第96話 準備
小鈴ちゃんと陽愛たちが俺の家に来て、色々と騒いでいった次の日――
重い瞼を擦りながら、俺はいつもの通学路を自転車で駆け抜けていた。
眠い理由なんて言うまでもなく、昨日の小鈴ちゃんの不可解な発言である。
いや、そこまで深く捉えても、今の俺にはどうしようもないのだが……。
◇
本日十七回目の欠伸をした時、元気のいい声が掛けられた。
「よおっ! 白城じゃねえか~! 元気してるか!」
魔装高までもう少しの地点、桜並木(もちろん、今は桜が咲いている訳ではないが)で左を向くと、いかにもスポーツマン、といった風貌の男子生徒が片手を挙げて笑いかけてきていた。
「……お~う、上繁……元気してない」
「んおっ!? どうしたんだよ、疲れた顔してぇ! はっ……さては……お前、昨夜は陽愛ちゃんと~!」
「意味が分からん」
「そ、それじゃあ、桃香ちゃんかあっ!?」
「俺に理解できる形に変換してから喋ってくれ」
そんな益体のない会話をする。
上繁……上繁徹哉。
つい最近になって、よく話すようになった同級生である。
俺も、さすがにクラスの雰囲気にも馴染み始めたのだ。
その背景には……陽愛や桃香、瑠海の人気があって、そこから俺へ流れてくるという現状がある訳だが……。
「くぁ~! いいねえ……クラスの美少女、三人と仲良くしてて……」
「誰のことだよ」
とは言いながらも、それが、陽愛、桃香、瑠海の、三人のことだとは、さすがの俺だって知っている。
それを上繁も理解していて、分からんならいいよ、と芝居がかった風に言ってくる。
「それにしてもよ~いよいよだな~」
「は? 何が?」
自転車を置きながら――上繁も付いて来た――首を傾げると、本当に驚いた顔をした。
「何が、ってお前……そんなの決まってんじゃねえか! 『聖なる魔装戦』だよ! ってか、お前は選手じゃねえか! 期待の新人じゃねえか!」
ああ、と頷いて、俺は校舎へ向かって歩き出す。
忘れていた訳ではないが、何をそんなに楽しみなのかは分からなかった。そのため、頭の中で一致しなかったのである。
それに、いよいよ、と言っても、十日余りの日数がある。
「お前……聞いてなかったのか……? 出るんだよ、今年は! まさかの応援だぞ!」
「え……もしかして、チアのことか?」
「おおう! やはり分かっていたか! 我が同志よ!」
「……勝手に同志にするな」
そう……大会に全校生徒を引き連れて来るのに、特に華もなく終わるのはどうか、という理由で、前例のない応援活動がある。
それが、チアガールだ。
チアの技術を競うのを、今時は、チアリーディングと呼ぶらしいが――あくまでも、競うのは魔装技術だ。
各校、チアガールの参加者を集めて、競技前に応援活動を行う。
大会の結果等には全く関わり無いが、一部の生徒のモチベーションが上がったらしい。おそらく、俺の目の前にいる上繁もその中の一人だ。
「なんの話かな?」
そう言って、唐突に品沼が現れた。
「おはよう、白城くん、上繁くん」
「おう、おはよう」
「よっお~! 品沼~!」
俺の隣に来て一緒に歩きながら、品沼が会話に混ざる。
「随分と……上繁くんのテンションの高さと、白城くんのテンションの低さに、差があるようなんだけど……?」
「ああ……色々あってな……上繁のことは、温かく見守ってやってくれ」
一人で舞い上がってる上繁に、品沼が首を傾げる。
俺は笑い混じりのため息をつき、校舎内へと入っていった。
◇
「昨日はごめんね……なんか、お邪魔しちゃって……」
陽愛が、開口一番そんなことを言ってきた。
「なぬっ!? やはり陽愛ちゃんと――!」
馬鹿な考えで、一人オーバーヒートしてる奴がいたが、放っておいて、俺は首を振る。
「いや、俺も楽しかったし、別に大丈夫だ。文句はねえよ」
「そ、そう……? それなら良かったけど……。とりあえず、ありがとう」
「ああ、了解」
そこに、桃香もやって来た。
「く、黒葉くん……」
オドオドしながら言ってくる桃香に苦笑しながら、手を前に突き出した。
「昨日のことなら、気にしなくていい。今、陽愛とも話してたし」
「え……そ、そう……? それなら……いいんだけど……今度からは、もうちょっと……その……許可を取ってから……」
「分かってるって、気にすんなよ」
俺がハッキリ言わないと進まない。
とりあえず、桃香は安心したように微笑んだ。
「……お前さ……本気で、神様か何か? もしかして、聖人?」
「は?」
信じられない、といった表情でおかしなことを言う上繁に、俺は眉をひそめる。
「あの、さ……」
「ん?」
その時、突然割って入ってきた声に俺が振り向く。
瑠海が珍しく、モジモジしている。
「あ、のね……その……昨日はさ……ちょっと、言い過ぎちゃった……。でも、本当に不安だったんだ――!」
え……もしかして、俺が本当に……その……ロリコンだとか、不安に思ってた訳か、こいつ?
