第186話 選択
「その身体じゃ無理ですよ。後は全部、黒葉くんに任せて下さい」
瑠海のいる場所へ向かおうとする雅弓を、陽毬が困り顔で止める。明確に場所を伝えられた訳ではないのだが、陽毬がした説明の中から、雅弓は大体の見当をつけたのだ。
陽毬の回復魔法によってある程度は動けるようになった雅弓だが、出血量は少なくなかったし、回復魔法にも限度がある。
「私にはよく分かりませんが……瑠海の起こした問題は、私の責任です……!」
強い口調に、陽毬は助けを求めて七菜と蛍火の方を見た。しかし、二人はあからさまに目を逸らしつつ、お互いの怪我の状態を確かめている。
助けに応えてくれない後輩二人を諦め、陽毬は真っ直ぐに雅弓の目を見つめた。
「……分かりました。ただ、私も同行しますからね?」
◇
舞台は一度、少し離れた場所に移る。
第一魔装高校の敷地内にある、生徒が事情により宿泊する時に使われる建物。二階建てで、まるで病院のような内装となっている。あまり使われる機会がないからだろうか、室内灯は薄暗く、充分な光がないように思えた。
その中の一室に、会議室のような部屋が存在する。中央に、四角い輪のように長机が組まれ、点々とパイプ椅子が広げられている。
現在、そこには数名の生徒がいた。
「……連絡を受けた。第三の、水飼七菜会計と井之輪蛍火が負傷した。が、死者は出ていない」
携帯を置いて、鋭間が呟くように報告をした。それを聞いた王牙が、小さく舌打ちをする。
「白城の話じゃあ、今日の相手は万全じゃねえってんだろ? それ相手に、撤退目的でやられたのか?」
「そうなるな」
鋭間の軽い返しに、王牙が更に苛立ったように顔をしかめた。
「品沼の報告によれば、二人とも命に関わる怪我じゃない。ただ、動かすとなるとキツイだろうな」
二人のやり取りを黙って聞いていた雲類鷲苅が、静かに口を開いた。
「お前たちの想像より、戦力は上だと思うべきか?」
「さあな……実際に戦ったことがあるのは、鋭間だけだ。俺には伝え聞いた話しかねえ」
乱暴な口調で王牙は応え、机の上に置かれた、ミネラルウォーターが入ったペットボトルを持ち上げる。すっかりぬるくなった水を一口飲んで、王牙は机の脚を軽く蹴った。
「タイミングが悪すぎだ……やはり、学校側に協力を求めるべきだったか」
「その件はもう終わったハズなの。“魔装高の暗部”のことを考慮すれば、危険があるって」
行儀良く椅子に座っている不舞栢が、机を蹴った王牙を非難するようにして言い返す。
「ああ、それともう一つ。品沼の報告だと、鷹宮陽毬が応援に来たとのことだ」
鋭間の一言に、その場の空気が張り詰めた。
現在、部屋にいるのは上記四名と、第二と第三の副会長だ。
「……確定ね。やはり、白城白也先輩が一枚噛んでるわ。聖なる魔装戦の時のこともあるし、何より弟が絡んでいる時点で怪しかった」
羽堂今晴の冷静な口調に、誰も反応を示さない。
白城白也――去年、第三の生徒会長を務めていた男で、聖なる魔装戦では最終代表選手として他二校を蹴散らした。団体としては敗北したが、その実力は知れ渡っている。卒業後、誰とも連絡を取らずに行方をくらませたが、鷹宮陽毬とだけは連絡を取っている可能性がある。
「……一年しか見てないが……正直、あの人と戦うのは避けたいな」
鋭間の静かな一言に、今晴も首を縦に振った。
「お前はマークしてたんだろう? どうなんだ?」
「あの人がヴェンジェンズを創った、というのは考え辛いな。白城黒葉の話だと、彼は妹を守ろうとして動いているそうだ」
苅の問いに、鋭間が首を竦めた。
「妹……? 白城くんの妹って言うと……――前に調べだけで、覚えてないわね。名前なんだっけ?」
「名前なんてどうでもいい。それより、どうして妹を? 何かあったのか?」
王牙が今晴の疑問をぞんざいに流し、鋭間の顔を見た。
「白城黒葉の敵が、兄妹も狙っているとの話だ。だが……そうなると、少し疑問が生じる」
「と言うと?」
「本人の話だと、昔実験の犠牲になったのは白城黒葉だけだそうだ。それならどうして妹も狙うか、だ。まあ、家族を盾に取るっていう定石かもしれないがな」
場が再び静まり返る。
しばらくして、苅が最初に沈黙を破った。
「結局、白城黒葉が狙われていることに変わりはない。その余波が、魔装高全体にくることも」
