頑愚殿のゆううつ⑥
ともあれ、緊急事態なので急ぎ留守居役の立て直しを図らないといけない。
本丸詰め所である二階の「倉の上屋敷」に赴くと、杖を肩にかけて壁にもたれている古老の賀藤兵庫頭と、目に青い痣を作ってムスッと不貞腐れている若人、櫛田忠兵衛が居た。
目を覆うほどの眉毛の賀藤殿は、熱田加藤家の一族であり、尾張衆の古参であり、当然上様からの信頼が厚い。
櫛田殿も織田家中核を成す祖父江一族の一人であり、同じく尾張衆である。つまり、尾張衆は居残っていると言う事だ。二の丸留守居役に尾張衆が居たか、脳裏で探してみる。
「オウオウ、どうした若造。色男になったじゃネーか!」
ゲヒヒ、と大島殿が嗤う。
「うるせえ、ジジイ! 退去するって言うから引き止めたら、遠山の野郎に一発食らったんだよ!」
つまらなそうに櫛田殿が返した。矢継ぎ早に隣の古老がワシに問いかける。
「蒲生殿、上様は如何なされたのじゃ? なにか詳細を知っておるのか?」
黙って頭を振ると、またガックリ座り直す老人。残ってくれたのはありがたいが、正直、戦力になるのか怪しい。
櫛田殿に言い含め、急ぎ二の丸留守居役をこの部屋に招集してもらうようにした。
まもなく二の丸留守居役がバタバタと次々に部屋へ参集してきた。顔ぶれを確かめつつ、意外と多く残っている事に自分の面目が立った様で、ホッとする小心者のワシがいた。
二の丸で退去したのは、やはり美濃衆の丸毛兵庫頭のみであった。
コチラに向かって頷く山岡景佐、暗い顔をしている木村次郎左衛門、何故か憮然とする山崎片家はどちらも近江衆である。他に近江衆は利寮である、老いた箕浦次郎右衛門も居る。
次に多いのは尾張衆。最古参で上様の父君、織田信秀公の頃から仕えている鳴海助衛門。
尾張・津島神社の神職で、真っ白な総髪の祖父江五郎右衛門の両名は、若い櫛田殿と、武勇で鳴らした福田三河守の背に負われて来た。
福田三河守は、その勇猛さから上様直々に朱旄を許された三六飛将の一人だ。武勇高らかで大変頼もしいのだが、軽輩ゆえか共の者が少ないのが思案どころではある。
そして、落ち着かなく挙動不審なのが千福遠江守、前波弥五郎の二人。彼らは越前衆である。特に前波は越前太守・朝倉景孝からの薫陶を受けている武将なので、ここは半ば敵地の如きである。
もう一人、若武者で整った顔がコチラを見つめている。尾張衆ながら安土城の近くの野洲・永原城を任されている新鋭、佐久間弥六郎殿だ。
更にもう一角、徒ならぬ異形の衆が控えて居た。
弓達者の元気印な古老、大島殿と、瞑想していても凄みが隠せない剣豪・雲林院出羽守。それと、甲賀でもない伊賀でもない、ナゾの草の者・松本為足。
ワシを入れて、残ったのは15名であった。
ワシと山崎殿は領地が近いので、呼び寄せれば互いに1200近くの兵は準備出来る。だが他の者は尾張や越前に主力を残しているので、いい所、数十騎と言う所か。
となると、総勢1500辺りの兵力で安土の城を守らなければいけなくなる。敵は数万……歴然の差だ。
寡兵で万の敵を城で迎え撃つのは出来なくもない。だが、安土の城は守りに向かない。行幸の為に作られた一直線の大手口が、一番の弱点となってしまっているのだ。
その時、静謐に耐えかねたのか越前衆の一人、ギョロ目の千福遠江守が挙手をした。
「蒲生殿に提案があります」
「なんでしょう、千福殿」
「拙者、共の者を連れ、御在所山の武平峠を抜けて、伊勢の織田信雄殿に援軍の要請をしたいと思います!」
それを聞いて皆が苦虫を噛む様な顔をした。
あの『アホの三介』こと織田信雄が援軍に来るだって? 天正伊賀の乱でさんざヤラカシタあの時の事を忘れたのではないか、コイツ。
そして、全員思い至る。
嗚呼…コイツ、此処からさっさと逃げたいんだな、と。
美濃衆の様に、還って立て直すような領地があるわけでもなく、縁もゆかりも無いこの土地に留まるより、安定した伊勢の国に逃げたいのか。
隣にいた前波の「抜け駆けされた~!」という表情が如実にそれを証明している。
やる気の無いものに居て貰っても、城が抜ける恐れがある。ならば是非もない……寧ろ有り難いくらいだ。
「心得た、では千福殿に使者をお願いしよう」
ギリリ…と歯軋りしている血の気の多い福田三河守が怒鳴りだす前に、千福にはさっさと退出願おう。
「ハッ、それでは早速!」
ガバッと平伏すると、驚くべき俊敏さで部屋を辞する千福遠江守。これで守将は14人となった。
「他に、退去したい者はおるか?」
こう言われたら、逃げ出すわけにも行かない―そんな計算をしつつ一同を見渡す。一同、下らないとばかりに鼻を鳴らしたので少し落ち着いた。
「では、次に。上様が戻るまでの総大将は賀藤殿、貴方に頼みたい」
そう言って上座に視線を向ける。上座には三長老の賀藤・祖父江・鳴海が控えていたが、それぞれが無理無理と手を振る。
「ワシ等は自軍の兵を連れてきておらん」
「そうじゃ。そもそも、こうも脚萎えでは指揮など取れぬよ」
「ワシ等、上様の御伽衆として安土までまかり越した故にな」
む~……と唸るワシ。すっかり当てが外れてしまった。
「蒲生殿。お主がやりなされ」
ニヤニヤ顔の大島殿がまたぞろ余計なチャチャを入れてきた。すると山岡殿も大きく頷く。
「蒲生殿、この中で一番の大身は貴方だ。それに二の丸筆頭留守居でもある。なんら断る理由はございませぬぞ」
そこに今まで黙っていた佐久間殿まで、キリッとした顔で告げた。
「上様は、拙者に『何か遭った時は左兵衛大夫を頼れ』と言っておりました。なれば是非とも蒲生殿の下知に従います」
どうにも弱った。出来ればこのような大任、回避したかった。しかし今や流れはワシの総大将と言う事で話が決まりつつある。皆もそれで依存無しという呈で笑顔さえ出している。
もしやと思い、相変わらず暗い顔をしている木村次郎左衛門に話を振ってみた。
「いや、拙者も異存はござらぬ」
「ワシもじゃ、蒲生殿。ヘヘヘ……」
未だ訊いても居ないのに山崎殿まで同意してしまったので、今此処に安土城の総大将にこのワシが納まってしまった。正直、皆厄介な役なのでやりたくないのであろう。
……わしも本音を言えばやりたくは無い…が、『頑愚』ゆえに断ることも出来ない。
とりあえず昼餉の準備に向かうこととしよう。そういって一同に解散を「下知」した。