第158話 今在る平和
「――代表選手はもちろん、応援してくれた人も、お疲れ様。先輩方も、わざわざ、ありがとうございました。こんな時間まで、我々のために店をお貸ししてくれたオヤジさん、ありがとうございます」
このような挨拶で宴が締め括られたのは、既に日にちも変わった、深夜一時のことだった。輝月先輩の言葉に、全員が軽く頭を下げる。
麺オヤジの本名知らないし、仕方ないんだろうけど……なんか、違和感あるんだけど。オヤジさん、って丁寧に挨拶するの。
「先ほども言ったが、在学生には、期末試験が残っている。しっかりと勉強することだ」
……輝月先輩……もう、そんなに念押ししなくてもいいじゃないですか……。
俺にとっての最大関門だぜ……夏休みの運命決定も兼ねてるんだからな。
◇
その後、店内の片付けを手伝い、俺達は店を出た。
先輩方に頭を下げ、俺と陽愛は、共に帰路へと着いた。
「はあ……長居しすぎた……もうこんな時間だ……」
片付けをしていたこともあって、今や時刻は二時に差し掛かろうとしている。
「でも、楽しかったな……普段、話す機会ないからね、あの人達とは」
陽愛が呟くように言ったので、俺も小さく頷く。
夜の闇が、その澄んだ静けさが、沈黙という形で俺達を包んでいた。なんとも言えない、物悲しくも温かい……そんな充実感が、俺の中には満ちていた。
沈黙を最初に破ったのは陽愛だった。
「そう言えば! あれ、どういうこと!?」
ギクッとして、歩みを止める。
あれ、という単語と、陽愛の語気からして、なんのことか分かった。
あれだな……月音の残した、キスマーク的なもの……。
前を歩いていた俺は、ぎこちなく振り返る。
「あれは……その……まあ……」
「な・に・し・て・き・た・の!?」
詰問する口調で、陽愛が俺に詰め寄ってくる。
実際、何もしていないのだが……説明しにくいし、小っ恥ずかしい。
「な、なんもしてねえって! 本当に!」
それだけ言って、俺は踵を返して、ダッシュでその場から逃げ出す。
「あ! なんで逃げるの! 待て~!」
深夜の帰り道を、俺と陽愛は駆け抜けていく。
◇
聖なる魔装戦が、遠い日の出来事のような気がする。
しかし、確実に大会は終わり……。
確実に、期末試験が近付いてきている。
「はあ? なんでここが四番なんだ? 四番じゃ、この条件に合わなくないか?」
「その条件は違うよ。それが影響するのは二番だけ。黒葉が間違った三番は、確かに一番近いけど、ここが違うの」
俺が問題集に引いたアンダーラインを指差し、陽愛は説明を始める。
その説明の重要点をノートに書き写し、俺はため息を吐いた。
「まさか、こんなに難しいとはなあ……」
「過ぎちゃったものは仕方ないって、忙しかったんだから。今から巻き返そ」
励ましてくる陽愛に、俺は再びため息を吐いて見せる。
「分かってるよ……」
午前九時、ファストフード店で、俺と陽愛は勉強をしていた。
主に、俺が教わる形で。
聖なる魔装戦の代表選手として、時たま公認欠席を取っていたこともあり、今回の試験範囲について、俺はあまり理解できていなかった。
思った以上に。
そのため、俺の家に急遽住むこととなった小鈴ちゃんに、留守番を任せている次第だ。
「色々と大変ですよね……すみません、押しかけるように来てしまって……私のことは、あまり気にしないで下さい」
そんな言葉で俺を送り出してくれた小鈴ちゃんに、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいである。いやもう、申し訳ないってレベルじゃないな。懺悔したいぜ。
そう言えば、小鈴ちゃんは勉強をしているのかどうか、気になって訊いてみたところ……とりあえず、基礎的なことは学んだらしい。
……江崎から。
あいつが、教えたらしい。常識的な、知識を。
……本当だろうか? 疑いたくなってくるが、それをしてしまうと、小鈴ちゃんさえも疑う標的ってことになる。それは駄目だ。
俺からも、ちょっとした学習をさせるべきだろうか?
