第168話 暗雲
「ちょっと聞きたいんですけど……」
「なによ」
午後六時半。
特訓を終えた瑠海は、壱弦に家まで送られていた。
たまたま、瑠海とマンションに同棲しているメイドが家に居らず、迎えを呼べないためである。
「陽愛が話してたんですけど……瓜屋先輩って、今忙しいんですか? なんか、夜しか空いてないって……」
不安そうな瑠海の問いに、壱弦が顔をしかめる。
「あいつは多分、市役所に顔出してるのよ」
「市役所?」
「ええ……最近、魔装力の数値化みたいなのが研究されてるでしょ? まだ上手くはいってないけど、高い低いの判断はつけられるらしくて……異様に高い人間を、魔装法の天才って呼ぶのよ。瓜屋は、それに該当するかもしれないから、検査でね」
それを聞いて、瑠海が目を見開く。
「それってすごいんじゃないですか!?」
「そりゃすごいんじゃない? でも、登録されると不便なのよ……魔装法使用に関する取り決めとかで、縛られる可能性があるから」
魔装法の天才登録。
それには様々な取り決めがあるのだが、一般への浸透率は低い。
世界的には広がりつつある。魔装力が高すぎる人間は国の管理下に置いて、問題を起こした場合の処分を強化する必要があるからだ。そうでもしなければ、魔装法の規制能力の不足とされ、諸外国から非難される可能性がある。
それほど、今の世界は、魔装法の扱いに手を焼いているのだ。
「ま、私にとっちゃどうでもいいことなんだけどね」
投げやりな言い方に、瑠海が首を傾げた。
「心配じゃないんですか……?」
瑠海の言葉に、壱弦は不満気に目を細める。
「なんでよ」
「え、だって……お二人は仲いいですよね?」
「は、はあ? わ、私はあいつが嫌いなのよ!? 心配なんかする訳ないでしょ!!」
早口に捲し立てる壱弦に、瑠海は圧されたように目を丸くした。
「そ、そうなんですか……へ、へえ~……」
得心いかない顔のまま、瑠海は黙り込んだ。
◆
七月十日水曜日。魔装高の終業式当日である。
終業式自体は十時から始まるので、各生徒は学校に放置していた荷物の整理をしていた。
「一学期も終わりだねえ……」
感慨深げに言う瑠海に、桃香も頷いた。
夜に特訓していたらしい陽愛は少し疲れ気味に見える。そんな陽愛に……俺は、昨日のことが頭を離れず、上手く話かけられないでいた。
『一年A組、白城黒葉くん。今すぐ生徒会室まで来て下さい』
山吹先生のアナウンスが流れる。
「俺……? なんかしたか?」
生徒会室、ということもあるので、品沼に確認したいところだが……あいつは既に、終業式の準備で出張っている。
仕方ないので、俺は教室を出て生徒会室へと向かった。
「表彰式……?」
「まあね。表彰っていうか、まあ、参加賞みたいなものなんだけど」
首を傾げる俺に、輝月先輩が笑って見せた。
生徒会室内には他に、千条先輩、小園先輩、瓜屋先輩がいる。
「『聖なる魔装戦』のフルメンバーなんだけど……一応、出る義務があるのは三年だけになってるんだ。下手に並んでさえいれば、後は俺が代表で、景品を受け取ることにはなってる」
どうする? と輝月先輩が肩を竦めた。
義務じゃないのなら、できれば俺は不参加でお願いしたい。そういう場で前に出るのは苦手なんだ。
その旨を伝えると、輝月先輩は苦笑いして頷いた。
「そう言うと思っていたよ。――さて、王牙。お前がいない分の警備は大丈夫なんだろうな?」
僅かに目を鋭くして、輝月先輩が千条先輩の方を見た。
そうか……千条先輩は参加義務があるから、警備に参加できない……その分、他の風紀委員が動く必要があるんだ。
「だからよお……俺はサボって、外の警備してやってていいんだぜ? 無理して出る必要ねえだろ」
「駄目に決まっているだろう。お前、美ノ内先生に目をつけられれてるんだから、こんな目立つとこでサボるな」
えー、あの美ノ内先生に目をつけられてるんですかー……。正気ですか……?
