第188話 play
マモンに覚られないように、バイブレーションだけを頼りに、携帯への連絡を確かめているのだが……何もない。
負ける気はない。だが、いくつかのパターンは用意しておく必要がある。それは、俺だけじゃ不足だ。
「どうしたの? 君の番だよ?」
マモンが手元で金貨を弄びながら、催促するように俺の顔を覗き込んできた。
「そうだ! テーブルの上は邪魔だし、分かりやすいように、こうしようか!」
面白いことを見つけた子供のように、マモンが両手を叩く。途端に、テーブルの右側に大きな天秤が現れた。金色の、神話にでも出てきそうな天秤だ。
テーブルの上の俺とマモンの金貨が浮き上がり、天秤の皿に乗る。
「こうすれば、分かりやすいよね?」
天秤は当然、マモンの方へと傾いている。
「楽しそうだな、お前は」
思わず口を出た言葉に、マモンが訝し気な顔をした。
見た目が、ただの少女だからだろうか。どうにも俺は、マモンの中に人の姿を見てしまう。
長引かせても仕方ないので、俺はカードを一枚選んで裏返し、テーブルの上へと置いた。
「……じゃあ、私は三十枚を要求するよ」
マモンの手元に、金貨が三十枚流れ込んでいく。
ほぼ、間髪入れずに宣言したな。しかも三十枚。マモンのカードが“DOWN”であるならば、その選択はしないだろう。
この勝負に差が出るとすれば、自分が“DOWN”を出した時に相手が“UP”を出し、自分が十枚で抑えた時だ。“DOWN”はゼロにはなってもマイナスにはならない。その“DOWN”をどう制するかだ。
自分が先手で“DOWN”を出した時、ここが勝負の分かれ目となる。相手も“DOWN”を出せば引き分けだし、“STAY”なら影響があるのはこちらだけなので、どうにか相手の要求額を減らすことを考えることになる。“UP”も“STAY”と同じ考えではあるが、影響は顕著だ。どちらにせよ、“DOWN”を出したなら、それ相応の考えがいる。
俺が二手連続で“STAY”を出すとは考えていないのか。それなら、マモンも“UP”を出すとは考え辛い。即決のことも踏まえれば、マモンが出したのは“STAY”か?
「俺も三十枚要求する」
宣言すると、今度は金貨の山に手を伸ばす間もなく、大量の金貨が流れてきた。
お互いに、自分の出したカードを表にする。
俺のは“UP”で、マモンのは“STAY”。予想通りだ。
「予想通り、って顔してるね」
マモンがテーブルを軽く叩くと、大量の金貨が天秤の上へと移動した。現在の天秤は……釣り合っている。当然だ。六回中二回を終えて、俺たちの獲得数は引き分け、八十枚だ。
「お前が思ったより分かりやすくて助かったよ」
軽口を返しながら、さりげなく傷の様子を確かめる。
出血はなんとか抑えられているし、痛みも多少は和らいだ気もするが、激しくは動けないだろう。
「助かった? まさか、今ので安心してるようじゃガッカリだよ」
マモンはつまらなさそうに言って、指で金貨を弾いた。弾かれた金貨は放物線を描き、俺の方へと飛んでくる。
「君は戻せただけだよ? 私に心理状態を見透かされて、予想されて一戦目を落とした。それを、私の動きでなんとなく戻せただけ」
「だとしても、流れは俺だ」
空中で掴んだ金貨を眺める。
「表なら、お前が先手だ」
右手でコイントスの構えを取り、金貨を弾く。
回転しながら真っ直ぐに打ち上がった金貨は、物理法則に従ってテーブルに落ちた。
小さく、マモンが首を竦める。
「私が先手だね」
◆
雅弓を乗せたバイクを走らせつつ、陽毬は困っていた。現在、黒葉とマモンがいる廃墟に近付いているが、その行動は予定にはない。
自らではバイクの運転さえ危ないという雅弓を、戦場真っ只中であろう場所に連れて行く意味がなかった。
「着きましたね……」
下手な時間稼ぎは無意味だと知った陽毬は、その場所に真っ直ぐ向かったのだ。
「では、行きましょうか」
傷を庇いながらも、凛とした態度で雅弓が廃墟へと足を向ける。
その時、近くで足音がした。
「……あれ、君は……」
陽毬が驚いて、雅弓に続こうとしていた足を止める。
立っていたのは、息を荒げた瑠海だった。駅から走って来たからだ。
雅弓の動きが停止した。そして、ゆっくりと横を向く。
「…………なるほど」
瑠海と目が合った数秒で、全てを理解したかのように雅弓が大きくため息を吐いた。
「あなたの家出はあまり珍しいことではないけれど、本気で私にまで秘密にしたのは初めてですね」
