第76話 収束へ
三階廊下を、息を切らしながら走る生徒が一人。
益山だ。
「ハァ……ハァ……ここまで逃げれば……」
一番端の方にある空き教室に入ると、床にへたりこんで息を整える。
「クソッ……! あいつら……! 十人以上送って、井之輪の奴は潰したはずなのに……まさか、返り討ちにしたのか……」
悔しげに呻いて、益山は床を殴る。
しかし、さっきの戦いを見れば明らかだ。
井之輪蛍火であれば、そこら辺の魔装生十人では、相手にならない。
「どうする……この空間を潰して、更にあいつらを……いや、それなら……」
考え込みながらも、教室の扉を確認する。
鍵は掛けてある。
意味はないだろうが、何も無いよりマシだし、ここまでは分からないはずだ。
「こうなったら……操れる奴らを総動員させて、井之輪を襲うか……この空間を潰し、生徒会の役員を操った方が……」
彼は、この計画で実力を見せれば、播摩土研究所に行けることになっている。
学校を辞め、研究所で研究が出来る。
そのために、ここでは負けられない。
「八木は逃げたし……協力はやめて、空間を潰すか……そうすりゃ、俺だけでも逃げられる。いや、そうだな……」
益山は携帯を取り出し、八木にメールを送る。
最終計画、実施。
それだけ書いて、送信。
八木が携帯を見るか、メールを見るか、それを見て本当に実行できるか……。
「ふっ……どうせ、今の俺じゃ空間を潰しきれるか分からねえしな……ここは、運に任せて……」
そう言って脱力する益山。
「ダメだねぇ~……これ、運の尽きって、言うんじゃないかい?」
背後からの声に、益山はハッとして振り返る。
そこには、水飼七菜の姿があった。
「な、なんでお前、が……」
「うん? 献身的な後輩の看病があったからねぇ~……立ち上がらない訳にはいかなかったのさ~。それに、懐かしの人からのメールが、ね」
携帯には、井之輪蛍火からのメールが着ている。
軽い口調で言う水飼だが、右胸の辺りには、ナイフが刺さった痕が残っている。
出血はほとんど止まっているが……まだ全快とは言えない。
「今回は、利用されそうになったり……ってされたんだっけ? とにかく、私は知ってて何もできなかった訳だしぃ~? 後輩に迷惑かけてばっかだったしぃ? 最後ぐらいは役に立とうかと」
てか、いいとこ取り? などと、一人で笑っている。
ジリジリと益山が後退る。
「動くな」
さっきまでの軽口とは全く違う、重く鋭い口調で言う。
「もう充分だろ。どうやらあんたは、どっかの研究所からスカウトされたらしいね……そのための実験、か……。覚悟は、できてんだろうな」
水飼は拳銃を取り出す。
小柄で銃身で、あまり威力も高めとは思えない。
しかし、精密さにおいては群を抜く。
「あんたを倒せば、この空間は崩れるんだな?」
立ち上がる益山に、水飼は威嚇しながら聞く。
しかし、益山は薄笑いを浮かべて首を振る。
「そうだな……俺がやられれば、操られている生徒は解放される。しかし、この空間が崩れるのは、ないと思うぜ?」
「ほとんどの人間は、既にこの空間が本来の空間とは違うことを知っている。生徒のイメージをアテにするなら、的外れだぞ」
引き金に指をかけながら、水飼は冷たく宣言する。
こればかりは、いつもの水飼ではない。
益山は、更に笑いながら、首を大きく振る。
「空間の維持はもう無理だ。生徒会を操るのも、既に不可能だしな。だから……最後の抵抗さ。この空間を……暴れさせる――!」
言うと同時に、拳銃を抜き放ち、水飼に向けた。
発砲音が鳴り響く。
益山の銃弾は、真っ直ぐに水飼の胸に向かって飛び……二人の中間地点で、爆散した。
水飼の銃弾は、真っ直ぐに益山の右肩を貫いた。
「うがッ!」
拳銃を取り落とし、左手で被弾箇所を押さえて蹲る。
「ごめんね。私の得意とする魔装法は、収束魔法でね。周りのエネルギーやら何やらを、色々と収束でさせられるんだよ。ま、これが銃弾の精密さの裏打ちでもあるんだけど」
聞かれてもいないことを説明しながら、水飼は、爆散した銃弾の破片を拾い上げる。
「これは、私の銃弾の熱エネルギーを収束させたんだよ。もちろん、強化させないと、爆散まではしないけどね……ビックリしたよ。君の手元でやろうと思ったら、途中で爆発するんだもん。あまりにも近いと、普通に当たるよりもダメージだよ」
軽い調子で言うが、ということは……益山には、怪我をさせるつもりだったのかもしれない。
いつの日か、白城たちをも巻き込んで生徒会と風紀委員会が争った時、その前に轟音がした。
