クリスマス②
我が家の玄関に、数年ぶりに勇斗くんが現れた。
「あらあら、まあまあ。しばらく見ない間にほんとに大きくなって~!」
「お久しぶりです。今日はご家族の団欒の時間にお邪魔させていただいて、すみません。」
天使の出現にテンションが上がった母にも、礼儀正しく答える勇斗くん。
「いいのようちも家族三人しかいないんだから~!勇斗くんがいると華が増えていいわ!」
「お邪魔します。今日はよろしくお願いします。」
にっこり笑う勇斗くんは、母の言うとおりその場に華を咲かせたようだ。
「すみません。ぼく、こんな物しか用意できなかったんですけど…。」
「あら!気にしなくていいのに!気を遣わせて悪かったわねえ。」
勇斗くんは手にした包みを母に渡す。商店街にある洋菓子店の包み。クリスマスラッピングされたお菓子の詰め合わせのようだ。
母も勇斗くんの家庭事情はよくわかっているので、申し訳なさそうに包みを受け取った。「あら~お菓子かしら~後でみんなで頂きましょう」と言いながら、勇斗くんを手招きしてと室内へ促す。
スリッパを履いて進む勇斗くんに、私は小さい声で話しかけた。
「勇斗くんて敬語使えたんだね…。なに今の?びっくりだよ。」
「すみれさんも俺のこと言えない程度には失礼だよね。」
「だって、杉野くんにはさ~」
「俺は必要ない人にはしないだけだけど?」
「杉野くんには必要なくて、うちの親には必要あるわけ?」
「そう。外堀からうめるのは大事かなって。」
「何それ、なぞなぞ?」
「うん、そう。はい、考えてすみれさん。」
勇斗くんの黒目がちな目が意地悪そうに笑む。ああ、私から答えが出ないのをわかっていて楽しんでいる。何だか今日はご機嫌だなあ。
「う~ん、杉野くんだって年上なのにな~」
私の呟きに、勇斗くんは ふっ、と鼻で笑う。どうやら年上というだけでは、勇斗くんからの敬語は賜れないようだ。
…そういえば私にも敬語なんて使わないし。まぁそこは姉に敬語使われても嫌だから、いいけど!
結局よくわからないまま二人でリビングに入ると、父がテーブルに皿を出しているところだった。
「おお勇斗くん、よく来たね。」
「はい。今日はお招きありがとうございます。」
つい数秒前まで私と話しているときとの態度の違いに、思わず舌を巻く。周りの空気までしゃっきりして、まるで勇斗くんを輝かせるためにキラキラしているかのようだ。
「ぼくも手伝います。」
「ああ、勇斗くんはお客さんなんだから座っていなさい。」
「すみれ、あなたは手伝いなさいよー。」
勇斗くんに椅子を勧める父を横目で見ながら、私を呼ぶ母に「はあい。」と返事をしてカウンターキッチンへと入っていく。
着席した勇斗くんは、何が出てくるんだろう?という期待の眼差しでこちらを見上げている。正直、毎日夕飯を作ってあげているけれど、こんな眼差し見たことがない。
うん、だんだんわかってきたぞ。うちの父母の前では猫を被るつもりですね。
こうして、勇斗くんを招いた我が家のクリスマス会が始まった。
見事に猫を被り続けた勇斗くんは、私の両親からの評価は鰻登りだ。
「勇斗くん、君は本当によく出来た中学生だな!!すみれと代わってうちの子にならないか!」
酒に弱い父は、ビールを何杯か空けたところで勇斗くんにとんでもないことを言い出す始末。
さっきの紳士的な面の皮は2杯目から脱ぎ去っていた。
「あらあ~お父さん、そんなこと言ったらすみれが可哀想よ~。」
「冗談だ!はっはっは!!」
非道い冗談すぎる。
そんな父の言葉にも、勇斗くんは目を少し伏せて躊躇いがちに言う。
「でも、ぼくも鈴木さんの家族だったらなって思います。」
伏せた長い睫が震えて、鈴木一家の胸をキュンとさせてくる。なんだこの美少年テクニック。
「あら、勇斗くん嬉しいこと言ってくれるわねえ。本当にうちの子になる?」
「勇斗くんがすみれの弟か!どっちが年上かわからないな!!はっはっは!!」
「お父さん、私と勇斗くんがいくつ離れてると思ってるの!?」
私の女子力ならぬ姉力は、そんなに低いのでしょうか?
