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第170話 怠惰の悪魔――Second devil

 

 第三の敷地内は、本校舎、アリーナ、体育館の三つの建物が、主な面積を閉めている。

 その他にも、校舎裏の端には屋外練習場があったり、物置が存在していたりと、細かいものが点在している。校舎周りを走って一周しようとすれば、それらの障害物や、入り組んだ造りの通路などによって邪魔される。真っ直ぐには動いていられないのだ。

 それ故に……今は俺にとって都合がいい。

 

 走りながら、俺は明らかな違和感を覚えていたが……確かめている余裕はなかった。

 

「いい加減、止まってくれないかなあっ!?」

「う、る、せぇッ!」

 息切れしながらも、すぐ後ろからの嫌そうな声に怒鳴り返す。

 その直後に、右方向へ直角に曲がる。

「ぐッ……」

 ずっと走り続け、急激な方向転換を繰り返してるせいで、脚への負担が大きくなってきた。そして、ベルフェゴールもそろそろ怠けるのもやめたようで……軽く、熊の爪が俺の腕を掠ったのだ。

 俺はアリーナを目指しているのだが……細かく曲がって躱す必要があったため、かなり遠回りの道順になっている。

 だが、次の角で……!

 そう思った瞬間、俺の脚が前へ動くことを止められた。

 いや、止められた、というか……俺の扱い方が雑だったんだろう。その報いだ。

 だからって……なんでこのタイミングで、靴紐が切れるんだよ……!

「クソッ!」

 派手に転倒した勢いを右手で流す。右の靴に絡まった、切れた左の靴紐を急いで千切る。

「っと……やっと止まったか」

 遅かった。当たり前だ。

 目の前に、巨大な熊の背に乗ったベルフェゴールがいる。俺を真っ直ぐに見下ろしていた。

「んじゃ、とりあえず……両腕切ろうか?」

 平淡な口調でベルフェゴールが言うのと同時に、熊が左腕を振り上げる。

 マジ、かよ……! 

 戦慄する。

 防御魔法は……駄目だ、それでも腕は落とされる。立ち上がって後ろに跳ぶ……無理だ、腹が裂かれるだけだ。移動魔法で座ったまま下がる……いや、この体勢じゃ躱しきれない。

 どうすれば……。

 振り下ろされる熊の爪に対し、制服の右腕部分に防御魔法を張り、左手で支えるようにして衝撃に備える。俺の魔装力の高さを過信して……賭ける!

 正直、腕が千切れ飛ぶ覚悟はして、奥歯を噛み締める。

 

 ズガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 鼓膜が破れるかと思うほどの破壊音に、俺は思わず跳び退る。

 腕は……無事だ。傷一つ付いてはいない。

「な、何が……」

 急いで立ち上がりつつ、ベルフェゴールを見る。奴は不機嫌そうな顔で、目の前のものを見つめていた。

 俺と奴の間に立つのは、真っ黒な何かだった。人っぽい……その形は……なんとなく……。

「俺……?」

 どこか、俺の形をしたシルエットという印象を受ける。

 そこで俺は、謎のシルエットが俺の足元から伸びているのに気付いた。

 もしかするとだが……いや、そんなことはありえないハズだが……見覚えがある。

「影魔法……」

 瓜屋先輩が扱う波動魔法、影魔法。

 その能力については、俺は本当に一端しか知らないのだが……天才と呼ばれる瓜屋先輩が扱っているのだ。相当なものであることは予想できる。

 だが、瓜屋先輩は警備にいない訳だし……どうなっているのか。

「邪魔なものが来たな……」

 ベルフェゴールの呟きに連動するかのように、熊が左腕を横薙ぎに振り払う。しかし、真っ黒なシルエットはそれを身体全体で受け止める。あまりの強力な一撃でシルエットの一部が砕け散るが、それでもまだ動けるようだ。

 分かりやすく、ベルフェゴールが嫌そうな顔をした。

 理解の範疇を超えているが……どうやら俺に味方をしてくれている感じだし、ここは急いで行動に移ろう。

 急いでアリーナへの扉を蹴り開ける。鍵は掛かっていなかったのが幸いだった。謎のシルエットが防御してくれている間に、中に入り込む。

 アリーナの中には、大量のダンボール箱が積み重なっている。終業式のために、色々な備品を一時避難させていたのだ。

 パッと見では分からない微妙なレベルで、アリーナは丸みを帯びている。入口は東西南北に四カ所で、天井の高さは約五メートル、窓は約三メートルの位置に東西南北それぞれに二つずつだ。

