第178話 七夕祭りⅡ
戻った俺はラムネを配り、みんなと買ったものを片付ける。
その間、簡易ステージ上では様々なパフォーマンスが繰り広げられていた。
「おっ、あれはすごくない?」
瑠海が指差したのは、殺陣を活かしたショーだ。模造刀による斬り合いなど、確かに動きがいい。
「確かに……すごい動き方してるね」
陽愛も箸を持つ手を止めて、感嘆の声を上げる。
「そう言えば……刀、って……持っている人少ない、よね?」
桃香が小首を傾げた。それを聞いて、月音も考えるような顔をする。おそらく、記憶を辿って見たことがあったかどうか思い出しているのだろう。
「そうなんですか?」
青奈が全員の顔を見回して聞いた。
中学校では、武器の自由な携帯は認められていないからな。イマイチ実感できないのだろう。
「目立つし、扱いにくいからね。僕も使ったことはないけど」
品沼が笑う。
確かに、日本刀使ってる奴なんて見かけないな。学校内には何人かいるらしいが。
「そもそも、刀ってのは素人が使うもんじゃねえからなあ。銃やらナイフ扱うより、数段練習がいる」
珍しく上繁が語り出した。こいつ、自分でも言うほど、感覚で戦ってるからな。こういう話は、知らねえ、の一言で終わらせてた。
「上繁詳しいのか?」
「いんや、格好いいから昔使おうと思ったけど、難しくてやめた。それでちょっと知ってる程度だ」
「なんかお前らしい」
ラムネの瓶の中にあるビー玉を転がしながら、俺もステージに目を向ける。
「本当は、ああいう風に動くのは難しいんですか?」
ステージに見入っていた小鈴ちゃんが、俺の方を向いて訊ねてきた。
「いや、動きだけなら魔装法を使えば再現はできるかもしれない。でも、ああいったアクションは、出演者同士の相乗効果があるからね」
個人の動きならば、身体を動かせる人が少し練習して魔装法を使えば真似することも可能だろう。だが、あのようなアクション劇などが映えて見えるのは、出演者同士の息が合ったパフォーマンスも影響している。当然、チームプレーなのだ。
「……?」
首を傾げる小鈴ちゃんに、俺は苦笑いする。
「刀を振ることは難しくない。振るだけなら。それをすごく見せているのは、斬られる役がいるからさ。実際には斬れないけれど、まるで斬れているように見える……それは、『本当に斬れるかのような振り方』をする人と、『本当に斬られているようなやられ方』をする人が必要なんだ」
「なるほど……」
満足気に頷く小鈴ちゃんに、月音が微笑んでいるのが見えた。
やはり、この二人を一緒に暮らせるように動いたのは正解だった……そう思える表情だ。
「そうだ! 忘れてた!」
突然、腕時計を見た瑠海が大声を上げた。
驚いて俺も時刻を確認する。十九時四十分。意外と時間は過ぎていたんだな。
「急にどうしたんだ?」
「八時から、あっちでライトアップがあるんだよ!」
瑠海が指差した方を見ると、道路を挟んで反対側の場所だ。本部とは少し離れているから薄暗いんだと思っていたが、どうやらライトアップするためらしい。よく見れば、スタッフが竹を設置している。
「なるほど……だけど、なんで笹を置いてるんだ?」
率直な疑問を口にする。
コンクリートブロックに笹を差し、不規則に地面へと置いていく理由が分からない。七夕祭りだから、景観をそれっぽく整えようとしているのか? それに、笹には葉が付いていないのが含まれている。
「見ていれば分かるよ」
陽愛がニヤッとして言った。どうやら知っているらしい。
全員で後片付けをしてから席を立つ。道路は交通規制されているので、堂々と横切れる。
ゴミを捨てに行っていた時間などもあり、二十時まで残り三分ほどだった。
「願い事しようよ、願い事!」
思い出したように、瑠海が近くのテーブルに置かれていた短冊と水性ペンを持って来た。
「七夕って元々、願い事をするもんじゃないんだぞ」
「え? そうなの?」
「いいからいいから!」
俺のボヤキに驚く青奈を丸め込み、瑠海はみんなに短冊とペンを渡していく。俺の手にも、水色の短冊と黒い水性ペンが渡された。
「これ、持ちながら書けって言うのか?」
「だってもう始まるし」
横目で見ると、薄暗い中で全員が短冊にペンの先を向け始めている。
品沼が俺の方を見て、視線で俺にも書くように促していた。
別に無理して拒否する理由もないしな……願うだけならタダだ。
「あ、始まるよ」
書いている途中で、瑠海が明るい声を上げた。
四方八方から照明の光が飛び、笹に当たって黒い影を作り出している。
「ああ……なるほど」
思わず呟いてしまった。