雅弓がゆっくりと歩み寄りながら、瑠海へと語りかける。対して、瑠海は小さく後退りを始めた。静寂の中を、二人の靴がコンクリートと接触する音のみが響く。
「まったく……大勢に迷惑をかけて……帰りますよ」
約三メートルの距離で、雅弓が右手を差し出した。
その手を見つめて、瑠海が小さく呟く。
「なるほど……そっか……。あの子は、私をこのために利用する気だったんだ……」
「なんて?」
「悪いけど、私はまだやることがある」
強い口調で、瑠海が雅弓の手を拒絶した。
少し離れた位置で、陽毬が顔をしかめる。
雅弓の顔色が変わった瞬間、素早い動きで瑠海が走り出した。すぐに、闇夜に溶けていく。
「待ちなさい!」
自らの怪我を省みない動きで、雅弓がその後を追う。
「えっ、ちょ、ちょっと!?」
廃墟となった旅館と交互に見つつ、陽毬も慌てて二人の後ろに続いた。
◇
第三都市に向かうため、電車に乗り込んだ月音だったが……。
『これは、ベルフェゴールにやられたな』
吸血鬼の声に、月音がため息を吐く。
電車の動きが途中で停まり、車両点検となってしまったのだ。
「もしかして、乗ってたんでしょうか?」
『可能性はあるだろう。あの少女と共に長距離を移動するなら、これが一番手っ取り早い』
月音は携帯を開いた。
先ほどから、黒葉と連絡が取れない。それどころか、ついさっき掛けた時には、圏外だというアナウンスが流れた。
「……仕方ないです、あの手を使いましょう」
電車の動きが停まってから十分ほどが経ち、遂に月音が立ち上がった。人が乗っていない車両を見つけて移動し、扉の前に立って目を閉じる。
微かに、月音の身体を黒い妖光が包んだ。
「黒き闇織りの羽」
月音の背中から蝙蝠のような二枚の羽が生え、扉をこじ開けた。
そのまま、夜の闇へと月音が身を躍らせる。
「第三都市までどれくらいかかりますか?」
少し不安定な動きで、月音の身体が曇った夜空を飛ぶ。
『さあね……君の力の扱いは、まだ不安定だから』
「だ、だから練習してるんじゃないですか!」
少し拗ねたように、月音が一際大きく高度を上げる。
その時、月音の携帯が振動した。慌てて、月音がそれを取る。
「は、はい、もしもし?」
「夜長三さん、だよね?」
あまり聞き慣れない声だが、すぐに月音は声の主を思い出した。
「品沼さんですか? どうかしましたか?」
「白城くんに言われてたんだ、何かあれば君に連絡するように、って」
少し戸惑うような口調だ。
当然だろう。品沼悠は、月音の能力のことを全く知らない。黒葉は、吸血鬼の知識のことも考えて月音に連絡するように伝えていたのだが、悠から見れば分不相応な選択だ。
「はい、それで?」
「白城くんの携帯の電波が、急に途絶えた。僕は中継役として離れる訳にはいかないから、君に伝えるしかなかったんだ。とりあえず、今から言う場所に行ってもらって構わないかな?」
「分かりました」
月音は礼を言って通話を終えようとしたが、悠がそれを遮った。
「本当に大丈夫? 僕は可野杁さんと連絡を取ってて、君が戦闘に対して積極的でないことは聞いてるよ。得意ではないことも。君が今から行く所は、もしかすると戦いの場かもしれない」
その言葉に、月音は軽く目を閉じた。
確かに、悠の言ったことは事実だ。月音は、吸血鬼の能力を支配下に置き、魔装力と精神力が限定的に急上昇するようにもなり、通常の魔法にはできない技を扱えるようにもなった。
だが、人の性質は簡単に変わらない。壮絶な不死鳥との対決をしようとも、どれほど裏切られて利用されようとも、精神の中での戦いを経ようとも、月音は戦いに対して積極的にはなれなかった。自分を守るためだろうと、意識は吸血鬼に委ね、どこかで戦いから逃避する。
月音もそれは理解していた。
「はい……その通りです……。でも、きっと私にもできることがあるんだと思います。黒葉くんも、それを信じて託してくれたんだと……」
「そっか……ごめん、じゃあお願いするよ」
再び月音は礼を言って、今度こそ通話を終えた。
人気のない場所を選んで飛んでいた月音だが、言われた場所に向かうためには住宅街を通らなければならなくなる。静かにその高度を落とし、危なっかしい足取りで着地した。
『さて、どうするべきかな。私も手段を選んではいられないけれど、いつでも君の代わりになれる訳じゃない。君の精神というか、在り方に影響する。私を使う時は決めておかないとね』
「はい……いざとなったら、ちゃんと言います」
確固たる口調で、月音が歩きながらそれを口にした。




