第200話 魔法破壊
講義を受けなければならない陽愛と上繁は、それぞれ足早に去っていった。買い物があるらしい駒井はそのまま商店街の方向へ、月音は第二都市に戻るため駅に、それぞれ歩いて行く。
こうして、帰り道は桃香と小鈴ちゃんと共にすることとなった。小鈴ちゃんとは目的地が同じな訳だから、なるべくしてなっている訳だが。
明るく話す二人の後ろを、少し見送るように付いて行く。
桃香は口下手なところもあるが、年下相手だと大分それが軽減される。青奈とも気軽に話していたし、小鈴ちゃんとは打ち解けるのも早かった。今もこうして、二人で談笑できるくらいだ。
最早、俺がいることを忘れられているんじゃないかと思うレベル。
少しずつ居心地の悪さを覚え始めた頃、俺の携帯が振動した。タイミングがいいのか悪いのかは分からないが、相手は小園先輩だった。
随分と意外な人からきたな。
二人に軽く声をかけて、俺は通話に応じる。歩くスピードを落とし、二人と少しだけ距離を取った。
「白城?」
「はい、そうですけど……」
「どうなってんの? 姫波、ずっと音信不通なんですけど?」
出ていきなり文句を言われた。この人も相当、遠慮ってものがない。
「ああ……あいつ、携帯壊れたらしいんですよ。井之輪先輩から聞いたりしてません?」
「なんか色々あったって話? 詳しくは聞いてないけど……ふ~ん、そうなの」
こっちは結構命懸けだったんで。もっと興味ある感じでお願いします。
まあ、訊かれたら訊かれたらで、瑠海のためにも詳しくは話せないのだけど。
「今って、井之輪先輩が格闘中心に教えているから、小園先輩との連絡は後でもいい、って聞きましたけど」
「は? 井之輪がそう言ったの? しめるわよ?」
「落ち着いて下さい」
井之輪先輩も苦労人なんですから、あまり絡まないであげて下さいよ。
昨日の病室で、俺は心底そう思った。
何にせよ、事実だ。どうせ講義で顔を合わせる機会は何度かあるだろうし、すぐに携帯も買い替えるつもりらしいからな。
「じゃあ、用件とかはあんたが伝えなさいよね」
「そういうことなら、全く問題ないですけど」
この番号も、色んな人に割れてんだよな……輝月先輩がおそらく、安売りしている感じはする。
前に、教えてもないのに水飼先輩からも掛かってきたし。井之輪先輩の番号をしつこく訊いてきたから、根気負けして、つい教えてしまった……あれ、俺も井之輪先輩を苦労させてる一人じゃねえか?
「あの子が、自分だけの武器が欲しいって言うから、私も色々考案したのよ。できるかは姫波次第だけどね」
自分だけの武器、か。
陽愛は水魔法を会得して、持ち前の魔装力の高さを活かし、既に戦術に組み込んでいる。桃香はそもそも、俺の仲間内では誰も挑戦していない狙撃を訓練している訳だし、確かに突出していると言えば突出しているのかもしれない。
「瑠海も属性魔法ですか?」
俺が何気なく尋ねると、小さく唸るのが聞こえた。
「あの子は、天才肌っちゃ天才肌なんだけど……そこに突出してないのよね、イマイチ。もう少しで高レベルな魔法もいけるとは思うけど、属性魔法となると微妙ね」
俺が中学の時に、下手に教えたりしたせいだろうか……。
魔装法は潜在的イメージに影響されることが多いから、幼い頃にやったことや、初めて魔装法を練習した時のことなどが、強く出ることがある。もし、俺が上手く教えられていたら、今の瑠海はもっと強くなれたのだろうか。
「心配しなくても、戦力になる程度までは上げてやるわよ」
俺の無言を勘違いしたのか、小園先輩は軽い調子だ。
「それで、用件なんだけど」
あったのか。瑠海との連絡が取れないから、だけだと思った。
「白城は、『魔装法破り』って聞いたことある?」
「『ブレイク』……いえ、知らないですけど」
「ん~、まあ、やっぱりね。都市伝説レベルの噂だし」
何やら気になる話だ。
俺が噂に疎いのは事実である。
「簡単に言えば、相手の魔装法を外部から打ち消す技、ね」
……馬鹿な、そんな都合のいいものがあるのか?