「何にせよ、公には言えない事情で、とは深刻ですね」
上里貴樹に顔を向けられ、鋭間は首を竦めた。
ため息を吐く栢に、今度は大仰に両手を上げて見せる。
その時、机の上に置かれた鋭間の携帯が振動し、くぐもった音を立てた。全員の視線が、鋭間へと注がれる。
「――現在起きている、第三都市における白城黒葉とその友人たちの事件は終了だ。後は本人たちに任せる。俺たちは、今後の防衛に関する活動へと――」
「ちょっと待て。最初から、何かおかしいと思ってたんだ。品沼というパイプを残してきたくせに、どうも連絡がくるのが遅い。その後も、事後処理と今後についてのこと……。輝月、どういうつもりだ?」
携帯を置いて話し始めた鋭間を、苅が睨みつける。応じるように、鋭間も苅の方を向いた。
慌てるように口を開きかけた今晴を、王牙が視線で制す。
小さくため息を吐いて、鋭間が口を開いた。
「俺は一度、白城白也先輩から忠告を受けている。聖なる魔装戦の時にな。だが、あの人はこの事態について何も忠告をしなかった。何故だと思う?」
「……単純に、分からなかったから、じゃないのか?」
「その通りだろう。聖なる魔装戦の時には、自ら出張ってまで弟に関する忠告をしてきた。しかも命に関わるものだ。今回もそれに近しい事態であるハズなのに、何もない。それはつまり、この件は異常事態……不調がある以上、相手側も急場の一手だった可能性がある。鷹宮陽毬先輩が来たのも、おそらくは緊急の対応だったんだろう」
「それで? お前の目的はなんだ?」
「生徒会長としての役割を果たすためにも、『ヴェンジェンズ』を始めとした敵対組織に対抗する。そして……“魔装高の暗部”の真相を確かめる。そのためには、俺たちが走り回るだけじゃ駄目なんだよ」
鋭間の力強い言葉に対し、王牙は軽くため息を吐いた。
“魔装高の暗部”とは、一部の生徒の間で話されている噂で、去年から存在していた。
誰か言い始めたかは分からない。ただの噂だ。
“魔装高は、裏である組織と繋がっている”という、具体性も何もない、面白半分で誰かが言っただけのもの……だったのだが、第三高校の元生徒会長、白城白也がそれを調べたのだ。
白也がそれを調べた証拠はない。しかし、今や生徒会役員という極めて少数の者の間では、密かにその噂は残されていった。
(だが、“暗部”についてはあくまで噂だ。いや、だった、か?)
苅は、鋭間たちの発言に違和感を覚えていた。
(瓜屋蓮碼の魔装法の天才登録……停学処分……保護観察……準備されていたかのような進みだ。第三の生徒会は、“暗部”の噂の調査を瓜屋に依頼していた節がある。全て、仕組まれていたことなのか?)
既に“魔装高の暗部”は信憑性を増している。それは、今までの内部調査によってだ。
「これ以上、“暗部”には深入りしない方がいいと思いますよ。第二の先代の会長に会って来ましたが、本当にあるとすれば、危険だと忠告されました」
貴樹が静かに口を開いた。
「第二が先行調査を引き受けたのは、聖なる魔装戦の時の可野杁さんと夜長三さんのことがあるからです。彼女たちは、何かに利用された。そこには、何か大きな組織が絡んでいたと」
「ああ、そう言えば」
唐突に、大きな声で王牙が割って入った。
全員が訝しげに王牙の方を向く。
「白城の奴から、通り魔事件についての圧力掛けを依頼された」
その言葉に、栢の表情が僅かに強張る。それには気付かなかったように、鋭間が首を傾げた。
「前もあったな、そんなことが。でも、その件で白城は被害者じゃなかったか? それを隠蔽しろと?」
「ああ。結構デカい件だから、親父にも頼み辛かったぜ。だが、確かに事件の被害は止まっている」
ずっとテーブルを睨んでいた王牙が、栢と貴樹の方を向いた。
「さて……“魔装高の暗部”に繋がるのか知らんが、ちょっとその生徒たちの話をしようぜ」
◆
「悪魔と博打……? 悪い冗談だな……」
「それなら良かっただろうね。君としては」
満身創痍の俺は、ナイフを構えた左手をだらりと下ろす。
マモンは、右手で一枚のコインを弄びながら笑った。
「どうしても嫌だと言うなら、仕方ない。今の君を、研究者たちの所へ連れて行くさ」
俺は目を伏せて、なんとか突破口を探そうとする。
だが……思いつかない。
そもそも、俺が断ったら、俺が負けたら……瑠海を始めとして、陽愛と桃香はどうなる?
