第93話 努力
努力って言葉が嫌いだった。
その便利すぎる言葉に、嫌悪感を抱いていた。
成功者は、努力の結果、と言われるけれど、失敗者は、努力が足りなかった、と言われる。
便利すぎて、応用が効きすぎて、人を傷付ける。
しかも、その言葉が正しく見えて、傷つく事に気付かない。言う側も、言われる側も。
だから俺は、努力なんて言葉で、他人の頑張りを評価したくなかった。少なくとも、心からの評価では、とてもじゃないが言えなかった。
もし……もし、努力が本当に認められるのだとしたら……それは、成功も失敗も伴わない、単純な結果……。
勝ち負けじゃなく、『満足』で決めるしかなかった。
嫌な事ばっかだったよ。
高校に入ってからは、色んな奴と知り合えて、楽しい事が多い。
でも……いや、だからこそ、こんな現実は、直視したくもない。
けれど、変えたいなら、直視するしかない。
現実から逃げるなんて、実は簡単だ。
難しいのは、現実を変える事であって、そのためには現実を直視するしかない。
だから、俺はこれを直視して、変えるために努力しなきゃいけない。
「お前は……何を知ってんだよ……」
俺の掠れた声に、男が振り向いた。
「なんなんだ……俺をヴェンジェンズに勧誘したのは、俺が不死鳥だからだったのか?」
答えが返ってくるとは、思っていなかった。ただ、口をついて言葉が出ていた。
しかし、意外な事に、男は再び口を開いた。
「ああ……それだけじゃあない。お前には、成長の、『進化』の可能性がある。それにな――」
俺の知らない何かを、こいつは知っている。
それが……なんなのか……。
「――お前には、俺達と共に戦う理由が、あると思うんだがな」
「そ、れは……どういう意味なん――」
追求しようとした瞬間、俺の頭上を、炎の塊が通り抜けた。
男は目を細め、必要最低限の動きで、それを躱す。野々原がその後ろで、慌てて伏せている。
輝月先輩達が、向かってきていた。
「お喋りはここまでだな……全員を相手取るなんて、御免だからな」
そう言って、野々原も浮かび上がらせ、一瞬で消えていった。
呆然として……倒れた。
◇
その後、輝月先輩達と、少しだけ話した。
「ごめん……何も出来なかった」
小園先輩が申し訳なさそうに、頭を下げた。
千条先輩がそれを、複雑そうに見ている。
一度、1対1でやった事があるからだろう……その強さを知っているからこそ、なんとも言えないんだ。
「謝るな。今回は、俺達の対応も遅れてしまったしな……」
輝月先輩も気まずそうだ。
その通りで、俺達は何も出来なかった。
みすみす、野々原を渡してしまった。
「時間稼ぎにも、なりませんでしたね……」
瓜屋先輩も、暗い表情だ。
羽雪さんは既に、救急車で運ばれた。警察を呼ばなかったのは、面倒事を避けたかったからだろうが……来るだろうな、警察も。
遠くから微かに、サイレンの音が聞こえるし。
「お前らは、もう帰れ。後は俺が処理する」
千条先輩はそう言って、一人で校門側に歩き出した。
「……どう……するんですか?」
「ん?」
正直、判断に困った俺が言うと、輝月先輩が首を傾げた。
「任せよう。王牙が言った通り、俺達はもう帰ろう」
「で、でも……」
「心配いらない」
食い下がると、小園先輩が空を見上げながら反応してきた。
「千条の父親は、警視庁の重役だから。多少の無理は通るわ」
そ、そうだったのか。
だから、警察の情報とかも知ってたのか……なんとも言えないなあ、それ。
とりあえず、千条先輩を除く全員、帰宅する事となった。
家に帰るまで、色々と考えていたが……今は、後回しにする事にした。
「ただいま……」
「あ、お帰り」
青奈が、洗濯物を抱えながら、リビングから応じてきた。
今回は、目立った傷もないし……大丈夫だと思っていたのだが……。
「……お兄ちゃん、また喧嘩?」
「え……いや……してねえよ?」
牛乳を飲みながら、青奈の近くまで来た時、そんな事を言われ、少々焦った。
実際、喧嘩ってレベルじゃなかったけど。
「それは嘘だよ。だって、硝煙の匂いがするもん」
なんで分かるんだよ!
いや、俺が教えたからか……。
一応、そういう知識を教えちゃったからなぁ~……遂に、青奈にも、分かるようになってしまったか……。
なんというご時世。
「いや……そんな、怪我するような事じゃなかったし……?」
言い訳っぽく言うと、青奈は疑うような目で見た後、ため息をついた。
「まあ……実際、目立った怪我はないようだし……今回は良いよ」
やったー!
