旅の準備と見えない鞘
俺は七歳までの記憶が殆どない。覚えていることと言えば両親が殺されたことと師匠との出会いくらいだ。師匠との出会いから十年間の記憶が俺のすべてであり、自分の世界だった。しかし、師匠の提案により旅に出ることにした。あの日のことと、自分を知るために
「取り敢えず旅に必要なものはエレナスで揃えるとして、弟子の旅立ちを祝って儂からの贈り物じゃ」
旅の準備がある、と師匠に呼び出され向かった家からちょっと離れたところにある何もない平原で師匠から剣の形をした銀色のネックレスを渡された。
「師匠、これは?」
「これは儂が昔から旅をしている時に使ってたネックレスじゃ。今はしばらく魔力供給をしてないから普通のネックレスに見えるが実は異空間に剣を収納できる見えない鞘みたいなものじゃ。首に掛けて魔力を注いでみろ」
俺はネックレスを首に掛け、魔力を流した。すると、ネックレスは前後左右に震えながら銀の輝きを放ってしばらくして落ち着きを取り戻した。
「アルゲスという代物でな、昔キリシアに頼んで作ってもらったやつじゃ」
森の国アルケインの支配する魔女キリシア。師匠には昔一緒に旅をした仲間だったといわれた。一度だけ彼女に会ったことがあるが、それも師匠が弟子を取ったということを知って確認しに来た時である。
髪形は肩を軽くかぶさるくらいの長さに森の魔女と呼ばれているのとは裏腹に燃えるような赤髪、師匠とそんなに年が離れてないのにも関わらず三十代にしか見えない美貌、何より目立ったのはマントに隠れていたもののどうしても隠し切れない胸の所有者だった。そう…胸が……
「ライおぬし…キリシアの胸のことを考えておったな?」
師匠はゴミを見る目で俺を見ていた。
「い…いや別にそんなこと思ってないですよ!師匠じゃあるまいし…」
「言っておくがあれはお勧めできる女じゃないぞ。大体魔法で年をごまかしているババアだしのう…女は胸がすべてじゃないぞ?」
「本当にキリシアさんのことはなんとも思ってないですよ!そんなことよりこのアルゲスはどう使うんですか?」
俺は早く話を切り替えようと先ほど師匠から貰ったネックレスであるアルゲスの使い方について質問した。六十というのに女の話になると切りがないからなこの人…
「あぁ、そうじゃったな。ほれ、この剣を鞘に入れるという感覚でどこにでもさしてみろ」
師匠は自分の腰に掛けていた剣を俺に渡して早くやってみろという仕草をする。
「どこにでもさしてみろって……地面や空に向かって刺してもいいってことですか?」
俺はいまいち理解できずそう返す
「そういっておろう。アルゲスを身に着けていると自分の視覚に入っている場所はすべて鞘として扱える。それがアルゲスのすごいところじゃ。剣を収納しておれば何もない地面や空から剣を引き出すことができるからのう」
信じがたい話だがやってみるか
そして俺は師匠から渡された剣を地面に向かって差し込む。剣が地面とぶつかろうとしていたところに波のような波のような波長ができ、そのまま剣が吸われた。
師匠はどうだ驚いたやろ?っていう顔をしていた。
「…!?」
「どうだ?驚いたやろ?これで全部じゃないぞ。今度は今入れた剣を出してみろ。別に地面じゃなくてもいい、ここから剣を抜きたいという部分を定めそこから剣を出すと意識するだけでいいぞ」
俺は先入れた剣を想像しながら手を上げ剣を鞘から抜く想像をした途端先ほど見た波長から剣の柄が現れた。
「師匠……こんなものを貰ってもいいんですか?自分で使いこなせる気がしない上にこんな師匠にとって大事なものを…」
「構わん!儂にはもういらぬ代物だし、弟子の旅路に儂から贈れるのはそれくらいじゃ。それにすぐに使いこなせるようなものじゃない。この旅でアルゲスを自分のものにするのも剣士として更なる高みに登るため修行として考えればいいじゃろう?」
