第一章‐桜の時間
ここにもちゃんと・・・
春が来た。
【夏子も、頑張るんだよ。】
【うん!】
この日、大野中学は卒業式を迎え、皆、バラバラになる・。
そして夏子も、親友の美紀と別れてしまう・・。
【夏子・・・。】
泣きそうなのは美紀の方だった。
彼女は夏子を後ろから抱き締めた。
【美紀、卒業はさよならじゃないよ・。また、お互い大きくなって、会えるよ。きっと・・・。】
彼女は笑う・・・。
美紀の目に浮かんだ、小さな涙を知らずに、ただ、無邪気な笑顔を見せた・。【もう少しで、お母さん、来ちゃう・。】
【美紀・・・。】
夏子は急に肩に掛けたバックを下ろし、その中を手でかき回し始めた・・。
【写真、撮ろ?。】
【あー、ちょっと貸して・・・。】
美紀は彼女の手からカバンを取り上げ、その中を探し、使い捨てカメラを取り出す。
【はい、・・カメラ。】
そして彼女の手に握らせた・・・。
【誰か撮ってくれる人、探さないと・。】
その時、美紀の携帯のバイブが鳴る。
【夏子・・・お母さん、来たみたい。】
美紀は夏子を見ている・。【・・・笑って。】
【夏子・・。】
【笑ってよ・・美紀。】
夏子は同じ言葉を二度繰り返す。
美紀は目に涙を溜めて、笑った・・。
【あら、夏子ちゃん・。】美紀の母親だった・。
彼女は涙を拭って振り向く・・。
【お母さん、夏子と写真、いい?】
【いいよ。】
美紀が夏子に寄り添うようにして、シャッターが切られる・。
優しい笑顔で二人、笑っていた。
【ああ、夏子ちゃんも乗せてってあげるよ。】
【ほんと?・・】
美紀の頬が和らぐ・・・。夏子も笑窪を作って笑っていた。
【さあ、乗って。】
【お願いします。】
夏子は後ろに美紀と二人、並んで座った・。
車が動きだす・・。
【ねえ、夏子・・・】
【ん・?】
美紀は夏子の隣で落ち着かなかった。
夏子はずっと笑っている・・。
【東高校ってさ、忙しいと思うけど・・・いつでも遊びに来てね。】
【うん!】
夏子は美紀の方を向いて頷く。
【・・・淋しくなったら、電話してね。】
【淋しいのは美紀の方じゃないの?】夏子はそう言って笑う。
【夏子・・・】
【会いたいときはいつでも会えるんだし、声も聞けるじゃん。】
会話らしい会話もしない内に、夏子は車を降りた。
【ありがとうございました。】
【いつでも遊びにおいでね。】
【はい。】夏子は車の中の美紀へ何も言わず、笑顔で去っていく・。
美紀は彼女を目で追ったりはしなかった。夏子が降りてから、車が発進した・。
美紀は卒業記念のケーキが入った紙袋を、膝の上にしっかり固定して持っている。
【卒業おめでとう。帰ったら、高校の準備しなきゃね・。】
美紀は俯いたままでいた。そして、中学時代を振り替えっていた・・。
高校、高校、と騒ぎながら、何一つ、後に残る事はやっていなかった。
彼女の前には後悔だけがポツンと残っただけだった。できれば中学に戻りたかった・。高校になんか行きたくない・・。
【高校、頑張んのよ。】
美紀は母親の言葉に素直に頷けなかった・。夏子に頑張れと言った自分に腹が立っていた。
【夏子ちゃん、目、見えないのに、あんなに頑張ってるじゃない。】車がゆっくり止まる・・。美紀は何も言わずに車を降りると、母を追い越して家の中へ入っていく・・・。母の言葉がぐるぐる頭を廻って離れない・・・。
【美紀・・?】
バタン・・。
美紀は自分の部屋に籠もり、ベットに横になる。
そしてそのまま眠りについた・・。【夏子、早かったわね。大丈夫?】
【大丈夫だよ、お母さん。美紀のお母さんに送ってもらったの。】
帰宅した夏子を、母、明美が迎える。
夏子の家は、目の不自由な彼女の為にバリアフリーにしてある。階段も、段差も無い。
