第179話 発覚
青奈の背中で、小鈴ちゃんは静かな寝息を立てていた。
月音の家を見ておいて欲しいと思っていたのだが……わざわざ起こすのも悪いな。高校生たちのノリで引っ張り回すのは良くなかったな。
「ありがとうございました」
月音が笑顔で頭を下げた。その声量は、小鈴ちゃんに気を遣ってか小さい。
月音の家は、大通りを逸れた静かな住宅街の一角にあった。あまり考えたくもないが、星楽さんが研究者を率いて何かしても、目撃されにくかったのだろう。
「いや、今日はありがとうな。おやすみ」
「おやすみなさい」
青奈も声量を落としつつ、小さく頭を下げる。
そんな様子を見て、少し寂しそうに微笑みながら、月音がおやすみなさいと静かに言った。
月音の家を去ってから数十分、電車に揺られている最中で、俺は慌てて腕時計を確認した。
……って、絶対に間に合わないだろう。今から瑠海を追いかけても。
話す気だったのになあ……俺の考え。決心して、決着をつけなきゃいけない、とまで思っていたのに。拍子抜けする馬鹿らしさだな。普通に浮かれてただけじゃねえか、今日の俺。
「お兄ちゃん? どうかした?」
座席に寄り掛かっていた俺が慌てたように身体を起こしたのを見て、青奈が不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「い、いや……別に……」
青奈には恥を忍んで相談までしたのだ。ここで打ち明けてしまうのはまずい。
しばらく青奈は俺の顔を見ていたが、そう、とだけ言って姿勢を戻した。
俺と違って勘が鋭いし、何か察したのかもしれないが……その先も察して追及しなかったんだろうか。考えても、俺じゃ分からない。
とりあえず、全員無事に帰れたのだろうか。
試しにメールでも打ってみようかと思ったが、心配しすぎだな。鬱陶しいだろう。
それに、月音を送って時間がずれた。もしかすると、みんな寝ているかもしれない。
一人でずっと悩んでいると、左肩に重みがかかってきた。見ると、青奈が寝ている。ちなみに、俺の右腕には小鈴ちゃんが寄り掛かっている。
……やはり、高校生のノリで引っ張り回すのは勝手だったかな。
◇
十五日、月曜日。
怠いのを我慢して身体を起こした。
俺は休みだが、青奈は学校だ。朝食を作ってやらねば。
階段を下りると、一階は静まり返っていた。母親もまだ起きていない五時だ。
結局、あの後に寝れたのは日付が変わった後だった。青奈はできるだけ早く寝かせたが、やはり歩き疲れたりしただろうから、今日は部屋に起こしに行かないといけないかもしれない。
欠伸を繰り返しつつ、手早く朝食を作っていく。
何か忘れている気がするな……。
カレンダーを見て、何か忘れていることを考える。
十五日……いや今日じゃない。
「やべっ……明後日、瑠海の誕生日かよ」
七月十七日は、瑠海の誕生日なのだ。色々あって、すっかり頭の中から抜け落ちていた。瑠海に関しては個人的な考えとか悩みが先行してしまっているからな。
陽愛たちは知っているのか?
朝食を作り終わってからコーヒーを淹れ六時半。テレビのニュースを見ながらコーヒーを飲んでいると、目が冴えてきた。ニュースの内容は次々と流れ、この前まで騒がれていた通り魔事件なんて、言葉の端にも出てこない。
時間は少し早いだろうが、陽愛たちに瑠海の誕生日についての確認をしよう。多分みんななら、誕生日会だとか企画したがるだろうし。
瑠海の交友関係には詳しくないが、友人は多いだろう。しかし俺と共通の友人は少ない。主に俺の交友関係が狭いことが原因なのだが。だから確認のメールも簡単に終わる。
やっぱり早すぎたか。返信はない。
と、思ったら……早い。携帯が震えた。
「電話……?」
通話の要求だ。メールじゃない。
驚いて画面を見ると、見たことのない番号だ。
……誰だ、この番号は。
脳裏を過るのは、研究者だ。あいつら、どこの情報網なのか知らんが勝手に人の携帯の番号調べてくるからな。
「もしもし」
考えても仕方がないので、思い切って電話に出る。もう面倒なのはごめんだ。直球勝負でいこう。
「突然申し訳ありません、白城さん。お久しぶりです」
「えっ……? その声は……雁屋さんですか?」
ハスキーな声に拍子抜けした。瑠海の専属メイドである雁屋さんだ。確かに久しぶりだな。
