頑愚殿の決断ー③
初更(夜7時過ぎ)
プウクプウクと盛大に火吹き様の竹筒を吹く音。そしてやがて轟く怒号。
「何故じゃああ、何でワシがこんな事せんとイカンのじゃあ!」
「逸るな、隼人。飯の仕度も兵法のひとつじゃぞ?」
竈の火で顔を赤くして、鬼瓦のようになっている顔の赤座隼人に対し、やんわりと言い含める。
「それにもう、安土には飯炊きをしてくれそうな雑職僧や女房衆はおらんのだ」
総見寺の雑職僧に些事を今まで取り仕切ってもらっていたのだが、先程聞いた六つの鐘を最後に、僧侶達の姿は消えてしまった。思えばアレは惜別の鐘だったのかもしれない。
よって、残った者への飯炊きは残った者がやるしかない。
佐久間与六郎とその配下達も、せっかく戦装束してきたのに片肌脱いで、一生懸命浅漬けのキュウリを切っている。
「隼人、飯が炊けたなら笊に釜の米を空けよ。荒熱を取るのじゃ」
ホカホカの米を笊に空けると、地獄の獄吏が持つ様な杓文字でほぐしていく。
「では握り飯をこさえよ!」
辺りは蒸気と熱気の戦場。兵士達が遮二無二、熱々の焚き飯を握りこみ始めた。
「ぐわ~、熱い熱い! もう熱くて嫌じゃ~、この戦が終わったらワシは浪人するぞ~!」
「ハハハ、隼人。握り飯に臆した侍なんぞ、どこの家中でも雇ってはくれぬぞ。先ずは握り飯で褒美を上げよ」
「クソ~、岡佐内はずるいの~! ワシも付いて行けば良かったワ~イ!」
我々の無駄口を佐久間の将兵達が野放図に笑う。「さてもさても。蒲生の家中は篭城にあってもシャレを心得てなさる」と。
いや全部、本音のやり取りなんですけれど………ね。
徳川殿が安土上洛の際、土産に置いていった赤い玉味噌を、出来た握り飯にベッタリと付けていき、それを直焼きで炙る。すると、得も言われぬ空きっ腹に応える香りが充満してくる。
「が、蒲生殿……これはもう辛抱溜まりませぇん!」
佐久間殿が涙目で、口に頬張りたい衝動を訴える。
「大丈夫、皆の分もある。だが待て…未だこれだけでは焼き飯の域を抜けておらぬ。しかして我等の粋を括目せよ」
味噌がブスブス焼けている握り飯の上に少々、山椒の摘んだ芽を添える。すると焼けた味噌の熱に煽られて辺り一面に山椒の鼻をつく香りが充満した。
「これぞ、蒲生家中戦陣食の焼き飯じゃよ。皆待たせたの……存分に食って戦に備えよ」
握り飯だけでは足らぬ栄養は本来、味噌汁で補うものだが、二品も作る手間隙が惜しい。よって味噌を直接塗り、一汁一菜を一度で済ますのがこの焼き飯の意義である。
今まで聞いた事の無いほど意気軒昂な鬨の声がして、兵士達が群がっていく。
「くちくなった者は、何名かワシに付いて奥方様にこの飯を届けようぞ」
「まんぐまんぐ……えいけいき、せんじきゃ……?」
もはや大広間に集まることも無く、各々控えの間にまで食事を届ける事になったが、流石に年の功か、土田御前はこの焼き飯の本当の意味に気付いた。
「…その通りです、米はある限りを使い果たしました。明日の朝食の分さえありません」
「ばんぐばんぐ……あみりとどはんば、うんはった?」
「は。明日の早朝を以て安土城を『棄城』します。この城では最早、明智勢を受け止める事は出来ませぬ」
「………あらはしゃなう?」
「は。これから各々奥方様方の身の振り方を、聞いて回りたいと思います。全ては拙者の身の不覚にて……」
「……我が子・信長の夢は、お主が一番知っていると思っていたんじゃがのう……残念じゃわ……」
「!?」
最後の呟きが「ちゃんと」聞こえて、心に刺さったのは空耳だろうか。それとも土田御前の計略だろうか。
まだ、自分の中に答えは出ない。