第213話 七月二十三日
帰宅した青奈から、整備されたパラ・オーディナンスP18モデルを受け取った。さすが、外見から何から、新品のようだ。それでいて新品を扱うような固さはなく、普段から使っていたような感覚が残っている。正に、悪い箇所だけを的確に直した、と言った感じだ。
満足している俺に一声掛けてから、一緒に帰宅した瑠海と青奈は、二人揃ってキッチンに立った。
瑠海の誕生日での惨劇を知っている俺と小鈴ちゃん(露骨ではないが、少し表情が怯えているように見えた)は恐々としていたが……青奈が丁寧に料理を教えているらしく、悲鳴は聞こえない。
教える、という行為そのものが苦手な俺と比べ、青奈は人に教えるのが上手いから助かる。小鈴ちゃんに何かを聞かれた時も、俺より青奈の方が活躍するのだ。
そんなこんなで完成したのが、王道とも言うべきカレーだった。見た目は問題ないし、香りからも危険な匂いはしない。
「鍋底、少し焦がしちゃったと思う」
「それくらいは気にすんな」
舌をチロっと出した青奈に、俺は手を横に振る。洗い物担当が、自動的に俺になるだけの話だ。
少し疲れたような様子だが、瑠海は満足そうな表情をしている。
「どう? 私のカレー!」
「はいはい、まだ食ってもない段階で言うもんじゃないから」
胸を張る瑠海に、俺はわざとらしくため息を吐いて見せる。
ま、頑張った方だろ。青奈の補助があったとは言え、瑠海の料理は本当に壊滅的だったしな。
基本的には器用になんでもこなすくせして、家事に関しては中々に酷い。料理はその筆頭だったが、この感じだと、すぐに上達しそうだ。
ただ……ちょっと、量が多過ぎる気がしないか?
俺と同じことに気付いたのか、小鈴ちゃんが目をぱちくりとさせてから、小首を傾げて大きめの皿を取りに行った。
◇
慣れないことをした精神的な疲れからか、俺がシャワーを浴びて部屋に戻ると、瑠海は既に眠っていた。当たり前のように俺のベッドの上で。
カレーは全員が二杯以上食すことになって、残りは母さんに託した。胃が小さい母さんは、きっと一杯しか食わないだろうけど……まあ、カレーは次の日に持ち越しても大丈夫だからな。
明日は九時前には家を出るし、寝起きの悪い瑠海は早く寝るに越したことはない。
今日の夜は暑いからだろう、布団を跳ね飛ばして、何も掛けずに眠り込んでいる。
「さすがに風邪をひくぞ」
薄い毛布を一枚掛けて、俺は瑠海が跳ね飛ばしていた厚めの掛け布団を取った。
こうして思うと……同級生からは完璧美少女なんて言われるほどに羨望される瑠海も、色々と弱いところはあるんだな。苦手なこと、不得手なこと……それを無警戒に見せてくれることを、俺はもっと貴重に思うべきなんだろう。それほどに信用されて、心を許されているってことなのだから。
でも、好きな相手には、なるべく自分の駄目な部分は隠しておきたいんじゃないのか?
