第157話 潜む影
二十分後……形式上、俺がボコられることで、陽愛の怒りは収まっていた。
なんか……最終的に、先輩方は陽愛に味方してるし……。
店の奥のトイレで、俺は血を水で洗っていた。もちろん、左頬に付いた跡を。
「月音……気を付けてくれよ……」
小さくため息を吐いたが……。
待て待て。
なんで俺、こんな冷静なんだよ。あれだぞ? 一方的とはいえ、頬にとはいえ、女の子にキスされたんだぞ?
もうちょっと、慌てるとか、恥ずかしがるとか、混乱するとか……まあ、混乱はしなくてもいいけど。
月音だから? いや、関係ないよな……。
陽愛が怒って、俺を殴ってきたから? そのために動きすぎて……なんか冷めてしまった?
そもそも、なんで月音はあんなことしてきたんだ?
お礼とかお詫びとか、言ってたけれど……普通、そういうものなのかな?
なんだろう……何か、大事なことに気付けてない気がする……気付けてない? 忘れてる?
……分からない。
◇
「陽愛……怒るなって……」
「怒ってない」
「…………」
ため息を吐きそうになるのを、なんとか抑えた。
暴れまわったからか、眠気はすっかり覚めたようで、陽愛はアイスティーを飲んでいる。
なんか、デジャヴな気が……。
「やっちまったなあ……白城」
千条先輩が、俺の肩に手を置いて、満面の笑みで言ってくる。
……あんた、逃げてる俺の脚を、鎖牙で引っ掛けたろ。分かってるんですけど。
「陽愛、機嫌直せって」
「だから、別に機嫌悪くないし!」
縋るような俺の言葉を、陽愛が強く否定する。
そこに、小園先輩が怠そうに入ってきた。
「そうそ……夫婦喧嘩は犬も食わぬ、って言うしね」
「「誰が夫婦ですか!」」
俺と陽愛のツッコミが重なった。
瓜屋先輩は、困ったように苦笑いして、俺と陽愛を見ている。
俺は、視線を少しずらして、左に座る千条先輩の奥を見やった。
残った卒業生の人は四人……その中に、輝月先輩が入り、何やら深刻そうに話している。
なんか不安になるけど……神経質になりすぎるのも、良くないと思うしな。気にしない。
「白城くん」
……おっと、嘘だろ? 気しない決心をした直後に、輝月先輩に呼ばれるなんて。
「は、はい……なんですか?」
陽愛や先輩方の輪を抜け、輝月先輩の方へと向かう。
「紹介した俺が訊くのも、おかしな話なんだけどね……魔装戦の前に、君の特訓をしてくれた人って、羽雪さんだよね?」
「ええ……もちろん」
確かに、おかしな質問だ。
「羽雪寧か……なんであいつだったんだ?」
卒業生の一人、目が鋭い男性が、輝月先輩へと問いかけた。
「白城くんの課題に合ってたんですよ。それに、一年の相手をしてもいい、という先輩は羽雪さんぐらいでした」
マジですか。俺、嫌われてた。
そんなことはさておき、なんで羽雪さんの話を?
