知らん振り
部活前に倉庫で碧くんったら、あんなこと言うから気になって……。
『今日は、一緒に帰れる?』
『うん。大丈夫。どしたの?』
『いや、その時にでも』
なんて。
でも、練習中はそのことは頭の隅っこに追いやって、練習に集中しなければ。
いつものように高本くんとふたりきりの教室でお互い向かい合わせに机に腰かけ、椅子の上に足を乗せる。
少し行儀は悪いが、机のたくさんある教室でギターを弾くには、この状態でないと机にぶつかってしまう。
一通り練習が終わり、ホッとひと息ついたとき、高本くんは自分のオリジナル曲を歌い始めた。
話すときとは違って、少し張りのある高めの声は、甘いマスクと相まってついつい聞き惚れてしまう。
そこで、いつもと違う私がそこに現れた。
いつもは言わないようなことが頭を過ぎった。
私はギターを持って床に降り立ち、隣の机にゆっくりとギターを置く。
それから高本くんの座る机の前の椅子に座り、彼を見上げて少し恥ずかしいことを口走る。
「ねえ、私のためになにか歌ってくれる?」
言いながらも赤面しているのが自分でも解る。
でも、平常心を装って「他意はないよ」という顔で彼を見ると、「いいよ」と軽く答えてくれた。
彼の歌声をひとり占めするなんて、みんなが憧れていること。
これもコンサートで一緒に歌うための練習をしている特権だと思う。
下校時刻の10分前の合図が鳴り始めた。
もうそんな時間なのか、じゃあ歌うのはムリかな、なんて思っていると、
「どの曲にしよっかなぁ」
と、空を見つめて考えている様子。
「もう時間ないんじゃない?」
私がそう言うと、「1曲ぐらい歌えるよ」と。
そして彼は前奏を弾きだした。
私の好きな歌だ。
「あ、詩の内容とかは関係ないから」
なぜ今わざわざそんなことを言う必要があるの?
そんなこと、解りきっているのに念を押すなんて、ヘンなの。
彼の歌声にうっとりしていると、ある歌詞が私の心を揺さぶった。
♪ 帰ってゆくキミをひきとめて
そっと背中から抱きしめたい ♪
あ、この歌詞。だから、詩の内容は関係ないって言ったんだ。
この前、帰りに話をしていると、高本くんが急に言ったこと。
『もうすぐ新入生が入ってきたら可愛いだろうな』
唐突に彼が言ったこと。
『そうだね』
何の気なしに聞いて、同意したけれど。
『可愛い女子の後輩なんて、頭をヨシヨシしてあげたいよ』
『ほんとにね』
想像して思わず笑みがこぼれたのだけど。その刹那。
『自分は背中から抱きしめたい』
え……。
『自分』って。彼がいつも私のことを言うときに使う言葉。
そう言われて答えに困ったことを思い出し、ひとり鼓動の大合唱と戦っていた。
その時なにげに教室のドアの方に気配を感じて目をやると、そこには碧くんの姿があった。
一瞬目が合ったが、碧くんは通りすがりに偶然見かけたような素振りで、そのままどこかに行ってしまって、私もそのまま知らん振りをした。
またさっきとは違う意味での鼓動の運動会が始まった。
アイツ、碧くんこと田中碧斗くんはどう思ったのかな。
お読み下さりありがとうございました。




