第169話 惰気
陽愛たちに事情を軽く説明し、俺は他の生徒より先に教室を出た。
校舎を挟んでアリーナと正反対の場所に、式典などで使われる体育館へ続く渡り廊下がある。体育館とは名ばかりで、今じゃその名にちなんだ使われ方はほとんどしなくなったが……。
アリーナが校舎裏の東側にあるのに対し、体育館は西側に位置する。
とりあえず、警備をしてくれている実行風紀委員の人たちに、事情説明を兼ねて挨拶に来たのだが……。
やはり少ない。
思った以上に人手不足だ。
これでは、もし何かあっても対応できるか怪しいぞ。十時から始まる通りだとすれば、終わるのは遅くても十一時だろうし、そうでもないんだろうが。
腕時計を見ると、九時四十五分。
生徒は移動を終えた頃か。
軽く欠伸をしつつ、俺は持ち場となった体育館入口前に移動する。
そこで、風紀委員が二人倒れているのが目に入った。
「えっ……な、なんだ……」
なんだ……なんで倒れてんだ? 争い合ったような音はなかった……そんな感じは、少しも……。
「ッ!?」
背後からの強烈な存在感に、パラを抜きつつ振り返る。
瞬間、巨大な爪が振り下ろされるのが目に入った。
「くッ……!!」
左手でナイフを抜き放ち、同時にその爪を受け止める。しかし、あまりのその重量感に圧し潰されそうだ。
周期……! 今日、当てはまっていた悪魔は……!
「はっえ……マジか。直前まで完全に抑えてたハズなんだけどなあ……」
目の前の男が、気の抜けたような声で呟いた。
「よし、能力使って早めに終わらせよ……」
男が、右手の爪を下から振り上げてきた。
ナイフを滑らせて競り合いから抜け出し、バックステップで右の爪を避ける。
「おや……躱されたか」
やる気なさげな奴だな……なんだこれ。
だが、確定だな。こいつは――
「怠惰の悪魔、ベルフェゴールか」
「お、理解が早いな。その通りだ」
推測だが、風紀委員が倒されているのは、不意打ちによる能力行使のせいだろう。
怠惰の能力……それに中てられたことで、力が入らなくなった……という感じか。
暴食のような吸収能力もだが、厄介な能力だ……それだけじゃない、あの手は熊の爪ってことだろう……さっきの競り合いだけでも充分に分かるほど、力が強い。
怠惰の罪を持つ悪魔、ベルフェゴール。
その姿は……熊。
しかし、もちろん今の奴はそんな姿ではない。
俺と同じくらい歳の少年だ。ボサボサの髪、一見穏やかそうにも見える目、体型は標準的。
熊の能力……か。その両腕は毛むくじゃらで、鋭い爪が伸びていた。
いや、何よりも驚いてるのは……その服装だ。
どうして……付属高校の制服を着ている……!?
いや……それは後回しだ。考えている時間も、問うてる時間もない。
それに、体育館側に迷惑はかけられない。
俺らだけで、俺だけで、対処する。
「来いよ、ベルフェゴール」
「やれやれ……そんなにやる気出されてもなあ……」
一歩引いた俺に対し、ゆっくりとベルフェゴールが歩み寄って来る。
周期表に書かれていた通りなら、もう一人、調子がいい奴がいるハズだが……一緒か? それとも、単独か?
「ほら」
考えていただけだ。ちょっとだけ、考えていただけ。
相手から目を逸らしてはいないし、その動きには神経を集中させていた。
それなのに――
「が、がはっ……」
背中に強烈な痛みが走り、前方へと押し出される。
目の前のベルフェゴールは右腕を突き出しており、俺を突き刺す構えだ。
「く、そォッ!」
無理やり脚に移動魔法をかけ、右脚を軸にした左回転で爪を寸前で躱す。
その回転の間に、俺の背後を見ると……。
熊だ。ベルフェゴールの象徴する動物、熊。
パッと見ただけでも二メートルはあるだろう……巨大な熊が、俺の後ろに、いつの間にか立っていたのだ。
「な、なんでッ……!」
一人と一匹から、均等に距離を置くために跳び退る。
……待て。単純に考えろ。ベルゼブブはどうだった?
形に囚われて、能力を見誤った。こいつが腕を熊の形にしたのを見て、それが魔法武器だと考えてしまったが、そうじゃない。
こいつらの能力は、一定している。
「俺の罪は食事じゃないからな……あのベルゼブブのようにはいかない。が、怠惰に陥った人間がいるだけで、力は手に入る」
ベルフェゴールはそう言って、少し離れた位置に倒れる風紀委員たちを目で示した。
……ッ……! 嘘、だろ……自分で惰気を増幅させておいて、その怠惰の心を糧に力を得る……?
やっぱりこいつら規格外だ……! ふざけた永久機関だぜ……!
「やれ」
短くベルフェゴールが命じる。それに応じ、熊が唸りを上げつつ俺へと突進してきた。
まずい……! 蠅の時も思ったが、こいつらのクオリティは高すぎる! 正に本物のような迫力だ!