「師匠……ありがとうございます」
俺は師匠のその言葉に、自分に対する愛情に相応しい言葉が見つからずただ感謝の言葉しかいえなかった。師匠はそんな俺を見て満足したような笑みで家の方向に歩き出した。
「ライ!まだ準備は終わってないぞ!これからエレナスに行って本格的に旅支度をするぞ」
「はい!」
俺はすぐ師匠の後ろに追いつく。
エルフの里エレナス。
森の国アルケインにある唯一のエルフの里。アルケインの住民は九割が獣人族で残りの一割を人間とエルフが占めている。そのためエレナスは都市とまでは言えないが村としては大変大きな規模を誇る。大体の建物が木を利用してできており、木々に囲まれて木による自然要塞のような感じがする。エルフは基本的に自給自足であるため商売がそこまで盛んに行われてはいないが、たまに訪れる冒険者と商人がいるので店の数と種類はそこそこ揃っていた。
エルフは珍しい種族らしいがゴルティスを下りたことがない俺にとっては珍しいという感覚がなかった。ただ耳が普通の人間よりちょっと長く精霊術という彼ら得々の特殊な魔法を使える以外は人間とそう変わらない。
「お久しぶりです。カインさんそれにライも」
エレナスの西口。村の警備隊の隊長を勤めるギオンさんが声を掛けてきた。身長が高く、世間的に美形と言われている普通のエルフとは違いごつい顔と筋肉質な体からいかに警備隊ですという空気を漂わせている。修行がてら村から出される魔物狩り依頼とかで何回かあったことがある人物だ。
「よぉ久しぶりじゃなギオン!元気にしてたか?しばらく魔物狩りの依頼がなかったしおぬしが門番の時に村を訪ねてないからのう」
「ははは!最近は若い警備隊員が増えたので門番より内側で働いてることが多くなりましてな。魔物があまり現れなくなったのもいいことじゃないですか。それで今日は買い物ですか?」
「うむ。今日はライの旅に必要なものを買いに来たのじゃ」
そう言って俺の方を振り向く師匠。
ギオンさんは驚いた様子を見せたがしばらくして納得したように頷いた。
「なるほど……ライもこのゴルティス山に来て十年経ちますからね。しかし、なんのための旅ですか?」
「こやつは世界を知らなさ過ぎる。だから儂から旅を提案したのじゃ。それにこやつは自分の力に自身がなくてのう。旅はそれを確かめるのもいい機会じゃろう?」
ギオンさんの疑問にそう答える師匠。
師匠の答えを聞いたギオンは先より驚いた様子だった。
「自分の力に自身がないって……ライ、君は自分をあまりにも過小評価しているのではないか?」
「そんなことないですよ。自分はこの十年間ゴルティス山を出たことがないんです。井の中の蛙ですよ」
「はぁ……」
ギオンさんは理解できないという表情でそのまま師匠に視線をやる
「ライが外に出たら騒がしくなりますよ?」
「わかっておる!でも儂の弟子がどこまで世界を驚かせることができるか気にならないか?ワハハハ!」
「まったく…やはり貴方には敵いませんね。はははは!」
二人は二人だけに通じ合っていきなり笑い始めた。
まったくなんだよ……
「師匠、そろそろ行きましょう。長居はギオンさんの仕事の邪魔ですよ」
俺は自分が理解できない会話から抜け出すために師匠を急かした。
「そうじゃな。ギオン、旅支度が終わったら東口でライを見送ってからまた来るぞ」
「はい。ライ、体に気をつけろと君に言う必要はないだろうがあえて言うぞ。気をつけてな!それと旅の目的を達成できることを祈ってるよ」
ギオンさんからの見送りの言葉。
「ありがとうございます」
ギオンさんに礼を言った後に師匠と俺はエレナスに入る。
