蒲生殿、決断いたす①
飯を炊いた大釜を、先っちょに灰をヌスリ付けた藁苞でゴシゴシと磨きながら、佐久間与六郎がハァァ…と溜息をつく。
「どうした与六郎殿。鎧付けながらの飯炊きがよほど堪えたか?」
同じく竈の火の始末をしていた赤座隼人が与六郎の素振りをみて声をかけた。
「いやいや、そうではないですよ隼人殿。ただ、上様の遺訓が本当に正しかったのか……失礼ながら蒲生様を見ていると不安を感じざるを得ません」
「そんな事は無い。貴殿…我が殿を愚弄するか!」
隼人の赤くなった顔色を見た与六郎は、慌てて頭だけではなく手も振って、滅相もないと言う意思を示す。
「イエイエ…そ、そんな事は無いですよ?…しかし皆さま御家中の支えがあってこそ、物事が進んでいくのでしょうなあ」
コレを聞いた隼人、ニンマリと笑う。
「フフフ……我が殿は別に"頑愚”ではない。常に熟考をしているだけで、物事が決まれば誰よりも動きは早いのだぞ」
信じられないといわんばかりの与六郎の顔を見て、「今に分かる」と頷く隼人。
あここの方の部屋では、随分と揉めてしまった。
あここの方は「京に帰りたい」の一点張りだったからである。いくら「信長の室だと分かれば三条河原で首を晒す事になる」と言っても、「実家は公家の三条西家だから明智も手は出さない」と言うのである。
「嫌じゃ嫌じゃ! わらわは実家に帰るのじゃ、お主等もこの城から退出するのであろ? なら、わらわを守ってくれる者等居りはせぬではないか!」
裾を涙でビタビタにしながら訴えるあここの方にも一理ある。それに明智は勤皇家でもあったので、確かにあここの方にまでは手を出さない気もする。なにより、あここの方は唯一、上様のお子を成していないというのも大きい。
だがそれは無事、京の三条西家に辿り着ければの話である。
山岡殿の話ではないが、夜盗に反乱分子、誰が敵か見方か分からない状態になっている中、女衆だけで何事もなく帰るには、京はあまりに遠い。
ふと、天啓にも近い想いが脳裏を駆け抜ける。
「……では、我が城にお寄り下さいませ。我が城ならば皆様へ大禍あろうと防げましょう」
「いやじゃー! どうせ鄙びた田舎なんであろ!」
「ま、そう言われればそうですが……日野はかつて堂上(とうしょう ※昇殿を許された殿上人の事)家の日野家が治めた荘園、それなりに雅美な趣も残っておりますぞ」
…いや、残ってはいないし、そもそもが嘘である。日野庄の名前の由来は、マゲワッパ等の「檜物(ひもの→ひの)」から来ている。だが、あここの方の泣き声がピタッと止んだ。
「…そうなのか?」
「はい、それに焼き物や鋳物等も盛んに興りますれば、京ほどではなくとも賑わいもありましょう」
「…………考えてみる」
黙って一礼して襖を閉めた。が、コレは間違いなく付いて来るであろう。
それよりも。
『上様のご家族を我が城に迎える』
日野の城に、上様の家族を避難させるという考えが直ぐに出なかった己の不甲斐無さと、ココに来て閃いたという二つに、人智を超えた何かを感じた。
そうじゃ。我等蒲生だけは、上様が生涯愛したモノを支える最後の守人ではなかったか。上様が愛したモノ……それは家族に間違いない。
なれば、事は単純である。蒲生の家は身代懸けて上様の家族を守る盾となるまで。
だが、ここでハタと気付いた。その為には二人を説得しないといけない。一人は帰蝶様。そして残る一人は……蒲生を憎むお鍋の方である。