第161話 食事
「これって、青奈ちゃん?」
「ああ、そうだよ……って、おい!」
陽愛に頷きかけて、俺は勉強する手を止めた。
陽愛は、リビングにあった本棚から、白城家のアルバムを取って勝手に見ていた。その中の、主に青奈が写っている写真が収められているページを開いている。
「勝手に見るなよ!」
俺が慌てて取り返そうとするが、瑠海がやって来てそれを阻止する。
「わ~! 青奈ちゃん可愛いね! 八歳かな?」
「そうだよ! もう充分だろ!?」
「この慌てようは、黒葉の写真が近いぞ!」
瑠海のいらんアドバイスで、陽愛がページをパラパラ捲る。
まあ、瑠海の言ったことは的を得ていて、すぐに俺の写真が出てきた。
「へえ~! 黒葉も、目つきが悪くない頃があったんだね!」
「当たり前だろっ! てか失礼じゃねえか!」
俺の十一歳の頃の時の写真を見て、陽愛が失礼なことを言ってきた。
「でも、実際に目つき悪いよ?」
「うっ……」
瑠海にも言われ、俺は少したじろぐ。
「わ、私も見ていい?」
そこに桃香も加わり、俺はアルバムを取り返すことを断念した。
「分かった、分かった……もういいよ、気の済むまで見てくれ……」
「わあ~い! 本人も同意の上だ~」
俺の脱力した声に、瑠海は笑う。
女子三人が、アルバムを見て笑っている。
「あれ、この写真……黒葉が産まれた直後の写真じゃない?」
陽愛の指差す写真は、確かに俺が産まれた直後も直後だ。
俺が頷くと、桃香が首を傾げた。青奈の産まれた直後の写真と、俺の写真を見比べている。
「でもこれ……背景が、病院じゃないみたい……」
「ああ、俺は家で産まれたんだよ。急でな」
写真の背景は、病院の白コンクリートの背景とかではなく、畳なのだ。
「でも、この家に和室ってあったっけ?」
瑠海の問いに、俺は首を横に振った。
「いや、人の家。外を歩いてた時だったらしくて、近い家に駆け込んだらしい」
「ふう~ん……そういうことって、実際にあるんだね。それで無事に産まれたんだから、なんかすごいね」
陽愛が感慨深げに言うので、俺は首を捻った。
「そうか? まあ、駆け込んだ家がラッキーだったって聞いたよ。助産師っぽい人がいたとかなんとか」
まあ、当然ながら俺も、伝え聞いた話だけなので詳細は不明。
「ついでに、俺の名付け親はその家の人だとさ」
「「「へえ~……」」」
どうでもいい裏話をすると、三人揃って同じ声を上げ、同じ反応をした。
その時、ガチャッという音が聞こえた。
バタバタッという騒がしい音と共に、青奈と小鈴ちゃんがリビングに駆け込んでくる。
「お帰り……って、どうした?」
汗をかいている青奈に、俺は眉根を寄せる。
だが、青奈は作った笑顔で首を傾げた。
「何が? ごめん、私が今から買い物いくから……」
「せ、青奈さん……それは……」
小鈴ちゃんが、青奈の言葉に目を見開く。
……明らかに、様子がおかしい。
しかし、どうやら青奈は、俺に話をするつもりがないようだ。
「って! なんでアルバム見てるんですか!? 恥ずかしいですから! やめて下さい!」
……青奈のテンションが、出かける前と大分違う。
原因が解決されたか、気持ちが吹っ切れたのか、はたまた、別のことで気が逸れたか……。
「……俺が買い物行ってくるよ。留守番よろしく」
「え? お兄ちゃん?」
慌てたように、青奈が俺の側へ走ってくる。
「気にすんなよ、んじゃ」
俺は片手を挙げて、小鈴ちゃんから財布を受け取る。
戸惑う陽愛たちや、何かを言いたそうな青奈や小鈴ちゃんを置き去りにし、俺は外へ出た。
「さて、と……」
小鈴ちゃんの態度は、何かを恐れているような感じだった。
小鈴ちゃんは、あの歳にして超しっかり者。並大抵なことでは驚くのもなさそうだ。
つまり……あいつらか。
周りを見渡し、不審な人物や車、その他のものを探す。神経を研ぎ澄まし、音にも集中する。
……特にはない。
やれやれ、考えすぎか。
俺は頭を掻きつつ、買い物へと向かった。
◇
夕食は、肉じゃがを中心に和風なものを作った。
青奈と小鈴ちゃんの態度が少しおかしいことは気になったが……何が起こるということもなかったので、できるだけ普段通りに接した。何があったかは知らないが、それを、あまり意識をさせないように。
「ん~……美味しいね! 料理ができるって、やっぱ得だよね! 得っていうか、アドバンテージ?」
「……なんでもいいよ」
瑠海を軽く流し、俺はテーブルに皿を置く。青奈も俺の手伝いをしてくれている。
「ご、ごめんね……? ご馳走になってばかりで……」
