまだありませんでした)
そういった意味では、安土というのは天朝様をお迎えする為の施設でもあり、上様の家族愛の象徴でもある、真に稀有な建造物ともいえる。
しかし留守居役から言わせると、とても難解な魔窟……と言わざるを得ない。
上座には老齢なお健啖家たる土田御前。その左隣に正妻たる安土殿こと、帰蝶様。しかし……この二人、仲が悪い。
土田御前は生まず女であった安土様を疎ましく思っているし、そんな御前を帰蝶様が好むわけでもなく、無視をして虫捕りに熱中している。
そして両脇に側室が並ぶのだが、筆頭はお鍋の方である。御前は子供をたくさん産んだお鍋の方には露骨に優しく、またそれがお鍋の方を増長させてもいる。更にお鍋の方は帰蝶様を追い落とさんと虎視眈々と狙っている風でもある。
お鍋の方の対にいるのが序列二位のお養の方である。元々亡くなった生駒の方と殆ど同期の、上様の側室の中ではかなりの古株である。もう45歳を超えようというのに、全く歳を取らない。なにより、一切笑わないので他の女房衆は傀儡なのではないのかと噂している。
感情を出さないのは我が息子・賦秀に嫁入りした、お養の方の娘であるところの袱紗姫も全く変わらない。我が息子ながら夫婦の睦言で何を語っているのだろうと不思議になる。
因みにお方様の一人息子は何故か、上様の命で羽柴筑前様の養子にされてしまった。病弱と言う事らしいが一体、上様が何をお考えになって羽柴様へお下げになられたのか真相は未だに不明のままであるし、それについてお養の方が話してくれるとも思えない。
お鍋の方の下座に据わられるのは序列四位の滝川殿。一方の重臣・左近将監一益殿の親族である。やや目が釣り上がっているが、これまた三十過ぎではあるが細面の美人ではある。こうしてみると、上様の女性の嗜好と言うのが判り易い。
元々は嫡男・三位中将信忠様の乳母であったの所を上様の目に留まり、側室となられた方である。大変折り目正しい方で、波風立たず、この大所帯に目立つ事無く染まろうとされている謙虚な方である。
その対のお養の方の下座に据わられるのが序列五位の稲葉殿。稲葉一徹殿の親族である。この方は今までとやや系統が違い、がっしりした体格の持ち主である。太り肉と言う事ではなく、なにかやたら骨格が良いというか、肩幅が広いのである。
酒を好まれ、武勇談がお好きという、なかなか男勝りな方であるが、大洞丸・信秀様をお産みになられており、この名前は上様の敬愛していた父上と同じ名前であることから織田家の中核を担う人物として、将来を期待されている。
本人は自覚していないが、お鍋の方としては後々自分を脅かす存在として警戒されている。
お鍋の方の下座、滝川殿の下座に据わられるのが序列六位のあここの方である。この方は公家の三条西実枝様の娘であるため、大変気位が高い。なにより唯一の二十代でもある。お鍋の方とはまた違った感じのワガママ……いや、奔放な方であるのでいつも細心の注意が必要だ。フリフリしたものを好まれる傾向にある。
お養の方の下座、稲葉殿の下座に据わられるのが序列七位の坂氏。いわずもがな上様の三男・三七郎信孝様のご生母であられる。
この方は四十代という歳相応に老けており、一向に歳を重ねることの無い他の面々に対して強烈な嫉妬心を持っている。
実家が商家であるという理由で不当に地位が低く、その負の面が息子の三七郎様に影を与えている事に負い目を感じてもおられるのだが、近々その三七郎様が四国遠征の総大将に抜擢されたと言う事もあり、それをとても喜んでおられ上機嫌なので、そういった意味ではこちらとしてもありがたい。
そして一番下座に据わられるのが序列八位の土方氏。三十代はじめのまだ美しさを保っている、やや受け口の方である。重鎮居並ぶ中であまり多くの発言はしないが、この方も野望を腹に抱えている様子が時々顔を出す。
ここにおられない方が一人いる。序列三位の原田殿である。石山本願寺との戦いで散った原田直政殿の妹ごである。一人息子をお産みになられており、信正殿と言う名前であったが、織田家奉行衆筆頭の村井貞勝様の養子になられたとの事で、今は村井重勝と名乗っておられる。
さて、この原田殿であるが、尾張の古渡城にお住まいとの事であるが実は誰も見たことが無い。何故独り別になっているのかもよく分からない。まあ、原田直政殿と上様との間に何かしら約束があったのであろう。だからここ安土で原田殿の動向を気にする必要は無い。
この他に別室では稲葉氏の息子で11歳になる大洞丸・信秀(六男)殿や、お鍋の方のお子様で6歳の小洞丸(七男)と9歳の酌殿(八男)、土方氏の息子で8歳の人丸(九男)、それに娘達がそれぞれ据え膳を囲む構図になっている。
あとは誰の息子は把握してないが幼子の良好丸(十男)、最後にやはりお鍋の方の息子で赤子の縁殿はさすがに乳母の部屋で乳をあやかっている。
とにかく大所帯で、とにかく喧し……もとい、かしましい。その配膳役がワシである。