第212話 過去
小鈴ちゃんの俺の呼び名が改定されてから数分後、やっと落ち着いたティータイムが始まった。
紅茶が本当に美味しい。コーヒーを淹れるのが上手いのは知っていたのだが、紅茶もだとは。
「さっきの話で思い出したんだけど、桃香とはずっと同じだったんだよね」
スコーンも尽きかけの頃、瑠海が何気ない口調で訊いてきた。
さっきの話って……小鈴ちゃんの年齢のことか。同じって、学校のことだよな?
「そうらしい」
「らしい、って……」
瑠海が苦笑して、カップを持ち上げた。
「ずっと同じクラスだった訳ではないし」
よく分からないと言った感じで、小鈴ちゃんが黙って俺たちの会話を聞いている。
小鈴ちゃんの前では、あまり学校に関する話題は避けたい。ただの逃げだが、こればかりは、今はどうしようもないことだから。
「桃香はずっと見ていたらしいけどね」
「桃香が? 俺を?」
疑問符を浮かべたが……あ~、桃香本人からも聞いたな……七夕祭りの時に。ずっと見ているだけだった、とかなんとか。
「黒葉は小さい頃から、人助けの精神に目覚めていたの?」
「なんだそりゃ」
「だって、桃香との出会いもそんな感じじゃない?」
俺も思い出せないような、桃香との話を知っているのか? 桃香の母親から聞いて、俺も知っているだけなのに。
いや、今の言い方は推測か。
「どうだかな……でも、そんなのは九年とかそれくらい前の話だろ」
桃香との出会いは、小学校入学直後と聞いている。
「九年かあ……」
遠い目をした瑠海の前で、俺は空のカップに視線を落とした。
◇
俺の幼少時代は、ほとんど主体性のないものだったと言える。
と言うのも、俺の価値観のほとんどが、兄さんを指標にしていたからだ。三年上と言うだけで、兄さんはとても大人に見えた。
母さんはきちっとしているけれど口数少なく、教育は自らの態度で示す、みたいな人だ。
父さんはいつも研究に忙しくて、話す機会も少なかった。それでも、電話などで気にかけてくれていたり、何かあれば仕事を置いて駆けつけて来てくれる等、真っ直ぐな人である。
きっと兄さんは、父さんを指標にしていた。自分の弱さを見せず、他者を助ける姿勢、それは父さんのものだ。
兄さんは小学三年生の時に、クラスの男子三人を相手に、一人で大暴れしたらしい。俺は覚えていないのだけれど、ボロボロで帰って来たのだと青奈が言っていた。兄さんがそんなことをした理由は、その三人がふざけて、女子生徒を水溜まりに突き飛ばしたからだそうだ。
俺にも言えることだが――兄さんは、理不尽な目に遭った人間を見ると、すぐに怒り狂ってしまうところがある。
日常的にお節介を焼く兄さんを見て育った俺は、テレビなんかで見るヒーローと、その姿を重ねた。現実にも、特別な力はなくたって、ヒーローになれる人間はいる。俺はそう思って、兄さんのやり方を真似た。
泣いている友達がいれば、その理由を聞いて、問題に対処する。幼い頃は、当然スマートになんかやれなくて、いくらでも失敗したし、意味のないこともした。
それでも俺は、ヒーローを志した。妹を守るためには上級生にも食って掛かり、友達を笑顔にするためなら同級生を殴りもした。
俺の人生は、三年前に大きく変わった。中学一年生の時に起きた、魔装法暴乱事件のせいだ。
命を軽視するようになり、正義感は歪んでいった。ヒーロー気取りは相変わらずだったが、心が荒んでいたと言うべきだろう。
高校に入ってから色々な経験を経て、少しは冷静に物事を見れるようになったと自負しているが……中学一年生の頃なんか、まるで番犬のように、青奈に関わろうとする人間に噛み付いていた――今でこその話だが、高校入学当初もそれくらい酷かった気はする。青奈のクラスメイトだとかは別にしても、例え親戚だろうと、青奈に近付けようとはしなかったのだ。