 そのアリーナ、手前一メートルはダンボールで埋まっている。

 ダンボール、崩したりしたら面倒なことに……。

 その時、俺が入って来た方とは反対側の扉が勢いよく開いた。突然の事に、俺は慌ててパラを構える。

「黒葉っ」

 入って来たのは……陽愛だった。

「陽愛!? なんでここにいる!」

 走り寄りつつ、意外な登場に怒鳴る。

「瓜屋先輩が、今日の警備について教えてくれて……私たちも参加していい、ってことになったの」

 瓜屋先輩……!? どうして、そんな危険なことを……。

 驚いていると、陽愛が無言で俺にインカムを渡してきた。

 実行風紀委員の間で使われる物じゃないな。見覚えもない。

 だが、説明を要求している暇もないし……陽愛が、意味のないことをするとも思えない。無言で受け取り、急いで耳に付ける。

「……白城黒葉、現地アリーナ」

 通信相手が味方であることは前提で、俺から話す。

「あーはい、こちら瓜屋蓮碼。体育館内」

 ……やはりか。

「本当に来ちゃったんですね。すみません、独断で鷹宮ちゃんたちを警備に付けて」

「いえ、ちょっと予想はしてたんで……風紀委員の警備を外すように指示したのも瓜屋先輩ですか?」

 途中からあった違和感……あんなにも走り回っていたにも関わらず、一度も風紀委員の警備とは遭遇しなかった。異常事態を察して、誰かが撤収をさせたとしか思えない。

「緊急コードは事前に伝えてあったらしいので、千条くんを通して撤収してもらいました」

「……陽愛はどうしてですか?」

「何事も経験と思っていたのですが……本当に来るとは、正直思っていませんでした。撤収に関しては、本人の意思です」

「じゃあ、さっきの影魔法は……」

「当然、私のです。今は式の最中なので、動けませんが……インカムでなんとか状況は分かっています。敷地内の配置図などは頭に入っていますし、時間による日光の当たり具合から発生する影も計算に入っていたので、ヘルプに飛ばせました」

 ちょっとチートすぎるぞ、この人。味方であって心底ホッとしている。

 遠隔発動、コントロールなんて、難易度高すぎだ。それを、波動魔法であの出力ってのは……考えないようにしよう。

「ちなみに、どうやって?」

「元々、敷地内に等間隔で、私のナイフを仕込んでおきました。それを媒体に、常時発動してました」

「マジ、ですか……一体、何本必要だったんですか……」

「その分、一本につき一体分の影だけなので、長くは持ちません。二十一秒後にはアリーナに侵入されます」

 早口で瓜屋先輩が伝えてくる。

 お礼を言って、俺は一度通信を切る。

「陽愛、インカムを届けてくれたのは助かった。だけど、すぐに退避してくれ」

 瓜屋先輩が二十一秒後と言ったなら、おそらくピッタリ二十一秒後だ。余裕や猶予はない。

「しないよ」

「何言ってんだよ、前に見ただろ? あいつとはタイプが違うが、規格外な強さに変わりはない。危険なんだぞ」

 早口で警告していたのだが……言い終わる前に、扉が大きく揺れた。目を向けた瞬間、目の前で扉が千切れ飛び、内側に転がる。足元に転がった扉が、三回揺れて動きを止めた。

 後ろ向きのまま、陽愛と共に数歩下がる。

「やれやれ……あれ、しぶといなあ……」

 熊を隣に携えて、怠そうな顔のベルフェゴールが現れた。

 四足歩行でも、かなりの大きさを誇る熊の迫力だが……それだけじゃない。ベルフェゴール自身の纏う空気が濃くなった気がする。

 よく見れば、ベルフェゴールの表情が変化していた。

「っ……」

 僅かだが、奴の顔に憎しみのような色が見える。

「……女……」

 小さく、呟くのが聞こえた。

 そうだ……こいつは確か、女性嫌い、という側面がある。陽愛を見て、その性質が表面化したのか。

「陽愛ッ……! 明らかにまずい、頼むから――」

 隣に立つ陽愛に耳打ちしている途中、熊がこちら目がけて突進してきた。

 いや、この角度は、まさか……!

「陽愛! 躱せッ!」

「分かってる!」

 俺を掠める形で、熊が陽愛のへと突撃していく。

 陽愛は移動魔法を使いつつ、俺の方向に転がり込んできた。

 だが……やはり、今の動きで分かる。

 明らかな実戦不足……というよりは、経験不足か。特訓を積んでいたことで、動くことはできるが、やはり硬い。

「お前の相手は俺だ!」

 叫びつつ、ベルフェゴールへと銃口を向ける。

(にぶ)れ」

 パラから放たれた弾丸が、奴がかざした右の手のひらに当たる寸前で、その動きを止めた。

 空中で静止した弾丸を面倒そうに右手で払い飛ばし、ベルフェゴールが俺の方へと歩いてくる。

 チッ……左腕の脱力感は、少しずつ弱まってきているが……まだ、戦闘には織り込めない。

 左側からは、熊がゆっくりとこちらに歩み寄って来る。

 挟まれた……! 後ろには陽愛がいるし……どうする……!?

