杉野少年と松島くん
※ 杉野くん視点です。
その日は土曜日で模試があったので、予備校は休みだった。家では兄弟がうるさいので、普段は家から一駅かかるが、できるだけ予備校の自習室で勉強をしている(教え合いと言う名目で気になる女子と接点を作るとかそういう不埒な理由ではない…決して。)オレは、模試帰りの足で今日はどうしようかと考えた。
ただ、今日は自習室も静かなものだろうし、予備校近くの図書館に足を延ばすことにした。いや、自習室が静かなのは喜ばしいことなのだが。同じ静かさでも、休日だし、近所で足を運びそうな図書館でもしかしてのハプニングをと、心のどこかで期待していたのかもしれない。最近よく話すようになった女子と会えるかも…なんて。
しかし、オレが淡く期待していたハプニングは起こることはなかった。代わりといっては虚しすぎる、奴とのエンカウントが発生したのだった。
図書館の自習机に座って、取り組んでいた過去問題集からオレは目を上げた。かなり集中して取り組んだようで、固まった首を回すとゴキッと音がした。よし、今日のノルマの残りはチビたちが寝静まったら家でできるだろう。閉館時間も間近なので、少しずれた眼鏡をかけ直して、荷物をまとめ始める。
図書館のロビーで自販機からコーヒーを買い、外へ出たところで見知った顔を見つけてしまう。
艶々とした黒髪に、目鼻立ちの整った顔。黒目がちな目が、特に目を惹く。ああいうのを美しいっていうんだろうな、と美醜にうるさくないオレでも思う。間違いなく、道ですれ違ったら振り返るような美少女だ。……惜しむらくは、少年な点だけど。
そんな美少年とつい最近会話をしたわけだが、その時はオレに対してこれでもかと嫌悪感を全面に押し出していたその顔に、今は穏やかな微笑みを浮かべている。
「松島くん……今日は勉強教えてくれてありがとう」
彼の視線の先には、同年代の女の子がいた。サイドの髪を編み込んでハーフアップにしている、清楚そうな女子だ。服装も、コートの下からレース生地のスカートが覗いている。年齢よりも大人っぽいパンプスを履いていて、勉強に来たにしてはいい具合に気合の入りようである。
「ぼくも期末の見直しになったから良かったよ」
「私も……。今回テストが悪すぎて、親に塾でも行ったらって言われてて…。でも、今日教えてもらったところを中心に見直しできそう。本当にありがとう!」
「ううん、いつもお弁当を作ってくれてるから。お安い御用だよ」
「そんな、お弁当なんて!……自分の分を、作るついでだから」
「でも、ぼくの分まで用意してくれる手間があるよね…。朝、大変じゃない?」
「ううん!松島くんはいつもきれいに食べてくれるから嬉しい……。あの、良かったらこれからも松島くんに食べてもらいたいんだけど…。」
「そんな、悪いよ。オレ、何もお礼できないし…。」
「ううん、いいの。えっと…また勉強教えてもらえるかな?私、その、松島くんと一緒にいる時間が…」
清楚系女子は顔を真っ赤にさせながら、「好き、だから」と小さく呟く。美少年はその言葉に驚いたように目を見開いて、そして優し気に微笑んだ。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。ありがとう。それじゃ、またお願いしてもいいかな」
「! う、うん!もちろん!」
自身の渾身を込めた言葉をさらりと受け流されても、拒否されなかったことに安心したようで、女子は顔を真っ赤にさせながら「それじゃ、また学校で!」と軽やかに去って行った。
ああ、青春だなあ。オレもあれくらいの歳のときには………………。
「ねえ、何してるの?そこの不審者。」
青春回顧を始めたオレに、冷たい声音が投げつけられる。それはもう、グサッと。確かにオレは今、柱の影に隠れるようにして缶コーヒーをちびちび飲みながら、聞き耳を立てていた。不審者と言われても仕方あるまい。というか気づいていたんですね、さすが美少年。
オレは柱の影からそっと出たが、目に映るのは先ほどの微笑をたたえた美少年はどこへやら、嫌そうに顔を歪めた弟くんだ。
「弟くん……。」
「弟じゃない」
「何?今のだれ?」
「あんたには関係ない」
当然のように吐き捨てられる。まあ、そうかもしれない。ただ、少しは会話をした仲なわけだし、俺の気になってる女子の弟(仮)なわけだし、ちょっと面倒くさいこの美少年にオレは若干の興味をもち始めていた。いつもは大人しいオレの野次馬根性がやや騒ぎ始めたのである。
「いや、弟くんのこと。何あれ?キャラ違い過ぎない?オレと話してるときと全然違うじゃん」
「なんで不審者覗き野郎のあんたに愛想振りまかなきゃいけないんだよ」
ああ、なるほど。愛想を振りまいているわけね。こっちの嫌そうな顔している方が素なんだろうけど、疲れそうな愛想の振り方だなあ。
「いや今たまたま通りかかってさ…弟くんいるな、元気かな?と思って。話しかけるタイミングはかってたんだけどな~」
「弟じゃない。俺はあんたと話すことはない。」
「つれないな。まさここんなところで会うとはさ~」
「俺は気づいてたけど。あんたずっと勉強してただろ。わざわざこんなところまで来て、すみれさんに会えるとでも思った?残念だね、すみれさんはじっとしてるのが苦手だから図書館なんて来ないよ。図書館の場所も知らないんじゃない?」
そういえばあの女子と勉強してたって会話してたから、オレが気づかないだけで二人とも同じ館内にいたみたいだ。あ~よく集中してたんだな~。いやあ、「勉強のために」図書館に来てよかった。
「ま、まあ、いいけど。弟くん、あの子に」
「弟じゃない」
「どう見ても好かれてるね」
「だから?」
「だから?って………まぁ、あの態度ならいくらなんでもわかるか。」
「俺のまわりの女子はみんなああだけど」
「……これだからイケメンは……。あの子は?彼女なの?」
「ちがう」
「え~………彼女でもないのにお弁当作ってもらってるわけ」
オレの言葉に、弟くんは不快だという表情を顔に浮かべる。おお、表情の変化がなんてわかりやすいんだ。オレもこの歳の頃はそうだったのか?
