第181話 張本人
何故だ。
ついさっき、桃香からの着信があった。それがすぐに切れて、掛け直しても出ない。
急いで品沼の携帯に連絡を入れる。
「……二人の携帯の電波が消えた。消えたのは、学校を挟んで、白城くんがいる位置とほぼ真逆の街中」
淡々と、しかし動揺したような品沼の声が聞こえてくる。
……どうしてだ?
俺を襲わないで、どうしてみんなを狙う?
「品沼……捜索に出ている人たちで、お前が連絡できる全員に伝達を頼む。……速やかに中止だ」
これ以上は危険すぎる。
陽愛と桃香が襲われたという時点で、悪魔たちの仕業であることは確定だ。それに、敵は複数。
二人、警戒状態、昼間……瑠海とは真逆とも言える条件下で襲われたなら、それはもう、並大抵の相手ではないということだ。
「……分かった。他の人には……」
「俺から連絡する」
沈んだ声の品沼に短く返し、俺は通話を切る。すぐに、密かに協力してもらっていた月音に連絡をした。
第二都市の捜索をしている月音なら、襲われる可能性は低い。それでも、これ以上はまずい。感覚的にも分かる。
人質を取った、ということか……? 俺を確実に捕まえるために、保険を複数掛けた?
どちらにせよ、これ以上戦力を分散させれば、各個撃破されるのはこちら側だ。俺を捕まえない内は人質に手は出さないハズだし、人手は減らす。
だが、この事件は俺の想像を超える事態に進んでいた。
◆
ダンスホールくらいの大きさがある部屋に、私はいた。部屋、とは言っても、床は砂や埃に塗れていて、土足の方が似つかわしい。ただ広いだけで、背の低いテーブルと灰色のソファが部屋の中心に置かれているだけだった。
目を何度が瞬かせて、もう一度ゆっくりと部屋を見回す。
不自然に青白い光が、何本かの筋となって降り注いでいる。見上げると、天窓のようなものがあって、サイズの合わないガラス板のようなもので蓋がしてあった。それに反射して、光が異様な雰囲気を醸し出しているのだ。
全体的にボロボロで、薄暗さのせいもあるのだろうが、廃墟、という表現が相応しい気がする。
しばらくして、ぼんやりとしていた私の頭が、急激に覚醒する。
「なっ……」
確か私は、マモンと名乗る女の子に会って……桃香が黒葉に連絡をしようとして……。
「瑠海……?」
「うん。おはよう、陽愛」
呟いた私の前に、暗がりから瑠海が姿を現した。恰好は、最後に見た私服のままで。
驚きで、口が動かない。
どうして……誘拐された瑠海がここに……? いや、そもそもここはどこ……?
自分の現状を今更になって確認した。私は両腕を後ろに回されて縛られている。座っているのは、木製の簡易的な椅子だ。
「ねえ……ここはどこ? 瑠海はどうしてここにいるの?」
不安になる。
瑠海は笑顔で、何も心配いらない、と言いたそうだ。だけど、その笑顔に寒気を覚える。
まるで、あの少女のようで――
「大丈夫だよ。私は、陽愛と桃香に酷いことしようとなんて思ってないから」
笑顔のまま、瑠海が応えた。
でも、それは答えじゃない。明らかにおかしいハズなのに、私もどこか、ずれた質問をしている気がしてくる。
「桃香はどこ?」
「下のフロアにいるよ」
そうか……ここは二階、もしくはそれ以上の造りの建物で、私がいる部屋が最上階。天窓のようなものがあるし、屋上の類は存在しない。
「瑠海……瑠海は、あの、マモンって子に攫われたんだよね?」
私は一番、自分がするべき質問を思い出した。
そう、全ての始まりについての問い。これで、原点に戻れるハズの質問。
「ううん、違うよ」
でも、それは予想外の答えだった。
「私が協力をしてもらったの」
なんでもないことのように言う瑠海に、私は言葉に詰まる。
「ど、どう、いうこと……?」
なんとかそれだけ訊ねる。
瑠海はくるっと回って私に背を向けると、ゆっくりとした足取りで部屋の中央に向かって行く。
「私ね、黒葉が好きなんだ。中学生の時に一目惚れをして、ずっと……今も好きなの」
直球的すぎる告白の言葉。同じような言い回しを、私は何度も本人から聞いたことがある。
分かっている……今更だ……そう思っても、今の言葉に、私は底知れぬ覚悟のようなものを感じた。
「それでね? 私は、陽愛も好きだし、桃香も好きだし……学校のみんなだって好きだよ? いつも通り過ごしているだけで、すっごく楽しいんだ」
瑠海は軽く跳んで、中央のテーブルの上に立った。
私の方に向き直り、困ったような笑顔で見てくる。
「でも……桃香も黒葉が好きなら、私には選べない……愛情か友情か……私には選べないんだ」
「……選ばなくたっていいんじゃないの? 今だって、それでなんとかなってるんだし……」
「今のままじゃ嫌なの」
瑠海の言葉が鋭さを持った。思わず、身を縮める。
「だから……私、全部手に入れる方法を見つけたの」
満面の笑みを浮かべ、瑠海が両腕を広げた。上から降り注ぐ青白い光が、瑠海の姿を照らす。
「悪魔の能力。それを使えば……桃香の恋心を消せる」
「恋心を……消す?」
聞き返すと、瑠海は力強く頷いてみせた。テーブルの上で、機嫌良さそうに小さくステップを踏んでいる。
「そう……マモンの力を借り受けたんだ。私は今、条件が整えばだけど、人から取り上げることができるの」
悪魔の力を……借り受けた?