制服全体から風を吹かせ、高く跳び上がる。空中で身を捻りながら、立ち上がった熊の爪を辛うじて流す。
熊の背後に着地すると同時に、強化魔法を施した蹴りをその背中に思いっ切り叩き込むが……。
効いてんのかよ、これ……。
「鈍れ」
その蹴りによる反動で俺の動きが止まった僅かの時間に、ベルフェゴールの爪が俺の左腕を切り裂いた。
「ぐっ……」
だが、距離があったのと、奴の踏み込みなどが甘かったなどの要因で、皮膚を切り裂いた程度の掠り傷で――
「……え……?」
左腕が……重い。
急激に疲労感のようなものを感じて、力が上手く入らない。
「これが怠惰の能力、だってのかよッ……!」
切られたのは上腕だから、前腕から下、手首などはなんとか動かせる。仕方ないのでナイフをしまい、右手のパラだけで牽制しながら、再び後退する。
ふざけんな……掠っただけだぞ? ちょっと切れただけで、この威力?
「ち、くしょう……!」
近付かない、という対処しか思い浮かばず、俺は雷魔法を帯びさせた銃弾を連発で浴びせる。
「グアアアァッ!!」
しかし、凄まじい速さで熊が咆哮し、ベルフェゴールの前に立ち塞がり盾となる。その身体に銃弾が次々と当たるが……熊の重厚な肉体に阻まれ、向こうの本体には届かない。それに……気のせいかもしれないが、熊の身体に当たった瞬間、雷魔法が弱まっていく気がする。
人の持つ罪であるハズの怠惰……しかしそれは、魔装法という形で顕現することで、物体や現象にもその効果を表すというのか。
「ふわあぁぁあ……早く終わらそう、不死鳥。そんな逃げてばっかじゃなく、一発勝負とかで、パッとさ」
欠伸をしつつ怠そうに言うベルフェゴール。
まずい……最初は、騒ぎが起これば他の風紀委員たちが駆けつけて来て、数で押し勝てると思っていた。
しかし、見当外れだ。
むしろ、人が多くなれば多くなるほど、こいつの与える影響は大きくなり、得る力も増大する。
(おいッ……不死鳥ッ!)
心の中で、もう一人の俺――不死鳥に呼びかける。
吸血鬼の一件の時に現れて以降、俺は応答されたことがない。
交神魔法という同種として、意見ないし助言が欲しかったのだが……元々、あいつには頼らない方針だったハズだし、潔く諦めよう。
それよりまず……。
「……逃げるか」
「ちょっ、本気か?」
嫌そうな顔で訊いてきたベルフェゴールは無視し、俺は完全に敵へ背を向ける。
移動魔法を使いつつ、体育館から遠ざかるように走り出す。
あいつらの目的は、あくまで俺のハズだ。ベルフェゴールの特性が吸収じゃない以上、俺を殺すというより、連れ去る狙いだと推測する。あいつの能力は、そういうことに適しているし。
ならば……やはり、ベルゼブブよりは隙があるハズだ。きっとどこかで、あいつはミスをする。
「まあ待てよ」
近い!?
ベルフェゴールの声がすぐ後ろで聞こえた。走りつつ振り返ると、四つ足で走って来る熊の背に乗って、気怠そうに俺を見ている。
テメエ、金太郎かなんかよッ…………!!
野生の羆は、時速五十キロ近くは出せると聞いた。
こいつの熊の種類なぞ知らんが……羆だと想定していい。
体長はおそらく二百三十センチほど。つまり体重は、推定三百近く。そんな巨体が、俺目がけて突進して来ている。
ベルフェゴールが熊に乗ってから、その熊が走る体勢に移行するまでの時間を考え、加速などを考慮し、俺の移動魔法を使った時の移動速度などを計算していくと……追い付かれるのは、直進のままなら約二秒後。二秒後には、体当たりだ。
「嘘だろ!?」
一瞬の内に自分で出した解答に自分でツッコみ、俺は右側へ急カーブする。
熊の身体は勢いのまま僅かに直進し、止まってから再び俺の方へ向き直ってきた。そのお陰で、ギリギリその巨体を躱すことに成功する。
だが、のんびりなどできない。
初速度が時速五十キロのハズはないだろう。最高速度、その一般平均だ。つまり、それまでの加速に至る距離がいる。それならば、俺が走らなければいけない距離と時間も分かるのだ。
残念ながら、そんなに詳しく計算している余裕はない。大雑把に、どれくらいまでセーフか、だけ。それも、何度も振り向きながら確認しているのでほぼ関係なし。
ただ、俺がしてはいけないのは……一定の直線走行。
一定距離、真っ直ぐ走り続けるのは最悪だ。熊がすぐに最高速度まで加速し、一瞬で詰められて終わり。 相手がノッてくる前に、急カーブ、または直角に曲がる必要がある。さっきは咄嗟だったが……どうやらあいつは惰性で走っている感じで、すぐには方向転換できないようだ。
俺は移動魔法と防御魔法で脚への負担を最小限にしつつ、できるだけ加速力を保ったまま、曲がって走る。それも細かく。
風魔法の補助で飛んで逃げる手もありだが……精神力は温存したい。
それに、ベルゼブブの発想と同じなら――下手に俺を見失えば、俺と近しい関係の人を襲う危険性がある。それだけは駄目だ。
目指すは……体育館にも、一般の人にも迷惑をかけず、思う存分戦える場所。
アリーナだ。




