第210話 課題
『魔法破壊』の訓練を終えた俺たち一年生は、先輩方にお礼を言って、十六時頃には帰路についた。
終えた、とは言っても、誰一人成功まではいかなかった。集中力も切れてきたのを見計らって、瓜屋先輩が終了を告げたのだ。
全員、精神力がお疲れ様って感じなので、今襲われたりしたら冗談じゃ済まないな。
午前中の実戦訓練の疲れも遅れてやってきて、瑠海なんか千鳥足のようになっていた。
「ね~、帰るのも疲れるし、黒葉の家に泊まっていい?」
「雁屋さんを呼べばいいだろ」
ダラダラと寄り掛かる瑠海を押し退けながら、俺は帰り道を歩いて行く。
十字路は既に過ぎ、歩いているのは俺と瑠海だけだ。
「明日は講義か?」
「う~ん……どうだったかなあ……二十三日に第二で講義があるまでは、休みだったと思うけど」
被ってるな。
俺も明後日は第二で講義だ。日程的に、同じ内容のものを受けるっぽい。
つまり明日は暇らしいな、こいつも。
「……マジで泊まる気か?」
俺が語気を強めて言うが、瑠海は内容だけに素直に食い付いた。
「いいの!? じゃあ、雁屋さんに着替えとか運んでもらう!」
俺の返事を待たずに、瑠海が携帯を取り出した。
いいとは言ってないぞ……それに、結局は雁屋さんを呼ぶんだったら、本当に泊まる意味ないだろ。
小さくため息を吐いたが、頑なに拒否するものでもないし、あまり気にしていない。
いや……この前の事件を、心のどこかで引きずっているんだ。できるだけ瑠海の好きにさせてやりたいと、無意識に思っている。
瑠海がそれを分かっていて頼んできているのかどうかは分からないが、今の俺は、瑠海にはとことん甘い状態って訳だ。
……マジで泊まることになった。雁屋さんもよく許可したな。普通に着替えなどの入った鞄を預けに来た。
思い付きで動くのが好きだよなあ、瑠海も。
母さんは家にいたが、特に咎めることなくスルー。いいのか、年頃の娘が泊まりに来るというのに。
月音の件もあるから、まあ、反応は予想通りだった訳だが。
それよりも青奈だ。
「えっ、ちょっと、急に?」
困惑した様子だが、俺だって困っている。急なのは俺のせいじゃない。
青奈は、俺が帰って来た時も慌てて服を羽織っていたが、瑠海の姿を見て遂に部屋へ逃げ込んだ。チラッと見えたが……タンクトップ一枚に、短パンだけしか着ていなかった。暑いのは分かるが、家の中だからって油断し過ぎだろ。
小鈴ちゃんの方は、汗を掻いた様子もなく、あのワンピース的なものを着ている。
「可愛い~!」
家に上がった瑠海は、小鈴ちゃんの姿を見て飛びついて行った。
ちょっと小鈴ちゃんが怯え気味に引いたぞ。
「あ、っと……」
小鈴ちゃんの頭を撫でようとしていた瑠海が、その右手の動きを直前で止めた。
「結構汚れちゃってるから、また後で――シャワー借りていい?」
俺の方を振り向いて、平然とした口調でそう言った。
切り替えが早いと言うべきか、変なところで冷静と言うべきか……。
俺はその勢いに圧倒されながら、ただ頷くしかなかった。
瑠海がシャワーを浴びている間に、俺は軽く着替えてリビングでくつろいでいた。
夕食は、冷蔵庫の中身から、冷やし中華にでもしようと思っている。
「瑠海さん、シャワー……?」
怯えるように戻って来た青奈は、ジャージ姿だ。ただ、運動用ではなく、流行りのファッション用のものらしい。少しずつ、服装にも気を付け始めたようだ。
視線を漂わせて来客の様子を窺いながら、青奈が俺の隣に座った。
「ああ、今日はかなり転がされてたからな」
他人事のように言って、俺が一番の加害者だとは伝えない。
「そうなんだ……頑張ってるんだね」
青奈が呟いて、テレビの電源を入れた。
個人的には、手加減をしていたところもあったが、瑠海にあそこまで粘られたのはショックだった。
陽愛との戦闘は、至近距離から属性魔法を乱発していけばいくらでも捌けただろうが……後の戦闘のことを考え、精神力を温存していたから仕方ない。
何にせよ、瑠海は本人が思っているより成長している。センスがいい、ってこともあるし。
俺がぼんやりと考え込んでいると、青奈の携帯が音を立てた。
何気なく覗き込んだ青奈が、苦い顔をする。
「なんかしたのか?」
前に青奈は、俺のためにフェニックスプロジェクトの研究員に呼び出されていたこともあったし、不安になって訊いた。
「いや……友達なんだけど……来週、出かけようって」
「いいじゃねえか、急な話でもないんだし」
