そして時間が止まる時
1944年。
ドイツ軍に占領されたフランス国内には、至る所にドイツ軍兵の姿が見えた。
誰もが怯えと憎しみの目でドイツ軍を見つめる中、一部のフランス女性は、自らの地位や財産、安全の確保をする為、ドイツ軍兵士の愛人になる者が、数多く居た。
未亡人、リア・リシェ=ルルージュも、その一人である。
女優であったリアは、その美しい容姿から、ドイツ軍人の愛人になる事は、いとも簡単であった。
フランス政府がドイツ軍に降伏をした際、プライドの高かったリアは、自らの生活基準を保つ為、その辺の兵士ではなく、クリフト・ベックマン少佐の愛人となった。
リアがドイツ軍人の愛人になった理由は、他にも二つある。一つは『パリ』と言う都を、離れたくはなかったからだ。
リアにとって、パリは特別な街だった。作家であった亡き夫と出会った街であり、女優としての地位を確立させた、街でもあるからだ。パリには亡き夫との思い出と、女優として歩んで来た、葛藤の日々が詰め込まれている。言うならば、リアにとってパリは、人生その物なのだ。
もう一つの理由は、亡き夫との間に産まれた一人娘、ジジ・リシェ=ルルージュに、不自由な生活をさせない為だった。だがリアにとっては、一つ目の理由の方が大きい。愛人の連れ子等、お菓子のおまけに付いてくる、玩具の様な物だった。適当に部屋を一つ用意してやり、後はメイドに任せておけばいい話だ。その間リアは、愛しの『パリ』と言う街に、酔い痴れる。ベックマン少佐も、リアの連れ子の事等気にも留めず、美しいリアを連れて歩く事に、酔い痴れていた。リアにとっても、ベックマン少佐にとっても、二人の愛人関係は、両方が満足のいく関係を保っていたのである。
しかしこの物語の主人公は、美しき女優、リア・リシェ=ルルージュではない。適当に部屋を用意された娘、ジジ・リシェ=ルルージュが主人公だ。
二階建ての真っ白な屋敷内の一室。大きなベッドの周りには、沢山の本が置かれているジジの部屋は、広過ぎず狭すぎず、子供一人が寝泊まりをするには、丁度良い大きさだった。部屋は二階で、大通り沿いに面していた為、ジジはよく路上沿いに在る部屋の大きな窓から、そっと顔を覗かせ、外の様子を見ている事が多かった。
いつも路上には、ドイツ軍兵の姿が見える。銃を肩にぶら下げているその姿は、まるで狩りにでも行く猟師の様だ。銃の矛先は、細い路地と路地の間でひっそりと身を隠す様に座っている、路上生活者のフランス人に思えてしまう。今にも銃口を路上生活者に狙いを定め、狩りを楽しみ初めてしまいそうな雰囲気に、ジジはゴクリと生唾を飲み込んだ。と同時に、自分があの冷え切ったコンクリートの上に居ない事を、神と母に感謝をした。
部屋の中は、とても暖かい。暖炉があり、ふかふかの毛布もある。大好きな本に囲まれ、汚れていない綺麗な洋服を着る事が出来る。温かいミルクが欲しいと願えば、砂糖と一緒にすぐに運ばれて来る。今外で、身を震わせながら、薄汚れた洋服と布を何重にも重ね、体を丸めている者達からすれば、正にこの部屋は天国だろう。初夏の季節でも、フランスの夜はとても冷える日もある。
オアシスの様な室内だが、ジジは不満に満ちていた。確かにこのオアシスに居られる事は、神と母に感謝をしている。だがそれは、母であるリアが、ドイツ軍人ベックマン少佐の、愛人だからだ。
ベックマン少佐の事は、好いている訳でも、嫌っている訳でもない。特にこれと言って会話をする事も無く、たまに顔を合わせた時、挨拶をする程度の関係だ。このオアシスの提供に、感謝はしている。だが心の底からでは無い。事実上の感謝のみだ。
世話係のメイド、カリーヌにも、感謝をしている。身の回りの世話は全て、彼女がしてくれているからだ。彼女に感謝をするのは、その事だけ。うっかり口を滑らせ、ベックマン少佐の悪口でも言ってしまえば、彼女はすぐに報告をするだろう。あわよくば、ベックマン少佐の愛人の席を、自分も着席してやろうと思っている。カリーヌも、フランス人女性だからだ。
母、リアに対して感謝をする事と言えば、ベックマン少佐の愛人になった事だろう。そのお陰で、今この場に居る事が出来るからだ。もう一つは、リアの血を受け継ぎ、美しく産まれたと言う事だろうか。
肌は真珠の様に透き通る様な白さで、瞳はサファイアの様に美しい青色をしている。髪は金の糸の如く、滑らかで美しいブロンドヘア。真っ赤な唇からか、まだ十二歳にも関わらず、大人の色気も醸し出していた。全ての美しさは、母であるリアから受け継いだ物だ。リアも又、まるで完璧な美を人の手により作られた、人形の様に美しい。