「はい、姫波家の家政婦をしております雁屋です」
「本当に久しぶりですね……お元気ですか?」
「お陰様で。瑠海がお世話になっております」
正確には知らないが、雁屋さんの歳は三十になるかならないかだ。複雑な事情があって、中学生くらいの時に姫波家で働くようになったらしい。本当は養子になるハズだったが、何故か本人が辞退したそうだ。だから、瑠海にとっては姉のような存在なのだ。
雁屋さんも、瑠海のことをお嬢様などとは呼ばない。
「俺の番号はどこで知ったんですか?」
「すみません、少し調べました」
……そして、色々と優秀。
さて、少し探りを入れてみたのだが、まずい事態なのかもしれないぞ。
「瑠海に、何かあったんですか?」
単刀直入に訊く。
普通なら、俺の番号は瑠海に聞いて知るハズだ。それなのに調べたということは……瑠海には聞けない状況なのか、俺の連絡することを知られたくないのか。
「相も変わらず、察しが良ろしくて助かります。少し、お時間を頂けますか?」
コーヒーを飲み干して、テレビの電源を落とした。
「どうぞ」
雁屋さんはまず、昨日の俺たちの行動に関しての確認を取ってきた。待ち合わせの時間、場所、メンバー、大まかな行動、解散した時間、その場所、時刻……。
いつも冷静沈着な態度の雁屋さんにしては、どこか言葉に焦りが感じられた。
「瑠海が昨夜から、家に帰って来ていません」
◇
「強欲の悪魔、マモン。この強欲さは、物質的な富や財、金銭を主に指す」
疲れたような江崎の声にも、俺は配慮している余裕がなかった。
「正直、この程度の基本情報しかないのだけど……調べたら連絡するよ。でも、間違いないのかい?」
「周期表によれば、だが……昨日からかけて四日間もマモンの調子がいい。すぐに仕掛けてこないなら、時間に余裕があるこいつの可能性が高い」
「ふむ……通常の誘拐事件って可能性は?」
「その線も当たる。だが、瑠海は戦闘訓練もしていた。普通の相手なら、逃げるくらいはできるハズだ」
携帯を耳と肩の間に挟みながら早口に喋りつつ、俺は拳銃の状態を確認する。
雁屋さんから話を聞いた後、俺はすぐに最悪の場合を想定した。
周期表を見た結果は、江崎に今言った通りだ。
「すまない。色々と忙しいのだろうが、よろしく頼む」
通話を終了させて、俺は迷ってから短いメールを打つ。
七時半。青奈を起こしに行く。
「んっ……おは、よう……」
「ああ、おはよう」
寝惚ける青奈に背を向け、俺は部屋のノブに手を掛ける。
「何か……あったの?」
俺のただならぬ雰囲気を感じ取ってか、青奈の声が急激に鋭くなった。
「いや、なんでもない」
青奈に背を向けたまま、俺は部屋を出た。
瑠海が雁屋さんに連絡もなしで帰って来ない、ということはない。もしあれば、俺の家だろうと結論を出した雁屋さんは、まず俺に連絡してきたのだ。
俺がこの前アリーナを覗いた感じだと、瑠海の成長は著しい。相当な努力をしているのだと分かった。
そんな瑠海が……誘拐などされるのだろうか?
そもそも、どうして瑠海は、雁屋さんが迎えに来る、などという嘘を俺に吐いたのだろうか。
分からないことだらけだ。
だが、捜さないことには始まらない。試しに俺から瑠海の携帯にかけたが、電源が切れているか電波が届いていない、そうだ。
「一応、私の方から警察には届け出をしました」
俺の自宅前には、一台の車が停まっていた。雁屋さんの車だ。
助手席に乗り込みつつ、雁屋さんに大まかな事情を話す。
雁屋さんは黒いスポーツウエアのような服装をしている。肩より長い髪を瑠海のようにポニーテールにしていて、普段掛けている眼鏡もおそらくコンタクトにしていた。おそらく動き回ることも考えてのことだろう。
「すみません、俺が狙われた余波が瑠海にも及んだ可能性があります……そうであるなら、俺のミスです」
「謝らないで下さい。あの子も子供ではありません。自己防衛なら、私も教えていましたし」
俺の謝罪を軽くあしらい、雁屋さんは車を走らせる。
向かっているのは駅だ。
「まずは駅で人を拾う……で、いいんですね?」
「はい、お願いします」
焦る気持ちを抑えつつ、俺は携帯を開いた。
駅では、品沼と上繁が待っていた。
「朝早くからすまない」
「白城くんが謝ることじゃないよ。それより、姫波さんを捜そう」