葉が付いていない笹が作り出す影が組み合わさり、いささか不格好ではあるが、まるで人のような形を生み出している。おそらく、織姫と彦星をイメージしているのだろう。無駄な場所には、上手いこと更に光を当てて調節しているようだ。
周りには、電飾を巻き付けた笹や星形の光などで輝いている。
「……すごい……綺麗だね……」
想像以上の(少なくとも俺は)飾り付けに、陽愛が感嘆の言葉を漏らした。俺も言葉を失い、その光景に見入ってしまう。
今日の風は弱いから、この笹のシルエットの形も大きく崩れずに済む。
誰かが、ライトアップに含まれていない手近な笹に短冊を結び付けている。いつの間にか周りには人が大勢いて、面白半分だろうか短冊に手を付けていた。陽愛たちも笹に手を伸ばしている。
「瑠海はなんて書いたんだ?」
隣に立つ瑠海の手元を覗き込もうとしたら、すごい速さで身を引かれた。
「こういうのは人に教えちゃ駄目なの!」
「わ、分かった分かった……」
意表を突かれてしまった。思った以上に、短冊に想いを込めているようだ。
なんともなしに空を見上げる。確か、天の川は東の方に見えるらしい。
……まあ、こんなに人工光が多くて、濁っている街なんだ。そう見えるハズもないか。
「今年は会えたのかな、織姫と彦星は」
小さく呟いた瑠海の言葉に、俺は応えなかった。
七夕当日と言えば、ベルゼバブの襲撃があった日だ。もう、遠いことのように感じる。
その日は曇り空だった。
◇
「小鈴ちゃんの準備とかもある。後日、連絡するから」
「はい。よろしくお願いします」
月音が頭を下げようとするのを俺が止める。
「家族が一緒に暮らすことは当然だ。俺は当たり前のことしてんだから、頭なんて下げないでくれよ」
それ以前に友達だろ? 助け合いじゃねえか。
それを伝えると、月音は笑って頷いた。
「じゃあ……俺は月音を送って行くよ」
祭りも落ち着いた二十一時。帰り支度を整えたところだ。
「えっ……悪いですよ」
月音が慌てて手を振るのに、俺は頭を掻く。
「いや、女子一人で帰らせるのはまずいだろ」
言いつつ、月音と初めて会った時は一人で帰らせてしまった訳だが。
「黒葉と二人は、それはそれで危ないと思うけど」
「おい、どういう意味だ」
陽愛の気遣わしげな視線に文句で返す。
「てか、できれば青奈と小鈴ちゃんも一緒がいいんだが」
その方が色々と都合がいい。小鈴ちゃんには月音の家の場所を一応知っておいて欲しいし。
「私はいいけど……」
青奈の語尾がか細くなる。
チラッと見ると、小鈴ちゃんが小さく欠伸を噛み殺していた。もう眠いのだろう。
「陽愛と桃香と瑠海は……」
「私たちは大丈夫だよ。なんのために特訓していると思ってるの?」
俺の言葉を陽愛が一刀両断してきた。桃香と瑠海も異論はなさそうだ。
陽愛と桃香は帰る方向が途中まで一緒だが……。
「ああ、私は駅に雁屋さんが来てくれるから一人で大丈夫」
俺の心配を見透かしたように、瑠海が軽く言う。
雁屋さんは瑠海の専属メイドであり、瑠海が絶対的な信頼を置いている数少ない人物だ。
「親は今いないのか?」
「二人とも、随分前から海外だよ」
なんともなしに訊いてみると、瑠海が素っ気ない口調になった。あまり話したくないのだろう。
マンションには瑠海と雁屋さんだけが住んでいるらしい。母親がこっちで仕事があったための引っ越しだったと聞いたが、その母親も色々と行ったり来たりしているから、主にその二人暮らしだそうだ。父親はずっと海外だが。
「俺が送ってもいいんだぜ?」
「お前は方向違うだろ」
上繁の言葉を今度は俺が両断する。それに、上繁は警告を無視して特訓してないからな……言っちゃ悪いが、警戒意識は低いと思う。
詳しく知らないが、品沼の家は第二都市だし、上繁は第三都市だが学校から遠い方の場所だ。
「じゃあ、とりあえずは解散ってことにしようか」
眠そうな小鈴ちゃんを青奈が背負い、俺の一言で全員が頷いた。
◆
静かな道に、私の足音だけが響いている。駅から離れたら、すぐに周りは静寂だらけ。
雁屋さんが来てくれる、なんて嘘だ。心配性の黒葉は、そうでも言わないと引っ込まない。
今日の天気予報は晴れで、夜空も綺麗に見えると言っていたのに……今見上げた空は、途切れ途切れの雲に遮られている。
「……もしかすると、会えなかったのかもね」
脚を止めて呟いた。
私を真上から照らしてくる外灯の音が、やけに大きく聞こえてくる。
深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
頭の中に浮かぶのは、今日の光景だ。
陽愛がしていたネックレス……あれは、黒葉がお金を出したらしい。少しだけ聞こえてきた。
飲み物を買う時、桃香と一緒に出掛けていた。
みんなと集合するより先に、どうして月音ちゃんと会ってたの?
