第159話 無意識と失態
陽愛、桃香、瑠海の三人が加わったことによる食材不足、それを補うための買い物袋だったのだが……。
「プラマイゼロ……いや、断然マイじゃんか……」
呟いて、俺は静かに冷蔵庫の扉を閉じた。
なんでだろう……チャーハンとスープしか作ってないのに……この、異常なほどの食材不足は……。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
四人が揃って手を合わせて言った。
俺も手を軽く合わせてから、自分の分の食器を流し台に置く。
「あ、皿洗いぐらいはするよ?」
立ち上がろうとした陽愛を、俺は手で制した。
「いや、できればテーブルの上でも拭いてくれ。勉強を再開するんだからな」
桃香と瑠海も頷いて、せっせと片付けを始めてくれている。
つうか俺、また買い出し行く必要あるのか……勘弁してくれ、大食いな誰か。
「あ、あの……よければ、皆さんどうぞ」
片付けも一通り終わった後に、俺達が勉強を再開させようとしていると、小鈴ちゃんが四人分のコーヒーを持ってきてくれた。
「うわ……いい香りだね~……美味しそう!」
コーヒーは本格派らしい陽愛が、興奮気味に言った。
俺もコーヒーはよく飲むが……こんなに上手くは淹れられていない。同じコーヒーメーカーを使っているハズなんだがなあ……。
「あ、あの……私、ミルク入れてもらえたら……」
桃香が、控えめに小鈴ちゃんに言う。
「私もシュガーが欲しいな!」
瑠海も乗っかって、小鈴ちゃんに頼んでいる。
「はい、少し待っていて下さい」
小鈴ちゃんは再び、キッチンの奥へと入っていった。
「な、なんか……メイドさんみたい……」
感嘆した様子で、桃香が呟いた。
瑠海も、腕を組んで頷き、同意を示している。
「あれは素質あるね……既に本物っぽいもん」
少し驚きつつ、俺は瑠海を見た。
「お前が言うなら、相当なもんだな」
「まあね~……大雑把に言うと、気配りと、細かい動作が行儀良くできてることが、大きな要因だね」
「どういうこと?」
陽愛が俺を見て、首を傾げた。
俺はちょっと笑って、一瞬だけ瑠海に視線をやる。
「瑠海には、本物のメイドがいるからな。こいつが住んでるマンションに、同棲してる」
「えっ!? そ、そうなの!?」
陽愛が、目と口を大きく開いて、驚愕の表情をした。
自分の家が金持ちってことを隠したがっていて、嫌がっている瑠海が、唯一それっぽいことをしている。それが専属のメイド雇用。
なんでそれだけは認めてるのかって言ったら……まあ、どうでもいいような理由があるのだが。
「どうぞ」
ミルクとシュガーを持って、小鈴ちゃんが戻って来た。
「ありがと~! 偉いなあ……小鈴ちゃんは」
瑠海がシュガーを受け取って、小鈴ちゃんの頭を撫で始めた。
「い、いえ……そんなことないですよ」
顔を赤くして、照れた様子で首を振る小鈴ちゃんに、瑠海がニコニコしている。
そういや、瑠海って誰かの頭を撫でる癖でもあるのか? 桃香を始めに、色々な人にやってるけど。
まあ……親愛の証みたいなもんなんだろうな……。
ちょっとでも自分から距離を縮めようと頑張ってる、この、実は不器用なお嬢様にとって。
◇
食後の勉強もまずまず進み、俺達は十五時半には休憩とした。
隣に座る桃香が、小さく欠伸をする。
「ふう~……疲れた~」
俺の前に座る瑠海が、達成感に満ち足りた顔で伸びをする。
「ただいま――」
玄関の方から、青奈の声がした。玄関の靴から来客を悟ったようで、語尾が短く切れている。
「おう、お帰り」
「あ……うん……」
俺が片手を挙げて応えると、青奈は微妙な反応をして、さっさと階段を上っていってしまった。
「あれ……あいつ、なんか怒ってんのかな?」
「また何かしちゃったの?」
俺の右前に座っている陽愛の言葉に、俺は首を横に振る。つか、地味に失礼な発言だな。
でも……あいつが、陽愛とか、お客に挨拶しないのって……ちょっと珍しい。
「お年頃だからね~色々とあるんだよ。お兄ちゃんとか、一番遠ざけたくなる立場なんじゃない?」
「え……マジ?」
瑠海の言ったことで、俺は思わず固まる。
過去のことが、ある種のトラウマになってしまってるんだろう……少しでも青奈の態度がおかしいと、すぐに俺は不安になってしまうんだ。
そんなんじゃ、いけないんだろうけど。
いつか、離れていってしまうんだろうけど。
「嫌われたくはないなぁ……」
頭を軽く抱えて、机に突っ伏す。
そんな俺に桃香がアワアワと……慌てている。
「だ、大丈夫だよ……黒葉くん、優しいし……」
必死に勇気づけようとしてくれる桃香に、俺も身体を起こす。
そのまま、なんとなく、右手で桃香の頭を撫でてしまった。
「ふえっ!? えっ!?」
急に、しかも俺から撫でられたからか、桃香は頬を紅潮させ、アワアワするのを止めた。代わりに、口からは、驚きの声が上がっている。
やべえ……なんでだろう……急に撫でてしまった。瑠海がやってるのを、いつも見てるからか。それとも、俺のせいで慌てる桃香を、落ち着かせようとしてか。
自分でもよく分からない。
思いつつ、撫で続けてんだけど。
どうしよ……髪は女の命とも聞くし、不容易に触ったりしたら、嫌がられるだろう。気持ち悪がられたりとかもするだろうし。
桃香だから、騒いだり、払い除けたりしないだけで……。
あれ、もしかして俺、いじめてるみたいなのもの?