品沼の眼光が鋭い。俺の言葉をすぐに遮り、持っていたノートパソコンを後部座席で開いた。
「こう言っちゃなんだが……俺は戦闘の役には立てないかもしれないぞ」
申し訳さなさそうに言う上繁に、俺は首を振る。
「俺の事情を知っている人間にしか声はかけてないんだ。殴り合い、撃ち合いは、最悪の場合だけで、とりあえずは捜索する人手が欲しい」
上繁は頷いて、腰の拳銃を確かめ始めた。
「学校へ向かえばいいのですか?」
雁屋さんに聞かれ、俺より先に品沼が返事をした。
「はい。生徒会室でなら、携帯から位置を辿れます」
品沼が扱う探索技術だ。法律的にまずいらしいので、俺にも仕組みは教えてくれないが……青奈の失踪事件の時も力を貸してくれた。
「それはいいんだが……俺が朝にかけた時は、電源が切れているか、電波が届かない場所にいたようだぞ」
「それなら直前まで辿れる」
どうやら、俺が思っていた以上に便利らしいな。
何にせよ、今は品沼に頼るしかない。
普通の誘拐であれば、瑠海の両親か雁屋さんに犯人から連絡があるハズだ。マンションには今、近場に住んでいる使用人を控えているらしいから、そっちに連絡がくる可能性もある。
武装をしていない、祭りの後で浮かれていた、夜道を一人――この条件ならば、確かに今の瑠海でも誘拐されるかもしれない。
だが、その場合は計画的犯行である可能性が高くなる。その場合、犯人側からの要求はすぐに来るだろうし、下手なミスもしないだろう。プロの犯行であれば、逆に瑠海の危険性は低いかもしれない。
第三の校舎前に停めた車から品沼が素早く飛び出し、走って行く。
「雁屋さん、瑠海のご両親に確認をお願いします」
プロの犯行、計画を立てた誘拐であるならば、身代金の受け渡しを海外で行うかもしれない。海外にいる瑠海の両親から金を受け取るのが賢いやり方だろう。
しかし、それならばやはり、雁屋さんに連絡がくるハズだ。そうでなければ、誘拐の真偽が分からない。事実確認に、雁屋さんへの連絡がないのはおかしい。
だから俺の中では、誘拐された可能性は五分五分。いや、もっと少ないかもしれない。
――落ち着け……俺は今焦ってるんだ。通常の思考じゃない。考えすぎても駄目だ。
品沼からは、すぐに連絡がきた。電波が途絶えたのは、第三都市でだそうだ。駅から歩いて数分の所だろうと。
昨夜の帰り、おそらく駅までは陽愛と桃香と一緒だったハズだ。そこから一人になったのか……陽愛と桃香から返信はまだない。起きていないのか……最悪の事態は、その二人も一緒に……?
「とりあえず、その場所に行ってみましょう」
品沼は学校で待機して調べておくと言うので、雁屋さんに車を出してもらう。途中で警官を何人か見た。これで警察が見つけてくれれば……杞憂で済むんだが。
車内は重い空気に包まれている。雁屋さんの表情にも余裕はない。いつも冷静だから分かりにくいが、動きなどが硬いのだ。
何か言おうと口を開きかけた瞬間、携帯が震えた。手を伸ばしたと同時に、もう一度震える。
開いて確認すると、陽愛と桃香からだった。どうやら無事らしい。
「……上繁。お前の意見を聞かせてくれ」
「なんだ?」
迷っても答えは出ない。こういう時は、誰か別の人に意見を求めるのが有効だと学んだ。
「陽愛と桃香に、事情を話して捜索を手伝ってもらうかどうかだ」
事情を知っている分、柔軟に動けるのだろうが……瑠海と仲が良いからこそ、こういう場合に巻き込んでいいか悩む。
「えっ……いや……どう、だろうなあ……正直俺には、今がどれほど危険な状況なのか分からんのだ」
口籠もる上繁に、俺も小さく頷いた。
そうだろうな……上繁には、身の危険を伝えることしかしていない。それでも、俺と距離を置かないで置いてくれている分、こいつには感謝しているのだ。
「勝手を言わせてもらえば、お願いします。責任は全て、私が負いますので」
迷い続ける俺に、雁屋さんが短く言った。
声には……焦りがある。瑠海を妹のように大事にしているのだから、当然だろう。
じゃあ……俺が焦ってる場合じゃないな。迷ってる時でもない。
「友達の危機だ……当然だよな」
呟いて、事情を説明するメールを二人に送信した。
頭の中には既に一人の少女の姿をした、あいつがチラついている。
お前なのか……? ……マモン……。