今夜もそっと、カーテンの隙間から、窓の外を覗き込む。サファイアの様に輝く瞳に映り込む景色は、相変わらず猟師の様なドイツ軍兵だ。いつ肩にぶら下げている銃を構え、狩りを始めやしまいかと、心の中では怯えながらに見つめていた。軽く握り締めていたカーテンの裾を、一層強く握り締める。微かに震える手は、狩りが始まってはしまわないかと怯えているのか、自分がもしあの場、つまりは路上に居たらという事を想像し、怯えているのか、どちらなのかはよく分からなかった。もしかしたら、どちらに対してなのかもしれない。ジジがそんな想像をしている中、下の階からは、楽しそうに笑い話す、男女の声が聞こえてくる。今夜も屋敷の大広間では、パーティーが開かれているのだ。来ている客人はドイツ軍幹部とその愛人ばかりだ。パーティーは毎晩とは言わなくとも、幾度となく催しされ、開かれていた。ジジの不満はこのパーティーだ。
片やフランス人は、美しいドレスを身に纏い、温かく美味しい料理を食べ、高い酒を飲んでは踊る。その一方で、冷たいコンクリートに丸まり、冷たいスープや堅いパンを僅かに食し、周りをうろつくドイツ軍兵に怯え過ごしている、同じフランス人が居る。
逆もまた然り。ドイツ軍人上層部は、美しいフランス人女を引き連れ、互いに愛人の自慢話をし合いながら、優雅に葉巻の煙を吹かせ、暖炉で暖まった部屋で酒を飲んでは娯楽に耽る。彼等が遊んでいる真っ最中、同じドイツ軍人でありながらも、下級兵は夜通し寒空の中を警護し、パリの街中を巡回して働いていた。
この差は何なのだろうか・・・。ジジは常に疑問に感じていた。敵国の者同士ならば分からなくもないが、同じ国同士の者達にも関わらず、激しい生活基準の差がある。子供ながらに理解をしようと何度も考え、本で勉強もした。
フランス人女性の場合は、母を見れば何となくだが理解は出来る。力を持つ者の愛人になっているからだ。ドイツ軍人については、本で勉強をして知った。階級の差と言うものらしい。だがジジは、それでも理解が出来ず、納得が行かなかった。
同じ人間だと言うにも関わらず、この激しい生活の差は何なのだ。敵国に自国を売ってまで、贅沢な暮しを求め、フランス国の裏切り者と呼ばれる、ドイツ軍人の愛人、フランス人女性。権力の有るドイツ軍人は娯楽に耽り、権力の無い者は命の危険な舞台へと立たされる。大人はなんて自分勝手なのだ。
ジジは大人の身勝手さに対し、不満に満ち、汚らわしく感じていた。だからジジは、大人にはなりたくないと思っていた。
子供のままでいたい。純粋な心を持った、子供のままで。汚らわしい大人になど、なりたくはない。ましてやこの足元で騒いでいる大人達の様には、決してなりたくはない。
そんな思いを、ジジは胸の中で強く抱きながら、ベッドの中へと潜ると、五月蝿そうに両耳を両手で塞いで静かに眠りに着いた。
窓の外から、何やら騒がしい音が聞こえて来る。小声になっていない内緒話をする民間人達、それに対し注意を促すドイツ軍兵の声、笛の音。ベックマン少佐の声も聞こえる。朝っぱらから騒々しい。ジジは五月蝿そうに、まだ眠い目を擦りながら、ゆっくりとベッドから起き上がった。
ベッドから出ると、既に部屋の中の暖炉が焚かれており、室内はとても暖かい。きっとカリーヌが、暖を焚いておいてくれたのだろう。フランスの朝は、とても冷える。
騒がし声は、どうやらジジの家のすぐ側から聞こえて来る様だ。ジジはそっと窓の側へと歩み寄ると、カーテンの隙間から顔を覗かせ、外の様子を伺った。向かい側の建物の路地に、ちょっとした人集が出来ている。何かを囲む様に集まっているが、二階の部屋からは、ぎりぎり大人達の頭が邪魔をして、輪の中に何が有るのかが見えない。ジジはその場でつま先立ちをし、必死に中を覗き込もうとした。
集まった人集を、ドイツ軍兵が追い払うと、輪に隙間が出来、チラリとベックマン少佐の姿が見えた。ベックマン少佐は地面にしゃがみ込み、何かを真剣に見つめている様子だ。その何かを見たいが、ドイツ軍兵の一人が前に立ち塞がり、窓越しからは見る事が出来ない。だが、視線をベックマン少佐の方へとやると、人の手の様な物は見える。
「誰かが死んだのかしら?」
ジジはすぐに、人間の死体だと分かった。毎晩窓から、街の様子を伺っていたジジの頭に中には、ついに誰かが狩られてしまったのでは――――と言う考えが浮かんでしまう。思わず生唾を飲み込むと、恐怖からか、手が小刻みに震え始めている事に気が付く。ギュッと強くカーテンの裾を握り締めると、恐る恐る窓の外の様子を、伺い続けた。
しばらくすると、ベックマン少佐が何やら慌ただしく、家へと戻って来る姿が見えた。ガチャっと言う玄関のドアが開く音と同時に、遠くから聞こえていたベックマン少佐の声が、すぐ近くに聞こる。ジジは窓から離れ、いそいそと次は部屋のドアに体を張り付け、下の階の話し声に聞き耳を立てた。
ベックマン少佐はカリーヌを呼び付けると、緊迫した声で何かを言い聞かせている。
「いいか、リアの子供によく言い聞かせるのだぞ。」
私の事だ――――。リアの子供と言う言葉に、すぐに自分の事について話しているのだと、ジジは分かった。
