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帰還

「スミねえちゃん」


 小さな男の子が窓から身を乗り出して手を振っている。危ないよ、と自分の腕をそちらへ伸ばしながら、さて今日はこの子のためにお菓子を用意してあったかなと思う。

 男の子のわきの下に手を入れると、羽のように軽い身体がふわっと持ち上がった。そのまま自分の部屋の窓へと引き入れる。浮遊の魔法でも使っているのかしら。現実じゃこんなに簡単にいかなそう。

 とんっと隣のアパートの古びた窓から、住宅間の隙間を超えてこちらの部屋に着地した男の子は、艶やかな黒髪を揺らして微笑んだ。白い肌に桜色に染まった頬が、まるで絵画から抜け出した天使のようだ。今にも上から光が降ってきそうな笑顔。ああ、天使。


「スミねえちゃん」


 男の子が抱き着いて、親しみをこめて呼んでくれる。そうだ、最近呼ばれていない自分の名前だ。その懐かしさに胸の奥がぎゅっと痛い。

 男の子が愛らしい瞳で見上げてくる。ああ、この後なんて言うのか自分は知っている。痛みのある胸の奥が少しだけ和らいだ。男の子は、言おうかな、どうしようかな、とはにかんだ笑顔でもじもじしている。いいよ、お姉さんはくすぐったい気持ちでその言葉を待とう。


「大きくなったら、けっこんしてね!」


 その幼い決意が、彼の人生においてどれほどの支えになったのだろうか。わからない。その幼い言葉が、口に出されなくなってどれくらいであろうか。思い出せない。ほんのひと匙でも、彼の幸せな記憶として残っていてほしいと思う。

 部屋の内装が、どろりと融けた。中から黒いものが噴き出して、視界を塗りつぶしていく。タンスも、ベッドも、天使の笑顔も。







 瞼に光を感じて、ゆっくりと目を開けた。そこは清潔な物に囲まれた部屋なんかではなくて、使い古された調理器具や丸められた服が雑多に置かれている馬車の中だった。

 瞼に感じた光は、外から馬車の幌を腕で押し上げた青年のせい。落ちる前の夕陽が馬車の中も染め上げている。青年は、夕飯の支度だろうか、鍋や木をくり抜いただけのお椀をもつと、ついでという感じでこちらをチラと見た。


「目が覚めたか」


 うん、と小さく肯定して起き上がる。痛んだ身体が悲鳴をあげた。そういえばめちゃくちゃに打ち付けられたんだっけ。

 なんだか懐かしい夢を見た。ぼんやりとしか思い出せない夢を反芻しようとすると、頬に伝う生温かさを感じる。手をやると、涙が指先を濡らした。

 青年はそれに気づいただろうけど特に何も言わない。飯だ、と言葉を残し魔法使いの代名詞であるローブを翻して、さっさと行ってしまう。

 冷たいだとか労いの言葉ひとつくらい何かあるだろとか、今更すぎて何も浮かばない。

 彼に何かしら人を思いやれる気持ちがあったのなら、毎日手をつないでせっせと一緒に世界を救った私と、すてきな恋が生まれたはずだ。多分。


 馬車から降りると、まるで遮断されていた空気が踊りだしたかのようだった。賑やかな声があふれていて、誰もが夕食の準備に明るい顔で動き回っていた。そこかしこで、宴だ祭りだお祝いだ、と嬉しい悲鳴が聞こえてくる。


 ――――この国に巣食っていた魔物の女王を倒したんだ。

 自分の身体を見下ろすと、ついた血は拭き取られていたし、擦り剥いたり切られたりした箇所は恐らく治癒魔法だろう、すっかりきれいになっていて。ただ、分厚いローブは魔物と戦ったとき着ていたもののままだった。防御がこめられた魔石が、胸元や袖ぐりで魔力の輝きをきらめかせていた。いくつかは戦いで使命を全うして砕け散ったので、ファッション的な意味ではバランスの悪い配置だ。

 二夜に及ぶ戦いは、今朝がた決着がついたはずだった。私が力尽きてから、数時間というところだろうか。


「スズちゃんー!!!」


 どふっと横からタックルを受けて、私はよろけた。見ると茶色のふわふわした頭が私の脇腹にぐりぐりぐりぐり押し付けられている。


「目が覚めたんだね!良かったよう!良かったよう!!あの無表情野郎がスズちゃんの目が覚めてたって言うくせに連れても来ないからボクが来たよ!あれだけスズちゃんのお世話になっておきながらどーせお礼も心配も何も言わなかったんでしょ!?ひどいよね!薄情だよね!でもそれがアイツだから!スズちゃんは気にしないで!少佐が今から簡易だけど宴会をやるって言うからみんなで準備をしてるんだよ!これだけ軍が生き残って討伐が完了したのは有史始まって以来だってウキウキしてるよ!一緒に行こう!!」


 一気にまくし立てると、ふわふわ頭をバッと上げて、潤んだ目を今度は「あわわ…」と震わせている。


「ごめん!ボクこそ心配もしないで!大丈夫!?どこか痛いとこない?歩ける?抱っこしようか?」


 抱き着いてそのまま横抱きされそうな勢いに、思わず後ずさってしまう。細身で私より低い身長だが、魔力強化された格闘士な彼には、軽々と持ち上げられてしまうだろう。お姫様抱っこで登場は、恥ずかしすぎてつらい。


