頑愚殿の決断 閑話~上野田主計助の独白
殿がまた日誌を書いている。
上様はとても恐ろしい方で、城を空けて落城した例を挙げて、上様が留守中に遊んでいた女中達の首を刎ねた事もある。そんな上様が留守居役に持ち回りで日誌を義務付けるのは当然といえば当然である。
しかし、安土城の留守居役筆頭は連枝衆の織田左衛門信益様である。なにゆえ我が殿が日誌を書いているのか。
それは…殿が頑愚だからである。
信益様は所詮、仮の留守居役で、己の持ち城である犬山城の方を重要視している。また生来よりの飽きっぽさを以て、初めの2~3回しか書いておらぬ。
また連枝衆という事で甘えもあるのだろう。事実、上様は身内には甘い。三介殿(織田信雄)が如何に無能であろうと、重用なされるのがなによりの証左である。
また同僚の木村・山崎も全然書かない。いずれも我が殿を見くびっているのだ。
それに対し、殿は何も言わない。誰かが踏み留まらなければ、不慮の事態が待っているからだ。そして上様も恐らくだが、我が殿がやると信頼してこの様な配置にしたのかもしれない。
同様に、城内の見廻りも殿が自発的に行っている。近江・特に甲賀に隣接している蒲生の領主である我が殿は、かつて甲賀の忍びたちが行った戦…「鈎の陣」の事を幼少より寝物語で聞かされているからだ。
「鈎の陣」で六角家を攻めていた足利将軍家2万の軍勢が、慢心と驕りで夜営していた所、甲賀衆の夜襲によって壊滅させられたあの恐ろしさを。だから我が殿は警備体制を自ら確認しないと納得できないのだ。
こうした振る舞いを見て、他の連中は「愚かしいまでに頑固」という事で我が殿を「頑愚殿」と呼ぶ。だがそれこそ愚かしい。
殿は織田家遠征の時、甲賀に退避したかつての主家・六角佐々木家と何度も矛を交えている。そう、「鈎の陣」の再来だ。
他にも山崎の撤退戦や伊勢・長島の一向勢との戦にも参陣しており、常に”大将の居ない戦“を経験してきた。
だから油断した方がやられるという事が骨身に染みて判っているだけなのだ。頑固なんではない、生き残るための訓戒と、その結果を出し続けているだけなのだ。
だから我が殿が居る限り、安土の城は磐石なのである。
ただ、あんまり根をつめ過ぎると病に倒れてしまう……そうだ。殿は普段から腹に優しいものが好きなので、後でお夜食にカブを炊いた物に徳川様から貰った味噌を付けてお出ししよう。それと禅僧より教わった蕎麦掻を切った物も出してみよう。たまり味噌で汁をこさえればちょうど良い塩梅になるであろう…そうと決まれば急いで台所を借りねば。