ベックマン少佐は、今度は「リア!リア!」と何度もリアの名を呼び、カリーヌの慌ただしい足音が家中に響き始めた。こちらに向かって来る事が分かる。ジジは慌ててベッドの中へと潜り、身を隠す様に頭の上から毛布を被った。
コンコンっと軽いノックの音がすると、ノックの音とは裏腹に、カリーヌは乱暴にジジの部屋のドアを開ける。
「お嬢様!」
血相を変えて入って来たカリーヌの顔は、血の気が引いて真っ青になっており、ベッドの中に潜るジジの元へと、勢いよく駆け寄った。
「お嬢様、起きて下さい!」
カリーヌは乱暴にジジの体を揺らすと、ジジは不機嫌そうな顔をして、毛布の中から顔を出した。
「起きているわ。」
不貞腐れた声で言うも、カリーヌはそんな事等気にもせず、ジジの両肩を力強く掴むと、真剣な眼差しで見つめて来た。
「いいですか、よく聞いて下さい。これから夜に外出をしては、絶対にいけませんよ。外が暗くなる前に、必ず家の中へと入るのですよ。」
「何故?」
「危ないからですよ!絶対にいけませんよ!」
「危ないって、何が?そういえば、今日は外が騒がしいわね。」
必死に言い聞かせてくるカリーヌを尻目に、ジジはわざとらしく言った。するとカリーヌは、少し困った表情を浮かべながらも、一度辺りを見渡してから、少し小声で言って来た。
「実は今朝方、死体が見つかったのですよ。この家の近くで・・・。ですから、犯人が捕まるまでは、夜外出をしてはいけませんよ。」
やはり死体だったんだ――――。改めて死体だと分かると、途端にまた震えが襲う。
「犯人・・・。もしかして、ドイツ軍人に狩られてしまったの?」
恐怖からか、思わず犯人はドイツ軍人だと決め付ける様な発言をしてしまい、ジジは慌てて両手で口を覆った。カリーヌがベックマン少佐の愛人の座を狙っているのは、ジジも知っている事だ。その為に、今の発言がベックマン少佐に告げ口をされてしまうかもしれない。
しかし、そんなジジの心配をあざ笑うかの様に、カリーヌは余程怖い話しを聞かされたのか、切羽詰った様子で、カリーヌらしくない、ドイツ軍人に対する発言をした。
「いえ、ドイツ軍人の仕業では無いようですよ。大人しくしてくれていますよ、今のところは。」
「違うの?なら犯人はフランス人?」
「いえ・・・フランス人でも・・・。」
口篭るカリーヌに、ベックマン少佐の慌てぶりといい、ジジは犯人の目星は既に付いているのでは?と思い、カリーヌを問い詰めた。
中々言おうとはしないカリーヌだったが、ジジが「言わないのなら、外に出ては駄目な理由にならないから、外出をするわ。」と、ヘソを曲げてしまった為、渋々話し始めた。
「実は・・・この事はまだドイツ軍の上層部しか知らない事ですが、死体の首筋に、二つの噛み跡があったんですよ。直接の死因は、首の骨が折れて・・・らしいですが、どうもヴァンパイアに襲われた跡があったので、犯人はこちらに流れて来たヴァンパイアではと・・・。ですからお嬢様、決して夜に外出をしてはいけませんよ!襲われでもしたら、大変ですからね!」
「ヴァンパイア!この世界に、ヴァンパイアは本当に居たの?」
思わぬ真犯人に、ジジは興奮気味で、カリーヌに詰め寄った。
「私、ヴァンパイアは本の中のお話だけだと思っていたわ!本物のヴァンパイアが、この街に来ているの?」
「いえ・・・まだヴァンパイアの仕業と確定した訳では・・・。あくまで推測の段階ですから・・・。」
「でも、存在は本当にしているのでしょう?」
「えぇ・・・まぁ・・・。ですが、実際に見た事が有る者は、生きてはおりませんので。皆姿を見れば殺されてしまいますから・・・。」
カリーヌの言う事等、もう耳には入らず、ジジはベッドの上に立ち上がると、ぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。
「凄い!凄いわ!本物のヴァンパイアが、この街に来ているのね!」
大喜びをするジジに、カリーヌは慌ててベッドの上で何度も大ジャンプをするジジの体を抑え、「お静かに!」と叱りつける。
「ヴァンパイアは、冷血で恐ろしい生き物なんですよ!来られては困ります!」
「あら?でもカリーヌは会った事がないのでしょう?だったら優しいのかもしれないわよ。」
「お優しければ、人等殺したりしませんよ!」
「確かにそうね・・・。」
ジジはベッドの上に座り込むと、カリーヌの言う事も一理有ると思い、納得をする様に頷いた。それでも、心の何処かでは、ヴァンパイアは皆が皆、冷たい訳では無い様な気がしていた。それは本で読んだヴァンパイアのイメージのせいか、自分の中で勝手に作り上げたイメージなのか、自分でもよく分からない。本の中のヴァンパイアは、確かに冷血な人殺しのヴァンパイアも居たが、人間を助けてくれる、優しいヴァンパイアも居た。