「だ、大丈夫!この通り元気になったよ!心配かけてごめんなさい」

「ごめんだなんて!スズちゃんのおかげでみんなの魔力が二晩も続いたんだよ。本当になんてお礼を言っていいかわからないくらい。本当にありがとう……っと、これはボクだけが言いたいことじゃないから、それはまた宴会のときに改めて!さ、みんな待ってるよ。行こう!」


 彼の鍛えられた硬い手のひらが私の手をつかんで、引いていく。ぼんやりとした頭が、先ほどの夢を反芻させながら違和感を訴えてくる。なんだろう。私は、魔物を倒す旅に出て。私自身にはなんの力もなかったけれど、魔力の伝導率が高いおかげで、みんなの戦いで役に立つことができて。私と手を繋ぐと、その人の放出する力が何十倍にも増幅したから。だから、優秀な魔法使いの、あの無表情な青年とも毎日手をつないで魔物を殲滅してきた…。

 

「スズ」


 ハッとして顔を上げると、青年がお椀をこちらへ掲げていた。中には非常食にとっておいた燻製肉や、日持ちのする野菜がここぞとばかりにごろりと入っている。


「なんだよー。スズちゃんはボクが連れてきたんだぞ!だんまりチキン野郎はいつもみたいにあっち行っててくれない?」

「必要がないから口を開かないだけだ。」

「へーえ。じゃあ今は必要があるってわけ?スズちゃんに何の用だっていうの?どーしても話したいならボクを通してくれないと困りますよー!」

「……礼を、言いたい」

「あーあー聞こえなーい。はいはーい、スズちゃんもうすぐ宴の準備ができるからね~。あっちに行きましょー。」


 取りつく島もない。

 私は青年が差し出したお椀を受け取って、ありがとう、と言おうとした。


 スズ。

 スズちゃん。

 スズキ。


 この世界に来て、名乗った名前がそれだった。いつものように登校しようと、家の門を出たところだった。世界が融けた。そして現れたのは魔方陣。その上に私。ローブを着た人たちに囲まれて。

 名を問われて、鈴木、と思わず苗字を言ってしまったが、頑なに下の名前は隠したあの時…。本名を名乗って何かされるのが恐怖だったのだ。そろそろ自分の名前が恋しくなってくるというものだ。

 だからだ、あんな夢を見たのは。隣のおうちの天使のような男の子、名前は――――――


 青年からのお椀が、うまく受け取れなくて地面に転がった。

 あ、と思ったときには周りが黒く融けだしていた。

 これ、見たことある。

 夢の中———いや、この世界に来たときと同じ現象。


 目の前の青年が死人でも見ているかのような顔で私を見ている。

 茶色い頭の少年が、私を捉えようと手を伸ばした。でも、届かない。

 もうこの世界との繋がりが切れ始めているんだ。


 私は、精一杯の笑顔でその世界を見た。


「今まで、ありがとう。」


 あれだけ感慨もなく毎日握っていた手を、今更手放すのが惜しいと感じてしまうのは、愛着だろうか。

 もっと仲良くなれるよう努力すれば良かったな、なんて。青年の方へ届きもしない手を伸ばす。

 最後に青年の顔を眺めながら、不思議な気持ちになった。







 目を開けると、まるで最初からそこにいたかのように、私は道路のわきに立っていた。家の前だ。

 見下ろすと、ローブに付いた魔石のきらめきは消えて、ただの石となっていた。制服、向こうの世界に置きっぱなしになっちゃったな。かばんの中に入った携帯も、お気に入りのポーチも。旅の間には一度も思い出さなかった品々に思いを馳せる。こんな急に帰ることになるなんて、全く考えていなかったから、私が最初に来た魔導研究所にそのまま置かれている。むしろ、帰る方法があったんだなぁ。

 なんてつらつらと考えていても、仕方ない。私は振り返って我が家を見上げた。鉢植えや自転車の置かれ方は少し変わっているものの、記憶の中の我が家とほとんど変わりはない。もしかして、あの日の朝に戻ってきたのかしら、と思うほどには。


 我が家を眺めた視線はそのまま隣のアパートへ移って、そして固まった。

 アパートの階段を、制服を着た男の子と若い女性が降りてくる。……ような恰好で、止まっていた。恐らく、いや、かなりの確率で、私のこの怪しい恰好を凝視している。分厚いローブには魔力紋の繊細な刺繍がこれでもかと施されているし、戦いの後お風呂にも入っていない私の顔は汗や拭ききれなかった血で汚れていた。それは、奇異な目で見ますよね。

 こんな怪しい状態で我が家に入っていいものか、そもそも鍵を持っていないから入ることはできないんだった、どうしようお父さんお母さんは朝ならもう仕事だよね?と少しばかりオロオロしてしまう。


 固まった空気は、女性の一言で動き出す。


「やだ…なにあれコスプレ?」



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