【そう、良かった。後でお礼言わないと・・。】
明美はそう言いながら、夏子の肩に手を掛ける・。
【心配しないで、お母さん。もうあたし高校生だよ。】
【そうね・・・。】
明美は夏子を見て微笑む。【ねぇ、お母さん、あたし、どんな顔してるの?・。大人っぽくなった?・・】【夏子はとても美人さんよ。すごい大人っぽくなって。】
夏子は恥ずかしそうに笑った。【あ、お母さん?】
【どうしたの・・?】
夏子はカバンを手で探る・。
【カメラ・・・。】
明美も手伝って、一個の使い捨てカメラが出てくる。【クラスとも撮ったし、美紀とも撮ったの。】
明美は彼女が差し出す、それを、受け取った・・。
【現像頼んでも、いい?】【いいよ。】
【皆笑ってた・。目で見なくても、そんな気がした・・・。】
彼女の嬉しそうな顔を見ながら、明美も嬉しそうな顔をした。【現像したら、皆にも見せたいな。】
夏子は現像後の写真を思い浮べた。明美は少し目線を落とす。【あ、あたしはさ、そりゃ、見ること出来ないけど、皆の顔だって・・・知らないけど・・でも、声なら聞けるから・・・それから想像してんだ。皆の顔・・】【さっちんは・・・だから・・で、・・・くんは、・・・・だから・・・で・・・・。美紀は寂しがりやで、でも頼れる感じだから・・・】【ごめんね。夏子・・・】夏子はフッと笑う・・。
【あたしは、大丈夫だから。】
明美は淋しく笑うだけだった・・。【いつまでも、お母さんに頼ってたら・・さ、お嫁、行けないしさ。】
【・・そうね。】
明美はまだぎこちなさが残る笑顔で笑う。その時、玄関のドアが開いた。
淳平だった・・・。
彼は夏子を見るなりそっけなく言う。
【ねーちゃん、何でいんの。】
【卒業式だったから。】
【ふぅーん。】
淳平は汚れたシャツを脱いで、そのまま風呂場へ歩いた。
明美はちらっと彼を見て、ご飯支度を始める。
【ああ、夏子、何食べたい?】
【ん?あたしは何でもいいよ。】
【淳平は?】
【シャワー中。】
テレビではすでに〔いいとも増刊号〕が始まっていた。
夏子は音声だけを聞いていた。【お母さん・・。】
【何?夏子。】
明美は鍋をかけながら、彼女に耳を傾ける。
【東高校って、あたしみたいな人がたくさんいるんだよね・・。】
【そうね・。盲学校だから。】
【そっか・・・。】
夏子は改めて自分の障害に気付く・。
頑張っても無理な事は無理だった・・・。
しかし、彼女は障害者として扱われることが嫌だった。【ご飯何?】
その時、シャワーを終えた淳平が、水滴を滴らせながらやって来た。【ねーちゃん、チャンネル変えるよ。】
彼はテーブルのリモコンを取ると、サッカーのチャンネルに変えた。【また負けてるよ。】
【淳平、春休みいつから?】
【分かんない。確か20くらいから。でもねーちゃん、もう学校無いんでしょ?
いーな。】
夏子は少し困ったように笑う。
【だけど、高校の準備しなきゃなんないし。】
【そっか。】
淳平はひとごとのように返答し、またサッカーに夢中になる・・・。
【さあ、食べよ。】
明美の声に夏子は立ち上がる。
【淳平も手伝ったら?】
【今忙しい。】
淳平はテレビの前から動こうとしない。【何もしてないでしょ。】【テレビ見てるよ。】
【もう・。】明美はくすっと笑う。【今日は、カレー?】
【そうよ。】
【俺のは多めね。】
淳平も食い付く。
カレーは彼の大好物だった。【サッカー好きな人ってさ、カレー好きだよね。】
【なんだよ、急に。】
テーブルにはカレーライスが三つ並んだ。
【淳平もそうじゃん。】
【カレー嫌いな人がいないだけだって。】
彼はカレーを口へ運ぶ。
テレビは激しい接戦だった。