「いいですか、この事は誰にも言ってはいけませんよ。私が話したと、その・・・ベックマン少佐にも・・・。」
ジジに話してしまった事を、少し後悔するかの様に、困った表情を浮かべながら言ってくるカリーヌに、ジジは笑顔で「大丈夫よ。」と答える。
「誰にも言ったりなんかしないわ。だってこんな凄い事、皆に知られたくないもの。」
「それならよかったです・・・。」
ホッと肩を撫で下ろすカリーヌだったが、ジジの言う答えの本当の意味合いを、分かってはいない様子だ。
ジジはヴァンパイアの存在を、一人でも多くの人に知られたくないと思っていた。それは自分一人だけの物にしたいと言う、独占欲に近い感情でもある。
「ヴァンパイア・・・是非会ってみたいわ・・・。そして私も・・・。」
ジジの永遠の子供でいたい、と言う欲求は、一気に膨らんだ。
もしも自分もヴァンパイアにしてもらえれば、このままずっと子供でいられる。汚れた大人にはならずに済む、そう思ったのだ。
その日から、ジジの外の観察は、以前にも増して熱を浴びた。いつ、どんな時にヴァンパイアが現れるか分からない。眠っている暇等無い。外を監視し、ヴァンパイアを見つけなくては。
しかし、家の中で外を眺めているだけでは、ヴァンパイアを見つける事等出来ない。当然だ、ヴァンパイアがジジの部屋を訪ねて来る筈も無いし、このままでは駄目だと思った。だが外に出ようにも、家の前では兵士が見張っている。抜け出そうにも難しそうだ。
何とかヴァンパイアの情報を得ようと考えている最中、またジジの家の近くで、殺人事件が起きた。カリーヌの話によれば、また首筋に二つの噛み後があったとの事。またしてもヴァンパイアの仕業では、と騒めく周りの者達。その噂はやがて街中にあっという間に広がり、誰もが怯えはじめた。やがて路上で寝泊まりをしていた者達も、どこかへと身を隠し、外はしん・・・と静まり返る様に。
外の警備も一層厳しくなる中、ジジは余計に外に抜け出せなくなり、苛立ちを隠せなかった。
「どこもかしこも、以前に増して兵隊ばかり!このままでは、ヴァンパイアが別の所に移動してしまうわ!何とか外に出られないかしら・・・。」
悩んでいる最中、リアがベックマン少佐と買い物に出かけると言う話を耳にした。これはチャンスと思い、ジジも一緒に買い物に行くと言い出した。
買い物と言っても、まだ太陽が昇っている昼間の時間帯。夜まで街に出ている事は、今の状況では考えにくかったが、抜け出せるチャンスに違いはない。
ジジ達は護衛に付き添われながら、パリの街へと買い出しに出かけた。
パリの街中は、昼間だと言うにも関わらず、静まり返っている。ヴァンパイアの噂話のせいだろう。それでもちらほらと人影は見える。皆上流階級の者達ばかりだったが。
生憎の曇り空だったが、リアはジジやベックマン少佐の事等お構いなしに、ドレスや宝石を買い漁っている。そんなリアの姿を、ベックマン少佐は微笑ましそうに見つめているだけだった。
次の店、次の店へと移動をする度に、店の前にはずらりと護衛の兵士達が立ち並ぶ。店内へと押し詰められてしまうジジは、せっかく外へと出られる事が出来たと言うにも関わらず、抜け出すチャンスが一向に訪れなかった。
リアの買い物はとても長い。一件の店の中で、何時間もどのドレスを買うかで、悩み続けている。ジジにとっては、退屈で仕方がない。
「ジジ、貴女も欲しい物があればいいなさい。」
リアに言われるが、ジジはドレスや宝石等には全く興味が無かった。興味があるのはヴァンパイアだけだ。
退屈そうに店内をウロウロとしていると、一人の男性にぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい。」
慌てて謝ると、「いいえ、こちらこそ。」と、優しい声で返って来た。
男性は若く、スラリとした長身で、黒いスーツを身にまとっている。とても紳士的で、上品な雰囲気をかもち出していたが、どこか視線は冷たかった。
「可愛らしいお嬢さんだ。一人で買い物かい?」
優しく話しかけて来る男性。ジジは少し警戒をしながらも、答えた。
「いいえ、母と義理の父とで来ています。」
「あぁ・・・少佐のお子さんか。」
「どうして分かるんですか?」
「店の外の護衛の数を見ればね。お母様は、あそこに居られる美しい女性かな?」
男性はそっと視線をリアの方へと向けると、ジジは無言で頷いた。
「成程、君はお母様の血を色濃く引きついでいるね。君もとても美しい。」
「ありがとうございます・・・。」
「私はね、美しい女性がとても好きなんだよ。」
男性は淡々と語り出した。
「美しい花は、一瞬だと言うだろう?美しい女性もまた、美しくいられる時は限られている。その美しさを時と言う残酷な物で失ってしまうのは、余りにも惜しい。だから私は、美しい物を永遠に美しいままでいられる様にしてあげたい。」
「永遠に・・・?」
