第215話 七月二十三日 Ⅲ
拳銃よりも重い、この銃声……! 狙撃銃L96による、桃香の狙撃だ!
誰もが予想していなかったタイミングでの、思わぬ先制攻撃。
今回は通信機能もなかったのだから、俺たちとレヴィアタンの発言は桃香には聞こえていないはずだ。それをこのタイミングで発砲したということは、陽愛と瑠海の動きを感じ取ったのだろう。
桃香の狙い通りかは分からないが、陽愛と瑠海の動きは止まった。
それも、最悪な現実を伴って。
「先走ったのが一匹」
つまらなさそうにレヴィアタンが首を振る。
桃香の放った狙撃弾は、こういう場合の定石として、脚へと向かっていた。しかし、その銃弾は、レヴィアタンの右脚を射抜くことなく、弾かれたのだ。
魚の鱗のように見える何かが、レヴィアタンの脚を服の上から防御する形で、急に出現した。その一瞬は、当然狙撃弾すら追えない俺の目には分からなかったが……似た光景は見たことがある。
マモンの金属生成の能力で、鉄板が突如空中に出現し、狙撃弾を受け止めて見せたのだ。それと似てはいる。
味方の俺たちですら気付かなかった、完全なる不意打ちの狙撃。攻撃姿勢を取る直前という絶妙なタイミングだったにも関わらず、容易く受け止めた。
やはり規格外だ……こいつらは。
「さて、じゃあお返しするか」
なんでもないように呟いたレヴィアタンに、やっと思考が活動を再開した。
「桃香! 逃げろ!」
どこにいるかも分からない桃香に叫んで、俺は陽愛と瑠海の間を縫って突撃する。
レヴィアタンがどんな能力を持っているかも不明だが、初見でベルゼブブのような攻撃を受けたら、間違いなく躱しきれない。
そして、こちらの攻撃だが、マモンと同じ発想で挑むしかない。距離を空けて撃っても止められるのだし、至近距離からの銃撃と徒手格闘によって押し切るんだ。
「命を捨てたな、不死鳥」
レヴィアタンの冷たい視線に、俺の脚が、前に進むことへの拒否反応を覚えた。
そりゃそうだよな……馬鹿らしい。
マモンの時と同じ発想? マモンに詰め寄って、床に脚を釘付けにされたんだぜ?
でも、俺には他に手段もなくてな。
「雷裂!」
腕を伸ばせば届きそうな距離で、レヴィアタンの左脚に銃口を向け、引き金を引く。雷を一直線に方向付けた、貫通力を増大させる新技を込めた。
「無駄だ」
呆気なく、俺の銃弾と雷魔法は弾かれた。またもや突然現れた鱗の防御によって。
……正直、初手から出し惜しみなしの攻撃力で攻める気だったのだが、今のを見て考えが変わった。これは、現状じゃ打破できそうにない。
銃撃を受けたハズのレヴィアタンは、平然と立っているし、衝撃を受けたような様子すらないのだ。
「くそっ……!」
すぐさま前に行くのをやめ、片脚で地面を蹴って飛び退る。
自分の反応、判断が遅かったとは思えないのだが――
飛び退く寸前で、レヴィアタンの鋭い右脚蹴りが、俺の胴体を掠った。その掠っただけの衝撃で、身体が体勢を崩して地面を転がる。
「「黒葉!!」」
俺に続こうとしていた陽愛と瑠海が、同時に動きを止めて後退した。
牽制のためか、陽愛が何度も引き金を引くが、全て鱗に受け止められる。少し後方からの月音の援護射撃も意味を成さない。
「……っ……! どうなってんの……!?」
瑠海が叫ぶように言いながら拳を構える。
「瑠海、やめろ。あいつの基本攻撃範囲は、おそらく近距離……近付いたら、一気に落とされるぞ」
立ち上がって二人を守るように立ちながら、飛び出しかねない動きをしていた瑠海を諫める。
おそらく、中距離もいけるだろうが……十中八九、遠距離はない。
先ほどの桃香を攻撃するような発言は、俺を焦らせて、前に誘き出すためのハッタリだ。
仮に、桃香を攻撃できる手段があったとしても……その必要はないのだろう。
「どうする?」
レヴィアタンは首を傾げ、ゆっくりとした足取りで近付いてくる。対して俺たちは、一定の距離を保つように下がることしかできない。
あのレベルのエネルギーを平気で防ぎきる防御力。そして、さっきの蹴りの威力。
シンプルにして強い。もう俺には、打つ手がなさそうだぞ。
「この場は逃げるしかなさそうだな……」
早くも結論はそれに絞られた。
まだ絶望するほどの精神状態でないのは、俺が不死鳥の魔法を使っていないから。それに、月音も吸血鬼の魔法を発動していない。この二人の交神魔法を相手にしても、まだ余裕を見せるようなら……それこそ、手段は絞られる。
事前に決めてある簡易的なサインを左手で送り、全員に“離脱”の意思を伝えた。
勝ち目がない、だけじゃない。俺たちの異様な雰囲気に気付いた学生が何名か、遠巻きにこちらを見ているのだ。これ以上、騒ぎが大きくなるのは避けたい。
「逃げる気か?」
レヴィアタンが、俺たちの動きを即座に理解してか、不機嫌そうに首を傾げた。
