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Tragedy

ラストダンスはワルツとともに

作者: 高遠 凜子


「わたくしは永遠にあなたを愛していますわ。たとえ死んでも、永遠に」


 私はそう言ってほほ笑んだ。向かいに座って私の話を静かに聞いていた彼も、まんざらでもなさそうに笑みを返してくれる。言葉を交わすだけで、一緒に時を過ごすだけで幸せだった。彼は私の生きるすべてだった。


 出来ることならなら、一日中愛を確かめ合いたい。彼のためならなんだってする。死ねと言われれば死ぬし、生きると言われれば生きる。彼は私にとっての神様だった。


**


 カフェで紅茶を飲みながら談笑に花を咲かせる。これはこの国の貴族の典型的な休日の過ごし方であり、それに沿う私たちも例外ではなかった。よく家族と近況を話すために設けられた休みだといわれるが、若い令嬢、子息達は、基本的に自分の婚約者とともに過ごすか、あるいは同好会に顔をだし一夜の相手を求めるのが一般的だった。そこからロマンスに発展するという本が巷のご令嬢には人気で、そこに便乗した子息たちも、休日になっては相手をふらふらと探し回っているのである。これは一種の流行のようなもので、彼ら彼女らの親たちも止める気はないようだった。


 人はよく、相手を知るために必要なのは趣味の共有だというが、私はそう思っていない。実際に私達は隣国の話をしたり、食の話をしたりするが、仲はとても良好だし、特に問題があるというわけではない。そう、少なくとも今日政治の話題が出るまではそうだった。


「この国は安定しているが、神官の脂ぎった腹を見たか? あれは酷いぞ。国中の金を貪り食っている。おまけに噂では多くの神官が花街に入り浸っているという話ではないか。考えるだけでもおぞましい」


 そう一気に言った彼は、寒気でもするのか自分の体を抱きしめながら言った。眉を顰めた顔も美しいとは、神は実に公平ではないと思う。


「まぁ、花街はお嫌い?」


「あぁ、嫌いだな。良い身なりをしたものがいくと必ず女が寄ってくる。私の友人はこの間裏道に入ったら財布を盗られたと言っていた」


 このことに関しては私は何も言えなかった。「それは花街でも場所によって違う」、なんて言い訳もしたかったが、それは伯爵令嬢であるシャーロットが言うべき言葉ではない。彼のその言葉は身分の違いを突き付けられているようで、現実にそうであるとしても眼を逸らしたくなる言葉だった。


**


 娼館は娼館でも様々な店がある。私が働いていた店はどちらかというと舞踊に重点を置いていた店で、客は暇つぶしに気に入った娼婦を抱くというような店だった。私はその店のワルツ担当で、それなりに人気はあったのだと思う。一日に三回は必ず指名されたし、売り上げも必ず片手で数えられる順位にはいた。ワルツなんて毎日のように貴族は舞踏会で踊っているじゃないか、なんてよく言われたものだが、貴族の令嬢の中にはダンスが壊滅的な人も多く、どちらかというとダンス愛好会のような雰囲気が漂った店だった。


 そこにある日、男は訪れてきて私に言った。


「あなたの人生が欲しいんです」


と。


 その日のことはよく覚えている。最初は何の冗談かと思ったものだが、話を聞いていくうちにその男の状況に同情してしまい、結局この仕事を受けることになってしまった。その男とは依頼主の伯爵本人だったのだが、今考えると嵌められた気がする。最終的に私も彼と恋に落ちたので、お相子だろう。


 伯爵の娘のシャーロット嬢は、それまた綺麗な人だったそうで、人伝にしか聞いてないが、金の髪にエメラルドの瞳を持った少女だったらしい。依頼が彼女になりきることだと聞いた時には驚き、そんな人に私が化けられるのかと一瞬思ったが、鬘をかぶった私は見事にそっくりだったらしく、伯爵は「死んだ娘が戻ってきた!」と始終大喜びだった。


 そんなこんなでシャーロット嬢の身代わりとなった私は、婚約者と出会い良好な関係を築きあげながら幸せに暮らしていた。少なくとも今日までは。


**


――バシャッ


 ドレスの上に水をかけられる。もしこれがワインだったら、私の着ている白いドレスは真紅に染まっていたことだろう。


「生意気なのよっ。ヴィンセント様とベタベタベタベタ触りあって! いいこと? 今日中に婚約を解消しなければあなたの正体をばらすわよ!」


 とある貴族の舞踏会に来ていた私は、一緒に来ていた彼とはぐれた隙に、その家の令嬢に絡まれた。紺の髪をくるくると巻いた令嬢は、瞳と同じ赤いドレスを着てこちらを睨み付けている。嫉妬の炎を燃え上がらせながら。


「何故わたくしがシャーロットではないとお思いになりますの?」


「決まっているじゃない! わたくしが彼女を殺したからよ!」


 この令嬢、頭が少し弱いのではないだろうか。舞踏会の真っ最中に、人影はないとはいえ、殺人を告白するなど頭が足りないとしか思えない。それに重要な情報を私に漏らすとはどういう見解だろうか。