「そうだよ。永遠に。だがそれはとても難しい事だね。それこそ・・・そう、ヴァンパイアの力でも借りない限り。」
「ヴァンパイア!」
ヴァンパイアと言う言葉に、ジジは強く反応をした。
「なに、今巷で話題だからね。この街にヴァンパイアが来ていると。」
「えぇ・・・。」
「君も美しいから、気を付けた方がいいよ。ヴァンパイアもまた、美しい女性がとても好きだからね。」
「私は・・・。」
ジジは一度口籠ってから、再び言葉を発した。
「私はヴァンパイアに会いたいわ!会って、永遠にこのままの姿にして欲しい。」
ジジの突然の告白に、男性は目をまんまるくさせ、驚いた。
「君は、ヴァンパイアになりたいのかい?」
「いいえ、ヴァンパイアになりたいわけじゃなくて、永遠に子供のままでいたいの。薄汚れた大人にはなりたくないの。」
男性は手を顎に添え、少し考えると、ニコリとほほ笑んだ。
「いい事を教えてあげよう。例え体は永遠の子供であったとしても、時が経てば心は自然と大人になっていく。それこそ、汚れていってしまうんだよ。」
「汚れて・・・。」
男性の言葉に、ジジは確かにそうかもしれない、と思うと、心が悲しくなってしまった。心も純粋な子供のままでいる事は、無理なのだろうか。
悲しそうな表情を浮かべるジジに気付いた男性は、慌てて修正をした。
「あぁ、皆が皆・・・と言うわけではないよ。どんなに時が経っても、心が純粋のままの人だって、きっといるはずだ。君は純粋のままでいる自信はあるかい?」
ジジはゆっくりと顔を上げると、大きく頷いた。
「成程・・・。うん、気に入ったよ。とても気に入った。」
男性はジジの右手を手に取ると、床に膝をついてしゃがんだ。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私の名はシャルル=ニコラ。君の名は?可愛らしいお嬢さん。」
「私はジジ。ジジ・リシェ=ルルージュです。」
「ジジ。今度君の所で開かれるパーティーに、是非招待をして頂きたい。」
「えぇ!喜んで!是非来てちょうだい。」
ジジは嬉しそうに答えた。シャルルと名乗る男性が、どこの誰かは分からなかったが、話していて分かった事は、とても冷静で賢く、穏やかな人だと言う事だ。どこか安心感を覚え、いつの間にか警戒心も無くなっていた。
どうせ口約束だと思い、ジジはシャルルを明日開かれるパーティーに招待をした。
今宵もベックマン少佐の屋敷では、華やかなパーティーが開かれている。しかしいつもと違うのは、外にも中にも、護衛の兵士が普段より増しているという事だ。ヴァンパイア事件もあり、誰もが警戒をしている。特にパーティー等の煌びやかな場所には、美しい女性も大勢集う。ヴァンパイアにとっては、絶交のチャンスだとも言えるのだ。
ジジはいつもの様に、部屋へと閉じこもっていた。昨日シャルルと言う男性を招待したが、本当に来るのだろうか?疑問を抱きながらも、いつもの様に窓の外をじっと眺めている。
「今夜こそヴァンパイアは現れるかしら?」
ため息を一つつき、夜空を見上げた。ぽっかりと大きな月が昇っている。この街のどこかに、ヴァンパイアが潜んでいる。そう思うだけで、胸の鼓動がドキドキと速くなった。
もう一度視線を下へと落とした瞬間、目の前に、黒い燕尾服が飛び込んできた。「きゃあ!」と驚き、慌てて窓から離れる。燕尾服の男が、窓の外に張り付いている。男はコンコン、と窓を数回叩いた。「誰?」驚きながらも問いかけると、窓の外からひょっこりと、シャルルが顔を覗かせた。その表情はとても笑顔だ。
「貴方なの?シャルル!」
ジジは慌てて窓を開けると、窓の外から燕尾服を着たシャルルが、部屋の中へと華麗に入って来た。
「こんばんは、お嬢さん。約束通りパーティーに来たよ。」
シャルルはジジに向かって、一例をする。
「パーティーにって・・・。どうして窓から?玄関から入ればいいじゃない。」
「いやいや。パーティーに招待をしてくれたのはいいけれど、ベックマン少佐に正式に招かれた訳ではないからね。ジジに招待をされたから、ジジの部屋へとお邪魔したんだよ。」
「だからって、めちゃくちゃだわ。窓から落ちたりでもしたらどうするの?」
「大丈夫だよ。私は運動神経はいいからね。」
笑顔で答えるシャルルに、ジジは少し呆れてしまう。昨日会った時は、初めてだったとはいえ常識のある人に見えたが、どうやらそうでもないらしい。
「さぁ、お嬢さん。楽しいパーティーを始めよう。」
両手を広げるシャルル。
「パーティーを?ここで?」
「そうだよ。君にとっては素晴らしいパーティーだ。何と言っても、ヴァンパイアとのダンスパーティーだからね。」
シャルルの言葉に、ジジは耳を疑った。確かに今、『ヴァンパイア』と言った。
「どういう事?」
「そのままの意味だよ。」
「そのままの意味・・・。貴方、もしかしてヴァンパイアなの?」