「生憎、こっちにも予定があるんでな」
パラで地面を撃つ。撃った場所を中心に風が吹き荒れ、そこら中の砂や葉っぱが巻き上がり、レヴィアタンの視界を狭めた。
「行くぞ!」
全員が、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに走り出す。
俺と一緒にいたら危険が及ぶ可能性がある。また、誰かが人質に取られたら、前回の二の舞になる可能性も大だ。よって戦力が削がれる危険より離脱を優先し、狙いを俺一人に向ける。
すぐさま影の上を移動するように動き、携帯を取り出す。ポケットから小型でワイヤレス式のイヤホンを取り出し、左耳にのみ着けた。
同時通話を開始し、誰かが反応するまで走りながら待つ。
「黒葉くん、大丈夫……!?」
最初に反応したのは、やはり桃香だった。
「俺は今のところ無事だ。桃香こそ、大丈夫か?」
「うん……私は校舎の二階にいるよ。動きを見てたけど、追いかけて来てないかもしれない」
「どういうことだ?」
脚の動きを止めて振り返る。確かに、追いかけてくる人影はない。
「黒葉くんたちと反対方向に歩いて行ったの……後はもう、木が邪魔して見えないけど……」
どういうことだ?
圧倒的な能力を見せつけ、俺たちの戦意を一瞬で喪失させたのに……追撃がないだと?
パラをホルスターへと戻し、警戒しながら駐輪場に戻る。
……誰もいない。数名の生徒が、自転車で走り込んで来たのみだ。
全員へと連絡を取りつつ、俺の頭の中には疑問ばかりが渦巻いていた。
◇
再集合した俺たちは、警戒をしながらも、実技講習の指定場所であるグラウンドへ向かった。
全員が釈然としていないのが、雰囲気で伝わってくる。
あのまま戦い続けていれば、誰かが犠牲になったかもしれない。そう考えると、結果的には問題ないどころの話ではないのだが……どうにも、生かされた、という感触が強い。
だが、悪魔がそうする理由はあるのか?
経験がマモンの時のものしかないから、どうも前回のことを踏まえて考えるしかない。考えられるとすれば、同様に、俺を直接取り込むための下準備ができていなかった、という可能性だ。
今日のは戦力的な様子見で、実行するために支障があるかどうかを判断しに来ただけ、だとすれば?
俺を拉致できればそれはそれで良し。無理に確保できなくても、まだ準備段階であれば気にしないで見逃す、という考えで現れたのではないか。
「全員、訓練の師匠役をしてくれてる先輩に連絡してくれ。警戒して欲しい、って」
今はそれくらいしか備えることがない。
あいつら悪魔は一騎当千。個人が警戒する程度では、気休めにしかならないのは分かっている。
それでも、悪魔が動き出す度に報告しなければ、ちょっとしたことで命取りになる。
月音には、可野杁さんへの連絡をお願いして、俺は青奈へと連絡をする。
まもなく実技講習の時間となったが……前半のおさらいと共に、自由に二人一組を作って、簡単な模擬戦をやるようなものだった。
これなら、俺は別にいなくても良かったかな。
他のみんなを残し、俺は人の間を縫って、一人の生徒のもとへと駆け寄る。
「不舞さん」
「? 白城くん?」
先生たちの補助役をしていた不舞さんに、思い切って話を切り出す。
「折り入って、お願いがあります」
魔纏――素手からでも強力な一撃を放つための技。
それを完成させるために『オーバーチェイン』を教わりたい、と正直に話した。
「無理なの」
……即答された。
「詳しい話は、こっちで」
しかし、何やら話をしてくれるそうなので、グラウンドから出て行こうとする。俺もそれに続いた。
着いた場所は、先ほどの会議室。椅子に座るよう促されて、手近な椅子を一つ引き寄せる。
「意地悪で言っているのではないの。その発想による技を実現しようとしたら、『オーバーチェイン』ではエネルギーを運びきれないと思うの」
俺の正面に座り、不舞さんが申し訳なさそうに口を開いた。
どうやら、水飼先輩のアドバイスも的を外してしまったようだ。俺の当ても、遂になくなった。
「だから、やり方を変えるしかないと思うの」
「というと?」
俺の中で勝手に結論を出すのは早計だったようだ。
そりゃそうだよな。断るだけなら、こっちに場所を移す必要はなかったんだから。
「拳にエネルギーを集めるのではなく、体当たりのようにすればいいと思うの」
俺が眉をひそめるのを見て、不舞さんは微笑んで立ち上がった。会議室の前へと移動し、黒板の前でチョークを手に取る。
「殴る、という発想ではなく、身体全体でぶつかり、衝突点を拳にする、ということなの」
すらすらと簡易的なイラストを黒板に書いて、その違いを分かりやすく教えてくれる。
なるほど、意味は分かった。
しかし、それでは動作があまりにも分かりやすくなりはしないか?
