第69話 視点と偽者
何か……違和感がある……気がする。
黒葉は、何か様子がおかしい気がするって言うか……いつもの感じじゃないような……。
「陽愛?」
呼ばれて振り返ると、桃香が立っていた。
「次……教室、動かないと……」
「あれ? 今って……何時限目だっけ?」
「え? 三時限目……だけど?」
あれ……?
三時限目?
まだ三時限目、って言うか……おかしくない……?
「ほら、行こうよ!」
瑠海もやって来て、私と桃香の手を引いて歩き出す。
気のせい……だね。
何も不思議なことなんてないよ。
きっと。
◆
俺は偽瑠海から逃げ出し、教室へ行くことを諦めた。
教室に行けば、偽の同級生やらに襲われる可能性が高いからな。偽瑠海の件から、それはかなりの高確率だと言えるだろう。
「何十人も、一斉に相手なんてしてらんねえ……」
しかし、学校の全員で一気に襲いかかってくることはほとんどないだろう。
それをしてしまえば、俺が更に、この空間への反感やらなんやらを増幅させてしまい、反抗的イメージも膨らむ。そうなれば、ただでさえ脆いこの空間の消滅が、もっと早まるだろう。
「黒葉」
「うん?」
考え事をしていたせいもあり、簡単に振り向いてしまった。
後ろに立っていたのは……陽愛。
いや、偽陽愛。
「話したいことがあるんだけど……いいかな?」
「ここじゃ駄目か?」
「うん……ちょっと、校舎裏に来て欲しいな」
まあ……この校舎からは出たいと思っていた。
少しだけなら、校舎の周りの空間も創られているのか……。
いや、魔装高の敷地も創られているんだろう。
「分かった」
◆
「これ以上、魔装高に何の用がある?」
男が、異様な気配を放つ第三魔装高校を遠くから眺めている。ビルの屋上にいるのだ。
その隣に、双眼鏡を持っている女がいた。
どちらも、まだ二十代のようだ。
「奴が出向いてくるかもしれないんだよ」
女が第三魔装高校から目を離さずに言った。
それを聞いて、男は意外そうな顔をした。
「へえ……なんで? 今更、あの学校に何かあるってのか? しかも、第三だろ?」
「馬鹿だねえ……あんたは。奴は第三魔装高校の卒業生だろう? それに……いるじゃないか。まさか、知らないのかい?」
女がニヤリと笑った。
音が不愉快そうに鼻を鳴らす。
「ああ、こっちにいるんだっけ?」
「そうだよ……あの――」
女は一度、双眼鏡を下ろし、自分も視線を外した。
その顔には楽しげな表情が浮かんでいる。
「フェニックスがいるんだよ」
◆
俺は偽陽愛に連れて行かれ、校舎裏へと向かう。
何があるのかは分からないが……とりあえず、空間中枢を探らないと……。
目の前で陽愛が止まる。
「……黒葉」
どこか、神妙な雰囲気だ。
分かってる。
これは偽物で、幻影で、似ているだけの別物で――別者だ。
「なんなんだよ、話って」
「その……前から、言おうと思ってんだけど――」
次の陽愛の台詞は、誰のイメージだったんだろう。
今までのデータで出来上がった言葉だったのかもしれない。
偽物と分かっていても……それは、俺に衝撃を与えるに充分な言葉だった。
「――私……黒葉のことが、好き」
◆
戻って来た第三魔装高校は、妙なことになっていた。
誰がこんなことをしたのかについては、俺にもよく分からない。いや、来たばかりだからであって、調べればすぐに分かるだろう。
魔装高の対応のぬるさに苛立ち、戻って来ることを決意してすぐに、またこんなことが起こってやがる。
もちろん、手助けするつもりはない。
これは、ただ感情的な理由だけではない。
この事件は、あいつらの問題だ。あいつらが自力で解決しなければ、全く意味がない。
それに……こっちはこっちで、忙しいかもしれないしな。
飛んできた銃弾を、俺は移動魔法で躱す。躱す、と言っても、五十センチ前に動いただけだ。
銃弾は俺の靴の踵スレスレで、地面にめり込んでいる。
考えなくても分かる……ライフル弾だった。狙撃銃で狙われたんだ。
タイミングなどからしても、俺が来るという情報を掴んでいて、ずっと見張ってたってとこか。
暇な奴らだな。
それにしては、すぐに撤退したようだ。実力差については、理解したらしい。
「まあ……頑張れよ、在校生。誰が仕込んだのか……知る気もねえけどな」
呟いて、俺はひとまず、第三魔装高校を後にした。
◆
「な、な……何……言ってんだ……」
「ごめん……黒葉がこういうことには興味がないとか、そういうのは知ってるよ? でも……どうしても……言わなくちゃ、って……」
落ち着け、落ち着け俺。
目の前の陽愛は偽物で、俺は陥れられようとしているんだ。
こんなの……本当は、本当の陽愛は思ってもいないことなんだ。
おかしいだろ?
瑠海にだって、なんであんなに好かれてるか謎なのに……こんなの……。
「付き合って……下さい」
遂に陽愛の口から、偽物の、幻影である陽愛の口からその言葉が出る。
これは魔装法の産物で、人間ですらない。
それなのに……なんだよ、このリアルな表情は。頬を赤らめて、俯いて……なんなんだ。
「……お、俺は……」
決まってる。
これで、俺がついついオーケーという返事をしてしまうこと……この陽愛について俺が深く考えてしまうことが、奴らの目的なんだ。
前にも言ったが、俺は恋愛とはおさらばしたんだ。
親密な友達からの告白だったとしても、俺は断る。無理ならば無理だと、本心をしっかり伝える。これが、別空間じゃなくても。
それが、相手への誠意だろう。
なのに……言葉が出てこない。
なんで、すぐに断れないんだ?
どうしたんだよ、俺。何を迷っている。
最低限、本物で迷うなら分かるけれど……相手は偽物だ。幻影だ。どんな好条件でも断らなければいけない。
言え……言えよ、俺。
「だから……俺は、陽愛とは……」
付き合えない。
次の言葉が出てこない。
これだけなのに……これだけで、終わりだってのに……。
「もういいよ。お疲れ」
見上げると、二階の窓から水飼先輩が顔を出していた。
「君の友達を使ってくるとは思ってたけど……まさか、そんなメジャーな手だとはね」
ニヤニヤ笑って俺を見てくるので、顔を伏せるしかない。
なんで……すぐに応えられなかったんだ?
「まあ、いいってことさ。えと……折木桃香ちゃん? あの子が私のとこに来たよ。ちょっと、今は駄目な感じだけど……」
何やらあったらしい。
最後の方を、妙にはぐらかした。まあ、隠したいんだったら、無理して話させる訳にはいかないし。
「クローバーくんが、恋じかけに弱いことは分かったよ」
「茶化さないで下さいよ……それで、どうしたんですか?」
俺が堕ちる前に来てくれた、と言えばグッドタイミングだが、それだけじゃないだろう。
「まあ、ねえ~……見つかったよ。空間の中心が」
ずっと探していたらしい。
その言葉で、明らかに偽陽愛が反応した。
それと同時に水飼先輩が二階から飛び降りて、俺と陽愛の間にふわりと着地した。
間髪入れずに、陽愛に抱きつくようにして何かをした。陽愛がふらりと倒れる。
「気絶させただけ。クローバーくんには、無理そうだもんね~」
「か、返す言葉も……ございません」
水飼先輩は朗らからに笑い、クルッと俺に背を向けた。
「そんじゃ、行こうか。充分でしょ?」
「そうですね。充分、長居しましたし」
偽りの世界を、終わらせよう。