俺は小鈴ちゃんの『完全消去』を知った時、かなりの衝撃を受けた。コントロールできれば、これ以上の技はないと思ったからだ。
しかし、それも非人道的な実験の結果に生まれたもので、使ってもらおうなんてアブソリュウスが相手でもなければ考えない。
「そんなものが、実在するんですか……?」
「するわよ。私なんて、目の前で使われたんだから」
俺が疑いながら訊くと、あっさり小園先輩は肯定してみせた。しかも、目の前で見たと言う。
桃香と並んで歩く小鈴ちゃんの背中を見つめて、俺は頭を振った。
「その……使えるんですか? 小園先輩は」
恐る恐る訊くと、一瞬の間があった。
やっちまった、と思ったが、小園先輩の声は案外静かだった。
「私は無理よ。今は」
最後に付け加えたのは、負けず嫌いな性格がそうさせたのか、それとも自信あってのことなのか。
「ただ、完成しそうな奴はいるわ」
少し不機嫌な声音とその台詞で、大体誰のことを指しているのかが分かった。
「瓜屋先輩ですか」
「……そ、あいつよ。もしかすると、千条の奴もできるかもだけど」
どうにも不満そうな声だ。
それにしても、その二人ができるかもしれない、ってどういう繋がりだ?
「一応、聖なる魔装戦の代表メンバーは練習してる。第二の不舞も知ってるから、そっちでも試してる可能性はあるわ」
あ、今ので分かった。聖なる魔装戦の時にあったという、裏の戦いの時か。
となると……もしや、使ったのはサーフィスの研究者か? だとしたら、考えていた状況よりも深刻だ。あいつらが、俺やリバースを抑える武器としてブレイクなる技を開発しているとしたら、相当まずい。
俺の焦りを感じ取ってか、小園先輩の声が幾分鋭くなった。
「相手が完成させていて、実戦でも使えるようなら、これから先の戦いには相当響くわ。でも、相手は大きなミスを犯した……いくら実戦のデータを取るためだとしても、瓜屋の前でそれを使ったことよ」
瓜屋先輩の真骨頂は、正確で迅速な分析にあるそうだ。
俺も、その恐ろしい能力を、ベルフェゴールとの戦いの中で見せられた。あっちも化け物だが、瓜屋先輩も天才を超えて化け物の域だ。
「それでも、相手も不完全な中で使ったから、同じものじゃないわ。ま、その方がいいんだけどね。魔装法はパターンが似るほど効き辛くなるし、影響を受けてブレやすくなるから」
つまりは、オリジナルの技となった訳か。
まさかとは思うが……。
「俺たちがそれを使えるように、特訓する気ですか?」
「当たり前でしょ? 前置きが長くなったけど、それが今回のポイントだから」
……聞く限り、ブレイクは今までの魔装法とは全く別のものだ。
魔装法の対極にあり、魔装法を破るためだけにある戦闘技術、いわゆる未知の領域。下手をすれば、他の魔装法の使用にも影響する可能性がある。
危険だ。使用することも、しようと試みることも、危険が伴うだろう。
「心配しなくてもいいわ。一箇所に集まってもらって、ちゃんとやるから」
小園先輩はあくまでも軽い。
具体的に何をするかは分からないし、そもそも瓜屋先輩は派手に動けないハズだ。誰かどう手引きして、どうやって特訓する気なのか。
自由に使えるようになれば、究極の力ではあるだろう。
「ま、色々そっちもあったらしいし、予定通りにはいかないわね……また連絡するから、心構えはしときなさい」
「分かりました……でも、そんなに色々詰め込んで大丈夫ですかね?」
「心配しなくていい、って何度も言ってるでしょ。第三のオリジナル対魔法、『魔法破壊』を使えれば、幅が広がるんだから」
力強い先輩の言葉だが……どうにも頼る感じにはなれない。
魔装法に詳しい兄さんや父さんからも、ブレイクという可能性については聞いたことがなかった。兄さんの師匠的存在でもある藤宇さんも、それを示唆したことはない。
……いや、藤宇さんに限って言えば、あの人が進んで何かを教えてくれるとは思えないのだが。
とりあえず今は、尊敬すべき先輩たちの言葉を信用して、特訓を受けさせてもらおう。
「――って訳で、これから更にきつくなるかもしれない。……大丈夫か?」
歩きながら、小園先輩の話を大雑把にして桃香に伝えた。
桃香の特訓の状況を、俺は、陽愛や瑠海の特訓以上に把握していない。したくても、させてもらえないのだ。
様子を見に行こうとしたが、狙撃の練習をどこでしているのか分からないのもあるし、何より吉沢先輩が教えてくれない。狙撃は神経を使うから、できればオーディエンスはいない方がいい、と言うのだ。
いない方がいい、なんて言い方はしていたけれど、明らかに拒絶の色が強かった。俺も無理やり押し掛けるつもりではないのだけれど、嫌われているような感じがして気分が落ち込む。