また身勝手にそんなことを思ったが……瑠海はそういうタイプじゃないしな。俺にはよく分からないし。
思わず微笑んで、瑠海の乱れた髪を右手で撫でて整える。
まだまだ、俺も理解できていないことは多い。
この夏休みを使って、と言うのもなんだけど……瑠海だけじゃなく、友達ともっと関わっていくべきなのかもしれない。俺は不死鳥を理由に、できるだけ人と深く関わらないようにしようと思っていたが、それも結局は逃げだ。
瑠海から教わったことだけれど、理由の不明確な思いやりは、想いの押し付けになる。それは時に、想いの暴力にだってなるのだ。
さて……俺も明日は瑠海と一緒に出る訳だし、早めに寝ておくか。
整備されたパラを机の上に置いて、俺は部屋の電気を消した。
翌朝、いつも通り早く起きた俺は、全員分の朝食を作ってから外に出た。
軽いランニングも兼ねて、適当な場所でパラを試し撃ちしようと思ってだ。藤宇さんに限ってないとは思うが、どこか不具合なんかがあったら大変だからな。
少し走れば住宅街、商店街も抜けて、空き地や空き家が多い場所に出る。そこら辺でいいだろう。
夏の朝はそれほど暑くないが、運動していればすぐに汗を掻く。水分補給をしようと思って、曲がり角の自販機の前に止まった。
財布を取り出した時、靴が地面を擦る音がして、視線を右に向けると――
あの時の少女だ。この前、青奈に頼まれてかき氷のシロップを買いに行った時、帰り道で追い越した少女。目立つ緋色の長髪に、小柄な体型の女の子。あの時と同じように、日本刀も背負っている。
その少女が、俯きがちにこちらへ歩いて来る。この道は、駅に向かう道だから、この時間に通る人も少なくないのだろうが……気になる。
何が気になるって、服装だ。あの日は、何を着ていたかよく覚えていないが、今日は制服を着ている。しかも第三高校の。
小柄な体型だし見たことがなかったので、中学生かとも思ったが驚き、同じ高校の生徒らしい。
あまりジロジロ見るのも失礼なので、自販機から出てきたスポーツ飲料を取り出しつつ、チラッとその顔を見る。
よく整った、日本人形のような綺麗な顔立ちだ。純和風って感じがする。日本人離れした髪色とは対照的だ。
もしかして、転校生だろうか? この時期に?
瑠海という前例があるだけに、否定もし切れないのだが、少し違和感がある。
この時間ってことは、特別講義が第一高校での朝一番で入ってるくらいだろうな。もしかすると、身体が弱いとか病気とかで、学校を休みがちな子かもしれないし、下手な詮索はやめておくか。
駅の方向に去って行く後ろ姿から視線を外して、俺は試し撃ちの場所探しを再開した。
適当に朝の運動一式を終わらせて戻ると、青奈が朝食を摂っていた。
時間は七時少し過ぎた頃。いつも七時くらいに起きるのだが、夜更かししたらしい時は起こさないと眠り続ける。今日は大丈夫だったらしい。
「お、はよ……」
目がほとんど閉じている状態で、口をもごもごさせている。これまた酷いな。
キッチンに目を向けると、小鈴ちゃんがお湯を沸かしていた。こっちの方が朝には強いらしい。
「おはようございます。今日は洋風だったので、コーヒーを飲むかな、って……」
「ああ、飲むよ。ありがとう」
今日はトースト(各自でトースターに入れるから俺はジャムなどを出しただけだが)と、目玉焼き、サラダ、コンソメスープなどだ。
普段は和食が主なのだが、朝に白米の様子を確認すると、一食分しかなかった。俺の予想に反して、母さんは瑠海のカレーをおかわりしたらしい。それでも、母さんは、朝は和食しか受け付けないために、自分の分だけ残しておいたのだろう。
意図を察した俺は、母さんの分だけ味噌汁と焼き魚を用意しておいたのだ。
「はい、……黒葉お兄ちゃん」
「あ、ありがとう」
そう言えばそうだった。この呼び名。めっちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。
コーヒーの入ったマグカップを受け取った瞬間、ガツンッと痛そうな音が背後からした。
振り返ると、青奈が脚をテーブルにぶつけたらしいのが分かった。しかし、本人は全くお構いなしって調子で俺の方を見ている。目が、今度はぱっちりと開いていた。
「黒葉お兄ちゃんっ!?」
あ、それ?
「瑠海が昨日、刷り込んだんだよ……小鈴ちゃんがいいって言うから、定着するっぽい」
断じて、俺が呼ばせているんじゃない。
なんだかんだで、昨晩は青奈の前では呼んでなかったんだな。すっかり俺も忘れていたくらいだし。
もしかして、瑠海と同じく、自分も呼んで欲しいんだろうか。青奈お姉ちゃんって。
なくはないよな。末っ子だし、兄二人だし。ただ、俺の頭の中では、“青奈”と“姉”、という単語がどうしてもマッチングしない。やはり、“青奈”は“妹”の方がしっくりくる。
「……私も、黒葉お兄ちゃん、って呼ぶ……?」
俺に訊くの?