控えめに箸を動かす桃香に、俺は笑いかける。
「別に構わないよ。そういう気持ちだけで充分だよ」
「でも、皿洗いぐらいはするからね?」
俺の言葉に被せるように陽愛が言う。
毎回だが、陽愛と桃香の手伝いの申し出を断るのが一苦労だ。譲歩して、皿洗い、食器の出し入れ程度をしてもらっている。
「じゃあ、よろしくな」
やっと、俺と青奈も席に着く。
チラッと青奈と小鈴ちゃんを見る。……特に、変わった様子はない。
神経質になりすぎか。
思わず自嘲気味に笑ってから、俺も肉じゃがに箸をつけた。
◇
すぐに、その日はやってきた。
期末試験。
二日に分けて行われる試験は、意外とあっという間に終わり……。
午前中で終わった二日目、俺は食堂にいた。
「なんか、すぐに終わったな……」
「さっきからそればっかりだよ?」
俺の呟きに、向かい側に座って日替わり定食を食べていた品沼が、静かに笑う。
手応えはどうだったか……正直、なんとも言えない。ただ、頑張った分は取れているんじゃないか、という希望的観測はある。
「どうだった?」
「……まあまあ」
急に後ろから現れた陽愛に、俺は首を捻って見せた。
陽愛は、うどんの乗ったトレーをテーブルに置きつつ、俺の右隣に座った。
「大丈夫なの? 夏休み、補修で過ごす気?」
「……そう言う陽愛は、当然良かったんだろうな?」
「わ、私は大丈夫……だと思う。物理とか難しかったけど」
俺が問い詰めるように顔を向けると、陽愛は慌ててうどんを食べ始めた。
軽くため息を吐き、俺も自分のラーメンを食べ始める。
「……ねえ、あそこの人って、誰?」
「は?」
しばらくして、陽愛の突然の声に、俺はメンマを飲み込み損ねて咳き込んだ。
「ごほっ……だ、誰って?」
「ほら、あそこですごい量を食べてる人」
陽愛の指差す先には……確かに、すごい量のカレーを食っている男がいるのだ。十皿は食っている。革のジャケットを着ているのが見えるので、生徒でないことは分かった。
「先生で、あんな人いたかな?」
陽愛の問いに、俺は首を傾げるしかない。
クラスメイトの名前さえ覚えきっていない俺に、教師の顔を覚えていろ、というのは無理難題だ。非常勤講師の可能性だってある。
「品沼、どうだ?」
俺が質問をパスすると、品沼も微妙な表情をした。
「見たことは……ないけど……」
なぜか、不穏な空気が流れ始めた。
気付けば、食堂にいる人間は少なくなっていた。俺たちと、その男。そして、食堂のおばさんたち。
「……俺は食い終わったんで、出るわ」
俺はゆっくりと立ち上がって、トレーを持つ。
その時、羽音が聞こえた。虫が、耳元を飛んだ時に聞こえる、あの音が。
な、んだ……?
俺は咄嗟に、トレーを横殴りに振った。
バキィィィッ!!
凄まじい音と共に、持っていたトレーの半分が消失した。
「……ッ!?」
「く、黒葉っ!?」
「白城くん!」
ハッとして、さっきの大食い男の方を見る。
男は立ち上がっていた。
「……白城黒葉か……なるほどなぁ……食い終わった後って、一番油断すると思ったから、不意打ちしたんだが……さすがだなぁ……」
全身に、悪寒が走る。
こいつだ……今の、謎の攻撃。トレーの半分を一瞬で消し去った、謎の攻撃の出処。それが、この男。
「陽愛! 品沼! こっから出ろッ!」
叫んで、パラを抜く。
「ちょっと予定変更だなぁ……仕方ない……あいつの言う通り、心からやっていくかぁ」
男はそう呟いて、右手を横向きに軽く振った。
なんだ……何をしたんだ……こいつ……!
「はあッ!」
品沼が、ナイフを床に突き刺す。そこから、蔦が何本も生えてきて、陽愛を守るように立ちはだかった。
「おぉ……」
男の声と同時に、その蔦の壁が、さっきのトレーのように一部だけ消失した。およそ、直径三十センチの円型に。
品沼の機転で、こいつの謎の攻撃にも、範囲らしきものがあることが分かった。
だが、それよりもまず……。
「テメエ、陽愛を狙ったなッ!」
風魔法を纏った銃弾を、二発放つ。
さすがに異変に気付いたようで、厨房にいたおばさんたちが慌てて逃げていく。
「だって、一番殺すのが楽そうだったんだから」
男はそう言って、銃弾を掴んだ。
いや、違うな……そう見えただけか。実際は、こちらに向けて手のひらから、謎の何かを出し、銃弾を消したんだ。
消せるのは、物質だけじゃなく、エネルギーもなのか? 風魔法さえ、完璧に無効化されている。
「まぁ……自己紹介はするよ……」
男は、のんびりした口調で自らの名を名乗った。
「こんにちは、暴食の悪魔、ベルゼブブだ」