目を真ん丸くさせて言うジジに、シャルルはただ笑顔でいるだけだ。
「そうなのね?だから窓から来たの?そうだわ!ヴァンパイアは家に招待をされないと、その家には入れないって聞いたわ!だから招待をした私の所へ来たのね!」
興奮気味に、ジジはベラベラと一人で喋り続ける。
「私にパーティーに招待をしてと言ったのも、家に入る為だったのね!そうなのね!」
ジジは目をキラキラと輝かせた。
「凄いわ!凄いわ!私の所に、本物のヴァンパイアが来た!凄いわ!」
はしゃぐジジを後目に、シャルルは落ち着いた様子で、ジジに手を差し伸べた。
「それで?お嬢さん。私と踊ってくれるのかな?」
「踊るわ!喜んで!」
ジジは嬉しそうにシャルルの手を取ると、二人はクルクルとその場で音楽も無しに、踊り始める。踊りながら、二人は会話を交わした。
「どうして私の所に?」
「君の事が気に入ったからさ。」
「私を食べるの?」
「そうだね、それはまだ分からないね。」
「私を永遠の子供にしてくれる?」
「それは君次第だよ、ジジ。」
二人の体が、ピタリと止まると、ジジはシャルルの手を強く握りしめた。
「どうしたら、私を永遠の子供にしてくれるの?」
シャルルは少し考える素振りを見せると、ニコリとほほ笑んだ。
「君にいくつかの試験を受けてもらうよ。ヴァンパイアとして、生きていけるかどうかの試験だ。それに合格したら、君を永遠の子供にしてあげよう。」
「私、受けるわ!どんな試験だって受ける!」
ジジは強い意志を、シャルルに示した。
「よし、それならば、早速第一試験だ!これが出来なければ、ヴァンパイアには決してなれないよ。」
「どんな試験?」
「簡単だよ。その辺にいる誰かを殺すのさ。」
「え・・・?」
一瞬ジジの思考が静止する。
「コロス?コロスって?」
「そのままの意味だよ。ヴァンパイアは人の血を吸って生きているからね。そして血を吸った人間が、ヴァンパンアにならない様に、後始末として殺さなければならない。だから、人を殺せなければ、ヴァンパイアにはなれないよ。ヴァンパイアになってから、生きてはいけないからね。」
「そう・・・言われても・・・。」
突然の難題に、ジジは頭を悩ませてしまった。人を殺すと言う事は、人殺しになると言う事だ。しかし、シャルルの言う通り、ヴァンパイアになると言う事は、それは当然の事なのかもしれない。現に、もう既に二人、ヴァンパイアの犠牲になり、死んだ者達がいる。
だからと言って、そう簡単に人を殺せる筈も無い。ジジの様な子供なら、尚の事。
「どうしたんだい?さっきまでの威勢は。やはり君には出来ないかな?そこまでの決意は、まだなかったかな?」
「それは・・・。」
自分が永遠の子供でいられる事ばかり考え、ヴァンパイアとして生きていく事については、全く考えてはいなかった。ヴァンパイアになれば、確かに人を襲って生血を啜り、生きていかなければならない。果たして自分に、そんな事が出来るのだろうか?自問自答が延々と続く。
「ジジ、無理なら無理でいいんだよ。君の決意は、そこまでの事だったというだけの事だからね。」
シャルルの馬鹿にした様な言葉に、ジジはかっとなった。
「そんな事ないわ!私は本当に、永遠の子供でいたいの!ヴァンパイアになりたいのよ!」
「それなら、出来るね?」
シャルルはそっと、胸ポケットから銃を取り出す。
「これで窓の外に居る、誰でもいい、誰かを打ち殺してごらん。」
「これで・・・?」
銃をそっとジジに手渡す。銃を手渡されたジジの手は、微かに震えていた。
「さぁ、構えて。」
言われるがまま、ジジはそっと窓の前に立ち、ゆっくりと銃を構える。両手でしっかりと握っている銃だったが、カタカタと小刻みに震えていた。
「だっ、誰を打ち殺すの?」
心なしか、声も震えている。
「誰でもいいよ。そうだ!あの隅に寝ている男を打ち殺そう。この距離なら届くはずだよ。」
そっとシャルルが指さすと、建物と建物の間で、家を失くしたフランス人のやつれた男が、寒そうに毛布に包まって眠っている姿が見えた。
「あっ・・・あの男・・・ね。」
ジジは銃口を、男へと向ける。
「さぁ、引き金を引いて。」
耳元で、シャルルの囁く声が聞こえる。まるで悪魔の囁きだ。ジジは引き金に指を掛けると、じっと男を見つめた。見つめて見つめて、そしてゴクリと生唾を飲み込んだ。
「だ・・・。」
小さく言葉が漏れる。
「ダメ・・・やっぱり出来ない。」
ジジは体中の力が抜けた様に、一気に銃口を下へと向ける。
「私には出来ない・・・。罪も無い人を殺すなんて・・・。」
ジジの瞳からは、自然と大粒の涙が零れていた。
パチパチパチと、後ろから拍手の音が聞こえて来る。ジジは涙を拭いながら、ゆっくりと振り返ると、シャルルが笑顔で拍手をしていた。
「合格!素晴らしいよ、ジジ。第一試験は合格だ!」
「え・・・?合格?」
ジジはキョトンとしてしまう。