「いえ、弟としてでなくて。」
勇斗くんがにっこりして言う言葉に、両親は全く違う反応を見せた。
「じゃあ兄か!すみれ、勇斗くんに負けてるぞ!もっと精進しろ!はっはっは!」
「あらあらあら~。そういえば勇斗くん、小さい頃はずっとスミ姉ちゃんと結婚したい~なんて後ろをくっついていたものねえぇ。すみれ、嬉しいわねぇ。」
「お母さん、そんな昔の話!」
勇斗くんが恥ずかしがっちゃう!と思って隣に座る勇斗をチラッと見やるが、「事実だし。」と平気な顔で呟く勇斗くん。
た、たしかにそうだったけど。今の流れだと私と、その…今も結婚したいって聞こえちゃうよ?
そんな私のどぎまぎに気付いているのか、勇斗くんは玄関先で見せたような意地の悪い笑みをこっそり見せてくる。あ、遊ばれている…。私の方が年上なのに。
そうそう、昔はねえ、なんてそこから母の思い出話が始まった。恥ずかしい昔の話が出たり、そんなこともあったな~という出来事を思い出したりして、幼い頃の記憶が呼び起こされていく。
小さい頃から始まった思い出話は、私が高校に上がった頃で、トーンダウンした。
見ると、母は泣いている。
「ある日帰って来たら…、す、すみれが、いないんだもの…。」
ぐすっ、と鼻をすする音がして、母の言葉が詰まった。
「どこ探しても、い、いなくて。勇斗くんも目の前でスミ姉ちゃんが消えた、って錯、乱し、てるしねえ。毎日、毎日探し回って、それ、でも姿がなくって、お母さんそのときどうしたらいいか、わか、わかんなかったのよお、」
酔ってぐでんぐでんになった父が、「おいおい、泣くなー!こうして戻って来たんだからなー!」とヤジを飛ばしている。母もいつの間にか結構なペースで飲んでいたようだ。お酒が回っているのだろう。
勇斗くんは席を立つと、台所からお水を持ってきた。
「はい、飲んでください。今日はちょっと飲み過ぎちゃいましたね。」
「う、うっ、勇斗くんありがとうねええ、本当にあなたは優しいわあ。うちの子にはもったいないわああ。」
「勇斗くん!ちみはえらいっ!鈴木家の息子になりなさいっ!」
酔っ払い二人に絡まれても、嫌な顔一つ見せないで、「はい。」と嬉しそうな笑顔を見せる勇斗くん。ううむ、この猫被りは最早プロフェッショナル。
「もういいよ、勇斗くん。酔っ払いはほっとこう。」
「え…大丈夫かな?」
「うん、多分。そろそろ時間だし。」
「! 本当だ!俺としたことが…。」
時計を見て、勇斗くんはびっくりした。そうなのだ、いつもは夕飯作りに行っても、勉強計画の時間をきっちり守って部屋を追い出されるのに、今日は時間が少しずつ過ぎても勇斗くんからは何も言わなかった。珍しい。…私、敢えて黙ってたんだけど、うん、これから時間取り戻せるようにノルマを頑張ればいいのだ。
でも、勇斗くんからしたら時間を忘れるくらい楽しんでくれてたということだろうか。そうだとしたら、すごく嬉しい。
泣いている母は酔っ払い父に任せて、私は勇斗くんに帰り支度をすすめた。
玄関でしゃがんで靴を履く勇斗くんの背中に、私は問いかける。
「勇斗くん、今日楽しかった?」
「うん、まあね。すみれさんは、この後も気抜かないでしっかりやってよ?」
「もちろん!」
私は元気よく頷いてから、勇斗くんに先日買ったプレゼントの包みを差し出した。
「勇斗くん、これ。思ったんだけど、手袋で本当に良かったの?」
「何で?嬉しいよ。あったかそうじゃん。」
「マフラーの方が良かったかな~って、買ってから思ったんだけど。」
勇斗くんは、片眉を上げて私を見上げた。
「マフラーはあったかいのがあるからいい」
「え?持ってるのにつけてないの?」
「ん~あるにはあるけど。つけてたら貸してもらえなくなっちゃうじゃん。」
「え?貸して…って…」
誰に?という言葉が口から滑り出す前に、いつも寒そうに立つ勇斗くんに、ぐるぐるマフラーを巻き付けている私が脳裏に浮かぶ。
言葉を飲み込んだ私を見て、面白そうに笑う勇斗くん。
「いい匂いだよね、すみれさんって。」
勇斗くんの笑顔に、顔が一瞬で熱くなるのを感じる。
手袋の包みをぐいっと勇斗くんの胸に押し付けて、私は頬を隠すようにに手で押さえた。やっぱり、熱い。これはかなり赤くなっているんじゃないだろうか。弟のような勇斗くんの言葉に赤くなるなんて、気づかれたよね。恥ずかしい。
それにしても人から物を借りて済まそうなんて、横着なの?それとも私の物だから借りたいってこと?