 しかし彼女の家は侯爵家だ。貴族の階級は一つ違うだけで権力も全く違ってくるので、私が証言しても揉み消されるのが落ちだろう。権力というのは、下の者には強制力が効くが逆に上からはかけられる。何とも難儀な世の中である。


「とにかく今日が期限よ! それ以上は待たないわ。」


 それだけ言い残すと、令嬢は再び人ごみの中へ紛れていった。楽しそうな笑い声と美しく奏でられるオーケストラの音。それらとは反対に、私の心は暗く沈んだままだった。


**


 私がこの仕事を頼まれたのにはもちろん経緯がある。伯爵は私を見つけた時に詳しく話してくれた。


 伯爵の娘のシャーロット嬢は、その美貌故人の恨みを買うことが多かったらしく、いつも誰かが傍にいたらしい。しかし、一瞬、本当に一瞬護衛が目を離した隙に矢に打たれて死んでしまったらしい。伯爵は悲しみ、婚約者がいる娘を簡単に死なせてしまうなど名目が立たないと嘆いた。そこで、なら似た娘を見つければいいとなり、幸いなことに社交界デビュー前で十分顔に誤魔化しがきくシャーロット嬢の偽物として白羽の矢が立ったのは私だった。


 これが事の一連の流れであったが、今は絶体絶命。どう頑張ってもあの令嬢に勝てるとは思えないし、どう足掻いても最終的には彼に軽蔑される運命にある。私は彼なしではもう生きていけないので、それはだめだ。私は覚悟を決めると、棒のような足を一歩前に踏み出した。


**


「シャーロット!」


 彼の声が美しく鳴り響く。それだけで招待客の何人かが振り向き、彼の微笑みに頬を染めた。


「どこにいたんだ? 探したんだぞ」


「ごめんなさい。友人と喋っていたの」


 そういうと彼は納得した顔をしながらも、濡れた私のドレスを見て怪訝そうな顔をした。水を零したのだ誤魔化すと、彼は心配そうな顔になりながら私を見た。


 そこにワルツが鳴り響く。私が娼館にいた時は馴染みがあった曲で、難易度がとても高いことで有名である。流石にこれは遠慮したいのか、殆どの招待客が波が引いたようにダンスホールから退いた。


「踊りましょう」


 私が誘うと彼は困ったような顔になりながら頷いた。聞くとあまり自信はないのだという。何でも完璧にこなす彼が難しいというのだから、この円舞曲の難易度の高さが知れる。私は彼の腕を優しく引くとダンスホールへと導いた。


 最初は緩やかなステップから始まり、テンポが上がる。それと同時に難易度も上がってゆく。ここからが女性の見せ所。ドレスをふわりと柔らかく躍らせながらも、アクロバットに動く。なかなかに難しい踊りだ。そして曲はクライマックスへと盛り上がり、男性はすべての力を使って女性をリフトする。そこからは情熱のタンゴだ。美しく、綺麗に、軽やかに。全ての力を使って見せる。蠱惑的に微笑みながら、布のように舞い、時には熱く、時には冷たく踊る。さっそうダンスホールは私と彼の領域となり、誰も入ることはかなわなかった。曲も終盤に近付くと、また最初と同じステップに戻りながらも所々に難しいものも入る。最後は男性が女性を軽やかに持ち上げて終わり。ホールは、一瞬水を打ったように静かになった後、歓声が鳴り響いた。


「知らなかった。シャーロット、君は踊りがうまいんだな」


 視界にちらりと赤いドレスが入る。何か言おうとしているのは一目瞭然だ。それにしても公然の場で言おうとするなんて何とも悪趣味な令嬢である。


 そろそろ潮時だ。


「ありがとうございます、ヴィンセント様。最後に一つだけ、貴方に伝えたいことがあるのです」


 彼の名前を呼ぶのはこれが初めてだった。彼は嬉しそうにはにかんだ後、それが何か問いてきた。嬉し過ぎて「最後」という言葉は聞こえなかったらしい。それでも、


「わたくしは永遠にあなたを愛していますわ」


 そう一言伝えると、いまだに拍手の鳴りやまないホールの中で金の鬘を取った後に、自らの首を隠し持っていた護衛用のナイフで裂いた。とたんに会場は血の海に代わり、歓声は悲鳴へと変わる。傍には呆けた彼と慄いた令嬢が立っている。ホールで死んだのはせめてもの令嬢への抵抗の証と彼に一生覚えてもらうため。鬘を取ったのは本当の自分を知ってもらいたかったから。彼に軽蔑されて、一緒に暮らせないのなら死んだほうがまし。私の決断は固かった。


「違うの! わたくしは別にこの人を殺そうとしたわけではないのよ! ただいい気になっている女を粛清してやろうと思っただけ! 娼婦あがりの女を!」


 言い訳がましく令嬢が怒鳴っている声が聞こえる。私のドレスは既に血に濡れて赤く染まっており、さっきかけられたのが水でなくても関係なかったとふと思う。そして、いまだに呆然としている彼に、最後の気力を振り絞って首を向け笑いかけた。


「一生愛しています」


 その一言を伝えた後、私の意識は暗闇の中へと引きずり込まれていった。

(2020/3/25 改稿)

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