表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
199/219

第198話 姫波瑠海Ⅲ

 

 腕時計が五時五十分を示した時、瑠海と雁屋さんが車に乗るのが見えた。

 俺は五時半から、まるで張り込みでもするかのように、瑠海のマンションの近くで様子を窺っていた。瑠海が家を出なければいけないので、結局は同じ時間になる訳だが。

「じゃ、行くか」

 さっき到着したばかりの陽愛と桃香に合図して、俺は大量のビニール袋を持ち上げる。

「小鈴ちゃんは来ないの?」

「早過ぎるから、後から青奈が送ってくれる。多分、七時半くらいだな」

 エレベーターの中で、俺は一息吐く。

 食材が重い……買い過ぎたな。女子に持たせる訳にはいかないと思って、俺が一人で手にしているのだが、腕が辛くなるレベルだ。

 早朝でも、夏の暑さが身に沁みる。汗が一滴流れ落ちた。

「大丈夫……?」

 俺が息を吐いたのが分かったようで、桃香が俺の顔を覗き込んできた。ハンカチを出して、俺の頬を伝って流れた汗を拭いてくれる。

「ありがとう……ま、これで良かったよ」

 そう言って、エレベーターの床をつま先で小突く。

 最上階で停まったエレベーターを降りて、重い荷物を手に、瑠海の部屋の前に立った。部屋の鍵は、雁屋さんが外してくれている。来たのは初めてだ。

「お邪魔しま~す」

 先頭を陽愛にして、誰もいない部屋に入っていく。リビングでやっと、ビニール袋を置けた。

「さて……じゃあ、準備しますか」

 

 それから続々とやって来た参加メンバーに、陽愛が仕切り役となって指示を出す。

 朝なので、誕生日会とは言っても朝食っぽいものを作る。

 料理が得意な陽愛と共に俺がキッチンに立ち、桃香は飾り付けをしていた。

 月音、駒井、七時近くになってようやく上繁、その三人が来て、メンバーはこれで充分だ。小鈴ちゃんは後から来るし、他に声をかけられた人はいない。

「人脈がなあ……」

 嘆きながら、スープの味を整える。瑠海の交友関係はもっと広いハズなのに、俺が呼べたのはこの数だけ。やはり、俺はサプライズを企画する器じゃないな。

「人との付き合いは、広く浅くより、狭く深く、だよ」

 陽愛が皮付きのフライドポテトを揚げて、励ますようにそんなことを言ってくる。

「広く深く、じゃないのか?」

「その方がいいけど、広くしたら自然と浅くなるものだよ」

 人付き合いは苦手じゃないけれど、運がない陽愛が、遠い目をしながらそう言う。

 深く聞いちゃいけない気がするので聞かないが、経験上の話なのだろう。まあ、人に与えられている時間は有限だからな。広くすれば掘り下げる暇はないし、掘り下げていれば他の場所にまで手を出す時間はない。

「もうケーキ出しておきますね」

 キッチンにやって来た月音が、冷蔵庫を開けて、桃香が作ってきたケーキを取り出す。

 桃香本人曰く、あまり料理は得意じゃないそうだが、お菓子作りなら陽愛にも負けないらしい。

 なるほど、見事なホールケーキだ。シンプルに生クリームで覆われていて、上に苺が並べられ、瑠海の名前が入ったチョコプレートが置いてある。

「そう言えば、月音って料理しないの?」

 俺が何気なく訊くと、月音の動きが止まった。

「え、えっと……私は、あまり……」

「でも、一人暮らしなんだよな? 作らない時ってどうしてたんだ?」

「あ、ああ……いや、その……」

 妙に歯切れ悪いが……とりあえず、料理をしていなかったことは察した。

 義姉の星楽さんから、仕送りがあったとは聞いていたが……なんというか、健康に悪い、偏った食事をしているイメージだぞ。

「お~い! あの車じゃねえのか?」

 上繁の声で、先ほど雁屋さんの車を見た桃香が、ベランダに出て行くのが音で分かった。

「うん……戻って来たね」

 桃香がキッチンにやって来て、俺と陽愛にお知らせをしてくれる。

 料理もほとんど終わったし、大丈夫だろう。パッと見て、飾り付けは完璧だと思うし。何を基準に完璧かは適当だけど。

 エプロンを外した陽愛が、クラッカーをテーブルから拾い上げる。

「黒葉の割には、気が利いてるね」

 手の中でくるくるとクラッカーを回しながら、陽愛が意地の悪そうな顔で笑う。

 俺も一つクラッカーを手に取って、苦笑いを返した。

 これもまあ、一つ成長だと思えばいいさ。相手の気持ちを考えることの、僅かな一歩だと。

 俺らしい、火薬に巻かれた成長の証だ。

 

