安土城にて①
再投稿です。
いつから、誰にも必要とされない人生だと気づいたのだろう?
いつから、それでも良いとそれを享受したのだろう?
6月1日
木胡椒をフツフツ収穫しながら、己が日焼けした禿げ上がった額をピシャリと叩いた。
齢、今年で50。家を営々と維持してきた人生だった。アクの強い親父殿と出来すぎた息子に板ばさみにされ、中継ぎに過ぎなかった感もある。
だが、上様の存在があった。
時々吹く、まだ寒い風にふと顔を上げて、柄にも無く越し方を思い返してみる。
かつて佐々木六角総領家が落ちた時、我等1千の手勢で自領の中野城で上様の軍勢2万と対峙した事があった。息子を質に下った後も上様が目をかけて下さった。
「うぬはワシと同い年か……是非も無し」
甲高い声で短くそう言った後、カラリと笑われた。あの笑顔の為に自分を捧げよう…そう思った。
佐々木家の旧殿は本当に政治感覚の無い方であった。そのくせネチッコイ。今は落ち着いているが、ついこの間まで近江中を自在に出でては入りを繰り返し、小戦を仕掛けてきた。
勝手に上様の軍勢から散りに散っておきながら、勝手なものである。
そして我が親父殿の定秀は「近江比興の者」と言われた遣り手であり、同族殺しも辞さない強引な手で、南近江を席巻して来た。時には主の佐々木家すら食い破ろうとしたくらいである。
親父殿は細川・一色・佐々木京極、そして佐々木六角と、どこか生き残っても良いように、ワシの兄弟を養子や家臣として派遣し、そのくせ勝算が無いと容赦なく切り捨てた。
お蔭でその尻拭いで何年も費やされる羽目になったのは全てワシだ。
もう過ぎた話とはいえ、かつてあった小倉家の興亡は未だに胸に棘が残ったままである。
そして息子が出来すぎると言うのも問題な話で。そう思いつつ細く糸目となった目元をグリグリと押さえた。
息子・賦秀は6歳の時、上様の質として岐阜に下った。しかし隔世遺伝と言うか何と言うか…上様から絶賛を浴びて一年を待たずに返された後、なんと上様の婿養子扱いになり、寵愛の娘と許婚になってしまったのだ。
その後も戦に在って戦神の如き働きを為し、治世に在って良き裁断を振るう。少しは親父の威厳を示させてくれても良かろうに……
家臣団はもうワシを見ていない。息子の決済を待っている。もっとも上様だけは「さすが左兵衛太夫の息子!」と言ってくれたが。
ワシのやるべき事は終わった。
家は息子に任せ、後は天下布武の覇道を、上様の道を、支えていこう。其れで良いではないか。
自分の胸内に起きた漣をそうして沈める。収まらない部分は木胡椒を収穫することで発散することにする。
全く、安土の木胡椒の葉は辛くもなくて、まこと夏の味を感じさせる。これは上様の母上・土田御前殿が好物なので、留守居役のワシが手づから採るのが恒例となっている。
上唇に生えた髭がバラついているので、帰ったら揃えようと思いつつ、鼻の下をペッと押さえた。
草むしりがてら青い草いきれの臭いを嗅いでいると、大きなお尻が突如、ミュッと顔の前に現れた。
「うわっ……安土の方様!?」
するとお尻の主が答える。
「その声の主は…左兵衛大夫賢秀様」
スックと立ち上がったその姿は、背も正しく凛々しい、まさに安土の方こと、帰蝶様であった。
この方はいつまでも年を取らない。いや、取ってはいるのだがどんどん綺麗になっていく気がする。年齢だけで言えば40をとうに過ぎているはずなのだが。
透明感のある髪が初夏の空に映えるお日様を透かして、思わず目を薄めた。
「また……虫獲りでございますか?」
姫がワシの手にする虫取り網を見つけて、そう問うた。
「ええ。奥の方々に鈴虫の奏でる音色を聞かせたかったので」
「まあ、未だ夏は始まったばかりなのに。この季節に鈴虫を見つけるのは難義ですわよ。賢秀様は気が早くてらっしゃる」
そういって少女の様に頬を赤らめて笑った安土殿に、おもわず胸がトキめいてしまった。
いかん!
いくらお子様が居ないとはいえ、安土殿は上様の正室だ。こんな不埒な思い、それだけで反逆に値する…そう思って己が心を殺す。
「…お女中衆が慌てふためきます。安土殿を逃したともなれば、上様に首を刎ねられかねません」
コレは冗談ではない。かつて上様は城の留守居を命じた女中達が息抜きをしているのを、予定より早く帰った時に見つけ、怒り心頭で首を刎ねた事がある。
戦国の世の中で、城主が留守をしていたがばかりに落ちた城というのは星の数ほどある。それだけ城の留守居役というのは気を抜いてはいけないものなのだ。
「…そうですね、私のお気に入りのお女中達の刎ねられた頸なんて見たくないですものね……」
そう言いつつ、しょげた様子の安土殿の背中を見て、憐れに思ってすかさず事後策を練る。
「後で、ワシが虫を部屋まで持って行きまする故、ご心配召されるな。安土様のお気に入りの青虫も後で捕らまえて参りまする」
「ありがとう、賢秀様! さすが、上様が常々『困ったことがあったら賢秀を頼ると良い』と言っていただけありますわ!」
そういって跳んでハシャぐ安土殿を見つつ、困った事になったと思った。上様でもない男が、ノコノコ城の奥に行って良いものなのか…しかし、姫から向こうから滲む上様の信頼を感じて嬉しくもあった。
「きっと、今頃。上様は………」
伸び伸びすさぶ青いきれの向こうに、京師がある。
「そうね、きっと天下布武の総仕上げに入ることでしょうね」
安土殿も長い髪を梳いて、同じく京を見やった。
今頃、本能寺での接待をしていることだろう。そして明日には朝廷に接見して、帝の安土への行幸を申請する事だろう。帝が安土に御幸なされれば、それこそ天下布武の総仕上げになる。その為に我等、血道を上げて前代未聞の城を、天守閣を建てた自負がある。
柴田殿に怒鳴られ、普請した頃が懐かしく感じられる。全ては総決算である。
本当に我が殿、織田信長様に仕えて来て良かった。
青虫を摘まみながらワシこと、蒲生賢秀は考える。
もう戦の世は終わりだ、孫の代には穏やかな時代を用意できる。親父殿や自分達が生きた、敵味方入り乱れた戦乱の世はもう終わるのだ。
だから。
ワシという人生を必要としない世とは必然なのだ。