「うん、大丈夫だよ。頑張れると思う」
桃香は思ったよりもあっさり頷いた。
難しさが分かっていないのか、俺を安心させようとしてか、桃香の目には迷いがない。後者ならばまだいいが、前者なら余計に心配だ。
「その……危ないこと、なんですか?」
小鈴ちゃんが控えめに訊いてきた。
そうだ……アブソリュウスを倒すために力を借りたこともあって、小鈴ちゃんは自らの能力を自覚している。効力は大分薄まってるハズだが、この歳の少女が抱えるには重過ぎる代物だ。
「いや、技術自体は危ないことじゃないよ。ただ……教えてくれる人たちが、危ないことしそうで」
小鈴ちゃんには、性格に難がありそうな人たちを会わせていない。俺の独断ではあるのだけれど。
少なくとも、選抜メンバーの四人は危険な気がする。劣等感、恐怖感、威圧感、全能感……色んな感情を抱かせ、また影響を与えるのではないかと思うのだ。あの人たちは刺激が強すぎる。
得心いかないような顔をしたが、嘘を言っていないことを分かってか、小鈴ちゃんは引き下がった。
「ま、積み重ねた分は俺より上なんだろうし、委ねるつもりで気楽にいこうぜ」
どちらかと言えば、自分に言い聞かせる感じになってしまった。
俺が神経質なだけなのかもしれない。桃香はゆとりのある表情で微笑んでいた。
◇
小園先輩の連絡(脅しに近い気もした)を受けて、戦々恐々としていた訳なのだけれど、数日間、何事もなく過ぎ去った。
宿題を早めに終わらせるタイプのみなさんは、どうやら忙しいらしい。そうじゃなくとも訓練を再開しているようなので、お疲れのムードがメールの文字列からも伝わってきた。
瑠海の訓練は井之輪先輩と小園先輩、桃香の訓練は吉沢先輩……なのだが、陽愛の訓練相手がおかしいことになっている。
「輝月先輩と千条先輩!?」
初めて聞いた時に驚きは表現しきれない。瓜屋先輩も随分と質の悪い冗談を書くものだと思ったほどだ。
ベルフェゴール襲撃時、瓜屋先輩が保護観察になった日、陽愛の今後の訓練を二人に任せると伝えてきた。例の紙きれによって。
真意を確かめたいところだったが、俺から連絡するタイミングが分からず(当時は番号すら知らなかったし)、聞きあぐねていた。そのまま指定された日時になったため、陽愛は遺言を電話で言伝て、訓練に向かった。
どうやら、輝月先輩からは属性魔法のコントロールを、千条先輩からは様々な間合いでの戦い方を、それぞれ学ぶことが目的だったらしい。まずは、属性魔法を思考発動できるようになるまで、が目標だそうだ。
輝月先輩に関して言えば、圧倒的な能力差があるとは言え、炎魔法と水魔法では相性の良さは陽愛に傾く。そこも考慮されていて、案外バランスの良い組み合わせだと思った、のだが……。
「……ねえ、黒葉……どうして私の全力の水魔法が、輝月会長の一振りで蒸発するんだと思う……?」
力ない声で、訓練経過を伝えられる俺。耳に当てた携帯がやけに冷たく感じるよ。
真面目な話、魔装力の違いがあり過ぎるからだ。そして、コントロールの問題。
例えば、直径三十センチの水の柱を撃ち出すとする。だが、コントロールが上手くいかなければ、それはムラが出てしまうのだ。分かりやすく言えば、柱の外側の威力が弱く、内側が強かったりと、バランスが崩れたりする。距離が空くほどそれは目立つし、慣れている人間ならば、相手の威力を読み切って対応することもできる。
「焦らず基本だな。慣れさせることが大事だから」
「それってつまり、攻撃することだけ考えるんじゃ駄目、ってこと?」
「そうだな。輝月先輩だって、勢い余って殺しに来る、なんてことはないんだし、もっと余裕を持ってやった方がいい」
……しませんよね? 輝月先輩。
信じてますからね……俺と初めて会った時、随分乱暴な態度だったことは忘れますから……。
「まず、思考発動だけど……あれって、パターンをあらかじめ作っておくことだからさ」
その場で魔法式を組み立てても問題はないが、実戦では僅かなタイムラグでも危険が伴う。だから通常、魔法をイメージしてから魔法式を組み立てるのではなく、順序を逆にする人が多い。
この魔法式はこの魔法、という感じで結び付けるのだ。それを何度も反復して染み付かせることで、細かなコントロールや応用が利くようになる。
「う~ん……」
「すぐにできるもんじゃないさ。気長にやっていいんだ」
陽愛の成長スピードには、脱帽するほどだ。俺が雷魔法を習得するまでにかかった時間と比べて、かなり早く水魔法を会得している。
俺はまあ、今はのんびりとしていた訳だ。もちろん、自主的な訓練やら何やらは続けているが、講義取ってるのも後の方が多いしな。キャンセルして、今の内に入れとくか?