なんて、自分のことを棚に置いた、保護者的思考をしていると……またも陽愛から、解答の間違いを指摘された。
俺はしばらく、陽愛から教わった箇所を演習し続けていた。その間、陽愛自身は、何やら携帯をいじっていたのだが。
お前だって、試験勉強するべきなのは同じだろ、と注意しようかと思ったが……自分のことで手一杯だな、こりゃ。正解率六割はまずい。
何度目かの嘆息をしそうになり、誤魔化すようにコーヒーを口に運んだ――はずが、既にカップの中身は空だった。おかわり自由ということで、俺は席を立ち、淹れ直して戻って来る。
その数十秒の間に……俺と陽愛が使っていたテーブルに、新たな客がついていた。マジでいつの間にって感じに。
「桃香……瑠海……」
「お、おはよう……黒葉くん……」
「やっほー! 黒葉~!」
危うくカップを落としそうになりながら、俺は元の席に座り直す。
なるほど……陽愛は、この二人を呼ぶために、ずっと携帯いじってたのか。
いや、なんで呼ぶ必要があったんだ。
「え、えっと……皆で勉強した方が、教え合えるし……って……」
俺の心の疑問に、桃香がオドオドと答えてくれた。
「それって、最終的に勉強しないパターンじゃん」
学生の勉強会――その典型的なオチを俺が言うと、陽愛は、へえ~と笑った。
「私は真面目にやるよ? 黒葉はそういうつもりなんだ~?」
「別に遊んでもいいよ~!」
茶化す陽愛に、本気で言っている疑いのある瑠海が加わる。
「……俺だってやるよ……」
満面の笑みでパンケーキを頬張る瑠海を見て、俺は深くため息を吐いた。いつ来たのかも疑問なのに、お前、いつの間にパンケーキを買ったんだ……。
◇
十一時二十分。
俺の不安は、良い意味で的を外ていれた。
俺達四人は、なかなかちゃんと勉強をしていて……教え合う、という言葉も体現されていた。それぞれがお互いに、苦手な分野を補う形で、順調に試験範囲を攻略している。
「やっべ……俺、そろそろ帰らないといけない……」
腕時計を確認して、俺は慌てて勉強道具をしまった。
「え? なんか、用事あるの?」
驚いた顔で俺を見る瑠海に、俺は軽く頷いた。
「まあな。昼には帰るって言ってんだ」
「んん? 青奈ちゃん、中学校は普通に登校だよね……? 誰か他にいるの?」
俺の言葉に、陽愛が思いの外食いついてきた。
ちょっとだけ言葉に詰まったが……事情もある訳だし、何かやましい事がある訳でもない……こいつらになら、小鈴ちゃんの件を話しておいていいだろう。プロジェクトの奴らと関係してないんだし。
つか、瑠海とか高頻度で俺の家に突撃してきたりするし、いずれバレるしな。
「ああ……いや、実は……」
話しても大丈夫そうな部分を掻い摘んで、小鈴ちゃんが俺の家にいる経緯を説明した。
もちろん、他言無用と念を押して。
真面目な話だと理解してくれたようで、いつかのような大騒ぎはなかった。
「ふう~む……まだ小さいのに、色々苦労してるんだね……」
瑠海が腕を組んで、険しい顔をする。
「た、大変、だね……まだ、小さいのに……」
桃香も、悲しそうな顔で呟いた。
「なんか、力になれることがあったら言ってよ? 今日だって、言ってくれれば、黒葉の家で勉強やったんだし」
陽愛は、この三人の中でも、一番小鈴ちゃんと関わっているからか、悲痛そうな声で俺に言ってきた。
「分かったよ。とりあえず帰るわ」
「ん!? このまま、私達も黒葉の家に行けばいいんだよ!」
瑠海が手を打ち鳴らして叫ぶ。
……わあ、バレた。
◇
十二時ぐらいに、俺は帰宅した。買い物袋を提げて。
陽愛、桃香、瑠海の三人も、もちろん一緒にいる。
……あれ……? もちろん……? 俺の家のなのに、なんでもちろん……? ん……?
「ただいま~……」
控えめに言いながら、靴を脱ぐ。
「「「お邪魔します」」」
三人揃って、俺の後に続く。
リビングに入る前に、俺の鼻が、何かの匂いを感じた。
「……紅茶、か?」
パタパタという音と共に、小鈴ちゃんがリビングから現れた。
昨日の内に青奈が買ってきてくれていた、ワンピースっぽい服を着ている。
「おかえりなさい、黒葉さん。皆さん、こんにちは」
小鈴ちゃんは、丁寧に頭を下げる。
うん……歳の割に、しっかりしてるんだよな。しすぎるぐらいだ。
江崎の教育結果だったとしたら、まあ、これは良いだろう。
「小鈴ちゃん、紅茶淹れられたの?」
最初に思ったことを訊くと、小鈴ちゃんは頬を赤らめて頷いた。
「はい……前に、登吾さんといた時……コーヒーの淹れ方と一緒に教わりました」
へえ、と感心して、俺は江崎の顔を思い出した。
あいつ……小鈴ちゃんに対して、ある種の罪悪感も持っていたようだった。
日常生活に関することも教えていたようだし……当然、小鈴ちゃんを平和な世界に戻したいと思っているんだろうな。
どこで、どう歯車が狂ったか……こんなことになってしまって。
「……昼飯、今から作るよ――陽愛達も、食うだろ?」
「うん、もちろん」
「あ、ありがとう……」
「やったー!」
まあ……今はこの、平和な世界にいるんだから、良しとしようか。
いつまで続くか分からない、不安定な世界だけど。