「じゃあ、羽雪に連絡は取れるのか?」
目の鋭い先輩が、俺に訊いてきた。
「い、いえ……連絡はしようとしたんですが……電話には出ませんし、メールには返事がないんです」
言っていて、不安になってきた。
おかしいな……俺の特訓を切り上げた日から、全くもって連絡がない。
「そうか……それなら仕方ない。それで、どうする気だ? 輝月」
輝月先輩は、顔を険しくして、静かに俺を見た。
「どうせ、全生徒に知れ渡ることだから、君にも言っておこう。今、特に魔装高で問題となっている、ヴェンジェンズについてだ」
「ヴェンジェンズ……!」
しまったな……意識の外だった。
俺たちの通う校舎を破壊し、千条先輩に重傷を負わせた。しかし、イマイチ目的のハッキリしない組織、ヴェンジェンズ。
築垣明歌音という少女と、俺は深くもなく浅くもない、微妙な因縁がある。
「第三への襲撃は、最初の一度と、我々が拘束していた野々原怜美を奪い返しに来たので、合わせて二回のみ。だが……第二にも、一度だけ来ているらしい」
瞬間、脳内に……あの真っ黒な男が浮かぶ。
俺のことを不死鳥と呼び、千条先輩、羽雪さんを一人で圧倒し、余裕で帰っていった男。
「第二に……? で、でも……俺たちの時はニュースにもなったのに、そんな話、聞いたことないですよ?」
「そうだよ。それに、野々原怜美を奪いに来た時も、ニュースなどで報道はしてない。そもそもヴェンジェンズは、第二で破壊活動を行っていないんだ」
「じゃあ、どうしてヴェンジェンズが来たって分かったんですか?」
もしかすると、裏の情報網では、手配書のようなものが出回っているのかもしれない。それに載った人物を見かけたとか。
「築垣明歌音……知ってるね」
どうやら、俺の予想は当たったらしい。
無言で頷く。
「彼女が何かをしていたのを、第二の風紀委員が見つけたんだ。特徴からして、君と交戦し、その後に一度みかけた、築垣明歌音だと判断した」
第二でも、何かをしていた?
俺が最後に見た時、築垣は屋上で、何かをしていたようだった。
「目的は?」
「不明だよ。おそらくは、偵察というか、様子見だろう。断定はできないから、今は警戒状態だけど……せめて静かに夏休みを迎えようとね」
「杞憂ならいいんですが……俺にはどうも、大人しすぎる気がするんですよね……」
あそこまで豪快な宣戦布告をしておいて、聖なる魔装戦にも手を出さず、襲撃をしてくるでもない。
嵐の前の静けさって訳でもないが、底知れぬ不安を感じる。
「こちらとしても、警戒を怠りはしない。だが、どうにも良くない噂があってね」
「良くない噂?」
「魔装高付属高校の生徒が、何人か不登校になっている……いや、行方不明になっているんだ。最近になって、勢いが増している。それだけじゃなく……魔装高の卒業生も、何人か」
それは、噂というより、事実に基づいた事件性のある情報に近い。
裏で何が進行しているのか、輝月先輩は予想がついているのだろう。
「つまり、ヴェンジェンズのメンバーは……魔装高付属高校の生徒。そして……魔装高の卒業生によって、構築されているという訳ですか?」
おそらく、言いにくいだろう言葉を、俺が代わりに言う。
曖昧な表情で、輝月先輩は頷いた。
「予想だけどね……その可能性は高い。魔装高の卒業生が、あの組織に入ったかどうかについては、可能性は五分だ。まだ、断定できるほどの事実はないからね。行方不明者も、そこまで多い訳ではない」
俺には、築垣が悪い奴には見えなかった。ヴェンジェンズのメンバーとして、俺に攻撃を仕掛けてきたり、敵であることは事実だが。
性根は、悪い奴じゃない気がするんだよな……やっぱり。
そして……輝月先輩は、あえて明確には言わなかったが……羽雪さんだって、ヴェンジェンズに入るだなんて、考えられない。
俺は……信じていたいんだ。
何もかもが信じられず、疑わなきゃいけない状況だからこそ……俺は、信じることで、助け合っていきたい。
裏切りや傷付け合いは……もう、たくさんだ。
◆
「――あれが……ターゲットだって?」
麺父の近くの家、その屋根の上に、六人分の人影があった。
「らしいね~……でも、単身で挑むのはやめた方がいいよ~?」
最初の声に誰かが応えた。男の声だ。
「あっちは、不死鳥を少しずつコントロールし始めている……僕らの方が不利だ」
「分かってるわよ……ルシファーはどこ?」
若い男は、少し困ったように首を振った。
「まったく……ちょっとは協力的になりなさいよね……」
最初の声の主は、女性のようだ。
「彼は、一人でも勝てる、だってよ」
「まったく……傲慢なやつ」
ため息を吐いた女性に、一人の少女がククッと笑う。小柄で、細身な体型だ。
「それこそ、適合者ってところだろう? いいさ、組みたい同士で戦いなよ。ただし、早い者勝ちだ」
女性が頷いた瞬間、全員、静かな闇へと消えていった。