青奈が明確に“友達”と言うってことは、本当の意味で“友達”なのだろう。仲良くするのはいいことだ。
「そう、なんだけど……」
どうにも歯切れが悪い。
嫌いな相手だと、青奈は“友達”とは言わない。“同級生”だとか、そんな表現をする。
「そんなに嫌なら行かなきゃいいんじゃねえの?」
「あ、ううん……大丈夫……」
どうやら、嫌がっていると言うよりも困っているようだ。
表情から察するに、あまり踏み込むべき問題じゃなさそうだ。いや、そもそも問題なのかも怪しい。
助けを求められるまでは、必要以上に口出さない。兄さんのやり方だが、俺も少し見習うか。青奈も子供じゃないんだし。
俺が言葉選びに迷っている間に、瑠海がシャワーを浴び終えたようで、有耶無耶のままに青奈との会話は中断された。
晩飯は、珍しく母さんも同席だったのだが、会話が随分と弾んでいた。
母さんは普段からあまり口数が多い方じゃないのだが、瑠海は話の運びが上手い。青奈と小鈴ちゃんに話題を振りつつ、母さんにも橋を渡す。俺も適度に会話の中に混ぜられた。
洗い物は瑠海と青奈でやることになって、俺は先にシャワーを浴びてから部屋にいた。
輝月先輩に連絡を取って、不舞さんへ橋渡しをしてもらおうか。
一応、月音の件で不舞さんとは面識があるのだが、アポイントメントを取れるほどじゃない。
……輝月先輩の頼みだとしても、そう簡単に特殊魔法を教えてくれるとは思えないな。
独自開発の特殊魔法ってのは、相当な価値がある。他人に親切心だけで教える人はいない。
いっそ俺も、特殊魔法の開発に勤しむかなあ……。
中学の頃ならまだしも、今の俺じゃスタイルが固定されてて、新規のものを編み出すなんて難しい。既成の魔装法を教えられて、コツとか聞いてイメージ定着させるようにするのも苦労するし。
悩みながら携帯をいじっていると、着信があった。相手が相手だし、すぐに出る。
「随分と早いな」
「たまたま持っててな」
江崎からだ。あっちから連絡とは珍しい気もする。
「七大罪の居場所を、突き止められる可能性が出てきたんだ」
こいつらしく、単刀直入に話を切り出してきた。
「七大罪は、君たち不死鳥の力を探知しているように見える。おそらく、微弱ながらも電波のようなものを出しているのだろう」
そういう専門的な話は省いてもらいたいのだが。
経験上、黙って聞いていた方が長引かずに済むと分かっているので、相槌だけに留めておく。
「そこで、七大罪の方も同じようにこちらで計測できないか試したところ……完全ではないが、捕捉できた」
「すごいじゃないか」
「こっちでも色々あったんだけど、詳細は省く。ただ、マモンが消滅したことで、彼らなりに焦っているというか、困惑しているようだ」
へえ……悪魔がね。
一応あいつらも、この世界に突然現れたのだから、慣れていなくて当然だろう。消滅することに関して、マモンは予知していたような言い回しをしたが、それが七大罪の共通認識とは限らない。何故か知らないが、あいつらは互いを出し抜こうとしている感じがする。
「連絡した理由は二つだ。まず、さっき言っていた焦りだとか困惑だとかは、そろそろ落ち着く頃だ。――仕掛けてくるぞ」
「分かってるよ……二つ目は?」
「相手の位置を不完全ながら把握した側とすれば、提案することは決まっているさ」
俺も分かっていたと言うか、可能性の中には入れていたけれど。
まだ早い。相手は六体もいる。
「こっちから攻めるか、って話だろ? 時期尚早だ。こっちが動かせる戦力なんて限られてんだぞ」
輝月先輩や千条先輩は、守るためなら力を貸してくれるだろう。
だが、攻め込もうとは思わないハズだ。性格的判断だけならやりかねないが、立場上は理性的である。
「兄さんは味方に付いているんじゃないのか、お前らのバックに」
「残念ながら、彼はこの戦いには参加できない。まず国外にいるからね」
少し期待を込めて探りを入れたが、サラッと流された。
だが、否定はしなかったな。陣営は同じだと考えていい。
「あ~……っと、もう一つ、言わなきゃいけないことがあったんだ」
江崎が嫌そうな声でそう言った。
「『ヴェンジェンズ』って言ったかな、君たち魔装高を襲っている組織は」
「は? ああ……そうだが?」
意外な単語が出てきたな。
この頃、俺とは直接的関係がないから、すっかりご無沙汰な響きだ。
「あれ、介入してくるかもしれないよ。表と裏の戦いに」
『リバース』と『サーフィス』は、フェニックスプロジェクトの残党同士だろ? なんでそこに、あのテロ組織が関わってくるんだ?