なんて言えず、代わりに、風呂に入ってくる、とだけ言ってリビングを出ようとした。
「……本当にさ」
「ん?」
振り返ると、青奈は洗濯物に視線を落としたまま、手の動きを止めていた。
「無理はしないでよね……いつか本当に、死んじゃうよ?」
「……」
死んじゃうよ、か……。
分かってて、言ってるんだよな。
そりゃそうだろうよ……こんなに無理して戦ってりゃ、普通は、いつか死ぬ可能性があるだろう。
実際、経験済みなんだから。
それを踏まえても……青奈は、俺を心配してくれている。
「ああ……そうだな……ごめん。気を付けるよ」
心にもない事は、言わない主義なんだけどな……。
でも、ごめん、だけは本心だった。
青奈には……心配させてばっかだからな。
でも、それと釣り合うぐらい、俺だって心配しているんだぜ?
寝る前に携帯を確認すると、陽愛からの、お礼のメールがきていた。軽い返信だけしておいた。
すると……別の人からの新着メールがあった。
「ん……これは……」
俺の記憶違いでなければ、これは輝月先輩だったハズだ。
時間が時間だし……少しだけ、違和感を感じた。
見ると……明日の事らしい。
明日といえば、俺の特訓の日だ。
けれど……羽雪さんの状態が状態だしな……。
『明日は、学校のアリーナへ来てくれ。羽雪さんは無理だが、臨時で特訓相手を用意した』
なるほど、やっぱりそうなるか。
その相手ってのが気になるけど……明日になりゃ、分かる事だしな。
疲れてたのもあって、早々と就寝した。
◇
次の日の朝。
青奈は友達と、母さんは仕事で、二人共出掛けた。
自転車を走らせ午前9時。俺は魔装高にいた。
昨晩、襲撃を受けたとは思えない、穏やかな空気だ。少数の部活動の音のみが聞こえてくる。
真っ直ぐ、アリーナへと足を運ぶ。
日曜日でも、許可を取ればアリーナを使える。それは、輝月先輩が取ってくれているだろう。
扉を開けて、中を覗く。
半分、予想通りだった。
つまり、半分は予想外。
「品沼……と――」
輝月先輩が、品沼を特訓相手に選ぶとは思っていた。
けれど……。
「久しぶりだね、白城くん」
「おう……久しぶりだな、駒井」
実際、そこまで久しぶりって訳でもない。
何度かメールの遣り取りをしていたし、喋らずとも、廊下で見かけるという事はあった。
ただ、面と向かって話すのは久しぶりだ。
「もしかして……二人が?」
「うん、まあね。特訓相手って事で良いよ」
品沼が手の中でナイフを回している。
なんか……おかしいな。
強くなるための特訓なんて、意外に簡単だ。
魔装法を使いまくって、応用したりする。新しい魔装法の経験を積むだけで、魔装力は少しずつ強くなっていく。
要は、実戦経験で強くなれるって感じだ。
羽雪さんが最初にした特訓は、シンプルな戦闘手段に対する対応。シンプルだが、通常より強化されていたりもしていた。それだけでもなく、移動魔法の使い方を更に広げるってのもあった。
けれど……それだからこそ、この二人はおかしい。
共闘経験はないハズだし、息を合わせての戦闘には、慣れていないだろう。
駒井に至っては、生まれながらの魔装力は強いが、まともな戦闘経験は少ないハズだ。あまり、戦い慣れていないって聞いた。
この組み合わせは……どうなんだ?
「とりあえず……始める?」
品沼が訊いてきたので、俺は腕時計を確認する。
9時半……さて、何分かかるか……。
「よし……始めよう」
俺が拳銃を抜くのを合図に、駒井も拳銃を取り出す。駒井らしい、小さめの回転式弾倉だ。
とりあえずパラを構えて、主戦力であろう品沼に狙いを付ける。
パンッ! という音と共に、品沼の姿が消える。
いや、消えたんじゃなく、移動魔法を使ったんだ。それも、結構なスピードで。
でもさ……そういうのは、羽雪さんで慣れちまったんだよな……!
風を切って、品沼のスピードに合わせる。あの日、無意識に出来た、超高速移動は無理だが……これでも、移動魔法の質は上がった。
品沼も速いが、目で追えないほどじゃない。
俺の右側に回ってきていた品沼から、更に距離を取る。
品沼の主武器は、大型ナイフ。単純な話、遠距離なら安全という訳だ。
「ッ!?」
と、完全に油断していた俺の足元に、銃弾が撃ち込まれる。
「そんな風に無視されると、ちょっとね」
駒井が撃ったのか……。
「訓練してたのか?」
「うん」
そんな会話もほどほどに、俺は気を引き締める。
何をやってんだ、俺。1対2って理解してたハズなのに、油断していた。
安物のナイフも抜き、改めて構える。
「それじゃ――」
――現実を変えるために――
「努力しますか」