 ◇

 

 瑠海と雁屋さんが帰って来てからは、騒々しさが六割増しくらいな気がする。瑠海という追加燃料があったからだ。

 みんな空気を読んで、瑠海の失踪の件は口に出さない。俺が前もって、瑠海の代わりに謝っていたというのもあるのだろうが、誕生日に無粋なことはしないのが、暗黙の了解だ。

「すみません、後はお任せします」

 七時半頃に、雁屋さんが耳打ちするように言うので、俺は慌てて後ろを追った。

「ありがとうございます、俺の我が儘で、ここを貸してもらって」

 玄関で靴を履きながら、雁屋さんは首を振った。

「いえ、白城さんの我が儘ではありません。私の甘さです」

「甘さ? 雁屋さんの?」

 思わぬ言葉に、俺は首を捻って聞き返す。

「あの子の誕生日だということは、当然、覚えていました。瑠海のお母様も、分かっていてパーティーを開いたのです。だから、どうせあの子への罰にはなりません」

 まあ……俺も察してはいた。

 多忙で、心のすれ違いも起こる瑠海とその両親だが、決して、瑠海を蔑ろにしている訳ではない。偶然パーティーを開く訳がないとは分かっていた。

「ですから、本当はここまでして下さることは、私の甘えが原因なのです。白城さんの気遣いに縋り、あの子の幸せを願ってしまう、私の……」

 背を向けたまま、雁屋さんが深く息を吐いた。

「いいんじゃないですか。家族なんだから」

 血の繋がりよりも、もっと深い絆がある。

 俺が知ったような口を利くべきじゃないかもしれないけれど、思ったことは言ってもいいだろう。

「あなたにとっても、瑠海にとっても、お互いが大切な家族のハズです。家族なら、無条件で身勝手でも、幸せを望む権利があると、俺は思いますよ」

 余計なことだろうな。わざわざ言うほどのことじゃない。

 言わないのが美徳ってことだろうさ。それこそ、暗黙の了解で。

「片付けなど、お願いしますね」

 そんな美徳を俺なんかより心得ているであろう雁屋さんは、心なしかさっきよりも少し明るい声で、俺にそう託して出て行った。

 

 雁屋さんが出て行ってすぐ後に、青奈が寝惚け眼を擦りながら小鈴ちゃんを連れて来た。

 玄関で出迎えた俺に小鈴ちゃんを預け、ふらふらとした足取りで青奈は学校へと向かって行った……ハズなのだが、大慌てで戻って来て、大声で瑠海を呼んだ。

「はいは~い」

 口にフライドポテトを詰め込みながら、瑠海がリビングから登場した。

「誕生日おめでとうございます! これ、プレゼントです!」

 そう言って青奈が渡したのは……帽子だ。しかもこれ、マリンキャップだろ。

 瑠海がこの前被っていたのは黒いマリンキャップだったが、青奈がプレゼントとしたのは真っ白と対照的。どちらにせよ、あの帽子は雁屋さんが処分すると言っていた。嫌な記憶に結び付くかもしれないし、俺たちが発見していなかったことにすれば、いつの間にか紛失した、で済む。

 俺は今回の流れを、青奈には大まかにしか言っていない……偶然か?