旅支度と言ってもそんなに時間がかかったわけじゃなかった。
一日分の食料、大陸地図とアルケインの地図、羅針盤などはすぐに揃えることができた。
一番時間を掛けたのはアルゲスに入れる剣だった。
師匠は最初に二本を入れて自在に使えるようになったら一本ずつ増やしていくように言われた。いつもは師匠から選んでもらった剣を使っていたので自分が使う剣を自分で選ぶという感覚が不思議だった。師匠はいつもどんな状況でどんな武器を使ってもその武器に合う剣術を駆使できないとだめだと言われていたので剣に対する好き嫌いがなく割と選択に悩まされた。
剣の種類は大きく大剣、小剣、太刀、刀、鈍器で分かれているが、師匠と俺にとっては握って振ることさえできれば何でも剣としての意味を持った。要するに、木の枝さえも剣として扱うことができたのだ。
そして俺が選んだのは小剣。
特に理由はなく、ただ刀身が約三十センチ短く軽い剣であるため使う場面が多いのではないかと判断した結果であった。
買い物を終えてエレナスの東口に到着した時、師匠からもう一本の刀を授かった。
「これは『 閃光のヒスイ 』という剣でな、シナンの鍛冶屋ヘパイトスが作ったものじゃ」
師匠から渡された刀、ヒスイの刃紋が薄く翡翠色に輝いていた。
「剣と剣がぶつかった時に翡翠色の閃光を放つから付けられた名前じゃ。取り敢えず今からは先ほど買った小剣とヒスイをアルゲスに入れて出す練習をするどころからじゃ。それで最初に行きたい場所は決まったのか?」
「はい。まずは武の国シナンに行って見るつもりです。昔師匠から言われたシナンの闘技大会に興味があるので参加してみようかと」
「それはいい考えじゃな。儂も昔参加したことがおったわ。確かにそこならおぬしが強いという証明になるじゃろう……(まあおぬしには簡単だと思うがのう)」
師匠が後から小さく呟いた言葉はよく聞こえなかったが気にせず師匠に伝えたいことを言った。
「師匠が旅をしていた時、参加した大会がどんなものか自分で確かめてきます。それとこの旅であの時の事件について詳しく調べようと思います。記憶にはないが自分の故郷にも興味がありますし……それに師匠が俺を拾ってくれた理由も気になりますしね」
あの時、俺はただ可哀想だったから師匠に拾われたのではないと薄々気づいていた。記憶を取り戻して親の敵を討ちたいという気持ちもあるが、その時師匠が放った殺気の正体を知りたかった。
「そうか……気づいておったのだな。確かに最初の儂はおぬしをただ可哀想なガキだから拾ったわけじゃない。しかし、この十年、おぬしと生活して息子ができた気分じゃった。今は正直、最初に拾った理由なんか関係なくあの時おぬしと出会えてよかったと思っておる」
「師匠……」
思わず涙目になってしまった。
「ライ。おぬしの親の敵はグリーム・レギオンという集団のはずじゃ。儂にもそれ以上はよくわからん。主に活動している国も、活動内容も詳しくはわかっておらん。すまんのう…」
「いいえ、充分です。これは俺が自分の力で解決する必要がありますから。いつまでも師匠に頼っていちゃ強くなるところか弱くなりますよ」
俺は師匠の情報に感謝を示して自分を気持ちを正したその時、アルケインの首都モルデンに行く荷馬車の群れが俺の前に止まった。
「師匠、それでは行ってきます」
「あぁ…ライ、おぬし名がここ、エレナスでまた聞けるようになったら儂から成長したおぬしを会いに行くかのう」
「ははは!それは楽しみですね。早く師匠とまた会えるように頑張ります」
俺は師匠にその言葉を残して出発寸前の馬車に乗り込んだ。
師匠は似合わない仕草で手を振っていた。俺は手を振り返す。
こうして俺の旅が始まったのである。