にしても、綺麗な髪だな……サラサラしている。
「……あっ……ん……はぁっ…………」
……撫でてる内に……なんか桃香が……。
「ちょ、ちょ、ちょっと!? ストップ! 何してんの!?」
陽愛の大声に、俺は慌てて手を引っ込めた。
あ、危ねえ~……なんか、越えちゃいけない一線を越えるとこだった気がする。
「わ、悪い……桃香。大丈夫か?」
急いで謝るが、桃香は俯いたままなので、頷いてくれてるのかもよく分からない。
「うわあ……黒葉も大胆だねえ……急にそんなことするから、私も思わず固まっちゃったよ」
瑠海も驚き気味だ。
陽愛は顔を赤くして、俺の方に身を乗り出してきた。
「なんで!? どうして急に撫でたの!?」
「え、いや、なんていうか……その……なんとなく?」
「なんとなくぅ!? なんとなくで、桃香の頭を撫でたの!? 女の子の髪を触ったの!?」
「ご、ごめんなさい……」
返す言葉もない。正確には、あるけど、反論と弁解はなし。
「謝るのは、私じゃなくて桃香にでしょ!?」
「あ、はい……。ご、ごめん、桃香」
改めて謝ると、ちょっとだけ顔を上げて、桃香は小さく頷いた。その顔は、もう林檎みたいに真っ赤だ。
つうか、涙目じゃねえか?
「も~……落ち込まないでよぉ~」
瑠海が身を乗り出して、桃香の頭を撫でる。
逆効果だろ、それ……。
「お、落ち込んでるんじゃ……ないん……だけど……は、恥ずかしい……」
「だよねえ~!」
桃香の小声に耳を傾けていた瑠海が、力強く頷く。
なんなんだ、一体……。
「おい……瑠海、身体の下……」
「へ?」
呆れ気味に、瑠海の使っていた数学のワークノートを指差す。それは、瑠海が身体を乗り出したせいで、嫌な感じに折れ曲がっている。
「うわあっ!!」
瑠海は慌てて身体を起こそうとして、椅子の上でバランスを崩した。隣の陽愛が、その背中を支えようとして、自身も倒れそうになってしまう。
「おい!」
その一瞬で、俺と桃香が身を乗り出し、二人を引っ張ろうと手を伸ばした。
……が、瑠海はテーブルクロスを掴んでしまっていたため……俺と桃香は、引き込まれるようにして、テーブルの反対側へと引っ張られた。
テーブルクロスについた左手が、強く引き込まれる感覚。ズリッと持っていかれる。
「きゃっ!」
「あっ……!」
「いたっ!」
「ちょ、動くな!」
バダダンッ!! という音に驚いたようで、誰かが二階から駆け下りてくる音がした。
まあ、青奈と小鈴ちゃん(小鈴ちゃんは大体、青奈の部屋にいるが、寝る時とかには、兄さんの部屋を使っている)しかいないだろうけど。
「……えっと……何やってるの?」
どうやら、下りてきたのは青奈のようだ。
「悪い、手を貸してくれ」
俺達四人は、テーブルクロスが下手に巻き付き、よく分からない感じで、ごちゃ混ぜになっていた。俺の下に瑠海。俺と腕を組んだような状態で、テーブルクロスに固定されてしまっている桃香。そんな俺と桃香、二人に乗っかられている陽愛。
全員、急すぎる事態だったからか、下の二人が頭を打ったのかで、騒ぐことなく救助待ち状態。
こんなことなったら通常、善悪の有無は抜きに、俺が一方的に責められる展開のハズだが。もう、そのレベル超えちゃったのかもな。
だってもう、瑠海に土下座もんの体勢だぜ、今の俺。
「その……ちょっと無理かも」
「いやいやいや、見捨てんな妹よ。明らかに色々とヤバイだろ」
「確かに、お兄ちゃんはヤバイけど……」
「いやそれ、どういう意味でヤバイって言ってるの? 返答次第では撃つ」
「じゃあ助けない」
「すみません、助けて下さい」
長々と、妹を説得(?)し、なんとか救助してもらう。
せめてもの救いは、小鈴ちゃんに、この情けない姿を見られてないことだけだ……。