「一応、実行委員の何名かは置くんだけどよ……白城の個人情報のことも考慮して、あまり多くの奴には事情を伝えてねえ。置くとしたらどちらかだ。外か、内か?」
「先生方は、内、って言うだろうな。『聖なる魔装戦』の影響で、三人くらいお偉いさんが来るし」
輝月先輩が答える。
つまりは、式場内か、式場外か、の話だろう。
俺としてはもちろん、外の方がいいのだが……そうもいかないらしい。体裁を気にしなければならない魔装高は、一生徒の安全保障よりも、来賓の方が大切なのだ。
「どうする? 実行委員以外にも、ちょっともぐらせとくか?」
千条先輩が言うところの、もぐらせとく、っていうのは……つまり、風紀委員会の外から、実力者を警備につけるってことだ。先生にバレたら、後がきつそうだが。
「てか、なんでそんなに今日は気を張ってる訳?」
黙っていた小園先輩が、訝しげに眉をひそめた。
「終業式で、生徒の大半は気が抜ける。式中は色々と動けない。それに何より……白城くんの持つ、敵方の情報からすると、今日は好調なようでね」
応えた輝月先輩の言葉に挟んであった、好調、という単語……比喩でもなく、本当にその通りなのだ。
詳しくは伝えていないが、攻めてくる敵の可能性については話している。
「その情報って、確かな筋なの?」
不機嫌そうな小園先輩が、俺の方を睨んできた。
そう訊かれると……正直弱いが、今はないよりマシって思っている程度だ。自分だけならそれでもいいんだが……こう、巻き込んでるとな……。
「そう威圧しちゃ駄目ですよ、小園ちゃん。白城くんも困ってるんですから」
ずっと黙っていた瓜屋先輩が、小園先輩を諫めにかかる。
「わ、分かってるわよ……」
ん? 珍しく、小園先輩が大人しく引き下がったな……まあ、長い付き合いって訳でもないし、考えすぎなのかもしれないが。
「とりあえず、警備どうすんだ。内の警備に置くぞ?」
「あの……俺が警備に加わるのは?」
千条先輩がまとめにかかっているようなので、控えめに俺が片手を挙げる。
少し驚いたような輝月先輩たちだったが、千条先輩だけは頷いていた。
「ああ、お前って前も警備とかに加わってたな。いいんじゃねえの?」
その前ってまさか、クラス対抗の魔装法試合の時か? あれは本当に勘弁してくれよな……こっちはやられっぱなしだったんだぞ。
「そうだ、そん時も生徒会役員を借りたな」
「品沼のことか? 悪いが、生徒会役員は進行とかでいないからな……出せる人はいない」
マジか。いないから、薄々察していたけど。
そうなると……薄いな、警備。
「俺はいいんですか?」
「担任の小川先生には、白城くんを借りる、としか言ってないし……上手く誤魔化せるだろう」
そんな適当なことを平然と言う生徒会長に、なんとも言えない気分になる。これでいいのか、第三魔装高校。
「もし足りないようでしたら、私の方でアテがあるので」
そんなことをサラッと言う瓜屋先輩は、どこか少し、疲れ気味に見えた。
生徒会室を出て、一度教室に戻るために階段を下りていると、踊り場のところで呼び止められた。振り向くと、瓜屋先輩だ。
「これ、風紀委員の配置図らしいです。どうぞ」
にこやかに言って、俺へと紙束を渡してきた。
風紀委員の名簿もあるので、受け取って見ていると……。
「あれ……なんか、減ってませんか? 人数」
警備人数が、ではない。風紀委員が、だ。
「ええ、特に実行委員の人たちは、毎年何人か辞めちゃうんですよ」
「そうなんですか?」
「言わずもがな、危険ですからね。喧嘩があれば矢面に立たせられる訳ですし、思った以上の労働量なんでしょう。今だって、何人か入院している人までいますし」
魔装高というだけあって、生徒は魔装法を使う機会が多い。それが喧嘩にまで及び、プライベートなところで魔装法を使うことは少なくないのだ。その度、実行委員が止めに入るのはよく見るが……。
「入院って……そんな大きな争いありました?」
さすがに、そこまで発展するものはなかった気がするが。
そういうことが起こる前に止められる人材が、実行委員なんだし。
「あっ……三年生の数人にしか知らされてませんでしたね……うっかりしてました」
「? なんのことですか?」
「『ヴェンジェンズ』、覚えてますよね? 彼らは、そこそこの頻度でこちらに仕掛けて来てるんですよ」
「なっ……!?」
衝撃的な話に、俺は言葉を失う。
すぐに思い出したのは、前に、陽愛と青奈と共に映画を観に隣町まで行った時のことだ。
あの時は、何故か俺を目的として、野々原怜美という少女が攻めてきたんだった……つまり、あのようなことが、裏では頻繁に起こっていた、という訳か?
「例の、全身真っ黒な姿の男は現れていないので……風紀委員会を筆頭にした少数メンバーで追い返せてはいるんですが……やはり、負傷者は出ているようです」
「そうだったんですか……すみません、俺、何も知らなくて……」
瓜屋先輩は首を軽く振った。
「知らされていなかったんですから、当然です。特に千条くんは、意地っ張りですから」
ふふふ、と笑った瓜屋先輩に、俺もつられて笑ってしまう。
この人はどこか……安心させてくれる雰囲気があるんだよな。
だからこそ、先ほど感じた瓜屋先輩の疲れ気味な様子が気にかかる。
「その……やっぱり、陽愛の特訓とか、大変ですか?」
咄嗟に聞いてしまった。
だが、瓜屋先輩は顔色一つ変えずに首を横に振り、柔らかく微笑んだ。
「そんなことないですよ。楽しいくらいです」
しかし、その後すぐに、瓜屋先輩の表情が曇った。
どうした……? 陽愛のことか?
「ただ……その……」
「どうしたんですか?」
言い淀む瓜屋先輩に、俺の中にあった不安感が急激に膨らんでいく。
話が始まりそうな雰囲気があったが……その前にチャイムが鳴り響いた。一瞬で、瓜屋先輩の纏う空気がいつもの調子に戻る。
「……早く教室に戻らないと、警備するにも間に合いませんよ?」
有無を言わさぬ口調に、俺は黙って頷くしかなかった。




