第175話 微温湯
七月十三日、土曜日。
夏季休業中の特別講義についての所用のため、俺は第三高校に来ていた。
担任の小川先生とか、魔装法知識の山吹先生とか、魔装法実技の美ノ内先生とか……色々な先生の元をぐるぐる回っていたので、何をするでもなく疲れてしまった。
所用が終わったのは十時半。そのままアリーナに直行する。
扉の前まで来た時、既に大きな音が聞こえてきた。金属同時が激しくぶつかり合う音と……経験で分かる、魔法がぶつかり合う音だ。
中にいるのが誰かは見当がつく。土曜日に、しかも夏季休業中に、わざわざ学校のアリーナを使おうとする生徒なんて普通いない。
静かに扉を開けて中を見る。
「遅いわよ」
「はっ……は、いっ!」
苦しそうに返事をするのは瑠海。その前に立つのは、井之輪先輩だ。
現在、瑠海の訓練に関しては、小園先輩と井之輪先輩のダブルコーチとなっている。
二人は今、中距離を保ちつつ、徒手格闘と武器による殴打などを入れた戦闘をしているようだ。だが、井之輪先輩には専用武器である断刈と、特殊強化魔法である断斬鉄がある。対して、瑠海の武器は二丁拳銃とナイフ。相性が悪い。
「なに突っ立ってんの?」
「こ、小園先輩!?」
不機嫌そうな声に驚いて身を引くと、いつの間にか扉の横に小園先輩が立っていた。
いやこれは、いつの間に、って言うか……。
「最初っからここに立ってたのに、急に扉開けないで」
「すみません……」
それは、扉に寄り掛かっていたのがまずかったのでは……?
「それより何? あんたも訓練?」
「一応してますけど、今は瑠海の様子見で……」
「遠慮しないで遊んで行きなさいよ。私が全力で相手してあげるから」
「俺をサンドバック代わりにするのはやめて下さい」
ふんと鼻を鳴らして、小園先輩は瑠海と井之輪先輩の方を向く。二人はまだ、俺には気付いていないようだ。
「あの……瓜屋先輩のこと、すみませんでした」
謝っておきたかった。
あの日、生徒会室に行った時は、気圧されて無理だったのだ。
「……なんで私に謝る訳? そういうの、本人に言いなさいよ」
「それは改めてです。今、謹慎中らしいので」
終業式が終わってから停学、というのはそういう意味だろう。
「多分、あいつは分かってたんだと思う。だって、講義の予定入れてるの、全部後ろの方だけだったし」
なるほど……停学、とはそういう意味もあるのか。特別講義への出席は、もちろん許されないだろう。
「あんたも、少しは頑張りなさい」
小園先輩に言われ、俺は大人しく扉を閉めたのだった。
◇
中学一年生の時、俺は瑠海と出会った。
そして何故か瑠海は俺に告白をし、玉砕をした……のだが、諦めずに俺に猛アピールをし続けていて、迷惑させている。
だがそれは恋愛感情の元では迷惑という話であり、俺はあいつを友達として傷付けたくないと思っていた。
身勝手だ。
自分から拒絶しておいて、それでも傷付けたくないと言うのは、勝手すぎる。
それでも俺は、瑠海の優しさに甘え、中途半端な位置で立ち尽くしている。
前に、陽愛から言われた言葉――
――ちゃんと、瑠海と向き合って――
それは、逃げていた俺の心に対して重くのしかかっていた。
口では断りの返事をし、何度も拒否しているような態度だが……俺は、迷っているのだ。瑠海は本音で俺にぶつかって来ているのに、俺はそれを隠し事で遠ざけていることを。不死鳥のことを黙っているのに、それを理由にして瑠海を拒否していることを。
瑠海はもしかすると、それを感じ取っているのかもしれない。完全に俺の推測だが。
どうなんだ……瑠海……?