「さっきも言ったけど、あんたに関係ない」
「………じゃあ、鈴木さんに聞いてもいい?」
鈴木さんの名前を出すと、そのきれいな目をギッ!と鋭くしてオレを睨んでくる。
「なんでそこですみれさんが………!」
「いや、だって。夕飯作ってくれるくらいお世話になってるんでしょ。お昼のことだって心配してくれてるんじゃないの?」
それを聞くと、弟くんはぐっと言葉に詰まった。ああ、これは後ろめたいと自分でも思っているわけだ。良くないなあ。他人事ながらこんなすぐバレるようなことをしてて大丈夫かと心配になる。彼女はきっと、どうにかしようとするだろう。
「……すみれさんには、お昼は給食だって言ってある。」
「ええ?それ、嘘じゃん」
「だから、すみれさんには絶対言うなよ」
弟くんは、自分より背が高いオレを見上げて、今まで見せたことのない焦りを滲ませて言う。
「何でまたそんな嘘を……」
鈴木さんに言わない、とすぐに約束しないオレに、弟くんは俯いて拳を握って苛立ちを募らせている。オレにというより、今は自分にだろう。
「給食じゃなかったら、迷惑がかかる……」
「まぁ、あの勢いならきっとお弁当も作ってくれるだろうからね」
「それじゃ、だめだ。俺が自分でなんとかしないと……」
「それで女子にお弁当作らせてるわけ?」
「だって俺にはそれができるから」
「いや…………なんだそれ…これだからイケメンは…………う~ん、自分でお弁当作れば」
多分、自分でもそれは最初に思いついたはずだ。弟くんは、静かに首を横に振った。
「俺、自分でわりと何でもできる方だと思うけど…料理だけはほんとにできないんだよね」
「良かった。天は二物を与えず!」
思わず感嘆の声を上げてしまうが、いや、待て。この子「わりと何でもできる」って言ったぞ。そういえばこの間も学年トップだとか何とか。今も勉強教えて感謝されてるし。顔も良くて要領もいいなんて、それだけで嫉妬の闇が蓋を押し開けそうだ。…料理だけできない、それくらい欠点があってもいいじゃないか。欠点といえるかは微妙なところだが。
本当の姉弟じゃないのに鈴木さんが夕飯を作っているあたり、弟くんのご両親の忙しさは察することができる。実家暮らしで料理なんて母親任せなオレには何とも言えないところだ。
「そうか……まぁどうしても出来ないものってのはあるよな……」
小学生の頃、なわとびでハヤブサの技が一度たりともできなくて悔しい思いをしたことを思い出しながら、オレは弟くんのフォローに回ることにした。料理もなわとびも、似たようなものだろう。
「わかった。鈴木さんには今日のこと黙っておくよ。」
「! いいのか?」
弟くんが、パッと顔を上げる。さっきまでの苛立ちが嘘のように、ホッとした顔をしている。こんな顔もできるのか。先ほどの女子の前での、演技全開愛想モードの微笑と比べると、年相応で、親しみさえもたせる表情だ。なんだかんだ失礼な態度も「まあいいか」で許せそうになってしまう、これがイケメンパワーか。
「ただ、自分の都合で女の子を泣かせるなよ。」
「わかった。うまくやる。」
この場では殊勝に頷く弟くんだが、これ本当にわかっているんだろうか…。ちょっとでも対応を間違えると、恋する女子ってのは発狂するんだぞ。お兄さんからの忠告だ。
ただ、先ほどの発言から似たような態度の女子が複数いることはわかった。彼女たちが牽制し合っている間はうまくやれる…………のかもしれない。知らんけど。
「んで弟くん。黙っておく代わりにさ」
オレは交渉に入ることにした。