瑠海が……どうして……。いや、理由は聞いたのだ。今、とんでもない動機を。ただ、それは普通に考えれば成立なんかしない。人の気持ちを取り上げる? そんなことをすれば、否応なく関係性が崩壊するのに。
今の瑠海は、やっぱり普通じゃない……!
「だから……私の力で、桃香から恋心を没収するんだ」
◆
陽愛と桃香が監禁されているのは、第三都市の北の外れにある廃墟だ。元は民宿だったが、数十年前に火事が起こって、場所も場所だったためにほったらかしにされている。
その一階の端、かつては食堂だった所だ。辛うじて残っていたボロボロの椅子一脚に、その惨状には全く構わない様子でマモンが座っている。
「お前のやり方はよく分からないな……マモン」
不審そうに言うベルフェゴールに、マモンは張り付けた笑みを浮かべた。
「ベルフェゴール。君は少し、策を弄した方がいいよ。私たちは不完全な依代の元に生まれた存在……あまり油断するべきじゃない」
「あの女たちはどうするつもりだ?」
不機嫌そうなベルフェゴールに、マモンが笑みを自然なものとする。本当に楽しいのか、または見下しているものなのか……。
「君が前に襲った時、あの瑠海ってお姉さんに種を残していてくれたお陰じゃないか。私の強欲の能力を、精神面にも浸透させられたのは。本当は君だって、利用する気だったハズだ」
前回の襲撃時、ベルフェゴールは瑠海の喉を掴み、人質としようとした。
ベルフェゴールは怠惰の罪を司る悪魔だが、同時に、女性に不道徳な心を芽生えさせる力も持つ。そのため、瑠海の心の中の欲望にも薄く気付いていた。その時、ある仕掛けを施していたのだ。
欲望のタガを緩ませ、刺激されることによって本来の自分を見失うように。
マモンはあの日、そのベルフェゴールの仕掛けに気付き、利用することを考えていた。物質的な欲望にしか基本は働かないマモンの能力も、ベルフェゴールの仕掛けにより、その効力の幅を広げるに至ったのだ。
「まあ、俺はできるだけ動きたくないからな……お前が動くならば歓迎しよう」
気怠そうに言って、ベルフェゴールは焼き焦げたカウンターに寄り掛かる。
「いいの? 完成するのが二人とは限らないんだよ?」
「王手をかけたのはお前だ。俺は労せずに手に入れられるなら、可能性が低くともそちらの方がいい」
そんなベルフェゴールに、マモンは小さく声を上げて笑う。
「ま、君にも多少は働いてもらうかもしれないけれどね。私は確実な詰みがしたいんだからさ」
笑顔のマモンに、ベルフェゴールはやはり不機嫌そうな顔をしていた。
◆
全員が捜索を終えた。
躊躇う人が多かったが、今は事情を説明している余裕はない。
色々な人への連絡、報告を、俺は品沼に全て任せてしまった。
「こんなことを言っていいか分からないんだけど……やはり、これは君の問題ってことになる。見つけるにしても、あちらから見つけてくるにしても、白城くんじゃないと駄目なんだよ」
品沼の言葉に、俺は短く返事をして携帯をしまう。
品沼の言う通りだ……これは俺の問題で、みんなは被害者だ。決着をつけるのは、俺しかいない。
それはヒーローとしてではなく、責任者として。
「……やっぱりか」
俺は携帯の画面を見つめる。全員から了解の連絡がきたのだが……雁屋さんだけ、それがない。
あの人が止める訳がないのだ。
俺が陽愛と桃香がいなくなったという場所に着いたのは、既に十六時を回っていた頃だった。
「出てくれ……」
雁屋さんの番号に電話をかける。
あの悪魔たちは、俺と親しい人間から襲っている可能性が高い。例え捜索に出ていたとしても、俺とは久しぶりに会った雁屋さんを狙うとは考えられないが……。