「身体全体で運動エネルギーをパスして加速させる、という発想は悪くないと思うの。でも、それには時間がかかるし、邪魔が入れば自壊することにもなる」
俺の、魔纏の欠点を、的確に指摘してくれる。
確かに、俺が実戦で使ったことはない。この前の訓練でも、瑠海と一撃を競う、という限定的な条件下で使ったのと、人が相手ではない、という二回だけ。
「そのためには、最初の目の付け所はいいと思うの。収束魔法で加速を早めることはできる」
だが、それには問題点がある。
収束魔法によってエネルギーは、収束地点へ集まる、という動作で終わりなのだ。つまり、初速度は上がったとしても、収束魔法を使った場所でエネルギーの動きは止まる。
「多分、問題点には気付いてるのでしょう? けれど、それを利用することで、逆にあなたの本来求める形に近付けると思うの」
「どういうことですか? エネルギーの加速を早める手段が他に?」
「一つのエネルギーを加速する、というのが間違いなの」
堪えきれずに訊ねた俺の言葉を、不舞さんは首を振って否定した。
「最初に言った体当たり、というのは比喩でしかないの。つまりは、全身加速による終着地点を拳にする、ということなの」
不舞さんはチョークを手に、俺の方へと歩いてきた。
「あなたは、魔装法の扱いをどれほど丁寧にできる?」
「丁寧……?」
「つまりは、どれほど緻密にコントロールできるか、ということなの」
そう言って不舞さんは、チョークを顔の前に持ってきた。真ん中を親指と人差し指で摘まむように持つ。
息を呑む俺の前で、チョークの中央に亀裂が走り、右側のみが砕け散った。綺麗に、長さが半分となったのだ。
「今、私は二種類の魔装法を使ったの。チョークの中心を分けて、片方には防御魔法を、片方には微弱な爆発魔法を」
マジか……『オーバーチェイン』を使うでもなく、ただコントロールのみで?
「一つの物体に一つの魔法を纏わせるのではなく、部分的に分けて、複数の魔法を使うの」
驚く俺に微笑んで、不舞さんはテーブルに散らばったチョークの破片を片付け始めた。俺も慌てて手伝う。
一つの物体に、バラバラの魔法を重ねることは基本できない。誰もが無意識に行うことだが、ミックスするのだ。防御魔法と風魔法で、特殊防御魔法を使うように。
だが……もし、仕切りがあるかのごとく、部分的にバラバラの魔法が使えたら。
ナイフの柄に移動魔法を使って加速し、先端部分には強化魔法を使って投擲攻撃する、というシンプルでいて貴重な攻撃もできる。
「これは練習が必要ですが……あなたなら、できると思うの」
不舞さんに言われて、俺は頷いた。
不舞さんの提案としてはこうだ。
一、身体全体による加速。
二、上半身のみの部分的な加速。
三、肩のみの部分的な加速。
四、腕のみの部分的な加速。
この四つの加速を、収束魔法も使ってコンマ数秒の連続で行い、相手に拳を当てる。反動による自身への影響を防ぐため、『オーバーチェイン』で分散魔法を使い、自分へのダメージは地面などに流して最小限にする。
四つの加速は、状況によって変化し、何度かのパスによってエネルギーを移動させることになった。
魔法のコントロールによって、加速するための移動魔法と収束魔法、自壊防止のための『オーバーチェイン』と分散魔法、その二種類を同時に制御する。
「『オーバーチェイン』……教えてもらってもいいんですか?」
この話を聞いた時、結局は『オーバーチェイン』を使うことになるのが疑問だった。不舞さんは、俺に『オーバーチェイン』を教えてくれないと思っていたからだ。
「ええ、身を守るためには、いくら魔法を覚えていてもやり過ぎはないですから」
そういうことじゃ、ないんだけどな。
微笑む不舞さんに、俺は唇を噛んだ。
独自の特殊魔法が、どれほど貴重なものか知らない訳がない。それを、他校の、しかも知り合って日が浅い一年に教えるなんて……自分で頼んだことだが、信じられない気持ちがある。
輝月先輩から聞いた、不舞さんのことを思い出した。
不舞さんは、敵意を感じられない。撃たれようと、それが自分に向けられたものと気付けないそうだ。だから全て、彼女は動体視力で判断して、躱すべきだとか守るべきだとか、それらを決めるらしい。
それはもしや、精神的なものでも同じじゃないのか?