「……ありがとう、青奈ちゃん」

 柔和な笑顔で、青奈からの帽子を受け取った瑠海は、それを胸に抱いた。

「私、今日から生まれ変わろうと思う。これは、その証として」

 少し神妙な面持ちで、瑠海は貰ったばかりの帽子を頭に乗せた。

 白い生地が、瑠海の鮮やかな金色を映えさせる。今日はまだまとめていない金髪が、白く、淡く、輝いた気がするほどに。

「やっぱり似合ってますね! ――あ、私は学校行かなきゃいけないので。お邪魔しました!」

 青奈が慌てて頭を下げ、勢いよく玄関を飛び出して行った。

 俺には一言もなしか。

 一気に静まり返った玄関に、俺と瑠海が取り残された。

「……黒葉」

 少し、怯えたような声。

 振り向くと、瑠海が帽子を前に垂らして顔を隠していた。

 瑠海は、攻められるのには慣れちゃいない。だから強引に、俺から家に押し掛けたのだが……。

 ぶっちゃけ、何も考えていなかった。

 俺は瑠海に謝って欲しい訳でもなく、泣いて欲しい訳でもなく、俺から離れていって欲しい訳でもない。

 話すことなど、何もない。いつも通りに戻れれば、それでいい。

 けれど、話さなければ、きっと戻れないんだろう。俺があの時叫んだ、戻って来い、という言葉は本心だと言わなければいけない。

「ああああああっ!? スクランブルエッグが焦げる!」

 俺が意を決して口を開きかけた時、上繁の間の抜けた叫びが響いた。

「誰だ、あいつをキッチンに入れたのは……」

 雁屋さんの調理器具に焦げ跡を残したりしたら、土下座じゃ済まない。

 慌てて俺が小走りでキッチンに向かうと、マジでスクランブルエッグを焦がそうとしている上繁がいた。

「なんでこれだけの作業ができないんだ!?」

「知るかあ! 急に煙が上がったんだ!」

 上繁が悲痛な声を上げて水を投入しようとするのを、寸前で俺が止める。

 火が強すぎるんだよ……! マックスじゃねえか!

 悲鳴を上げる上繁を蹴り飛ばし、俺は卵の救出を始めたのだった。

 

 疲れた。

 上繁のスクランブルエッグ事件を機に、部屋は更なる騒乱に包まれた。

 小鈴ちゃんが余裕でスクランブルエッグを作ったものだから、上繁は残っている卵を全て使ってリベンジしようとするし、瑠海はそれに巻き込まれに行くし。

 雁屋さんと瑠海が、一緒にいる理由……今は、本当の家族のような関係なのだろうが、出会った当初は違った。幼い頃から使用人嫌いの瑠海をどうにかするため、比較的若い人を付かせたのが雁屋さんという訳なのだけれど……それを瑠海は甘んじて受け入れる理由がある。