兄さんはすぐに立ち直ったような態度だった。今思えば、俺たちのことを心配して、自分の傷は覆い隠そうとしていたのだと分かる。
俺は、家族の思いやりに救われ、瑠海の純粋な好意に触れて立ち直り、藤宇さんの暴力によって命を実感した。
三年前のことは不運だったが、境遇には恵まれていたのだ。
そして、俺は決めた。
目の前で理不尽な目に遭う人間を、できる限り助けると。俺の力を、助けを求める人のために使うと。
一つだけ……俺の中には、自分でもどうしようもない歪みがある。
政府も俺たちのことを隠蔽し、研究者は俺たちを実験動物として扱った。その経験から俺は、一般的な正義から少し離れている。
月音を守るために、あの生徒会室で千条先輩と敵対しそうになったように……俺には、ヒーロー気取りで見せかけの正義しかない。
何かを守るために何かを犠牲にすることを、許容する。
俺のエゴのために何かが傷付くことを、諦めてしまう。
だからきっと……俺は本物の正義と、いつか対立する。そんな気が、ずっとしていた。
◇
瑠海は今日も、俺の家に泊まるそうだ。
……二泊とか、今時の女子高生は緩いのか? 青奈もそうなってしまうのか? 泣きたくなってくるよ。
夕食の買い出しを自ら願い出た瑠海は、そのまま下校途中の青奈を捕まえに行った。
呆れてしまうほど元気だな。
後でバレると拗ねるので、あらかじめ青奈には、今日のティータイムの話を伝えている。青奈の分として、スコーンとクリーム等は残しておいた。
俺と小鈴ちゃんは、二人で食器の片付けや風呂掃除をしたりと、後始末と準備の同時並行だ。一人でやっていた頃に比べて、かなり楽になったのが実感できる。
諸々の家事が終わった俺たちは、リビングのソファに並んでテレビを観ていた。夕方のニュース番組で、政府直属の魔装法研究者の話がされている。第一都市の研究所に中学生を招いて、現在行われている研究過程の説明だとかをしたらしい。
政府直属と言っても、大した研究発表もしていない連中だ。今のニュースみたいに、学生やら一般に向けて講演なんかをしているが、それも素人相手の話だろう。『フェニックスプロジェクト』のような危ない研究をしているよりかはよっぽどマシだが。
「今日も泊まるんですね。……る、る、瑠海、お姉ちゃん……」
「……無理して呼ばなくていいんだよ」
瑠海が泊まることは嬉しいようだが、小鈴ちゃんは新しい呼び名に歯痒そうな調子だ。
「い、いえ……きっと、私のことを考えてくれてのことだと思うので……」
しっかりしている……のか? これに関しては、よく分からないな。
どうしても、瑠海は邪な気持ちで提案したように思えてしまうのだけれど……どうなんだろう、実際。
「……黒葉お兄ちゃん」
「…………無理して呼ばなくていいんだよ?」
瑠海はきっと、明日の講義に一緒に行くつもりなんだろうな。第二での講義だし、その方が何かと安心できる。
俺もその方がいいからな。
テーブルの上の携帯が震えたので、覗き込むと……藤宇さんからメールだ。
もうパラの整備が終わったらしい。三日かかるとか言っていた気がするが、随分と早いな。
メールを送り返すのは機嫌を損ねる行為なのだが、今から取りに行っていいのかを訊ねる。もう五時を回っているし、夏だからまだ明るいが、お邪魔するには少し遅い気もする。
すると、青奈に渡しておく、と返ってきた。
やったあ! 藤宇さんと直接会わずに済むぞ!
