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頑愚殿の決断  作者: いのしげ
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頑愚殿の決断ー②


 初夏は日が傾くのが遅くて、まだまだ昼過ぎかと思っていたら、二の丸下にある総見寺の梵鐘が暮れ六つ(5時~)を知らせる音を撞き始めた。

 「そうか、総見寺には未だ人が居るのか……」

 そう独り言を吐いたのは、周りに誰も居なかったからだ。つい今朝まで多くの雑職僧ざっしきそうや女郎、侍達が入り乱れて忙しそうにしていたこの天主閣に、今や全く人の気配を感じない。

 多少の調度品の散らばりや小物が消えていたりなどはあるが、名物や金箔が剥がされているという荒され方は為されていないのは、まだ上様の威光の残滓が感じられているというべきか。

 天主を出て二の丸詰め所にまで戻る。気がかりなのは近江衆が残っているのかどうか。

 ……尤も美濃衆や尾張衆がさっさと退出したのに、機を見るに敏な近江衆が残っているとは思えないが。

 その時、総見寺の方からガシャガシャと鎧擦れの音がこちらに向かって来る気配がした。

 すわ、敵襲か? と身構える。だが、向こうから聞こえてきたのが予想外の濁声だった。

 「殿~! 赤座隼人四郎兵衛が緊急護衛の為、まかり越しましたぞ!」

 黒い椎の実兜に鳥尾羽の装飾、なによりアクの強い戦場焼けした声……間違いなく、蒲生家の古兵の一人、赤座隼人であった。

 「ガハハハ、上野田から急報を聞きまして、取るもとりあえず甲賀忍びの者と手勢合わせ200を引き連れ、馳せ参じましたワイ!」

 「よくやった隼人。機転が利くのう。…して、後続は来るのか?」

 「は、町野左近殿の差配の元、若様自ら1200の後備えを推して明日の早朝には到着する由にございます!」

 赤座隼人は元々六角佐々木家の家臣であったので、ワシとは同格であり、他の家臣団とは違う事を匂わせる発言をする事がある。自分は蒲生の家臣では無く、客分なのだ、と。

 だがまあ、それは一生懸命さの裏返しであり、その自負に見合う戦働きをしてくれているので、多めに見てはいる。

 「では日野城には小倉殿と上野田主計助と……」

 「福西宗長の3人で300の兵を残しております!」

 「流石は賦秀と左近。この短期間に良くぞ、それだけ動員を纏め上げたな」

 町野左近は息子・賦秀の守り役であり、文武両道に通じた物静かな男である。なにより数少ない、ワシが心から信頼できる友人でもある。町野家は蒲生領の北に存在し、かつて鎌倉時代には“問注所”執事を掌っていた名家でもあった。

 「それはさておき、与力には誰が来ておるのじゃ」

 「は、岡佐内が付いておりまする!」

 赤座隼人は自覚していないのであろうが……戦場で声を張り上げる習性か、とにかく声がデカイ。

 「それと、殿。これは内密の話ですが!」

 デカイ、内密の話なのに声がデカイよ、隼人。

 「甲賀こうかの者の大部分が徳川殿に買収され、堺からの脱出に合力していますので、我等との助力を断ってまいりました!」

 なんと……徳川殿は堺から伊賀、甲賀を抜けて伊勢まで戻るつもりなのか。

 傍若無人な伊賀ではなく、甲賀を選んだ辺り流石ではあるが、それでは安土の守りに甲賀衆は期待出来なくなるという事でもある。

 我等蒲生領のすぐ南に隣接する国こそ甲賀であり、蒲生は代々甲賀衆との互助で成り立ってきた由来がある……のだが。

 しかしコレは徳川殿を責めるわけにも行かぬ。寧ろ素早く段取りをつけた徳川家臣団の有能さに感服すべきか。


 未だ話をしたがる赤座隼人を落ち着かせ、銀の南蛮胴に同じく銀の鬼栄螺型という、奇妙奇天烈な兜を被った岡佐内を伴い、二の丸近江衆の詰め所に入る。

 「やや……!」

 思わず声を上げてしまったのは、誰も居ないと思ったからだ。だが、居た……しかも多数。

 坂田四百石の馬廻り衆・箕浦次郎右衛門に、新庄新三郎直頼・直忠兄弟、越前衆の前波や五郎、そして木村次郎左衛門の5人である。

 「これは…蒲生殿……」

 力無く新庄兄弟が応じる。訊けばどうやら安土城を脱する機会を逃してしまい、途方に暮れていたらしい。

 新庄家は元々浅井家に仕えていただけあって、近江のかなり北側、羽柴筑前殿の長浜城の南にある朝妻城と新庄城を拠点としている。

 ところが帰途にある小川城の小川祐忠が早々と明智方に付き、もう一方の山崎城の山崎片家も出処進退が定まらず、疑心暗鬼で動けないのだという。

 新庄領の付近である坂田に知行を持つ箕浦殿に到っては持ち城も無く、家来といっても10人も居らず、どうすれば良いのかもう分からなくなっていたらしい。それは木村殿も同様であるが、木村殿の知行は此処、安土でもあるので逃げる事もままならない。

 前波殿も越前まで還る手立てが無い……つまり、この5人は安土城を死守せんが為に残っただけでなく、単なる帰宅難民なのであった。

 可哀想なのが木村殿である。ここでも期待を裏切られたらしく、信じられない位しょ気ている。

 