「どうして?私・・・殺せなかったのよ?」
シャルルは拍手を止めると、優しくジジの頭を撫でた。
「殺せなかったから、合格なんだよ。だってそうだろう?君は純粋な子供のままでいたいから、ヴァンパイアになりたい。純粋な心の持ち主ではなければ、人は殺せないよね?いや、純粋ならば、人を殺せなくて当然だ!自分の欲望の為に、手を汚したりはしない。」
「じゃあ・・・私は殺せなくてよかったの?」
「そうだよ。」
ジジの顔は、一気に笑顔へと変わっていく。
「よかった!これでよかったのね?よかった!」
ジジは嬉しそうにシャルルに抱き付いた。
「ジジ、君は本当に純粋な子なんだね。ますます気に入ったよ。」
シャルルは抱き付くジジの頭を、何度も優しく撫でた。ジジは抱き付いたまま顔を上げると、万弁ない笑みで言う。
「私、第一試験は合格したわ!これでヴァンパイアになれる?」
「まだだよ。まだ第一試験だ。次は第二試験だね。」
「試験は幾つまであるの?」
「さぁ?幾つまでだろうね。」
はぐらかすシャルルに、ジジはふて腐れてしまう。
「お嬢様、ベックマン少佐がお呼びです。」
階段を上がりながら、ジジを呼ぶカリーヌの声がした。
ジジは慌てて、シャルルから離れると、「すぐに行くわ!」と返事をする。
「どうしよう、カリーヌに見つかってしまうわ。」
慌てるジジを余所に、シャルルはまたも華麗に窓の外へと身を投げた。
「では、今日はこの辺で失礼しよう。ジジ、また来るよ。」
そう言い残すと、そのまま姿を消してしまった。ジジは窓のへと駆け寄り、外を覗き込んだが、シャルルの姿はもうどこにもない。
「凄いわ!消えたわ!」
ジジは気難しそうな顔をしながら、小瓶の中に入った赤い液体を見つめている。
「これは・・・血?」
首を傾げながら問いかけると、シャルルは笑顔で頷いた。
「第二試験だよ。ヴァンパイアは当然の事ながら、血を飲んで生きている。だから、血が飲めるようにならなくては。」
「それは・・・確かにそうだけど・・・。」
今宵もジジのヴァンパイア試験は行われていた。相変わらず、シャルルは窓からジジの部屋へと入って来る。運がいい事に、カリーヌにはまだばれてはいない。
「何の血?」
不安そうにジジが訪ねると、シャルルは笑顔で答えた。
「ブタの血だよ。まぁ、いきなり人間の血とは言わないさ。」
「ブタ・・・。」
本当だろうか?少し疑いの心はあったが、ブタの血ならばと、ジジは小瓶の蓋を開け、中の血を一気に飲み干す。生臭さが、鼻に纏わりつく。思わず顔をしかめると、近くにあった水を、一気に飲み干した。
「不味い・・・。」
「ははは、まぁそうだろうね。」
パチパチと拍手をしながら笑う、シャルル。
「これで第二試験は合格?」
顔をしかめたまま尋ねると、シャルルは笑顔で頷いた。
「見事、合格だよ。今回の試験は、意外と簡単だったかな?」
「そうでもないわ。とても嫌な気分よ。」
水をガバガバと飲みながら言うと、シャルルは可笑しそうに笑った。
「笑い事じゃないわ!」
ふて腐れた顔でジジが言うと、「ごめんごめん。」と、シャルルは軽く頭を下げながら謝る。
「所で、最近ベックマン少佐はどうだい?姿を見かけない様だけど・・・。」
突然の質問に、ジジは不思議に思いながらも、答えた。
「あぁ・・・。なんだかまた戦いが始まっているみたいで、最近家にいないのよ。私もママも、しばらくは危ないから外出禁止だし。貴方、知らないの?」
「いや・・・。どうりで外が不穏な動きになっている筈だね。」
「そんな事より、私はいつヴァンパイアにして貰えるの?」
「あぁ、試験に合格したらね。そうしたら、約束通り永遠の子供でいさせてあげるよ。」
その試験がいつまで続くのかが、本当は知りたかったのだが、聞いた所でまたはぐらかされそうだった。
「シャルルは、何の仕事をしているの?」
「私かい?司令官だよ。」
「嘘つき・・・。」
ははは、と笑うシャルルに、胡散臭さを感じてしまう。ヴァンパイアなのだから、仕事なんてしていないに決まっている。
「じゃあ、最後の試験でも始めようか。」
「最後の?最後なの?」
ジジの顔は一気に笑顔になる。
「やっと最後の試験なのね!これに合格すれば、私は永遠の子供でいられる!」
興奮するジジに、シャルルは「まぁまぁ。」と、落ち着かせようとする。
「最後の試験は簡単だよ。単純に純粋さを求められる。」
ジジは興奮気味に、大きく頷いた。
「もうすぐフランスが解放される。その日、正直でいられるか・・・だよ。」
「フランスが・・・?」
興奮気味だったジジは、一気に目が覚めてしまう。
「嘘!フランスが、解放されるの?戦争に勝つの?」
「そうだよ。だからその時、君が正直でいられれば、永遠の子供のままでいられるんだよ。」
「私・・・私、正直でいるわ!」
シャルルはジジの言葉に、満足そうに頷いた。
「でもこの事はまだ、秘密だよ。誰にも言ったらいけない。いいね?」
