安土城にて②
イゴイゴ蠢く芋虫を10匹ほど捕らえて、コチコチになった腰を伸ばしてさする。
どれが黒アゲハだか分からないが、どれか一匹くらいは当たりがいるだろう。
日も傾いてきたので二の丸へ戻ることにする。
百々橋の横を通り過ぎようとすると声をかけられた。
「蒲生殿、どちらへ行きなさる?」
ヒョロリとした上背に、穏やかな目元の壮年の武士が橋の向こうから手を振る。
「コレは木村次郎左衛門殿。お主こそどうして…?」
橋を渡ってきた木村へ訝しげな目線を送る。これには補足が必要かもしれない。
上様が誇る、権威の象徴・安土城は今までの城と画期的に違う。
天皇陛下の御幸を促すため、百々橋からの南正面である大手門は真っ直ぐに作られているのだ。中華の古来より帝位を持つものを迎えるのは南大門と決まっている。
だから虎口も無ければ出丸や一切の防御装備が無い。よって家臣団にはこの南大手門から百々橋にかけて使用が禁止されている……が、勿論それは上様である織田信長が在城している場合に限ってだが。
上様が居ない時は皆、横着して皆、この百々橋を使う。北にある通用門は従来の城よろしく、入り組んでおり、またわざわざ回り込まないといけないから手間もかかるし、仕方ないとも謂える。
今では不在時にこの北門を律儀に守って、遠回りしてでも使用しているのはワシくらいなものだ。
他の留守居役の武将達はワシをせせら笑う。「蒲生殿は頑愚に過ぎる」と。
しかし、他所はどうであれ、我が蒲生家は将軍家を通じて朝廷を敬ってきた一門である。いかに近江の田舎大名とて、矜持はある。他の者が横着せれども、この安土城を普請したものの一人として、決して上様の思いを、今上陛下の御路を汚すわけには行かぬ。
木村殿は対浅井・朝倉で荒廃した近江の数々の普請役として縄張りを行ってきた、上様お気に入りの合理主義者である。かの瀬田の大橋も、彼によって再建されている。
だから彼にしてみれば、主が居ない時も非合理的な道順を遵守するワシの事が、奇妙に感じるのだ。
「蒲生殿も此方から参られよ。これからの話も有る故」
……やはり。にこやかに微笑みながら、胸の内で息を吐く。
「済まぬ。拙者は賄い方へ顔を出すのでな、北門からの方が近いのじゃ」
「木村殿、蒲生殿は××故、遅れることは必定。我等だけでも急ぎましょうぞ」
木村次郎左衛門の後ろから声をかけたのは猫背で上目遣いの山崎片家殿。やはり留守居を任された近江衆の一人である。
腰が軽く、機を見るに敏であり、有利な方へとすぐ寝返るのが彼の処世術である。元々はといえば、六角佐々木家の家臣であったが、不利と見るに浅井家に寝返り、そして直ぐに織田家に取り入った。世は戦国、彼の行き方はいっそ清々しく、ワシは嫌いにはなれない。だが彼にとってワシは得体の知れない存在らしく、ワザと突っかかる部分というのが否定できない。今も××の部分はこれ見よがしに小声にしていた。
「ご同輩、そうですな……では天主の一階にて津田信益様が合議を行います故、急いで参られるように」
ワシよりはるかに若い木村殿も、半ば呆れる様に山崎殿を追って踵を返して天主閣へと戻っていく。
心の中の我が家臣団が口々に「殿、もっと要領良く世渡りするものですぞ!」と罵る声が聞こえた気がした。
「…言うな。一人くらい上様を常に仰ぐ者がいても良いだろう。それこそがワシの役目なのじゃ」
そう、一人ごちてわざわざ北の方へと歩を進める。これでいいのだ。
自分に言い聞かせる。これでいいのだ。これでいいのだ。
自分の息子と同じくらいの同輩に馬鹿にされようが、己の信じた道を歩む事、それがこれからの武士道であり、いつか平やかな時代が来た時、きっと評価してもらえる……
自分の軌跡がこれからの侍の生き方と信じて。