悪意を持った話にも全て頷いてしまうような、この世に悪など存在しないかのような、そんな心持ちなのでは?
一瞬だけ、無意味な心配をしてしまった。
俺がそれを思ったところで、何ができる訳じゃない。どういう過去があったとしても、それに踏み込むような間柄でもない。
今はただ、その善意に甘えよう。
水飼先輩の提案した分散魔法は、結局は自己防衛の方に回され、習得する形になった。
みんなには事情を伝え、結局は日が沈むまで、不舞さんから様々な魔法のご教授を頂いたのだが……。
『オーバーチェイン』は、習得した、というにはお粗末なものだったし、収束魔法や分散魔法も中途半端。『魔纏』の練習以前の問題だった。
そもそも、魔法の細かいコントロールすらできていない俺には、この道のりは長い。
「あ~……疲れた」
「講習より疲れてるんじゃない?」
俺が深く息を吐くのを見て、陽愛が笑った。
先に帰ってもいい、とは伝えていたんだけど、全員が待ってくれていた。レヴィアタンの襲撃に備える意味でも、その方が良かったのだろうが。
江崎には報告も兼ねて電話をしたのだが……やはり出なかった。
どうにも不気味だな。
「陽愛、陽毬さんはどうしてる?」
連絡がつかない人として、身近にもう一人いたんだった。
聞いた途端に、陽愛の顔が曇った。街灯がその暗い表情を照らしている。
「それが……あの日から、ずっと帰ってないんだ」
「あの日?」
「十五日」
十五日――マモンと瑠海の、あの件の時――
「あの人、ふらふらしてるから、帰って来ないことは珍しくないんだけどね」
無理に明るい声で言ったのが分かる。
陽毬さんが、行方不明?
「それ、警察とかには言った方がいいんじゃないの? もう一週間じゃん」
瑠海が真剣な声で忠告をする。
話を聞く限り、一週間音信不通、というのは初めてじゃないらしい。だが、今は状況が悪い。何かあったのではと心配するのも当然だ。
空気が一気に重くなった。
悪いことばかり、耳に入ってくるな……俺の訓練方針が決まったことくらいで、何もかも手探りだし。
それから俺たちは、口数少なく、月音、桃香、陽愛、の順で別れて行った。
瑠海は俺の家にまだ荷物があるから、一緒に帰宅する。時間は既に六時になろうとしていた。
「おかえり~」
既に帰宅していた青奈が、俺たちを出迎えてくれた。どうやら何事もなかったようだ。
晩飯の準備もしてもらっていたので、俺たちは着替えて、リビングで寛いでいる。
瑠海は結局、明日の朝に雁屋さんの迎えで帰るそうだ。
「ちょっと歩いてくるわ」
誰にともなく呟いて、俺は座っていたソファから立ち上がった。
すぐに帰ってきてよ、という青奈の声を背に受けて、玄関に立つ。
「……何かあったら、すぐに連絡してね?」
いつの間にか後ろに立っていた瑠海が、囁くように言った。
どうやら俺が、様子見も兼ねて外に出ることに気付いたようだ。それでいて、考えなしに付いて来ようとしないあたり、成長したな。
「青奈と小鈴ちゃんのこと、任せたからな」
俺の言葉に、瑠海は無言で頷いた。
青奈には警戒するよう伝えているが、まだ悪魔と直接対峙していないこともあってか、警戒心が薄い。
江崎と連絡が取れない以上、家の周囲を警備してくれているというリバースの面々で充分とは言いきれない。だからこそ、囮の意味も含め、俺が外に出る形を取ったのだ。
今日中にまた仕掛けてくるかは不明だが……仕掛けられたら、俺は――
青奈と小鈴ちゃんを背に、守りきれる自信がない。