「いや、呼ばなくていいだろ……単に、瑠海が趣味で言っただけだろうし……」
「で、でもさ! 白にいだけ白にいって、なんか違くない!?」
「違わねえよ別に。何を言ってんだ」
まだ寝惚けているのか、この子は。
こっちは実妹なんで、小鈴ちゃんよりも大分抵抗はないけれど。
俺の周りがそんな一斉に呼び名を変えてきたら分からなくなる。
ま、お陰ですっきり目が冴えたようだし……そのままの調子で学校に行ってくれ。二度寝されると起こすのが面倒だからな。
青奈がもそもそと家を出るのを見届けてから瑠海を叩き起こし、リビングまで引っ張って来た。
トーストをゆっくりと口に入れている瑠海を残し、一度部屋に戻って準備をする。
「八時五十分には出るからな?」
「うんうん……余裕余裕……」
適当に頷いている瑠海だが……時間は既に八時を回っている。まだ髪も整えていないし、荷物をまとめている様子もない。トーストを半分まで食い進めた程度だ。
本当に大丈夫なのか……服装は別にしても、また泊まる気じゃないだろうな?
俺の心配はとりあえず時間が解消するとして、久々に小鈴ちゃんを家に一人にするのも気がかりだ。俺が先に夏休みに入るのは分かっていたから、一人にすることは滅多にないと思っていたが、振り返ってみるとそうでもない。それどころか、俺の外出時間はトータルでは変わっていない気もする。
当の本人は、わざわざ瑠海のために紅茶まで淹れ始めていて、不安そうな様子は見せないが……。
『リバース』の面々が警備してくれているらしいし、変に気を遣い過ぎるのも、小鈴ちゃんに気苦労させることになるから嫌なんだけど。預かっている身として、月音にも申し訳ないし、できるだけ安全かつ快適な生活をさせてやりたいと思う。
江崎に、こちらの日程を知らせる連絡を入れるか。今まで気が回らなかったが、既に決まっている俺の予定くらいは知らせた方が、あちらとしてもやりやすいだろう。
思い立ったが吉日と、俺はリビングを出て江崎に連絡の電話を掛けるが……出ない。時間が早過ぎか、忙しいか、いつでも出れる状態でもないのだろう。
俺と違って、あちら側には日常がない。日々、戦闘状態、警戒状態、そんな訳だから、そもそも俺が気を遣うべきなのだろうが。
講義が終わってから、連絡を入れ直すか。
俺は携帯をしまってリビングへと戻った。
瑠海はまとめた荷物を玄関に置いて、後で取りに来るからと、軽装で家を出た。髪は軽く梳いて、いつものポニーテールにしてから、さっさと支度を終えたようだ。
思っていた以上に、雑と言うか、軽かったな……準備が。
青奈は髪も碌に手入れしない時もあるようだし、慣れたっちゃ慣れた光景ではある。
もしかして、いつも雁屋さんにお願いしているとかじゃないだろうな?
「じゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃい、瑠海お姉ちゃん」
……仕込まれている。完全に、瑠海に仕込まれている。
俺を呼ぶ時よりも抵抗なくなっているし、これって洗脳に近いんじゃないか? 月音に申し訳なくなるからやめてくれよ……?
……そうだ。月音の知り合いに、可野杁という第二の生徒会役員がいたと聞いている。確か、小鈴ちゃんの義姉だった人だ。『聖なる魔装戦』の時に、“裏”でお世話になったらしい。
その人を伝っていけば、生徒会長である不舞さんにもアポが取れるんじゃないか? 月音に頼んで、リレー形式に連絡を入れてもらえれば、可能性はある。『オーバーチェイン』が教われるかは不明だが、話をさせてもらえないことには始まらない。
輝月先輩に頼むより心のハードルが低いし、月音に連絡を入れよう。
打算的なことを考えつつ、朝にあの緋色髪の少女とすれ違った道を、瑠海と歩いて行くのだった。