疑問符を浮かべた直後、俺はあのことを思い出した。
あの、真っ黒な衣服に身を包んだ男……あいつが、俺を見て言ったのだ。
不死鳥、と。
「前に君の家に侵入して来たっていう、変装少女がいたろ?」
青奈の姿に化けて、寝込みを襲ってきた忌まわしき変装少女。
通り魔事件に関する資料をどこからか持ってきてくれたので、そう邪険にもできないが……あいつは、リバースの一員だと言ってた気がする。
「あの子は確かに、リバースで一時期動いていてくれたんだが……ある時に、失踪してしまってね」
「…………!?」
「最近やっと見つけたんだが、どうやら君たちの言う、『ヴェンジェンズ』に属しているらしい」
そう言えば……江崎に変装少女の話をした時、随分と反応が鈍かった。あの時点で既に、『ヴェンジェンズ』に下っていたと言うことか?
「どういうことだよ……『ヴェンジェンズ』ってのは、何がしたいんだ?」
江崎に意見を求めるでもなく、言葉が零れた。
魔装高の卒業生、在校生だけでなく、研究者からも仲間を増やしている組織……何が、それを可能にさせる?
「組織ってのは、目的意識を持った中枢がいれば、その外側は利害関係で成り立つ。どれほどの規模かは知らないが、あまり無警戒でいると……急に食われるぞ」
江崎の真剣な声音に、俺は奥歯を噛み締めた。
階段を上がってくる足音を切り目に、俺は江崎との通話を終える。
公安は、『ヴェンジェンズ』を追っているらしいが、目ぼしい成果が出ている訳でもない。それはきっと、彼らが本気で追っている訳じゃないからだ。
今、魔法が世界に定着しつつある。その中で、日本は他国との摩擦に苦しんでいるのが現状だ。治安の悪化、テロ行為は、魔法が発見されてから日に日に増している。
『ヴェンジェンズ』はあくまで、東京三大魔装高校しか狙っていない。公安の中では、おそらく優先順位が低いのだ。
江崎が、仕掛けるかどうかの可能性を提示したのは、『ヴェンジェンズ』のこともあるからだろう。『サーフィス』と『ヴェンジェンズ』、連携してはいないハズだが、この二つの組織に挟まれることでもあれば、とても対応し切れない。それならいっそ、こちらの手がある内に――ということだ。
分かっていても、頷けはしない。やはり、戦力が足りなさ過ぎる。
兄さんが『リバース』に味方していたとしても、少なくとも今は手を借りれない状況らしい。それならば、戦略的には江崎たちは素人だ。
マモンを打ち倒したところで、戦況はひっくり返ってはいない。それどころか、こちらの主戦力として猛威を振るってくれた瓜屋先輩は、法律によって雁字搦めだ。
戦力アップが必要だ。それも急激な。
現実でそう簡単な戦力アップは望めない。陽愛たちの特訓は、あくまで自衛のため。俺が前に出るための、最低限のことだ。
現実的に、組織的に、戦力アップを望むとするならば……単純に、強い奴を引き込む。これが手っ取り早い。
だが……いないだろうな。こんな危険な戦況の真っ只中で、手を貸してくれる人なんて。
「ね! この部屋で寝ていい?」
部屋の扉をノックもなく開け放った瑠海が、アホな質問をしてくる。
「駄目だ」
「なんで?」
「その場合、お前は床だ」
瑠海……こいつも、急激には強くなっている。
しかしそれは、元々あった才覚を発揮したに過ぎず、苦しくなるのはこれからだ。
元からあった才覚、か……。
少し違うが……マモンの時と同じように、俺が不死鳥の魔法をコントロールできれば、それはかなりの戦力増強となる。
魔法に関する課題が、また一つ、増えた気がする。