本当はそれを、俺は自分で考え、見つけ出さなければならないんだ。
俺は主人公を目指すくせに、普段は全くそれらしいことができていない。
人と争うことでしか“戦えない”俺は、所詮やはり、ヒーロー気取りなのだ。
しかしながら、俺はこの手の考えが苦手である。
「――って、妹に相談する?」
半ば呆れがちに、青奈が俺の顔を見ている。
「仕方ねえだろ……お前しかいないし……」
目を伏せつつ返す。
家に帰って来て、ソファに寝転んでいた青奈に聞いてみたのだ。俺はダイニングの椅子を一つ引いて座る。
ちなみに、瑠海の名前を伏せて、一部分の事実は隠して相談した。とは言え、瑠海の俺に対する態度は家でエスカレートすることもあるので、青奈は薄々気付いているかもしれないが。
「お兄ちゃん……友達いないの?」
「馬鹿言え、滅茶苦茶いるわ」
気遣うような視線に、俺は咄嗟に返す。
……いるよね、友達……。
俺はただ単に、言い辛い友達が多いだけだ。陽愛は恋愛絡みのトラウマがあるだろうし、そもそも俺に釘を刺してきた張本人だ。桃香は俺と同じで、この手の話は苦手らしいし。月音も陽愛と同じようなトラウマがある。品沼は、こういう話は笑顔で流すし、上繁だと嫌味だと言われて進まない。小鈴ちゃんは……って、何を考えたんだ俺は。
「まあいいけど……。それで? つまりはどうしたいの?」
なんだかんだ言いつつも、相談に乗ってくれるらしい。不機嫌そうではあるけれど。
「ハッキリしたい……というか、俺はしているつもりではあるんだ。言葉の上では」
「じゃあ、何が問題なの?」
「……多分、俺が中途半端だから」
青奈にも話せないような内容はある。例えば俺が、不死鳥のことを言い訳に、瑠海を拒絶していることとか。
それを抜きにしても、俺は瑠海を拒絶する理由があるのだ。
「……そもそも、付き合うって選択肢は?」
「それはない……。俺は、あいつの言ったことが間違っていると思うから」
瑠海は昔、俺を好きな理由を色々言っていた。
「一目惚れなんだって言うんだが、それはいい。でも……その時に、俺をヒーローみたいに見えたんだとさ」
一体、俺のどこを見てそう思ったのかは分からない。
だが、瑠海はそう言った。
「良かったじゃん。お兄ちゃん、そういうの好きでしょ?」
「好きって……。まあいいや。俺は確かに、そういう理想を持ってる」
英雄症候群という言葉がある。
周りの迷惑を考えずに、自分の正義感や思想だけで物事に強引に介入する人間が陥りやすい。英雄願望や自己顕示欲の強い人間にありがちな精神状態のことを言う。
俺は多分、これに近い。英雄願望に似たものはあるし、自らの正義感で物事を捉えて、自分勝手に動くことだってある。
「でも、俺は違う。俺はヒーローじゃない。あいつがピンチに陥った時に、俺が都合良く駆けつけられる保証はないし、できるとも思えない」
だからそれは、間違った好意だと思う。
「あいつが俺にそんな幻想を抱いているって言うなら……それはきっと、勘違いなんだ」
シンデレラコンプレックスという言葉がある。
女性が潜在的に持つ、依存的願望を指摘した症候群のことだ。外から来る何かが、いつか自分の人生を変えてくれるんじゃないかと待ち続ける状態のことである。
瑠海の場合は少し違うだろうが、亜種と言えばなんとなく当てはまる。あいつは生来のお嬢様だし、自分は自由な言動をしようとしているが、どうしても抜け出せない何かがある。それを、ちょっと破天荒な俺がなんとかすることを期待しているんじゃないか。
俺はこれを、ずっと思っていた。
柄じゃないが、あいつは俺を、王子様だとでも錯覚しているんじゃないかと。
「決めつけるのは良くないんじゃない? だって、三年くらいずっと想っててくれたんでしょ?」
「だからこそ思うんだ。普通、一目惚れでずっと想い続けているか? 何かを期待して、自分の中の幻想に囚われているだけじゃないか、って」
「それを言ってみたら?」
言ってみる……か。
「言ってみるほど自信はない、って顔だね」
「分かるのか」
「妹だからね」
少し困ったように青奈は笑いながら、ソファの上でくるりと体勢を変えた。
何度も言うようだが、俺は恋愛絡みのことについては自信がない。知識だとか雑学だとか、無駄に知ってはいても、それはやはり考えの中だけの話だ。机上の空論と変わらない。
「私に相談までしたんだし……そろそろ、考えてるけど何もしない、ってのはやめよう」
「それは分かってる……俺の悪いとこだな」
「じゃあ、やっぱり言ってみるしかないんじゃない?」
そうなるか……やっぱり。
俺は今のぬるま湯に浸かった状態が気に入っている。だが、やはりそれは卑怯だ。
真っ直ぐにぶつかって来た、あの時のあいつを、俺は眩しく見ていたような気がする。そんなんじゃ、いつまで経っても成長なんかできない。
「……分かった。明日、言ってみるよ」
「そ……頑張ってね」
それだけ言うと、青奈はクッションに顔をうずめて俺から遠ざかった。
青奈は照れると、何かを顔で隠して人から距離を置こうとする。真面目に俺の相談に乗ったことに照れてるのか。
「ありがとうな」
だらしなく下着が少し出ている背中に言葉をかけると、左手だけひらひらと振ってきた。
多分、今のも照れ隠しなんだろう。妹のことさえも、俺は自信が持てないのだが。