どんだけだよ……なんか、逆に申し訳ない。
「いや、昨日の内に、喉が枯れるほど否定しきったじゃん」
「う、うん……そう、なんだけどさ……。私のこと、そういう対象として見てないんじゃないかな……って。いや、黒葉がそういうことに興味があるかないかの話からしちゃうと――」
「ぁぁぁあああっ! もういい! もう分かった! 気にしてないし、お前のことを……その……ええと……そういう風に見てなかったのは……違くて、だな……」
周りの人が聞いてると困るので、最後の方はぼかすしかなかった。
まあ、一番聞いていると言えば……。
「え……まさか……瑠海ちゃんとは、遊びの仲で……!? それで、昨日バレちゃって喧嘩か!?」
「……五秒以内に黙れ」
それにしても……わざわざ謝りに来るとは、変なところで律儀な奴らだな~……。
苦笑して、自分の席についた。
◇
「は~い、授業を始めますよ~」
のんびりとした、まだ幼さが残るような声によって、今日の最後の授業が始まった。
教壇に立つのは、どんなに頑張っても中学一年生ぐらいにしか見えない女教師、山吹先生である。
この先生は見た目からしても分かる通り、かなり甘い。
しかも、今は午後……一日の最後の授業である。
堂々と最初から寝ている奴らがいる。
「でわでわ! 今日から、基本知識の授業に入りますよ~」
それに気付くこともなく、山吹先生は教科書も開かずに言った。
この人の受け持ちは、魔装法知識。この間までは魔装法の歴史をやっていたが、一年の範囲は終わったので、基本知識の授業に移った。
「それではですね~……とりあえず、基本魔法の解説でもしましょうか」
相変わらず教科書には手を付けない。そのまま、黒板に向かった。
「歴史でも言いましたが――言わなくても知っていたとは思いますけど……魔装法が使われ始めたのは七年前からです。つまり、まだ未熟というか、不明な点などが多いのですよ」
教室中の生徒の六割が、睡魔で撃沈した。
瑠海も本気で寝てるが……頭がいい奴だから、起こす気にはならない。
「なので、政府が公式的に認めてる基本魔法は三つ! 移動魔法、強化魔法、防御魔法です。六年前ぐらいだと、基本魔法の総称が強化魔法だったんですね。今で言う強化魔法は、攻撃魔法と呼ばれていました。――って、これは歴史で話しちゃいましたね~」
てへへ、と照れる先生だが……すまん、俺も限界なので、早く授業を進めてくれ。
左隣の品沼は、さすがと言うべきか……恐ろしい集中力……やばい、品沼の顔がぼやけてきた。
「他には、属性魔法という呼び方も政府で指定されています。今のところ観測されているのは……炎魔法、水魔法、風魔法、土魔法、氷魔法、雷魔法、木魔法なんかもありますね……大体はこれぐらいですね。別名として、炎魔法を火炎魔法、土魔法を大地魔法、木魔法を植物魔法、などとも言います。これに関しては、あまり取り決めはされていませんね~」
ああ……なんか、すげえ頭痛い。
内容が分からない訳じゃないのに……やべえ、頭痛いよ……。
「今は色んな研究がなされていますからね~。今は属性魔法が、戦闘による上位魔法となっていますが……将来は、もっと大きな魔装法が使われるかもしれませんよ?」
「うおおぉぉぉぉお! 眠いぜー!」
「お前、バリバリ眠ってたじゃねえかよ、山吹先生の授業」
放課後、教室で騒ぐ上繁に俺は軽くツッコミを入れる。
「ふああ……山吹先生は、眠くさせる力があるよ~……」
瑠海が欠伸しながら言っている。
「睡眠魔法ってのもあるからね。特殊状態系の魔法ってのは、結構高レベルだよ」
「いやいや、まともに反応しなくていいんだよ」
真面目な顔で言う品沼に、どうしてもツッコミを入れてしまう。
すると品沼が、俺を見て眉を上げた。
「今日も特訓かい?」
「えあ? ああ……そうだな……」
突然の質問に変な声で答えてしまった。
今日も品沼と駒井だったかな……と考えていると、教室に誰かが入ってきた。
確認しないでいると、教室中からざわめきが上がった。
品沼の顔にも驚愕の色が見て取れる。
気になって、少し身体の向きを変えた瞬間、腕を掴まれた。
「行くよ」
「へっ……? って、ぅえっ!?」
自分でもよく分からない声を上げて、引きずられるように教室を出た。
「は、羽雪さん!?」
「何だい? どうかしたのかい?」
平然と返してくる羽雪さんに、俺は少しだけ安心した。
「もう……大丈夫なんですか?」
「ん? あんなの掠り傷さ」
いや……バッチリ腕が折れ曲がってたように見えるんですが……。
てか、実際に長期入院してたじゃん……。
向かっている場所は、すぐに察することができた。
「アリーナ……ですか……。あそこを使っちゃっていいんですか?」
「無論構わないだろう。一応、許可も取っているけれどね」
ポケットから、ぐちゃぐちゃになってしまった許可証を出した。
……いや、別にいいけど……丁寧に扱う必要も、特にはないだろうけど……。
「それで、退院直後の先生が何を教えてくれるんですか」
いきなりのことだったので、皮肉気味に言うと……むしろ、面白いというように、唇の端を僅かに上げた。
「な~に、ちょっとした調整さ。私が手伝うことなんて、ごく一部って訳なのさ」
「それは……どういった――」
再び質問しようとした瞬間、グイッと引っ張られ、アリーナの中へと突っ込まれた。
「おっとっと……ちょっと、羽雪さん……」
羽雪さんは俺の後ろから入って来て、扉を閉めた。そして、隅の方に行って座り込んだ。
「え?」
「おいおい、君の相手は私じゃないぞ?」
慌ててアリーナ内を見渡すと、壁にもたれかかる人がいた。
「え……陽毬さん……?」
「さあて」
疑問の声を無視し、陽毬さんはクルッと俺に向き直った。
「始めようか、戦争の準備を」