その音の出処は、水飼が牽制として、井之輪と自分の攻撃エネルギーを収束したことで起こった音だったのだ。
「収束、って不便なんだよねぇ……吸収魔法は、貯めることが出来るけど、収束は瞬間的にエネルギーに変えてしまうんだよ。だからこそ、すぐに対応するのにはいいけどさ……」
ボヤいて、水飼は益山に歩み寄る。
「さて、どういうことだい? 空間を暴れさせる? この空間の中心は、維持してるのは誰なんだい?」
益山は、最後の抵抗とばかりに口元に笑みを浮かべたが……すぐに答えた。
「駒井梨衣菜」
◆
「……優しいんだね、白城くんって……」
「そんなことない。今まで、少しも君のことを知らなかった。いじめの……ことも……」
「それは、仕方ないよ」
駒井はそう言うと、謝る俺にゆっくり近付いて来た。
「本当に、ありがとうね」
やめてくれ……俺にそんな言葉、言われる資格はないんだ。
ただ俺は、自分が思ったことを口に出してしまっただけ……。
「私、この事件が終わったら……ちゃんと、頑張るよ」
力強い、言葉だった。
「ああ……そうだな。いじめられそうになったら、俺に声をかけろよ。いつでも、力を貸す」
さっきは戦って逃げ出した俺が、何を言ってるんだ……って感じだが。
とりあえず、駒井は笑ってくれた。
良かった……後は、井之輪先輩や、まだ動ける風紀委員会の委員、他の人たちがなんとかしてくれる。
益山と八木が捕まれば、それで全て終わりで――
ッ!?
俺は前に倒れた。
駒井が驚きの声を上げ、俺の名前を呼ぶ声が遠く聞こえる。
痛みに顔をしかめ、なんとか手を動かして左胸に触る。
――血だ。
心臓には当たっていないが、左胸を銃弾が貫いたんだ。
一体、誰が……。
「よお、駒井」
その声で、駒井がビクッとなるのが分かった。
これは……品沼の声……けれど……違う……こいつは……。
「八木ぃィィィィッ!」
両腕に力を込めながらも、なんとか立ち上がろうとする。
しかし、背中を強く蹴られ、床に身体が叩きつけられる。
「……うぐッ……ガハッ……!」
口から血を吐き出し、俺は咳き込む。
「ハハハッ! どうしたよ、正義の味方ぁッ! ここまで邪魔しといて、結局、お前は負けっぱなしかぁ!?」
笑い声を上げる八木。
しばらく笑った後、八木は駒井に向き直った。
「駒井……お前はもう、用済みなんだよ」
冷たく言い放つ。
しかし、駒井は折れない。
「いい……感謝もしてるけれど、今回のことで、もうその必要もないって分かった。今度の私には、白城くんが味方してくれる。用済みだろうと、構わない」
「俺だけじゃなくて、陽愛とか、水飼先輩とか、井之輪先輩もいるぜ」
なんとか声を出すと、駒井は力強く頷く。
八木は舌打ちをした。
「お前……駒井に、変なのを吹き込んでんじゃねえよ……ったく……」
そう言って、八木は駒井を撃ち抜いた。
え……?
「用済みって言ったろうが」
は……?
「もう充分。最終計画は実施できるかどうか、って感じだったし……」
な……?
「後はなるようになるだろ」
仰向けに、駒井が倒れた。
「駒井……駒井ィィィィィ!!」
俺は力を振り絞って立ち上がり、駒井の元に駆け寄る。
胸の中心……鎖骨の間を撃たれている。
即死じゃない。臓器に当たってるわけじゃない。
しかし……どこか当たり所が悪いのか、出血が止まらない。左胸を撃たれた俺と、同じぐらいの出血量かもしれない。
「まさか……おい……」
どうすりゃいい?
俺は回復魔法が使えない。
俺も手負いだし、陽愛たちの元に連れて行けるかどうか分からない。
そして、一番は……。
「死んじまってねえよなぁ? そいつは、まだ役目があるんだが」
「て、テメエ……う、あぁぁぁぁぁぁぁァァァァッ!」
パラとナイフを、両手でそれぞれ抜いて飛び掛かる。
しかし、今度は右足の太腿を撃たれる。
それでも、なんとか踏みとどまってパラを向ける。その右手を殴りつけられ、パラが床を滑る。
ナイフを突き出そうとするが、左の脹脛を撃たれ、ついに膝をつく。
制服から風魔法か雷魔法を放とうとするが……今の俺の、肉体的ダメージ、精神力の消費、魔装法と道具の相性……それらにおいて、微量の力しか出ない。
「残念だったな――」
八木が俺を見下ろし、ニヤリと笑った。
無力さで、俺は脱力しそうになった。
その時……。
バチィィィィィィィィィィィィィィィィィッッッ!!
凄まじい音と共に、背後から光が迸った。
首だけで振り向くと……そこには……。
真っ青な顔で立ち上がって、しかし毅然と八木を睨みつける、駒井の姿があった。