『魔法破壊』についての話を聞きたい気もするが、それほど教えてはくれないだろうしな。
そこで思い出したのだが、江崎に意見を貰うのを忘れていた。最後に連絡を取った時は、瑠海が階段を上って来ていたことで急に切ったから、『魔法破壊』のことを聞きそびれていたのだ。
『サーフィス』の研究者が使っていたらしい発言を小園先輩がしていたし、江崎も知っているかもしれない。
もし仮に、敵も使うのだとしたら、備えておかないと危険だ。
でも、あまり気軽に連絡すべきじゃないしな……と悩んでいると、瑠海からの着信が。買ってくるものを忘れたんだな。まともに聞いてなかったし、あいつ自身が料理しないから、食材にも馴染みがないんだろう。
苦笑しつつ、俺は通話ボタンを押した。
◆
第一都市と第二都市の中間地域にある工場密集地帯。その一つに、『リバース』の現拠点となっている廃工場があった。
『サーフィス』の研究所襲撃から逃げ延び、再び集結したのは、初期メンバーの三分の二。戦力的にもかなり削られているのが現状だ。
指揮を執るのは江崎登吾。
白城黒葉と青奈、及びその周囲の関係者の警護を第一目的としている。しかし、それが務まるのは一部の者だけだ。戦闘はそもそも専門外だから当然の話である。
次に、『リバース』勢の動きを察知し、対策を立てること。そして、研究を行うこと。
「俺たち、今はどういう扱いなんですかねえ……政府は見て見ぬふりらしいっすけど」
若い男の研究者の言葉に、七大罪のデータをまとめていた登吾が顔を上げた。
「こっちがどう思っていようと、あちらからすれば、『フェニックスプロジェクト』の内部抗争だ。面倒だと思っているのは確かだろうね」
今、工場の一室では、登吾と若い二人の男女の研究者が七大罪についての対策を立てているところだ。
登吾の応えに、若い女の研究者は口をすぼめた。
「政府は『フェニックスプロジェクト』をどう扱っているんですか?」
この二人の若い研究者は、最初の事件が起こった後に、研究に参加している。
『フェニックスプロジェクト』は最初の第一段階で死傷者などが出た。次に、『サーフィス』と『リバース』に内部分裂して、『サーフィス』が『フェニックスプロジェクト』を『ネクストプロジェクト』へと移行した。
この一段階と二段階の間で、人手不足解消のために雇われた者たちがいる。彼らも、最初の惨事の内実を知らないが故に、表と裏に分断された。
「研究内容については評価しているが、その方法については許してはいけない。少なくとも表向きは。だから、見て見ぬふりをして、研究が完成するのを待っているのさ。完成した時、その研究内容だけを掠め取って、非人道的なことを行った研究者を裏で始末するんだろう」
平然とした口振りで話す登吾に、二人は苦い顔をした。
「政府のお抱え研究者がいるだろう? 彼らは派手な発表はしないが、クリーンな存在なんだよ。政府がそれを執拗なまでにアピールしているのは、『ネクストプロジェクト』の完成後に、彼らを使って発表する気だからだ」
「でも……政府が隠蔽しているのは事実なんですから、白城家がリークでもしたら……」
女の研究者が恐々とその可能性を口にしたが、登吾はデータに目を向けたまま、軽く首を振った。
「それはない。そんなことをしようものなら、政府に抹殺されるのは目に見えているからね。事件直後、公安がわざわざ出張って来たのは、『公にしようとすれば、この私が始末するからな』というメッセージを含んでいたからだよ。彼らは白城家を黙らせるために、ある程度の交渉をしなければいけなかったが、逆に政府と白城家の間には協定のようなものが成り立っている。むしろ問題なのは、僕たちのような残党の方さ」
政府は裏で、魔装法暴乱事件が起きる前の『フェニックスプロジェクト』を支持していた。成功すれば、大きなエネルギーを産むと確信していたのだ。
魔装法暴乱事件が起きた時に問題となったのは、被害者があくまでも一般人だからである。しかも被害者は、“生きた証言”ができる状態だった。
政府が白城兄妹の存在を知った時には、既に人体実験は行われていた。このままではまずいと思った政府が、黒葉の両親との間に話し合いを設け、『フェニックスプロジェクト』は名目上での解体となった。父親の方が裁判に持ち込もうとしていたのを察して、政府が交渉に出たと言うのが実際のところではある。
