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頑愚殿の決断  作者: いのしげ
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安土城にて④


 安土城の天主閣二階には合議や軍議のための部屋が用意されている。数多くあるが、天主閣の黒門を抜けた時に声が掛かった。

 「殿、合議は二階“花鳥の間”にてございます」

 ニョロリと顕れた風貌。お世辞にも容姿が整っているとは言えない、まるで裏庭で採った木瓜の様な細長いつむりに、落書きのようなチョビ髭、それと十文字みたいな目。薄茶の肩衣かたぎぬを着けているのがご愛嬌だ。

 しかし彼こそ、我等が蒲生家の勘定を一手に取り仕切る上野田主計助こうずけだかずさのすけである。主な家臣は息子の賦秀に預けているので本拠地の日野に居るが、彼だけは上様からどんな普請があっても即座に返答できるようにと、近くに留め置いたのだ。

 その主計助が合議の為の部屋を教えてくれる。まったく頼りになる事この上ないし、有り難い。せわしなく片手を上げて感謝の意を伝え、ドタドタと階段を駆け上る。

 「おや、これは左兵衛大夫殿ではないか」

 二階に上がった所で意外な人物が声をかけてきた。かつて斎藤家に仕えていた弓で成らした古強者、大島光義おおしまみつよし…通称・雲八殿である。御年七十を超えて未だかくしゃくとしており、体躯は縮まったものの細く無駄な贅肉を削ぎ落とし、寧ろ洗練された雰囲気を持つ。

 何より柔和な表情に似合わず時折見せる鋭い視線が、未だ現役のもののふである事を如実に物語っていた。

 「これは雲八どの。もう合議は始まっておりますでしょうに、何故此処に待機しておるのです?」

 「ほ? そうか、合議はもう始まって居ったのか。ホホホ、年取ると忘れっぽくてイカン。では、左兵衛大夫殿…スマンが先導してもらえるかの?」

 雲八殿が独りでも歩けるどころか、戦場を駆け抜けるくらいの胆力を持っていることは誰でも知っている。そうか…この御仁は、ワシが遅参したのを一緒に入室する事によって、罪を被ってくれるつもりなのだ。


 「遅いぞ! 雲八殿に左兵衛大夫!」

 部屋に入るなり、上様に似たキンキン声が木霊する。安土城城代、津田信益殿だ。

 本来は岐阜・犬山城主であり、清洲織田家…つまり上様の親戚筋に当たる。斎藤家に組して上様に歯向かった事もあったが、今は岐阜の要、またこうして安土の留守居として一族の重鎮を成している。

 信益の両隣で山崎片家と木村次郎左衛門がクスクス笑っている。

 「いやあ、スマンて。がんぐ殿を待っていたらこんな時間になってしまってノウ~」

 あ、このジジイ。ワシに罪をひっ被せようとしている! 

 食えないジジイだ。だが、その変心が逆に清々しくて思わずプッと笑ってしまう。

 「ムッ!?」

 信益の顔が一段と険しくなり、逆に雲八殿がニンマリ笑う、そんな膠着した空気が部屋を支配した。


 「ま、それはそれとして、早く着席なされよ」

 コホンと空咳をしながら目配せして上座を勧める、エラの張った木村の下座にいる侍は山岡景隆やまおかかげたか。瀬田城主の同輩である。対座には顎鬚がボウボウの弟・山岡景佐やまおかかげすけもいる。

 景隆殿の助け舟でとりあえず着座する。腐っても日野中野6万石、かつての佐々木六角家筆頭の蒲生家当主の席は、信益殿の隣である。

 他に珍しい面子として、東近江衆の新庄直頼、新庄直忠兄弟がすまし顔で列席している。更に小川祐忠、多賀豊後守、久徳宗重、後藤高治、池田景雄、進藤賢盛、青木元珍、平井定武、布施忠兵衛など錚々たる近江衆が12畳の花鳥の間にミッチリと座っている。

 居ないのは上京してきた徳川様の案内役である目賀多殿と、羽柴殿に付いて出征している吉田殿、出奔している三雲殿くらいのものである。 

 これはただ事ではない…きっと出陣の下地に違いなかろう。

 そう思った時、信益殿の声が改めて臓腑に響く。

 「上様の下地である。坂本の明智日向守様が二日の後に京師で軍備を整えた後、中国の羽柴筑前殿の合力に向かう。ここにいる南、並びに東近江衆は直ちに軍備を整え、明智様の軍勢に加わる様に!」 

 部屋がゾワッと動いた気がした。者共の囁きである。

 「なんと! 我等近江衆は上様直轄の軍勢であり、留守居の大役を担っている筈…なのに、軍を率いて中国まで行けと申すか!?」

 義理の息子である布施忠兵衛が独り言にしては大きい声で呟く。

 無理も無い、我等近江衆は、金ヶ崎の退き口から姉川の戦いまで一貫して織田家の為、近江平定に勤め、その功労もあって大和や伊賀などの近隣の戦を除き、遠国への出征は免除されてきたのである。

 狡兎死して走狗烹らるる…そんな思いもあるのだろうが、日本国が平定されれば自ずから戦の世も終わるであろう。

 それまで十分休ませて頂いたのだ、走狗は走狗らしく戦場を駆けるまでよ。皆のザワメキを耳で聞き流しつつ、心穏やかに戦に臨んでニッと笑う。

 「…うむ。では南近江衆は蒲生殿の旗下で京に向かわれよ。東近江衆は山崎殿の旗下で向かう様に。ではこれにて、各々解散せよ」

 

 「蒲生殿、蒲生殿」

 退出しようとしていると、後ろから声をかけられた。山岡兄弟である。

 「我等は蒲生殿に諸手を挙げて賛成しているが…」

 髭の山岡・弟がコソリと言う。

 「かつて蒲生殿と同格であった後藤殿や進藤殿は、あれだけ身代削っても納得なさっておりませぬぞ、気をつけられよ」

 エラの張った山岡・兄もコソリと告げた。

 佐々木六角家時代は「六角の両藤」と言われ、重きをなした進藤家と後藤家であるが、織田家に組み込まれてからの凋落ぶりが激しい。しかし、かつての矜持だけは未だに持ち合わせているとの事。

 蒲生も筆頭格ではあるが、佐々木家に於ける両藤ほどには名前に重みは無い。

 「分かりました、知らせて頂きありがとうございます」

 大丈夫、これまでもずっとこうした調整をやってきたのだ。ワシの役目は南近江衆の中で要らぬ波風を立てぬ事、そして息子が自由気ままに振舞える下地を作る事。

 これくらいは何度もあった。これからもやっていくだけの事である。

 山岡兄弟は、元々甲賀出身であるだけに草の者が揃っている。情報が早いのも心強い。今、敵対したくないのは進藤や後藤ではなく、この兄弟である……等と、ふと思った。


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