 とにかく瑠海は、家事ができない。一人暮らしをしようものなら、カップラーメンのみの食生活に、掃除や洗濯も満足にできない、という悲しい末路を辿ることとなるのだ。

 おそらく瑠海は、この中で誰よりも料理ができない。

「うわわわわっ! 陽愛! これどうなってるの!?」

「え!? ちょ、ちょっと!? なんで油の中にベーコン入れたの!?」

「か、カリカリしているのは、油で揚げたからだと思って!」

 恐ろしい会話がキッチンから聞こえてくる。

 聞いているだけで心が痛むので、俺はそっとベランダに出た。

 夏なんだな。一瞬でそう思わせる、新緑と生き物の匂いを混ぜた風が、ベランダを吹き抜けた。

「お疲れ様です」

 困ったように笑いつつ、月音が俺に続いてベランダに出て来た。両手に持っていたオレンジジュースの入ったグラスの、片方を手渡される。

「月音はいいのか? あの料理教室」

「わ、私はちょっと……今度、ちゃんと教えてもらいます」

 茶化して言うと、月音も笑いながらそう答えた。

 オレンジジュースを飲みながら、月音と並んで、通学路を通る学生たちを見下ろす。

「昨日は家に帰ったんだな。陽愛の家に泊まってるって聞いてたけど」

 朝に陽愛からも言われたことだが、なんとなく確認してみる。

 集合場所に陽愛が一人で来たものだから、予想が外れたのだ。てっきり、月音と一緒に来ると思っていたのに。そう言うと、昨日は第二都市の自宅に帰ったらしい。

「それはそうですよ。講義もあったんですから、わざわざ外泊のためには戻って来ません」

 月音がクスクスと笑う。

 なるほど……確かに。誕生日会の計画で頭の中は一杯だったから、つい忘れていた。

「じゃあ、今は吸血鬼の魔法も使えるのか」

 少し声を低めて言うと、月音の顔から笑みが薄れた。

「はい……その……ごめんなさい、私……」

 申し訳なさそうに俯くので、俺は左手を左右に振りながら否定する。

「怒ってなんかないぞ? むしろ感謝しているんだ。最初に、俺が使ってくれ、って頼んだ訳だし、最後は命まで救ってくれたんだ」

 そもそも、吸血鬼は既に、月音の能力なのだ。俺が今更、どうこう言えることじゃない。

「でも……」

 変なところで食い下がる月音が、何かを思い出したように目を見開いた。

「あの、これ……黒葉くんに見てもらいたくて……」

 月音がポケットから、何かの紙を取り出した。二つに折り畳まれたそれを開くと、何かが書いてある。

 と言うか、これ、短冊じゃないか。

「瑠海さんの文字に見えませんか?」

 少し強い口調で訊かれる。同意を求められているんだろうなあ。

 短冊を覗き込めば、確かに瑠海の文字に見える。中学時代に手紙を何通も貰ったことあるし、見覚えはあるのだ。

 

『今日みたいな日が、いつまでも続きますように』

 

 それが、瑠海の願いだったのか。本心だったかは知らないし、詮索する気もないけれど。

 あいつは一度、書き直している感じだったしな。誰に願ったものかは知らないが、リトライがありなのかは定かじゃない。

 その結果、願いに食い付いたのは悪魔だった訳だ。

「これはどこにあったんだ?」

「あ……そ、その……瑠海さんを見つけて、追っていたら……拾いました……」

 嘘だな。追及する必要はないけれど、俺には言い辛い何かが、瑠海と月音の間に起きたことは分かった。

 その過程で、月音はこの短冊を見つけたんだろう。おそらく、吸血鬼の能力も用いて。

「瑠海が飾っていた短冊の方は分かるか?」

 試しに訊いてみる。

「覚えてます」

 これは使ったな、吸血鬼の能力。普通、分かる訳ないもん。

「『何も失わずに、欲しいものが手に入りますように』、だった気がします」

 ああ、なるほど。これもきっと正しいのだろう。

 瑠海の願いは、むしろ後者の方が正しい。瑠海自身が言っていた。誰のことも悲しませない方法として、悪魔に力を借りると。

「吸血鬼さんの予想だと、マモンはあの短冊を依代のようなものとして、瑠海さんから力を引き出していたんじゃないか、って」

「それはつまり……あの短冊が、マモンと瑠海を繋ぐ回路だったってことか?」

 見えるハズのない、第二都市で揺れているであろう短冊がある方向を見る。朝靄が僅かにかかった視界の端で、笹の葉が揺れたような気がした。

「厳密には違うそうですけど、予想ではそんな感じ、だそうです。私の勘違いじゃなければ、瑠海さんの短冊を、わざわざ入れ替えたくらいですから。一枚目と二枚目、飾られてたのが逆だったんです」

 勘違いじゃなければ、なんて言いながらも、その声は自信に満ちている。

 吸血鬼の夜目の力が、影響しているのかもしれない。夜の闇の中でも、マジックペンで書かれた文字が見えるのだろうか。

「てか、見ちゃったの?」

 人の願い事を見ちゃ駄目だと、他ならぬ瑠海が言っていた気がするが。

 俺に言われて、月音の顔が少しずつ赤く染まっていき、遂には真っ赤になってしまった。

「すみません……その、つい……」

「俺は別にいいんだけどさ……」

 気まずい空気を紛らわそうとグラスに口を付けたが、既に中身は空だった。

「新しく汲んで来ますね!」

 離脱するための口実を見つけた月音が、勢いよく俺の手からグラスを奪い取り、室内へと戻っていく。

 月音が俺の左手に残していった短冊を見る。

 人に教えたら、願いは叶わないと言うならば――

 俺たちの、あの七夕祭りの日のような平和は、遠く過ぎ去っていくのだろうか。

 いや、そんなことはない。俺たちで、取り戻すのだから。

 誰かに願ってもたらされる平和なんて、信用ならないさ。俺は三年前から、本気で何かに願うのはやめた。

 だから俺はまず、室内から俺の様子を窺っていた瑠海に、手招きをするのだった。

 

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