ジジは大きく頷く。
「それでは、私はそろそろ失礼するよ。またフランスが解放された日に、迎えに来るよ。」
「分かったわ!私、待ってる!」
シャルルはまたしても、窓からひらりと華麗の姿を消して行った。
1944年夏。シャルルの言う通り、パリ市庁舎で、臨時政府の帰還と解放を伝える演説が行われた。そして8月26日にはシャンゼリゼ通りで、第2機甲師団を中心とするパレードが行われた。
ジジはシャルルが迎えに来るのを、心待ちにしていた。誰に何を聞かれても、常に正直に答え続けている。これできっと、最後の試験も合格に違いない。そう確信していたのだ。
だが、ドイツ軍の狙撃兵の残留もいなくなり、都内が完全なる平和へと訪れると、ベックマン少佐は自殺を図った。残されたリアとジジは、ドイツ軍の女だった裏切り者とされ、フランス人達に酷く攻められた。そして時は訪れる。
裏切り者と称された女性達は、皆丸坊主にされ、広場へと集められた。それはリアとジジも同じ。美しかったリアとジジの金色の髪も、全て落とされ、みすぼらしい丸坊主の姿で、広場の中へと居る。
「ママ・・・。」
ジジは酷く怯えていた。
「大丈夫よ。」
そう答える、リアもまた、怯えている。
周りには銃を構えた男達に囲まれていた。広場に集められた女性達は、皆身を寄せ合っている。
「これより裏切り者の処刑を行う!」
一人の男性が叫ぶと、あちこちから罵声の声が飛び交った。
「シャルル・・・お願い早く来て・・・。」
ジジはずっと心の中で、シャルルの名前を呼び続けた。しかし、いつまで経ってもシャルルの姿は見当たらない。
「構え!」
女性達に向けて、一誠に銃口が向けられる。リアはジジを、力強く抱きしめた。
「お願い・・・シャルル・・・シャルル・・・。」
大粒の涙が零れて来る。
「打てー!」
声と共に、一斉に銃弾が浴びせられる。あちこちから女性の悲鳴が聞こえ、煙が立ち込める。次々に浴びせられる銃弾。次々に倒れていく女性達。ついにはリアの体にも銃弾は当たり、リアはジジを抱きしめたまま、その場に倒れこんだ。「ママ!」体の上に、リアの体が乗っかる。その体は、じわじわと赤い血で染まっていく。気付けば、辺り一面血の海だ。
「シャルル・・・助けて・・・。」
リアの体の下に埋もれながらも、ジジは小声で震えながら呟いた。すると、一つの足音が近づいて来るのが分かる。ジジは思わず、ぎゅっと強く目を瞑った。死んだふりをして、何とか凌ごうとする。が、暗闇から聞き覚えのある「ジジ。」と名を呼ぶ声がし、ジジはゆっくりと目を開けた。そしてその顔を見た安心感からか、また涙が自然と零れて来る。
「シャルル・・・。」
ジジの目の前には、笑顔のシャルルの顔があった。
迎えに来てくれた。約束通り、迎えに来てくれた。そう思うとこの惨劇の中でも、嬉しくて仕方がない。
「シャルル・・・私・・・正直でいたわ・・・。約束通り・・・正直で。」
「あぁ、そうだね。だから約束通り迎えに来たよ。」
シャルルは優しく答える。
「お願い。約束通り、ヴァンパイアに・・・永遠の子供にして・・・。」
ジジは涙ながらに訴えた。するとシャルルは、腰から銃を取り出すと、銃口をジジの額に押さえつける。「え?」何が起きているのか、ジジにはまだ理解出来なかった。よくよく見ると、シャルルはいつもの燕尾服とは違い、軍服を着ている。
「何を・・・。」
「最後の試験は合格だ。だから約束通り、永遠の子供にしてあげるんだよ。」
シャルルが何を言っているのか、分からなかった。
「違うわ。これでは死んでしまう。私はヴァンパイアに・・・。」
「何を言っているんだい?今ここで死ねば、永遠に子供のままだろう?純粋な・・・。」
シャルルはにやりと不敵な笑みを浮かべた。その瞬間、ジジは理解した。「殺される。」と。
「どうして・・・私をヴァンパイアにしてくれる筈じゃ・・・。」
ジジの唇は、ガタガタと震えている。自然と声も震えてしまう。シャルルはまたにやりと笑うと、「ふふ・・・はははは!」と大笑いをした。
「何・・・?」
シャルルは笑うのを止めると、優しくジジの頭を撫でた。
「私はヴァンパイアではないよ。ただの人間だよ。だから君をヴァンパイアにする事は出来ない。だが、永遠の子供にしてあげる事は出来る。だから今、その願いを叶えよう。」
「ヴァンパイアじゃ・・・ない・・・?」
ジジはシャルルの言葉を疑った。そして信じられなかった。今まで自分がヴァンパイアだと信じていたこの男は、ただの人間だったのだ。
「だったら・・・どうしてヴァンパイアのふりなんか・・・。」
「ふり?違うよ。君が勝手に勘違いをしただけだよ。私は決して一度も、君をヴァンパイアにしてあげる等とは、言った事がないよ。」
「そんな・・・。」
シャルルは引き金を引くと、広場中に銃声が響いた。ジジは望み通り、永遠の子供となったのだ。『死』と言う形で。