青奈も学校に行ったり、小鈴ちゃんも勉強(学校に通えないので自主的にしている)をしている中で、課題のテキストをダラダラと解く俺……駄目駄目だな、こりゃ。夏の暑さにやられたとも言えないほどだ。
平和過ぎてボケ始めて迎えた、二十日、土曜日。
青奈は小鈴ちゃんと一緒にかき氷を作っている。
家にあったのか、かき氷機。使ったことなかったんだけど。
気温が二十八度まで到達し、本格的に夏を感じ始めた今日、アクティブな我が妹のために、俺はスーパーまで自転車を漕いでいる。
氷は買ってたけど、シロップがないときていた。俺より青奈の方が暑さにやられてるだろ、マジで。
半袖のシャツに汗が滲む。この時期だと、外で遊ぶ子供も見ない。
スーパーに着く頃には、俺の体力はカラカラの青空に吸い取られていて、もう帰る気力も湧かなかった。
冷風が満たす店内で、シロップをいくつか籠に入れ、それだけだとなんか癪だから色々と買い物をして、俺は再び外に出た。
着いた時は変える気力もなかったのに、店内で冷やされたからそれも回復した……が、また一気にテンションが下がる。元気なのは蝉くらいなものだ。
青奈だけなら怒られて済むが、小鈴ちゃんがいる。仕方なく俺は自転車を漕いで、家へと帰り始めた。
シロップとか絶対に沸騰してるだろ。氷にかけた瞬間に、溶岩のように溶かしていく気がする……。
もったいないとか思ってられず、風魔法で少しでも熱を逃がす。自転車だから、あまり移動魔法は使わないが……。
緩やかな坂を上り終えた時、視界の端に人影を捉えた。俺の方には背を向け、静かに歩いている、女の子だ。
こんな日に歩いている人は珍しいと思って、視界に入ったのだが……そのまま釘付けになった。一瞬、夏の日光に焼かれて、俺の目が真っ赤になったのだと思ったからだ。
長い髪……その色が、緋色をしている。綺麗な緋色だ。日本人だよな? いや、外人か? その方が納得できる。
真っ直ぐで長い髪とは対照的に、背が低い。青奈が百五十三らしいから……同じくらいか。後ろ姿で分かるほど小柄な体型をしている。
こんな人、近所にいたか? 観光客って言っても、ここら辺はなんもないし、そういう恰好でもない。
近付いた時、一陣の風が吹き、その子の髪を揺らした。
「……!?」
思わず、少しだけ右側に体重を移動させて遠ざかる。
長髪に隠れて見えなかったが……この子、刀を背負ってたぞ……今時珍しい、日本刀だ。第三高校でも所持してる奴は滅多にいない。
普通なら携帯するのも憚られる代物だ……それを平気で背負ってるってことは、魔装生なのか? 武器の所持申請は、一般の人の方がむしろ通しにくい。魔装生ならば、ある程度の融通が利く。
自転車の方が当然速いので、俺が追い越す。その一瞬で、チラッと顔を見る。
……こりゃまた驚いた。日本人だぞ、あの顔つきからして。染めてんのかな、あの派手な色に。
少しだけ、視線が交差したような気がするが……すぐに、俺の自転車が慣性の法則に従って流れていく。
なんだろうな、今――
理由も分からないまま、俺は危機感を覚えていた。
まるで、命が燃え尽きる前のような、そんな危機感を。