今の状態じゃ、苦渋の選択で一回死んで全快しようと、マモンにまた追い詰められるだけだ。それほどに、圧倒的な差がある。
「………………分かった。勝負しよう」
それこそ苦渋の選択で俺が発した答えに、マモンは少女のように顔を綻ばせた。
「成立だね」
その一言と共に、金貨の山から狐が飛び出した。それが、マモンの首元の狐と同じように、俺の首へと巻き付く。
「なっ……!?」
「驚かないで? 正々堂々と賭けるためだから」
マモンはなんでもないような口調で言って、俺の脚に突き刺さる金属の槍を消した。
急に消滅したことから、バランスを崩してよろける。穴の開いた脚から、血が流れ出す。
「その狐は、賭けをするための楔だよ。賭けを無視した攻撃をしようとすれば、容赦なく首を絞める」
「……それは、俺には有効だとは分かるが、お前にも適応されているかは分からないんじゃないか」
あまりにもマモンの言い方が何気なく、ぞんざいだったために、俺は敢えて突っ込んだ。
マモンが仕組んだのだから、俺に不利なのは当然かもしれないが。
「心外だなあ……。いいかい? 私は賭けに勝つことで、君を直接取り込もうとしている。それは、言わば反則行為なんだよ? それが許されるには、それ相応のリスクもいるんだ」
呆れたように笑うマモンは、俺の横をすり抜けると、階段へと向かった。
「付いて来てよ。場は用意してある」
◇
服の裾を破いて脚の傷口を縛り、なんとか止血を図る。
……ま、気休めにしかならないことは分かっていた。出血量は少なくないが、ギリギリ致死量ではない。マモンも、それを分かってやったハズなのだ。
応急処置を終えて、感覚を確認しながらマモンの後ろを追う。なんとか、歩くことはできる。
完全に、ここまでマモンのペースだ。そして、悪魔との賭けなんて最悪な道を選ばせられている。
どこか……一手でいい、たった一瞬の綻びでいい。どこかで、マモンの調子を狂わせなければ。
マモンはゆったりとした足取りで、更に上階へ向かうために階段を歩いて行く。壁に手を付いて、脚の負担を少しでも減らせるように俺も続く。
首元に手を当てると、狐が首に巻き付いている。まるでマフラーだ。こうして手で触らないと、本当に巻かれているのか分からないのだ。温かさも、毛の感触も、何もない。
外からでも分かる通りに、ここは三階建てだ。もしかすると、三階に行方不明となった三人がいるのか?
階段を上がり切ったマモンは、迷わずに一室へと向かった。俺は少し用心しながら室内を覗き込む。
室内は広いホールだった。内装はボロボロで、天井からは月明かりが青白い柱のように差し込んでいて、薄暗く室内を照らしていた。部屋の中央には、背の低いテーブルが一つとソファがある。
そして、少し予想はしていたが……部屋の奥には……。
「陽愛……! 桃香……!」
椅子に縛られるように座らせられた二人が、頭を垂れている。
思わず一歩踏み出した俺の前に、小さなステップを踏んだマモンが立ちはだかった。
「さて、ここが私たちの戦いの舞台だよ」
エスコートをするような手つきで、マモンが部屋のテーブルを示した。
「……俺が賭けるのは?」
「君自身。まさにオールインだ」
「お前が賭けるのは?」
「あそこの二人だよ」
俺一人で、二人を取り返せる……いや、まだ不足だ。
「瑠海はどうした? お前もオールインでどうだ?」
挑発とも言えない俺の台詞に、マモンは困ったように笑った。
「残念だけど、私が元手として扱えるのはあの二人だけ。もう一人のお姉さんは、私の意思では扱えないんだよ」
どういうことだ? 瑠海を攫ったのはマモンじゃないのか? 確かに、明言した訳じゃない……思わせぶりなことを言っただけだ。なら、瑠海はどこだ?
俺が渋っているのを見てか、マモンは首を竦めた。
「要求があれば、賭けの最中でいいよ。応じれるかは分からないけれど……君も、相当な覚悟が必要だろうからね」
……俺に対して、ここまで譲歩するのは何故だ? 賭けを始めることを、焦っているように感じる。
周期表によれば、マモンの調子にはまだ余裕があるハズだ。勝負を焦る理由があるとは思えない。
「……分かった、席に着こう。その前に、契約確認だ」
考えても仕方がない、と俺が言うと、マモンは笑顔で頷いた。
「大事だよね、契約の確認は。――まず、魔法によるイカサマを心配しているようだけど……それは無理。ゲーム自体のルールを根本から揺るがすような魔法は、私は使用できない。また、ゲーム中の暴力行為は禁止。勝負が着いた後は……相手に危害を加えることは不可能となるからね」
言われるまでもない。全て、賭けを成立する上では絶対厳守の項目だ。それが破られるならば、そもそも賭けなど行う意味がない。
「俺が知りたいのは、賭けのルール、内容だ。まさか、席に着いてから説明する気か?」
半分ふざけた口調になったが、驚くことに、マモンは真顔で頷いた。
「だって、君に勝負をする以外の選択肢があるの? 同じだよ、結局。私としては、早く座ってくつろぎたいな」
敢えて子供っぽい言い方をしたのか、マモンがおかしそうに笑った。見た目は本当に少女なので、思わず気が抜けそうになる。
駄目だな……見かけに動揺するようじゃ……。
「分かった。席に着こう」
マモンの言う通りだ。俺に選択肢はない。
勝てば、陽愛と桃香を取り戻せる。どういう仕組みかは分からないが、今のマモンに嘘は吐けないハズなのだから、勝負後は攻撃されることはない。
負ければ――いや、負けることを考えてどうする。勝負するしか選択肢がないように、俺には勝つ以外の選択肢はないんだ。負ければ、本当に全てを失う。
テーブルへと向かいながら、俺は静かに拳を握った。