私だって色々とアピールとかしてたけれど、黒葉にとっては今更だっただろう。軽くあしらわれてしまった。
黒葉の足手まといにならないように、私は特訓を頑張っている。昔より弱くなった、なんて思われたくない。見捨てられたくない。
だからこそ、黒葉や陽愛や桃香と遊んだりする時間も削った。だからこそ、私の知らない時間があるのは分かる。黒葉と陽愛が二人だけで出掛けたのだって、そういう時間になのだろう。
桃香はきっと黒葉が好きだ。だから二人きりになりたいっていう気持ちは分かる。だから私も、今日は遠慮した。
月音ちゃんは分からないけど……黒葉に訊けば、きっと拍子抜けするような答えが返ってくるんだろう。
黒葉が好きだ。
でも、陽愛と桃香も好きだ。私は、二人との友情を捨てる覚悟なんてない。今日初めて会ったけど、月音ちゃんも優しくて気が利くいい子だ。もし黒葉が好きなら――
「私ッ……らしく、ない……!」
息苦しくなって、吐き出すように口を開いた。それでも、胸の閊えは取れない。
苦しいよ……苦しい…………黒葉………どうして私を――――
「こんばんは、お姉さん」
張り詰めていた静寂が、柔らかい声で弾けた。
振り向くと、外灯の下に少女が立っているのが見える。中学生くらいで、ショートヘアで細目、華奢な身体つきの少女だ……どこかで、見たことがある気がする。
いつの間に……? 足音はしなかった。いや、私の注意力不足だ。ううん、そんなことじゃない。違うよ、そんなことじゃないよ。
「だ、誰……」
情けないことに声が上手く出ない。
耳鳴りがする。夜の静けさが、外灯の稼働音が、私の鼓膜を強く叩いていた。
「怖がらないで?」
目の前の少女が、愛らしく笑う。
いや、何してるんだ、私は。明らかに異様だ。恐ろしく異常だ。こんな時間に、こんな子が、一人で歩いていることもだけど、私に急に話しかけてくることもだけど、そうじゃないよ。
これは人じゃない。上手く言い表せないけれど、これは私一人の手には負えない。
「何、かな……? 私、急いでいるから……ごめんね……?」
後退りながら、習慣で腰に手を伸ばす。だけど、今日は銃もナイフもない。
どちらにせよ、私はこの子に勝てない。
「お姉さん、合格だよ。あなたは適任だし、ちゃんと分を弁えることもできる」
少女が一歩脚を出して、その顔が少し、夜の闇に染まる。
「来ないで!」
鋭く叫んで、私は携帯に手を付けた。
誰に連絡すればいい? 近いなら陽愛か桃香? でも、この距離なら雁屋さん? 品沼くんと上繁くんは遠いし、今日連絡先を交換したばかりの月音ちゃんになんてできない。やっぱり黒葉――?
「分かった。嫌なら私は、もう近寄らないね? でも、左のポケットの中、見てみて欲しいな」
悲しそうに笑う少女に、私はどうしてか背筋が凍った。導かれるように、左手が羽織っているシャツのポケットに入る。
ざらっとした感触が指先に伝わった。掴んで、引き出す。
『何も失わずに、欲しいものが手に入りますように』
短冊だった。黒葉に見られそうになって、慌てて隠した、短冊。
私は……こんなにも、貪欲な願いを書いていた? 私、が……?
「強欲だね。私は好きだよ……お姉さん」
いつの間にか、少女の声が耳元で聞こえていた。
意識が唐突に私の手を離れて――