 「……やれやれ、仕方あるまい」

 そう呟いて岡佐内の顔を見た。佐内は直ぐにこちらの気持ちを察したのか、不満そうにブンむくれる。

 岡佐内は元々、越前朝倉家臣。拠って、北近江の地理は詳しい筈。他の勢力に発見される事無く彼等を送り届ける事も出来るであろう。だが、それは安土城防衛戦線から外される事も同時に意味する。だからブンむくれたのだ。

 「佐内、スマンが新庄殿等と前波殿、それに箕浦殿を取り敢えず新庄殿の城まで送ってくれぬか?」

 コチラから言い出さないと、とても了承しなさそうだったので口火を切った。

 「殿……!」

 「新庄城までで良い。それからは直ぐに戻って来てもらえれば良い。それに先手で来た200の兵を全て警護衆として使って良い」

 こういうのは、口早に畳み掛けるのがコツである……と、父である定秀が言っていた。

 「で、でも……」

 「分かっておる、安土の守備が脆くなるのは。だがワシは瀬田城に戻った山岡殿を信じておる、そして疾風の如く還ってくるであろう事を。佐内…お主を信じる」

 「気が狂ったのか蒲生殿、このような事態に何故他人を底抜けに信じることが出来るのじゃ!?」

 話を聞いていた新庄兄が、流石に気が引けたのか声を荒げた。折角の城の守備兵として連れて来たのを、何の得も無いどころか無駄に散逸しそうな落ち武者然とした者への警護に廻すというのは、確かに気違い染みている。

 「なあに、武士は相身互いよ。困った時はお互い様じゃ」

 ププ…と、脇で佐内が笑った。

 「それでこそ、我が殿。しゃあねえなあ……この岡佐内、無事に送り届けて迅雷の如く舞戻って来る事を誓いましょうぜ!」

 「か、かたじけない!」

 新庄兄弟が涙を流してギムと手を握ってきた。コチラも負けじと力強く握り返す。もしかしたらコレが今生の別れかもしれない、だからこそ悔いの無い様にしたかった。

 岡佐内に促され、新庄兄弟と箕浦殿、前波殿が纏まって退出していく。

 「ケッ、蒲生殿は馬鹿じゃな」

 それまで忌々しそうに黙って見ていた木村殿が悪態を吐く。

 「“信じる”じゃと? 後藤喜三郎や池田景雄、布施忠兵衛、青木元珍、多賀豊後守達は早々に見限って明智勢へと寝返ったぞ!」

 「……なんと!」

 「それだけじゃない。進藤賢盛、平井定武、山崎片家等も出処進退を明らかにしていないが、明智に寝返る気配が濃厚だぞ! 兵を分散させてどうするつもりなのじゃ、頑愚め!」

 …それは逆に、早く言って欲しかったなぁぁ……

 今、聞いた限りでは南近江で旗色が分からないのは徳川殿の案内役に付いている目賀田堅政殿くらいで、他に出奔している三雲城の三雲成持、不在の和田城の和田惟長、同じく不在の吉田城の吉田重政以外の南近江衆は全て、明智勢もしくは返り忠(※謀反)の疑いアリという事。 

 美濃大乱とか尾張不穏とか言ってる状態ではない、己が足元こそ剣先が迫っているではないか。

 「木村殿、お主はどうするのじゃ?」

 「ヘッ、お主ほどの大身ではない故にの、この城を枕に討ち死にするまでよ!」

 木村殿はヤケクソ気味なのか、今までの穏やかな口調が打って変わって暴言になってしまっている。

 「…のう、木村殿。お主が良ければ日野の我が城まで退かぬか?」

 「頑愚殿に甘えろと? 冗談じゃない。この期に及んで“信じる”とか胡散臭いセリフを吐くヤツなど、逆に信じられぬわ!」

 「……うむ。お主も『侍』じゃったのだな。ではサラバ」

 「ね! せいせいするわ!」

 気持ちが同じ方向を向いていても、共に歩めぬ者も居る……今まで何度もそういったことは遭ったではないか。なのに、何故か木村殿との別れは後ろ髪を引かれるものであった。

 「殿の馬鹿~!」

 屋敷の外に出た途端、又罵倒された。さっきからバカバカ言われ徹しだな、と笑ってしまった。

 そこには鬼瓦みたいな顔を泣きっ面に変えている赤座隼人が居た。

 「殿、何を笑ってなさる! 折角の兵を全部、岡佐内に貸し与えて……ワシ等、丸裸ではないですか!」

 「ハハハ、隼人。大丈夫大丈夫。町野左近が思ったよりも早く来てくれると思うよ」

 「もうこの殿嫌じゃ~、この戦終わったら蒲生家暇乞いするわ~!」

 そう隼人が言った矢先、またもカシャカシャンカ…と鎧擦れが二の丸に響き渡る。 

 途端に顔をキリリと引き締めた隼人が「殿は後ろに退かれよ」とワシの前に立ちはだかった。

 ドカッドカッと、大地を蹴る蹄の音が高くなり、目の前に日根野兜に釘抜きの前立ての、立派な駿馬にまたがる壮年武者が現れた。ガッタリには萌黄地に白抜きで、丸三引き両が翻っている。

 「蒲生殿、野洲・永原城の佐久間与五郎にござる。手勢が少なく、また城も小規模な為、打ち棄てて安土の手勢としてまかり越した次第、佐久間勢50騎…存分にお使いくだされ!」

 ホラな……

 木村殿。武士の世も棄てたモンじゃないんだよ。信じるのも武器の一つなんだぞ。

 それは声には出さず、屋敷に独り残っているであろう木村殿の背中に向けて訴えかけた。

   

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