「前の研究者って、白城白也に殺されたんでしたっけ?」
男の研究者の言葉に、登吾が僅かに目を細めた。
「そうか……そう、なっているんだったね」
「え? どういうことですか?」
意味ありげな登吾の応えに、女の研究者が食い付いた。
少しだけ迷ったような素振りを見せたが、登吾は二人の顔を見てから、口を開いた。
「僕は当時、別室でモニターをしていたから無事だったんだけど……白城白也が殺したのではなく、不死鳥の魔法が暴走した、と言うのが正しい」
「当時は攻撃には使えなかったって聞いていますけど」
「いや、不死鳥の力は攻撃と回復、大まかな二パターンが見られた。それは多分、資料として残っていたハズだけど……もしかすると、『サーフィス』に持ち去られたか、元の研究所に隠されているか、だね」
登吾の言う資料とは、元の研究所の隠し扉にあった資料のことだ。黒葉が見つけた直後に奪われている。
「何度も悲惨な実験を受けているから、彼らの記憶も曖昧だったろうけど……不死鳥の魔法は、暴走する。それには条件があって、あの兄妹が同じ場所にいること――これはまあ、約半径三メートルくらいの距離だ。そして、全員が同時に生命活動を終えること。これによって、最初の大爆発に近いエネルギーが発生する」
三年前――
黒葉も思い込んでいることだ。『フェニックスプロジェクト』で人体実験に積極的に関わっていた研究者の大半は、その大爆発によって亡くなった。白城家の中では白也のみがその真実を知っており、黒葉と青奈が罪の意識に苛まれないよう、自分が殺害したことにしているのだ。
「その現象は『リ・フレイム』と呼ばれている。――さっき言っていた二パターンは、彼らの蘇生時に観測できた。これは実際の話なのだけれど……不死鳥の魔法を持った人間を大型の水槽に沈めても、蘇生した時、水槽内の水を一瞬で全て蒸発させるか、水槽自体を破壊する。つまり、連続で絶命することはなく、生まれ変わった時に生命活動が可能となるよう、自動的に環境を整えるんだ」
これは動物として正しくない。
人間を筆頭に、数多の生物は、目まぐるしく変化していく環境に適応することで、変化や進化をしてきた。
このことから、不死鳥は逆説的に考えて、既に完成された生物である、ということにもなる。
「僕らはこれを『リザレクション』と呼んでいる。この『リザレクション』が周囲に与える影響を観測することで、白城兄妹の魔装力への影響を結論付けた。白城白也と白城黒葉は死亡直前の意思や心理状況によって、環境を整えるだけではなく、周囲の人間や物体を炎の余波で攻撃できた。白城白也は意識的にできたようだけど、白城黒葉は無意識だ。白城青奈は逆に、周りの人間や物体を修復することもあった。無意識でだけどね」
いつの間にか、若い二人の研究者は、双方ともにメモを取り始めていた。
彼らは新たな研究を進めているが、支援する側としても、こういった情報は必要になる。
「彼らが身に付けている衣服などは、ほとんど人体と一緒に修復されるね。これらは、彼らが無意識の内に想像する、“自らの理想的な状態”にするからだ」
長々とした説明を終えた登吾が、小さく息を吐いて顔を伏せた。彼にとっては、重要な記録であると共に、情も何もなかった頃の話だ。
「あの……江崎さんは、どうして白城家を助けようって心変わりができたんですか?」
女の研究者が、メモを取り終え、申し訳なさそうに訊いた。
男の研究者は、ボールペンを動かす手を止めて、登吾の答えに耳を傾けた。
「僕は発起人じゃないからね……まあ、『リバース』側にきた理由って言うなら、単純に元々僕は、子供が好き、だからかな?」
若い研究者二人が、同時に顔を強張らせた。
「ああ……だから夜長三小鈴のことを……」
「え? いや、ちょっと待ってね? 子供が好きって、変な意味じゃないからね?」
「分かってます、分かってますよ……」
相槌を打ちながらも、男の研究者の顔には、なんとも言い難い表情が浮かんでいる。
後輩たちとの信頼関係に不安を残しながらも、登吾は手元の資料に目を戻した。