「黒葉! 下がって!」

 陽愛の声に、俺は躊躇わずに後退する。それを見て、ベルフェゴールと熊が同時に飛び掛かって来た。

 ブオオオオン、というくぐもった音と共に、天井から何かが落ちてくる。

 影だ。

「またか……」

 嫌そうな声で、ベルフェゴールが動きを止める。

 上を見ると、天井に一本、ナイフが突き刺さっていた。

 おいおい……どこまで想定してたんだ、あの人は……。

「サイドから行くぞ!」

「分かった!」

 すかさず、陽愛と共に横にずれて、ベルフェゴールを射線上に捉える。

 人型となった影は、左腕で熊の薙ぎ払いを受け止め、右腕でベルフェゴールを牽制している。しかし、さっき見たものより、全体的に弱っているようだ。

「黒葉、インカム!」

 陽愛に言われ、俺はインカムの通信を再び繋ぐ。

「白城くん。すみません、私もさすがに限界がきました」

 瓜屋先輩の声がすぐに耳へと飛び込んできた。

 タイミング的にも、陽愛は常時繋いでいるっぽいな。指示を仰ぎながらってとこか……見えないところからの指示ってのは不安だが、瓜屋先輩だし信用しよう。

「いえ、むしろやっとか、ってレベルですよ」

「それでも、戦力的には厳しいでしょう?」

「…………」

「影魔法からの手応えからして、この相手は、今のあなたたちでは勝てないですよ?」

 断言、か。しかも、ちゃんと陽愛も戦力に入れて。

 瓜屋先輩のことは信用しているが……ここは譲れない。

「でも……勝たなきゃいけないんです」

「……二十分、耐えて下さい。ヘルプに行きます」

 俺の言葉に、瓜屋先輩はそれだけ言って通信を切ってきた。

 目の前の影が、揺らいで、抵抗する力を弱めていく。

 俺と陽愛は、申し合わせることもなく、ベルフェゴールに向けて引き金を引いた。

 十何発もの銃弾が、横向きのベルフェゴールへと向かっていく。しかし、すかさず熊がそれの盾となるように動く。

 その一瞬の隙に、ボロボロだった影が一閃の刃となって熊の喉元を切り裂いた。

「……そろそろ、疲れてきたんだけど」

 ベルフェゴールの持つ熊の右腕が、影を掴んで叩き壊す。

 熊も傷口から黒い煙を出して倒れ込み、やがて消失していった。

 瓜屋先輩の最後の手助け……活かさなければならない。そもそも、あの熊がまた出てくる可能性は高い。

「ベルフェゴール!!」

 走り寄りながら、パラの弾倉を替える。

 至近距離から、左脚で脇腹を狙う。ベルフェゴールが右腕で防ぎ、そのまま左腕の爪で刺してこようとするが、陽愛の放った銃弾を防ぐために中断する。

「あんまり、調子に乗らないでもらえるかなあ……」

 至近距離から銃口を向けた俺に対し、ベルフェゴールが右爪を振るう。

 身を捻りつつ、引き金を引こうとした瞬間……目の前の光景が歪んだ。

「な、んだ……!?」

「悪いね。ちょっとばかり、空気と光の動きを鈍らせた」

 マジかよ……! こいつ!

 それでも銃弾を撃ち込むが……目の前の歪んだ空間を貫き、ベルフェゴールに当たった……ように見えただけで、まるで水面に映った像のようだ。

 当のベルフェゴールは、左下の方から距離を詰めてきていて……右腕の爪が、俺の左脚に迫っている。

「させないっ!」

 移動魔法で接近していた陽愛が、抜き放ったナイフでベルフェゴールを牽制する。

 俺も、左脚に移動魔法をかけ、右脚を軸に回転するようにして躱す。

 しかし、それは全て想定内だったようで……左の爪が陽愛のナイフを弾き飛ばしたと同時に、奴の左脚が陽愛の腹部を打つ。

「うっ……!」

「陽愛ッ!」

 吹き飛ぶ陽愛に意識を割いた瞬間を捉え、奴の右爪が俺の右上腕を突き刺した。

「ぐあッ……!」

 右腕を襲う急激な倦怠感に、握っていたパラが落ちる。

 ベルフェゴールの回し蹴りが背中に入り、爪が抜かれ、右腕の感覚が一瞬なくなった。

「く、そッ……!」

 怠さが回復しつつあった左腕でナイフを抜く。

 怠惰、という特性もあってか、あいつは最小限の動きばかりしていたが……陽愛が戦闘に加わってから、急にやる気を出したような感じがする。それからのあいつの動きは、思った以上に鋭い。

 なんとかバランスを保ち、ベルフェゴールに向き直る。

 ……右腕の痛覚が、鈍い。四本の爪で貫かれたのだが、その痛みが薄い。これも、怠惰による力……全ての現象の活動や結果に、怠ける、という言わば鈍化させる力を付与する……その能力なのか。

 まずい……苦渋の選択として、瓜屋先輩たちが来るまで耐える、なんてことも考えてたが……。

 苦渋の選択、どころじゃない……耐久すら不可能かもしれないぞ……!

「さて、と……そろそろ、目的を果たそうか」

 ベルフェゴールが呟いて、熊の形をした両手を合わせた。

 

  

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