「……もしもし」
「雁屋さんっ……良かった……」
紛れもない本人の声に、とりあえず俺は安堵の声を漏らした。
「何も良いことはありませんよ。私が連れ去られた方が、場所が分かって助かったのに」
冷たい声に、自分の呼吸が一瞬止まってしまった気がする。それほどに、威圧感を覚える声だった。
「……すみません。言い方が悪かったですね……」
「いえ……気にしないで下さい」
気持ちが分かる、とは言わない。言えない。だが、分かるつもりではいる。
家族のことなのだ。
「警告はありがたいですが、私は続けます。何かありましたら、連絡しますので」
雁屋さんが早くも会話を打ち切ろうとしているので、俺は慌てて返事をする。
「待って下さい! 今、俺の友達が襲われたと思われる場所にいます。何か手がかりがあるかもしれないので、少しだけこのままで……」
少しだけ間が空いてから、分かりました、という声が返ってきた。
手がかり……何もない方が不自然だ。瑠海を連れ去った時にはマリンキャップを置いて行った。あれは、俺に対するメッセージのハズ……ならば、今度も俺に対する何かがあるのが自然だ。
付近は閑散としていて、人も数えられるほどしか歩いていない。空き家と思われる建物が多く、整備が行き届いている訳でもない、少し荒れ気味の住宅街と言う感じだ。
仮に戦闘が起こったのだとしたら……いや、発砲音がすれば、さすがに近くに住んでいる人が気付くだろう。騒ぎになっていないということは、少なくとも大きな争いがあったということではない。
周期表によれば、今日の調子はマモンしか良くない。あいつの能力は把握し切れていないが、音もなく制圧できるものではないだろう。
協力者か……はたまた、何か別の可能性が……。
人質を外に連れ出すとは考えにくい。瑠海を盾にして二人を襲ったというのはない。
ならばどうやったんだ……調子の悪い悪魔と言うのは、どこまでの実力を出せるものなんだ? それによっては、複数の悪魔が出張れるのかもしれない。
それとも、俺の仮説ではあるが……悪魔の特性による精神攻撃か? それならば、やはりマモンではないような気が……。
「白城さん?」
「あ、はい、すみません……もう少しだけ時間を……」
耳元からの声で我に返り、俺は再び周りをよく見回す。
何か……何かがあるハズだ……。
――携帯の電源が切れたのはここ――?
「……なんで知ってた」
どうして、携帯の電源を切った? または何故、携帯を壊す必要性があると思った? そもそも悪魔は知っているのか? 携帯の仕組み、その効果を。
研究者が絡んでいる時点で、その知識などがあってもおかしくはない……それなら、どうして電源を切った? 瑠海のを使えば、俺を誘き出すのにも使えるのに。
品沼が居場所を探知する技術を持っていることを知っていた? それだと都合が悪く、電源を切った? だが、どうして知っていた?
俺が知ったのは、生徒会役員であるのを黙っていたことに負い目を感じた品沼が、機会があれば役に立てようという名目で教えてくれたからだ。そして、その事実を俺が口に出したのは一度だけ。青奈が失踪した時の顛末を説明した時だけ。それを聞いていたのは――
陽愛、桃香、瑠海。
「ってことは……瑠海が……?」
この付近に壊された携帯でもなければ、電源を切った可能性の方が高い。
さっきまで、何かないか探していたってのに……ないものを探すってか。
「どうかしましたか?」
「雁屋さん……一つ、賭けのようなものなんですが――」
結果的に、俺が見つけたのは陽愛の拳銃だけだった。




