プロローグ
俺の最初の記憶、それは血の海になっていた床と大量の血の原因と見られる死体が転がっていた。そしてその時自分を見下ろしていた男、大きくも小さくもない伸張だが肩に程よく筋肉がついているせいか体格が大きく見える。黒いフードに顔の半分以上を隠していたがその碧眼から伝わる強い殺気は血の臭いによって理性を保ちそうになかった自分を恐怖というただ一つの感情によって支配した。
「儂が怖いのか?」
男はゆっくり、しかし威圧感のある口調で言った
声を発することもできなかった。
体全体が魘されているかのように固まりうなずくことすらできなかった。ただただ恐怖によって歪んだ顔で男を見ること以外自分の感情を訴える手段はなかった。
「あぁ…すまんな、この惨状のせいで思わず殺気を放っていたな」
血に染まって黒くなっていく床を見渡しながら男は優しくつぶやいた後にフードを脱いで顔を出した。
逆立った真っ白な白髪と髭、五十代の中年からよく見かけるしわ寄せと刃のように鋭い目つき、そして何より目立ったのは左目の下でエメラルド色で光る風を表しているような紋様だった。
「そう怖がることはない。儂はおぬしを殺す気はないからのう。だからそう怯えるな」
男は優しい笑顔で俺の緊張を解こうとしていた。
その言葉でやっと回りがはっきり見え始めた。
自分が今手に持っている血に染まった刀と酷く切り刻まれて転がっている七体の死体、五体はずたずたになったフードを被っていたので正体がはっきりしない。
二体は父と母だった。父は体中に五本の刀が刺されたまま床に横倒れになっている。母は下半身が裸の状態で一本のナイフが首を貫いている。そしてそれが頭で理解できた瞬間体が震え始め気が狂いそうになったその刹那に
「小僧、いい目をしているな。ここで死なせるには惜しい才能があるように見えるが…どうだ?儂と一緒に来ないか?親の敵を討たせてやると約束はできないが、望むならそのための力を持てるチャンスをやろう」
男は笑っているものの真面目な口調でそう提案した。
その提案を聞いた瞬間我に返った。この男は只者ではない、これを拒む理由はない、脳が加速し瞬時に状況と男が差し出している提案を理解した。そして…
「…………いく」
俺の言葉に満足した表情で男は
「親を亡くした悲しみによって吹き飛びそうな理性を脳が儂の言葉を理解させ抑えたのか…面白いのう」
男は独り言のようにそう呟いた
「儂の名はカイン。通りすがりの剣士じゃ。小僧、名前は?」
「ライ……ライ・ゼナス」
こうしてその男、今は俺の師匠であるカインとの生活が始まった。
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大陸は七人の権力者たちにより七つの巨大国家たちにより均衡を保っている。
東は『 雷帝 ゲオルグ 』により立ち上げられた国「サンダーコスト」
南は『 森の魔女 キリシア 』の支配を受けている森の国「アルケイン」
西は『 拳王 ルー・カリオス 』が長として君臨する武の国「シナン」
北は『 氷姫 カーミラ 』の加護で守られている雪の国「セレーザス」
大陸の中央、『 貪欲のボレアス 』の国「商業都市 マイア・メイザス」
『 科学者 ロームルス 』の発明によって空中に滞在する浮遊国家
「科学都市 ルーク・メガリアス」
そして、地下の国「メトロポリタン」をすべる『 モグラのバーケン 』
俺が今師匠と暮らしているのは森の国アルケインの辺境にあるゴルディスという山の中腹にあるエルフの里エレナスから少し離れたところである。森と険しい山脈によって囲まれているアルケインの山の中ではゴルディス山は標高二千メートルのそれほど高い山ではなかったが師匠に拾われた当時七歳だった俺には山の中腹まで登るのに三日が掛かった。そして七歳という年を取っただけの、あの事件のこと意外は何も覚えていない赤子当然の自分に師匠は多くのことを教えてくれた。剣術や簡単な魔術、この世界のことや生きるための知識など、何の縁もなかった俺を拾って十年間育ててくれた。師匠は俺にとって実の親以上の存在だった。
「ここに来てもう十年になるのか…」
俺はいつもの朝練をこなしながらふっとここにきた時のことを思い返した。
あの日から十年が経っていた。あの時のことを思い返そうとすると頭痛がするのだがはっきり覚えている部分は当時師匠が放っていた殺気と俺に掛けてくれた言葉くらいだった。あの時のことを思い出すだけで体が震える。
そんな昔のことを思い返している内に後ろから師匠が声を掛けてきた。
「闘気が乱れておるぞ。考え事か?」
「師匠…すみません。十年前のことを考えてました…あの時のことを思い出すと無力感に陥ってしまうんです……」
俺は両手で持っていた剣を降ろして師匠の方を振り向いた。
「十年か…儂ももう六十の爺になったということじゃな!ワハハハ!」
いきなり大声で笑い出す師匠を見てちょっと腹が立って反論する
「あの師匠?普通こういう時は弟子のメンタルケアをしたり、集中のために新しい技を伝授するのが師匠としての役目じゃないですか!?」
「ん?なんだ、ライ…おぬしもしや儂に構って欲しかったのか?ワハハハ!」
「いや、それは絶対ないです」
「それは残念だったのう…」
師匠はちょっと落ち込んだ様子で肩を落とす仕草を見せるが、すぐに真面目な口調で俺に言ってきた。
「でもライよ。おぬしはもう精神的にも剣の実力的にも充分強いぞ?儂の教えをおぬしはこの十年間文句の一言も言わずにやり遂げた。それに、五年前の時点で剣に関しては教えるものはもうない、後は完全に自分のものにするだけと言ったはずだぞ。それを今まで自分のものにするために努力し続けたのだろう?今は完全に自分のものにできていると思うぞ?」
「でも師匠、僕は自分の強さに自身がないです…」
「なるほど、確かおぬしは今までこのゴルティスの外に行ったことがなかったな。ちょうどいい、どうだ、この際に外に出て自分を試してみないか?」
「どういうことですか?」
俺は師匠のその提案をいまいち理解できず、師匠に説明を求めた。
「旅をしてみるのはどうだということじゃ。それも一人でな。儂もおぬしみたいに自分の力を疑ってたころがおった、その時儂も師匠に言われ世界中を回る旅を始めたぞ。いろんなものを見て感じて学んだ。こう見えて知り合いも結構できたし自分に自身を持てるようになった。ライ、おぬしと知り合ったのも儂の最後の旅路の途中だったしのう。それにおぬしも恋愛というものをしてみたくはないか?こんなところでこんな爺と一緒じゃいつまでできないぞ!ワハハハ!」
師匠はいつも最後の無駄な一言でかっこいい台詞を台無しにしてしまう。でもそうか……師匠も旅で世界を知ったのか…
「わかりました。僕も自分で見て、感じて自分の力を見定めます」
「そう言うと思ったぞ!じゃ早速旅の準備をするぞ!」
「はい!」
剣神として世界に名を轟かせた男、ライ・ゼナスの旅が始まろうとしていた。