「や、やだな勇斗くん!年上をからかうの、やめよう!」
「からかってないけど。」
「……っ、じゃあハズカシイこと言うのやめよう!」
「本心だよ。」
「えぇぇ…、」
冗談だよ、で済ませてくれればホッとするのに。譲らない彼に、どうしていいかわからなくて、視線を彷徨わせてしまう。
「手袋ありがとう、すみれさん。」
「う、うん。勇斗くんて…思ってたけど、意地悪になったね?」
「そう?」
「うん…。昔はスミ姉ちゃんスミ姉ちゃんって懐いてたのに…。今はもう私のこと姉だと思ってないでしょ!」
「うん。」
「うわあ…。」
即答されると、ストレートに傷つく。そうか、だから最近の態度はこうなのね…。反抗期だからですか?
がっくり肩を落とす私に、勇斗くんは肩をすくめた。
「まあ、今はすみれさんにプレッシャー与えたくないから、この話はまた今度ね。」
「いや、もう十分プレッシャーっていうか傷ついたんだけど…。」
「そんなことで傷つかないでよ。」
「なにそれ。言った本人に言われてもなぁ。」
「じゃあ、『姉とは思ってないけど大事な人』だよ。……これでいい?」
「うわあ、投げやり!」
「本心だって。」
勇斗くんの微笑んで細められた瞳が煌いている。なんだかなあ、そんな楽しそうな顔されると、姉ではないと言われても、許せてしまうよ。
「すみれさんには勉強にちゃんと集中してもらわなきゃいけないから。」
だから頑張ってよ、と勇斗くんは私を見上げる。
頷く私に、勇斗くんはポケットから封筒を出して手渡した。
「? なにこれ?」
「プレゼントの交換。」
「見ていい?」
勇斗くんが頷いたので、白い封筒を開けると、三つ折りにされた紙が出てきた。
3つ『何でも助ける券』と、丁寧な字で書いてある。
「ゆ、勇斗くん…!肩叩き券採用してくれたの…!」
「枠だけね。本当はこんな小学生みたいなことしたくなかったんだけど。…俺、まだ何も自分で用意できないからさ、出世するまで待ってて。」
「うんうん!あ、いやいやいいんだよ!勇斗くんに私は何も望まないよ!」
「…言いたいことはわかるけど、その言い方は傷つく。」
「!!ご、ごめん!望まないっていうか…何もいらないっていうか…!」
「期待くらいは、して。」
「うん、するよ、してるよ!」
こんな風に、勇斗くんが私のために何かしてくれたということが嬉しい。普段、感謝の言葉はあまり言わない勇斗くんだけど、何とも思っていなかったらプレゼントなんて考えないものね。
私は、券を握りしめて、心からのお礼を勇斗くんに伝えた。
「勇斗くん、ありがとう。大事にするね。」
「いや、使ってよね?」
「でも、これどんなときに使ったらいい?」
「それはすみれさんが考えて。」
「う~ん、使いどころが難しそうだな…。あっ!そうだ、」
「普段やってることに使わないでよ。茶碗洗いとか。勉強教えるとか。」
「!!!」
しばらくは、大事に取っておくしかなさそうだ。